建築のデザインと本のデザイン
──『建築家・坂本一成の世界』制作チームによる座談

坂本一成(建築)+服部一成(ブックデザイン)+qp(写真)+長島明夫(編集・執筆)

レイアウトの成り立ち

《コモンシティ星田》1992年
写真=坂本一成研究室
長島──時間が押していますが、すでに話に出ている本編のほうに移りたいと思います。建築の作品集は基本的には大判で、紙面に1点1点大きく写真を載せる。図面は図面できれいに余白を取って載せる。あるいは名のある人の評論やエッセイが巻頭を飾る。それが一般的な形式だと思いますが、今回はそういうつくり方をしていません。この《コモンシティ星田》(1992)の写真が、そのわかりやすい例になるかと思いました。
この写真は坂本先生の研究室で、当時の学生か助手の方が撮影したものだと思いますが、必ずしもこれを見て感動するとか、ここに住みたいと思うとかいう写真ではない。小型のカメラで撮られていて、水平垂直も取れていませんし、普通は5,000円以上するハードカバーの函入りの本には載らない写真です。それをこの作品集では載せた。それはこの写真で説明したいことがあったからでした。本の中では、この写真にこういう文章を添えています。「写真の住戸では左側の塀を低くしてベンチ化することで、隣地境界を曖昧にし、隣地の隙間をむしろ隣地の住人よりも利用しやすくしている」(p.117)。
《コモンシティ星田》は112戸の戸建て住宅が並ぶ住宅地ですが、すべて分譲なので、法律上、敷地はそれぞれの所有権によって明確に仕切られています。「ここからここまでは俺の土地」という原理に基づいて街ができている。それは一般的な日本の都市をかたちづくる原理でもありますが、それを坂本先生は、塀を低くするというほんのすこしの操作で、相対化してしまっているわけですね。言ってみれば、この写真に撮られた部分に、現代社会に対する批評性や坂本先生の思想が現れている。で、わりとこういった操作、細かい部分が全体と関係しているとか、社会と関係しているとか、そういうことが先生の作品には多くあって、今回の作品集ではそれをすくい取りたいと思ったんです。
ただ、それは単に該当する部分の写真を載せればいいということでもありません。この写真も、やはりこの写真だけを見て、いま言ったことを読み取れる人はなかなかいないと思います。現地に行けば瞬時に理解できるようなことでも、写真は意外と見せているようで見せていない。ですからなるべく正確に坂本先生の建築を伝えるために、この作品集では写真と言葉、それに図面を細かく関係づけるようにして全体を構成しています。これはほかのページですが、そういう意図で僕が作成したレイアウトのラフです。

pp.198-199ラフ 写真=アトリエ・アンド・アイ

このページは写真、このページは図面、このページはテキスト、そういう割り切った分節の仕方ではなくて、それらを微妙に組み合わせている。だから編集の段階でかなりかっちり組んでしまっているわけですが、同様のラフをすべてのページでつくって、それを服部さんにそのままデータでお渡しし、服部さんにはその要素の関係性を崩さずにデザインをしてもらっている、というのが今回のつくり方です。これが服部さんのデザイン後です。

pp.198-199完成レイアウト

服部──先ほど坂本さんも仰っていましたが、長島さんは恐ろしい編集者で、もうレイアウトが大体できてるんですよね。普通はもうすこし大まかな手書きのラフをもらって、「よし、じゃあ俺がやってやろうじゃないか」という気分になるんですけど、「あれ? もうできてるじゃん」みたいな(笑)。もうすこし僕もいろいろやろうと思っていたのだけど、編集の意図がはっきりあるからあまり動かせない。でもその長島さんに見えている編集の解像度の高さには率直に感心しましたね。もちろん僕なりにデザインもしていますけど。

長島──作業の途中段階で、服部さんと坂本先生もいる席でしたけど、じつはqpさんに批判をされたんです。「長島ごときが服部さんに向かってデザインをしている!」みたいなことを言われて。

qp──もうデザインしたのを渡して「デザインしてください」と言っているみたいに見えたから、服部さんに失礼じゃないかと思ったんですけど。

長島──確かにデザインを僕がして、服部さんにはそれを整えてもらっているという言い方もできてしまいそうなんですが、僕としてはむしろそういうことにならないために、服部さんにデザインをお願いしたいと思ったんです。例えばこれはずいぶん前ですが、服部さんのお仕事です。

