常に思う開放的な場について
『長坂常|常に思っていること』刊行記念トーク

長坂常(建築家、スキーマ建築計画主宰)+門脇耕三(建築家、明治大学専任講師)

「人の動き」を設計に参加させる

門脇──この《Sayama Flat》で、人は長坂さんを「剥がし芸の常」と呼んだわけですが(笑)、それが極まったのが《DESCENTE BLANC代官山店》(2015)ですね。

長坂──代官山店は周辺に同じような建物が6棟建っていて、その一室にDESCENTE BLANCが入ることになっていました。どう見ても差がないように見えるので、そのなかでいかに個性を出すかが最初の課題でした。結果、何をしたかというと、すでにそこにあるものたちを増幅させることにしました。この建物にはもともと錆止め塗装がされていたので、その範囲を増やしていくことでどちらが先に塗られていたのかよくわからない状態をつくりました。屋外にあるデッキ素材をなかまで引き込んだりもしています。
ここで重要だったのは、ストックのあり方、接客のあり方をどう考えるかということでした。在庫を取りに行くためにお客さんを放置するのではなくて、その場で話しながら、理解してもらいながら買ってもらう必要があると考えました。10万円くらいするダウンジャケットを売っているんですが、すごく機能性が高いジャケットなので、話を聞くと買いたくなるんですよ。
偶然にもこの1年前にDESCENTEのダウンジャケットをぼくも買いました。そのとき買うつもりはなかったんですが、店員さんの話を聞いていたらいつのまにか帰りに買っていたという体験をして、同じことをどう正確に再現させるかがこのプロジェクトの課題でした。だからストックを遠くに取りに行ってるうちにお客さんに冷静になられたら困るので(笑)、その場でお金を決済させるために近場にストックを置くことを考え、結果的に天井にぶら下げました。

門脇──長坂さんはそもそもストックが嫌いですよね。ものを隠すということが根本的に嫌いなんじゃないか。

長坂──そうですね。というのと、そこで働いている人たちの動きが非常に心地よくて、川に水が流れているとなんとなく間が持つじゃないですか。あれに似た感覚があります。人が動いていると空間の間が持つ。正直ぼくは洋服を買うのが苦手で、「いらっしゃいませ」と言われるだけで出て行きたくなる。それを避けるためにはいろんなノイズがその空間にあって欲しいと思っていて、そのときにストックを武器に使ったり、人の動きを利用することもあります。

門脇──そこにあるものは何でも参加させたほうがいいということですね。

長坂──すでにある動きをうまくコントロールしてデザインに取り込むことを最近やっています。

門脇──このプロジェクトがものすごいのは、本当に何もしてないところ。ストックが上にあるというのは長坂さんの工夫だけれど、あとはデッキ材を外部から引き込んでいる程度で、内装を剥がしただけで本当に何もしてないんですよ。にもかかわらず、ぼくにはなぜか新築に見えました。そこもすごく不思議なプロジェクトだと思っています。
《Sayama Flat》のころは、ちょっと不安になって床にエポキシを流したりしていたんだけど、ここではそんなことさえ必要ないと判断しているわけですね。

長坂──みんなが気にする常識を気にしなくても、意外とやるべきことをやれば空間は寛容でちゃんと受け止めてくれるし、いい空間になってくれるという感覚はあります。

門脇──僕は《DESCENTE BLANC代官山店》を見て、長坂さんのやり方が相当に極まってきているんだなと感じました。モノの成り立ちがしっかりわかるとか、隠し立てをしないとか、長坂さんの作品に一貫しているものはここにも全部入っている。しかし、やっていることはただ引きはがすだけで、「デザインしてやろう」という邪念のようなものはまったく感じられない。フレームの赤い色も、一般的な錆止めペイントの色。しかし、これがなぜかカッコよく見えてくる。おそらく何もしていないようで、色の配置はかなり考えられていて、赤い鉄骨がここにあって、DESCENTE BLANCのダウンがあってというように、バランスは相当気にしていると思います。

長坂──もちろん考えているんですが、じつはできあがるまでドキドキしています。赤い空間のなかに商品が置かれて、本当にちゃんと商品として見やすい空間になるか。《CBANE de ZUCCA》(渋谷パルコ店 2014、代官山店 2015)では玉虫色のスチールを使った空間になっているんですが、あれも同じくドキドキしました。《奥沢の家》(2009)の外壁も同じで、自分では想像しきれないこともあるんです。でも意外とそこに乗っかってみると、いまのところなんとかなっている。それが空間のすごいところだなと思っています。

すべてのモノが対等に扱われるフラットな空間

長坂──次にお見せするのは、HAPPAの斜向かいにできた《BLUE BOTTLE COFFEE中目黒店》(2016)[fig.14]です。HAPPAにいたころ、よくこの建物を見て、いいなと思っていました。そこにたまたまBLUE BOTTLE COFFEEが入ることが決まったんです。

fig.14──《BLUE BOTTLE COFFEE中目黒店》
写真=Takumi Ota

門脇──ぼくから見ると、この建物は不思議なんです。工場にも見えるし家にも見えて、なんだかよくわからない、いろいろ混ざっている感じがする。どんなところがいいなと思ったんですか?

