デジタルファブリケーションを有効化するための5カ条

砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講師)

序──ファブリケーションの現在

3Dプリンターやレーザー加工機など、デジタルファブリケーション技術が社会的に認知されるようになってから数年が経つ。数値制御によって加工を行なう機器の開発は、1950年代のMITにおいてコンピュータやインターフェイスとともに始まっており、歴史は深い。その技術が00年代半ばよりデスクトップスケール(個人スケール)に落ちてきた。それに伴って、旧来の工場型生産から、個人生産を主体とした新たな産業構造が展望され始める。「必要なモノを必要な時に必要なだけつくる」パーソナル・ファブリケーションが称揚され、社会的ムーブメントを巻き起こした。そこでは、資本から個人へと生産システムの民主化が謳われた★1

また、デジタルファブリケーション技術は、生産システムの民主化の牽引と同時に、デザインや造形のアプローチと方法論を拡張した。
デジタルの創造的活用という面では、画像や音を媒体とした視聴覚表現が先行していた。1990年以後のコンピュータの普及は、ビジュアルグラフィックスや映像など視覚文化のあり方を大きく刷新したことは言うまでもない。反復性、可変性、可視化性、生成性などを特徴とするコンピュータを介した創作は、ソフトウェアによる作業能率化から、アルゴリズムを用いたデザインまで、その文法と形式を拡充し続けている★2
デジタルファブリケーション技術の創造的な受容は、そのような視聴覚文化のなかで育まれた文法の「物質世界との接触」、つまり、これまで単に情報として扱われてきたものを物体として形象化する可能性として、いままさに新たな平野が切り開かれている。一方で、デジタルを活用した視聴覚文化がすでに十全な方法と解釈を獲得しているのに対し、ファブリケーションの論理は、まだ明確な創造的価値基準を見出せないでいることが、少なからず専従者たちの問題意識に共通しているように感じられる。
ところで、19世紀後半の思想家ジョン・ラスキンは、ルネサンスの芸術観や近代的分業性に、芸術と技術の分離を見ていた。そして、両者を一致させる意識の下、クラフトの再建を掲げた。今日、いくつかのデジタルファブリケーションの観点において、ラスキンが「ゴシックの本質」★3で描いたような展望を参照しながら、生産の分業性によって失効したクラフトの再考察がなされている★4

ラスキンの時代から、100年を過ぎ時代的状況も技術的環境も大きく変わり、デジタルの文化がすでに芸術と技術の分離を融和させつつあるいま、この「クラフト」という観点から現代のファブリケーションを考察してみたい。

1. 生産を動的にすること

歴史を少しだけ遡って、いまやデジタルデザインの古典ともなっている1990年代後半のベルナール・カッシュとグレッグ・リンのアプローチを取り上げる。両者とも、ジル・ドゥルーズやアンリ・ベルクソンの哲学概念を応用し、建築にヴァーチャリティの議論を持ち込んだことなどで脚光を浴びた(カッシュは、工学と経済学のほか、ドゥルーズに師事し哲学の学位も取得している)。
彼らが指し示したコンピュータの中で逐次的に移り変わる有機的形態は、その特殊性が殊更に注目されたがゆえに、実際に物として制作する際の矛盾、つまり動的モデルを静的な建築物に変換する時の切断といった意味で、多くの議論と非難を呼んだ。しかしながら、デジタルファブリケーション技術が醸成し、人間の身体的ニーズに呼応したマスカスタマイゼーションのプラットフォームが整いつつあるいまとなっては、彼らの生成的手法は、必ずしも特異なオブジェクトをつくることを目的とはしていなかったことがうかがえる。
例えば、リンの代表作《Embryological House》(1997-2001)は、その形態生成のアニメーションがなにかと話題にされるものの、全体を見渡すと、ユーザーの個別的なニーズから形態を生成するマスカスタマイゼーションのプロセスこそが、この動的モデルの本質であることがわかる★5。また、ベルナール・カッシュがデザイナーのパトリック・ボーゼとともに設立したObjectileも同様、独自CADの開発とともに、家具スケールのモデル生産プロセスまでを構築していた。Objectileは、2007年に活動の総覧的な著作『Objectile: Fast-wood: a Brouillon Project』を出版した★6。Brouillonは名詞だと「下書き、ドラフト」という意味であるが、形容詞だと「まだ無秩序であるが、将来的な価値と展望を持つ」というニュアンスになる。このような現代に対する投機的なアプローチ、つまり、インターネット以後、プロトタイピング論や新しい唯物論など動的な世界観が建築批評においてもリアリティを持って迎えられているいま、彼らの〈設計から生産までを含んだ動的システム〉の観点は重要度を増している。