『流行通信』2003年9月号 アートディレクション=服部一成

『流行通信』(INFASパブリケーションズ)という雑誌の後ろのほうの連載ページで、どの雑誌にもあるような新作の映画や音楽の紹介。その意味ではありふれた図版やテキストですが、罫線の使い方や図版の置き方、要素の構成の仕方によって、ただ単に原稿の内容を伝えるというのではない、雑誌ならではの生き生きとした魅力が生まれている。今回の作品集でも、そういうことを服部さんにしてもらえたらと思ったんです。断片化した要素を編集の段階で細かく関係づけることは、坂本先生の建築を表現するために是非しなければいけないと思っていたのですが、その結果としてのバラバラなレイアウトを、ただ単に見栄えよく整えてもらうというよりも、バラバラなものをバラバラだからこそいいみたいな状態に、服部さんにならばしてもらえるはずだと。で、先ほどの「一成ミーツ一成」という話をすると、「バラバラだからこそいい」というのは坂本先生の作品にも通じるところだと思うんです。だからそういう坂本先生の建築の性質が、もう一回服部さんによって、作品集の紙面の構成として反復されるならすごくいいことだと考えていました。
別の例です。これは《代田の町家》(1976)を多木浩二さんが撮影した写真ですが、『プロヴォーク』時代を彷彿とさせるような独特の焼き方で、公になるのは今回が初めてです。

pp.54-55ラフ 写真=多木浩二

やはり写真を見開きで大きく見せたい。でも同時に、どうしてもその写真に写る部分を文章でも説明しておきたい。もし次のページに載せると、文章の効果が変わってしまう。だから無理矢理写真の上に文字を重ねて、「後はお願いします」という感じで服部さんに投げてしまいました。それがデザインを経て、こうなると。

pp.54-55完成レイアウト

服部──僕は長島さんのやり方に対応しているので、今回は細部の納まり、例えば罫囲みのテキストと写真をどう納めるかとか、そういうところが問題になってきました。さっきの『流行通信』で言うと、MOVIEのEの字と罫線が重なって変な太さになったりするところで、「あ、これでうまくいった」みたいな感じがあるわけです。そういうのはたぶん建築でもあると思います。木とコンクリートの繋ぎ目をどう見せるかみたいなことですね。大きなコンセプトとは違う細かいところなのだけど、そういう部分の面白味を、今回の作業をしているときにはいろいろと感じました。このピンクの面の縁と罫囲みの黒い線は面合わせと線の中心合わせのどちらがいいかとか、まあどうでもいいようなことですよ。どうでもいいようなことなのだけど、でもそういうことが全体を決めている感じもする。
後はひとつひとつの見開きだけでなく、全体の流れもありますよね。表紙もそうですが、なぜこの薄ピンクが通して使われているのか、とか。確かにこんな軽薄な色が使われていていいのかという感じもする。でも作品集にしてはテキストが多い本ですが、けっこう面白くて深い内容のテキストだと思うので、あまりしかめ面して読むものではないというか、専門領域の人でないとわからないようなものとは違う印象にしたい、そういうことを考えたりしていました。

坂本──今お話を聞いていて、ああやっぱりそうなんだなと思ったんです。僕も長島さんが最初につくったレイアウトを見て、もうできてるから頼まなくていいじゃないかと思った(笑)。でも実際に服部さんのができてみたら全然違う。長島さんのは生真面目によくやってるけれども、やっぱり「今」がない。つまり現在の感性で捉えたらどうなるのか。写真と図面と文章という三者がそれぞれ等価に絡みながら全体をつくっていくような構成は、たぶんこれまでの作品集とは違う。でもその構成が、こういうふうにかたちを与えられたからこそ、ヴィヴィッドな「今」のものになる。ピンクの柔らかさもひとつの例ですが、線の囲みの問題や要素のずれの問題、ある種の遊戯性を感じるし、楽しさが付加されたというふうに思いました。服部さんが仰っていることと私の印象が重なったように思えて、嬉しく聞いていました。