長坂──がらんどうな空間と斜めの屋根の面がすごくカッコいいんですけど、そこに3階の出口があって屋上に出る動線があります。前に入居していた人たちがそこから屋上へ出て楽しそうにしてる様子を見て、自分も仲間に入りたいなと思っていました。かなり建築家とは離れた欲求で、あの風景を見ていたいという意味での「いいな」です。

門脇──快楽的というか、けっこう動物的な感覚なんですね。

長坂──そうですね。どちらかというと自分が体験したいという欲求があります。

門脇──そういう場面が外観に表われているような建物が好きだということですか?

長坂──その場面に自分も参加したいし、人にも共感してもらいたいし、その場所をよりよくしたい。そういう意味では主人公をあまり設定してなくて、同時になかにも入れてそこから設計する人にもなれるというポジションが建築家だと思います。それをやっぱり楽しまないと損ですよね。ただ外側だけつくっても意味がないというか。
このお店は2-3階がオフィスで、スキップフロアを上がったところが若いバリスタのためのトレーニング室になっています。BLUE BOTTLE COFFEEは、フェアトレードという農場と消費者が対等な関係を保った結果として、おいしいコーヒーを提供するスタンスなので、それをどう空間に落としこむかということをやっています。だからできるだけフラットな関係をつくることを第一に考えています。三層の段差のある空間を立体的にどうフラットに感じさせるかというときに、お互いに見たり見られたりの関係がある場所をつくっています。

門脇──フラットという言葉が出てきましたが、長坂さんにとって、やはりすべてのモノが対等であることが重要なんだろうと思います。インテリアにはグレーの錆止めペイントをされた家具フレームの鉄骨がありますが、これは工場などの素っ気ない建物でよく使われる色です。そのグレーと混じり合わないように、木のパネルがはまっている。木はどちらかというと暖かみがあって、住まいとか暮らしを連想させる。「つくる」と「暮らす」がデザインとして混ざり合っている。というよりも、フラットに共存している。それぞれがバラバラなまま、それ自体の存在感を発揮しながらも癒着せず、しかし一緒にいる。そうしたモノどうしの対等な関係性が貫かれているプロジェクトじゃないかなと思います。

長坂──そうですね。そうすることで、HAPPAや周辺の街との関係も開かれていきます。自分のリースライン(商業施設の設計における店舗区画)内だけをきれいにすると、どうしてもその場所が外と絶縁してしまうので、そうならないようにしています。

門脇──長坂さんは空間に参加するモノを一つひとつ愛せるようにしてあげる。モノにすごい感情移入していることを感じます。鉄骨や木のパネルそれぞれが、きっちり愛されるような状態にもっていく。そういう感覚はないですか?

長坂──そうですね。たぶんたくさん選ばないんだと思います。あまり多くのことを盛り込むと人に伝わらなくなってしまうので、できるだけシンプルにしたいなと常々思っていて、素材も同じです。だから一つひとつを当然愛することになる。
最新のプロジェクト「延岡の家」は、宮崎県の延岡市で進んでいる住宅の改修です。敷地は440平米あるけれど住居部分は120平米あれば十分なので、残りの220平米を自由に提案してほしいと言われています。そのときに、街との関係をつくるうえでどう考えるか。いま建っている2棟の2階部分を利用して住居部分をきちっとつくって、残りをスケルトンにし、半屋外的な場所をつくっています。その半屋外の部分を使ってコミュニティを形成したいということになり、人の行動を誘発する場所を生むために、スケールの小さなボックスをつくり、半屋外部分に1つ、そして、室内に1つ置き、室内から半屋外に対して溢れ出る人の行動を生み出そうと考えました。

門脇──これもわくわくするプロジェクトですね。今日見せてもらった大小のスケールのプロジェクトを通して、やっぱり長坂さんの姿勢は一貫しているなと思いました。どれもカッコいいんだけど、自分のなかで考えているカッコよさが最初からあるわけではなくて、そのプロジェクトの性質そのものを素直に見せていくことで生まれるカッコよさ。もちろん長坂さん独自の判断は節々に入っているんだけど、一つひとつがしっかりと独立して見えるようにするとともに、どれかだけに視点が集まらないような、絶妙なモノの配置を考えているのだと感じました。

長坂──ありがとうございます。

質疑応答

門脇──会場から質問を募りたいと思いますが、いかがでしょうか。

浅子佳英(建築家、インテリアデザイナー)──デザインという行為そのものについて、正直に語られていて大変面白かったです。ただ、全体的に「いい話」感があるんですが(笑)、どこかに「悪意」みたいなものはないのでしょうか。悪意はデザイナーにとって必須なものだと思うので。

長坂──自分で言うと嘘っぽいと思うので、スタッフに聞いてみましょう。

山本亮介(スキーマ建築計画スタッフ)──長坂さんは、悪意というよりはいたずら好きだなという印象はあります。ユーモアを差し込んで、クライアントの価値観を変えるようなところがある。