2. 素材を可塑化すること

カッシュやリンに後続した世代は、生産に対してより自覚的で、デジタルファブリケーションの台頭と同期して、顕著な動きとなる。2009年に出版された『Digital Fabrications: Architectural and Material Techniques』には00年代に欧米各地で試みられたファブリケーションの事例が掲載されている★7。そこでは、建築形態の設計手法ではなく、「制作手法」に重点が置かれ、各プロジェクトが5つに分類されている。この動向のなかで扱われている「素材」において、ある特筆すべき事柄がある。それは、デジタルの登場により「木材」が従来とは異なる素材性を獲得したことである(この点において、Objectileの著作タイトルにある「Fast Wood」は示唆的であった)。
自由度と量産可能性という意味で、型取り成形のできる可塑性の高い素材(コンクリートやプラスチックや金属)が、近代の象徴的な素材として用いられていた。一方で、材料の取り都合や不均質性によって、その大きさや形態に制約がある木材や石材は、在来工法の建築物や仕上げ材にとどまってきた。
ところが、デジタル以後、木材や石材は素材の新たな可能性を見出される。デジタルファブリケーションの最先端的技術が、今日の《サグラダ・ファミリア》の設計と石材加工に活用されていることはよく知られている★8。一般的にも、1990年代より日本の製材工場でNC加工が大規模に採り入れられたことは、木材とデジタルの親和性を証明する要因のひとつだろう(デジタル以降の世界的な木材の再評価は、最近、勝矢武之氏によっても言及された★9)。
これは、コンピュータ内で比較的自由に振る舞う数値情報が、デジタルファブリケーションを介して、木材や石材の〈見えない雌型〉として機能し、〈可塑性〉が与えられたと言える。そしてその時、木材は身近にある手っ取り早い建材として有用であった。

3. ナリッジを蓄積すること

リチャード・セネット『クラフツマン──
作ることは考えることである』
(高橋勇夫訳、筑摩書房、2016)

デジタルファブリケーション技術の活用は、インターネットを背景としたオープンカルチャーに駆動されているとも言える。そのオープンカルチャー化にとって、3D CADソフトウェアRhinocerosとビジュアルプログラミング環境Grasshopperは、ある転換点をつくり出した。Rhinocerosはプラグインの開発環境やプログラミングライブラリなどを提供し、比較的容易にソフトウェアのカスタマイズができる。それによって、00年代中盤から、作業の自動化や生成的な形態をつくりだすプラグイン開発が盛んになった。そしてその流れは、プログラミング環境をさらに簡易化し、直感的に組み換えできるプラグインGrasshopperの登場以後、オープンカルチャー化する。同時期に、大学機関においてもデジタルファブリケーション機器が幅広く採り入れられていく。
社会学者のリチャード・セネットは、著書『クラフツマン──作ることは考えることである』において、Linuxのオープンソースを引き合いに、デジタル以後のクラフトマンシップを論じている★10。セネットは、たとえオープンなコミュニティベースの創造においても、その中核には、問題発見を向上的な視野の獲得へと変換するクラフトマンシップが存在すると主張している。すなわち、インターネットを介したオープンな協働作業の品質を維持するのは、じつのところ、クラフトマンの「閉鎖的」な〈ナリッジ(知識=情報)システム〉であると。コミュニティは、問題や打開策、知識の共有の場であることは確かだが、それらは結局個人の経験内部で醸成・深化される。この指摘は重要である。

プログラミング技術が広く伝播していく一方、建築スケールでそれらが実現化されていく。例えば、アルヴァロ・シザとエドゥアルド・ソウト・デ・モウラ、セシル・バルモンドによる《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン》(2005)は、木造パヴィリオンの実験的プロジェクトとして、その後多くの技術的参照を得ることになる。また2011年にはユルゲン・マイヤーの《メトロポール・パラソル》が竣工し、デジタル技術が大規模建築物においても実装可能で、有効な手段であることが証明された。オープンカルチャーと専門家の増加、そして先進的な事例の実現によって、建築においても現代的なクラフトマンシップともいうべきナレッジシステムが醸成された。そこで発見された問題点や可能性は、また次の新たな建築デザインや建築工法を生み出すカンフル剤として機能していく。