長島──今日に備えてすこし予習をしてきたのですが、服部さんの10年くらい前のインタヴューを読んでみると、服部さんは過去のグラフィックデザインを参照するというよりは、ピカソやクレーといったモダンアートを好きでよく見て、もしかするとそちらのほうが影響が大きいかもしれないということを仰っていました。ですからそういう抽象芸術的なレベルで紙面の構成に緊張感を持たせる手つきが、坂本先生とも通じるのだと思います。
例えばこれは《Hut T》(2001)という作品のレイアウトですが、左上が僕がつくったラフです。最初は写真とテキストをきっちり分けて置いていたのを、服部さんが上下入れ替えて、文字を罫線で囲んだり、ずらしたり、要素の構成をしていく。


次は坂本先生の作品で《散田の共同住宅》(1980)の立面ですが、左が1次案で右が最終案。これもきちんとまとまっているものに対して、すこしずらしてみたり、屋根を直交させてみたりとか、コラージュ的なダイナミズムを持たせていく。

写真・言葉・図面の相補性

長島──さて、もう時間が来ているのですが、最後になにか一言いただけたら。

坂本──今日ずっとこの作品集についてお話ししてきましたが、私も最初はね、作品集をつくるというときに、これまでの作品集の形式にのっとったものができると思っていました。ただ、長島さんと話していくと、どうもそうではないらしい。多木浩二という評論家がいて、5年前に亡くなったのですが、じつは亡くなるすこし前、病気になる前にですね、「坂本さん、作品集をつくりたいね」ということを言われたんです。多木さんが僕の作品集をつくるというのはどういうことなのか、ちょっと不思議なことを言われたなという思いがあったのですが、結局そのまま亡くなられて、実際にはできなかった。今回、長島さんからお話があったときに、そのことを思い出したんです。もちろん長島さんと多木さんとは違いますが、長島さんも文化系の意識が高い方で、その方がなにかつくろうとしている。それはさっき話に出たような、象徴的な写真を並べて建築の概要を解説していくような、あるいは巻頭に主論文があってそれに続けていくような作品集ではないと。図面と写真と言葉を相互に使いながら多元的につくっていく、そういうものだと直観したんです。
もともとは生物学の用語らしいですが、相補性という言葉があります。ある要素がひとつの機能を有効に担うことができるとしても、常にそれは限界を持っている、別のものがその要素を補うことで全体が成り立つ、まあこういうようなことです。さっき服部さんが、写真を見ても建築はわからないと仰いました。結局、写真には限界がある、言葉にも限界がある、図面にも限界がある。みんな欠陥を持っている。でもそれぞれひとつの表現を持っている。それを互いに補うことによって、関係をつくることによって、より現実に、事実に近いものになるのではないか。長島さんがそういう理念を持って、服部さんの協力を得て、qpさんの協力を得て、それを実現してくれたのではないかと思っています。

長島──では服部さんもせっかくなので。

服部──qp君はなにかないですか?

qp──いえ、僕は大丈夫です。

服部──いや、長島さんが僕の昔の発言を掘り出してくるのがたまらなく恥ずかしくて(笑)。今日長島さんは僕と坂本先生の共通項みたいなことをいろいろ指摘してくれましたが、でももちろんグラフィックと建築はかなり性格が違うところも多いですね。求められているものも違う。だから、ここが似ているここが似ていると言えても、そうは言えない部分もいろいろとあると思うんです。それに僕なんかが似ていると言われたら坂本先生に迷惑が......。

坂本──いやいや。

服部──ただ、そういった前提があるとしても、僕としては非常に嬉しい仕事でした。坂本先生の建築をいいなあと思う気持ちのなかには、やっぱり自分がやってきた仕事とも親和性がある、そういう感じも確かにありましたので、この本がつくれてよかったと思っています。

長島──ありがとうございます。若干押してしまいましたが、最初遅れて始まったので、ちょうど1時間半くらいですね。特に難しい話ではなかったと思いますが、まだ本をご覧になっていない方は、実際に本を見ていただくと、今日の話の内容ももうすこしスーッと、そういうことだったのかというのがお分かりいただけるのではないかと思います。ぜひお手に取ってみてください。


[2016年9月6日、青山ブックセンター本店にて]