門脇──たしかに、長坂さんのデザインにはブラックユーモアを感じるときがありますよね。人間のどうしようもないところとか、いやらしいところとかも含め、すべてをちゃんとディスプレイしているように感じますし、それを意識的にやっているようにも思えます。

長坂──ある意味でクライアントを試している、というと本当に失礼なんだけど、そういうことも正直あります。あるプロジェクトで総工費が安いなと思って、ふつうは工費のなかでは設計料が一番安いけど、設計料を一番高く設定して、その後に工事費、最後に材料費という逆のピラミッドをつくってデザインしますというコンセプトのプレゼンをしたら、クライアント自身がすごく面白がってくれたんですよ。「ああ、やっぱりいいクライアントだな」と思って、そこからは信頼をおいていい仕事をさせてもらう。そういうのがコミュニケーションとしては欠かせない部分で、単純に請け負いで「やらせていただいています」というのではなく、そういう姿勢で仕事をできる限りしたいなとは思っています。

門脇──それがたぶん長坂さんの誠実さだし、そうしたコミュニケーションの過程で相手すら裸にしてしまうようなところがある。

浅子──欲望に正直に、しかもちゃんとかたちに落とし込んでいるという意味で、悪意とは違うかもしれませんが共感します。

長坂──でもそういうところのデザインってあまりないですよね。なので、そこは面白いところだと思っています。たとえば「笑い」をどうデザインするかという要素は未知の部分だし興味がある。

門脇──ぼくも「笑い」には非常に興味があります。笑いってある種の開放性をもってすべての物事を肯定するところがあるじゃないですか。長坂さんの作品にどこか笑える部分があることはとても重要で、その「笑い」を通じて、「カッコよさ」とは別の次元にある物事の存在が肯定されているんだろうと思います。

長坂──都市を考えるときにも「カッコよさ」だけでまとめようとすると絶対不可能で、思考回路を変えないとその場をよしとする状況ができない。「笑える」という価値付けはすごい大事なことだなと思っています。意外に建築家もデザイナーもそこはあまり関わってないなと思うので、もっとそういうことを積極的にやっていくと都市が有機的につながっていくのかなと思います。

門脇──「笑い」のメカニズムは論理学的にもかなり高度なもので、掘り下げるべきテーマだと思っています。長坂さんは実践で先行していますが、建築論的にも可能性のあるテーマじゃないかなと。

浅子──確かに建築雑誌を賑わすような建築は、いろいろなカッコよさがあるにしても「カッコいい」というひとつの概念に収束していくところがありますよね。それ以外のものは許されていなくて、なかなかメディアにも出ない。

長坂──カッコいいものは境界ができてしまいますよね。つながっていくためにはもうちょっと緩さがないと。

浅子──違う価値観をもった人同士でも、みんなが笑えるという状況ならつくることができそうだし、それが共有されればつながっていく。

長坂──そういえば、ミース・ファン・デル・ローエの《バルセロナ・パヴィリオン》(1929、1986復元)を見に行ったときには、カッコいいのにすべてがつながっていると感じたことを思い出しました。それまでモダニズムのシャキッとした空間は排他的なんじゃないかと思っていたんですが、《バルセロナ・パヴィリオン》には許容力があった。掃除機やゴミがあっても、空間がいい感じで受け止められる。許容力をつけるためには、元からいろいろな要素を入れないといけないと思っていたところもあったんですが、一本調子でありながらも許容力のある空間があるんだというのが、とても刺激的でした。

門脇──《バルセロナ・パヴィリオン》って、鏡面仕上げの十字柱や大理石の壁に対して、ヴェルヴェットのカーテンが同じくらいの強度をもつように設計されていて、モノがそれぞれの存在感を際立たせながら独立していますよね。そういう意味で、長坂さんの作品に通じるものがあるのかもしれません。長坂さんの近代建築観もぜひ聞いてみたいところですが、そろそろ時間が迫ってきたので、次回に取っておくことにしましょう。


[2016年11月19日、青山ブックセンター本店にて]


長坂常(ながさか・じょう)
1971年生まれ。建築家。スキーマ建築計画代表。1998年東京藝術大学卒業。シェアオフィス「HAPPA」を経て、現在は青山に単独でオフィスを構える。作品=《Sayama Flat》(2008)、《HANARE》(2011)、《鳩ヶ谷の家》(2015)《BLUE BOTTLE COFFEE 中目黒店》(2016)ほか。著書=『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)、『長坂常|常に思っていること』(LIXIL出版、2016)など。
http://schemata.jp

門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生まれ。建築家。建築構法、構法計画、設計方法論。明治大学理工学部建築学科/大学院理工学研究科建築学専攻専任講師 。共著=『シェアをデザインする』(学芸出版社、2013)、『静かなる革命へのブループリント』(河出書房新社、2014)、『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(PLANETS、2015)『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(編集協力、LIXIL出版、2015)など。
Twitter: @kadowaki_kozo


201612

特集 建築とオブジェクト


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