4. 制作の現場を考えること

設計+生産=制作(クラフト)という図式を描いてみる。プログラミングは、元来、作業と実装の場が同じコンピュータ上であることから、設計とともに生産を包含した制作モデルに基づいている。デジタルは、建築設計の効率化の面で着目されるが、デジタルファブリケーションは、建築制作の現場を考えることにつながる。すなわち、制作の現場的な方法論、「物をつくること」におけるデジタル的思考の実践である。
構造エンジニアの金田充弘は、「建築は複雑な現象をつくるべきだが、複雑な物をつくるべきではない」と言う(筆者ヒアリングによる)。金田は、早くからデジタルファブリケーションを活用した建築の設計に関わり、木材とデジタルの親和性に着目している。ジオメトリを厳格につくりすぎず、現場合わせ可能な状態にとどめ、木材のリダンダンシーと職人の状況判断能力に余地を残す。それによって、「複雑な現象」を引き起こす「柔らかい」創発的建築物を指向している。例えば、《みんなの森 ぎふメディアコスモス》(設計=伊東豊雄、2015)の木質天井は、厳格にプレカットして組み立てるのではなく、複雑なグリッドでも、現場職人が簡単なルールさえ理解できれば容易に加工し、接げるように設計された。
デジタルはスケールを持たないがゆえに、その可変性能と厳密性を保持している。しかし、現実の建築物にはさまざまなスケールが存在する。どの精度で納めれば建物の規模に対して良い適合が生まれるのか。それは現場の判断に頼ることになる。金田の態度は、近代の合理主義的な発想によるデザインではなく、デザインに余剰を残し、物の抵抗を身体的に感受することができる職人的意識を包含した制作設計者のそれである。
筆者は、フランスで活動していた時代、エンジニアリング事務所Bollinger + Grohmann Parisの依頼で、《Hermès Rive Gauche》(デザイン=RDAI、2010)の3次元的に展開する2層の籠編みのような構造物において、ジオメトリ生成プログラミングの基本設計を担当した[figs.1-3]。プログラミング技術とデジタルファブリケーション技術を有効活用したこのプロジェクトは、デジタルデザインにおけるひとつの技術的結束であった★11。ここでは、3次元的な曲線部材をつくり出すために、各軸方向に対して、異なる曲げの手法が適応された。1軸目は平面上のラミネートによる曲線木材成形、2軸目はスチームベンド。そして3軸目は、足場をガイドに1層目を直接曲げながら固定し、その1層目をガイドに2層目を固定していく。最後に足場を取り除き、構造物を成立させる。より精確な形状に近づけるためこれらのプロセスが考案されたが、いずれのフェーズでも木材のリダンダンシーと物質に対する身体的感覚が、プログラミングに反映されていた。

fig.1──《Hermès Rive Gauche》
Architecture=RDAI Engineering=Bolinger Grohmann Ingenieure
エントランス階段上より[筆者撮影]

fig.2──《Hermès Rive Gauche》
Architecture=RDA Engineering=Bolinger Grohmann Ingenieure
筆者がプログラミング設計に関わった構造体近影[筆者撮影]

fig.3──《Hermès Rive Gauche》模型。
筆者がジオメトリと建て方案を提案するため最初に制作した模型[筆者撮影]

5. ひたすら続けること

E・M・フォースター
『ハワーズ・エンド, no.1-07』
(吉田健一訳、河出書房新社、2008)

今日、技術的なプラットフォームは、民主化の下にますます拡大を見せている。ロボティクスやAIなども進展し続けていくし、情報化された世界はより動的なものになるだろう。
セネットは前述の著書において、ラスキンの機械に対する反抗と、身体感覚の擁護という勝ち目のない活動をして、E・M・フォースターの小説『ハワーズ・エンド』の冒頭の「ひたすらつなぎ続けよ」という言葉を宛てている★12。無論、ラスキンは機械技術に対しては異議を唱えた。そして、セネットも、ラスキンの態度を「手作りの品物を介して他の人びとと結びつくこと」とし、身体感覚の擁護を称揚している。
しかし、セネットは、技術そのものには批判的態度を向けない。なぜなら、技術そのものはつねに芸術とともにあるものだからである。「機械と闘うことではなく、機械とともに・ ・ ・ ・働くことが、ラディカルで解放的な挑戦」(強調原文ママ)であるとし、それは真に「クラフツマンシップについての啓蒙された考え方」であると言う。
『ハワーズ・エンド』は、「相反する異質なものを『ただつなごう』とする架橋の意志と熱情」に物語が駆動されている。デジタル以後、インターネット以後、開放性と閉鎖性、情報性と物質性を架構しながら、ひたすらに〈付き合い続ける〉クラフトマインドは、芸術と技術の一致を指向する限りにおいて有効性を見出しうる。
建築の制作は、もはや近代的工場生産システムに硬直するものではない。デジタル技術を体得し、素材をより「柔らかいもの」として捉えた時、そこに現われるのは、建築制作のクラフトマン的気質である。

近年、世界的にも、デジタル加工機を備えたファブリケーションスペースは増加している。最近は、ホームセンターなどでも機器の導入が進んでいるし、3Dプリントの低価格オンデマンド出力はますます便利に使えるようになっている。検索すれば、すぐに専門的な加工を行なう工場が見つかる。もはや、技術や産業は私たちのすぐ側にある。このようなネットワークを身体化し、世界をひとつのファブリケーションスペースとすることは、現代の制作者のリアリティである。そこには、民主化した世界をより生産的で持続的なものにする今日の建築制作者像があるはずだ。そして、筆者も、鋭角に加工された木材片手に街を闊歩するそのようなひとりでありたいと願う。

参考文献
★1──ニール・ガーシェンフェルド『Fab : パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ』(田中浩也監修、糸川洋訳、オライリー・ジャパン、2012)
★2──ケイシー・リース、チャンドラー・マクウィリアムス、ラスト『FORM+CODE──デザイン/アート/建築における、かたちとコード』(久保田晃弘監訳、吉村マサテル訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2011)
★3──ジョン・ラスキン「ヴェネツィアの石──建築・装飾とゴシック精神」(内藤史朗訳、法藏館、2006)
★4──L. Caneparo, Digital Fabrication in Architecture, Engineering and Construction. Springer Netherlands, 2014.
★5──B. Kolarevic, "From Mass Customisation to Design 'Democratisation,'" Mass-Customised Cities (Architectural Design), Academy Press. 2015. p.52
★6──P. Beauce and B. Cache, Consequence - Objectile: Fast-Wood: A Brouillon Project. Springer, 2007.
★7──L. Iwamoto, Digital Fabrications : Architectural and Material Techniques. Princeton Architectural Press, 2009.
★8──D. Reinhardt, R. Saunders, and J. Burry, Robotic Fabrication in Architecture, Art and Design 2016. Springer. 2016.
★9──勝矢武之,「『木造建築』の世界的動向、そしてその新しい可能性とは?」「10+1website」(LIXIL出版, 2017.1) https://www.10plus1.jp/monthly/2017/01/issue-04.php.
★10──リチャード・セネット『クラフツマン──作ることは考えることである』(高橋勇夫訳、筑摩書房、2016)
★11──A. Menges, T. Schwinn, and O. D. Krieg, Advancing wood architecture : a computational approach. Routledge, 2017.
★12──E・M・フォースター『ハワーズ・エンド, no.1-07』(吉田健一訳、河出書房新社、2008)

砂山太一(すなやま・たいち)
1980年生まれ。京都市立芸術大学美術学部総合芸術学専攻特任講師。東京藝術大学大学院美術研究科建築(構造計画)研究領域後期博士課程学位取得。企画・会場設計・出展=「フィットネス .」(2016)ほか。共著=『マテリアライジング・デコーディング 情報と物質とそのあいだ』(millegraph、2014)。http://tsnym.nu


201705

特集 ファブリケーションの前後左右──ネットワーク時代の生産論


「ポストファブリケーション」とそのデザイン
ファブリケーション、それは組み立てて捏造すること
デジタルファブリケーションを有効化するための5カ条
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る