座談後記

長島──座談の前半、「一成ミーツ一成」と一席ぶって、「お二人の共通性は、建築というものと本というものの社会における在り方の共通性にもつながっていくのではないか」と述べた。しかし、結局そのあたりにまで話題が及ばなかった。蛇足の恐れはあるものの、そこで思い浮かべていたことをすこし書いてみたい。
この座談では、二人の一成氏のデザインにおける共通性を、ありふれた要素を組み合わせるなかで新鮮な魅力をもたらすという点に見た。それはつまり、すでに現実にある世界を無視するのでも否定するのでもなく(無自覚に追従するのでもなく)、その世界との関係を通して自身の創作を展開していくということだろう。
ところで建築や本は、他の芸術諸分野の作品と異なり、必ずしも能動的に経験するばかりのものではない。建築や本に興味がない人にとってであれ、それらは日常に遍在し、無意識のうちに人々の活動や思考を枠づけ、人間が生きる世界をかたちづくっている。したがって建築や本は個々の創作物として個別に存在する以外に、社会や文化のつながりのなかで総体としても存在している。だから他とまったく異なる独自の建築や、他とまったく異なる独自の本というのは、現実の建築や本として成立しない。ではそれらのデザイナーは、そのように自分の創作の範囲を必然的に超えていく存在をどうデザインすべきか。そこに倫理的な問題を見出すこともできる。
かつて30代半ばの坂本氏は、子供の頃に見た橋の下の住居(貧しい家族の手づくりの小屋)を思い出し、その見事さを指摘するとともに、それをデザインすることの不可能性を自身の建築論の根幹に据えた。

そこは生活の暖かさ、豊かさ、安堵さといった、生活へのあこがれのどのような形容も可能な空間に思われた。[...]私たちの知るフェイマスな建築の歴史はこの家族の住まいになにも有効ではあるまい。もしそのような生活の住まいを私という建築家に建てることを求められても、私はまったく無力であることを認めざるをえない。
(坂本一成「〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉」『新建築』1978年12月号、所収・出典=坂本一成『建築に内在する言葉』TOTO出版、2011)

言ってみれば、デザイナーとしての自分のデザインが存在しなくても、世界はそれなりに豊かなものであり得るというアイロニカルな認識。そうした坂本氏の精神と同質のものを、次の服部氏の発言にもうかがうことができる。

僕は、デザインが世の中に貢献するということも疑ったほうがいいと思う。もちろん、世の中に貢献する部分はあると思いますし、世の中に与える影響には責任を持たなければいけませんが、世の中のためにデザインしていると軽々しく考えるのはおこがましいと思う。というのは、デザインがないほうがいいこともいっぱいありますよね。デザイナーがデザインしたためにうっとうしいというか、こんなところにデザインしなくてもいいのにということもいっぱいある。
(服部一成インタヴュー「直感とアートディレクション──服部一成のデザイン・アプローチ」『Design News』266号、JDN、2004)

世界は自分がいるより前にすでにある。二人の一成氏のデザインに見られる共通性は、このような両氏の世界に対する根本的な態度の共通性に根ざしているのではないだろうか。すでにある世界をいったん受け入れた上で、そこに自らのデザインを重ねていく。そしてそのような特質をとりわけ引き出させるのが、人間が生きる世界の主要な構成要素になっている建築や本といった媒体なのだと思う。




★1──タイトルに関する編集者の意図は、リンク先のブログ記事を参照。「『建築と日常』編集者日記」 http://d.hatena.ne.jp/richeamateur/20160907
★2──qpによるブログ「明るさ」 http://d.hatena.ne.jp/com/
★3──参照:保坂健二朗「服部一成、自然体のアクティヴィスト」『ggg Books 95 服部一成』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー、2010年)
★4──《水無瀬の町家》の外観写真は、竣工直後、新建築社写真部によって撮られたファサードの正対写真がよく知られているが、『建築家・坂本一成の世界』では、それとほぼ同じ構図ながら、同時期に鈴木悠氏が撮影した写真を掲載している(p.39)。



坂本一成(さかもと・かずなり)
建築家。1943年東京生まれ。東京工業大学で篠原一男に学ぶ。長年にわたり大学で教鞭を執りながら、研究室を基盤に設計活動を展開。住宅を中心に時流に流されない確固たる仕事をなし、国内外で高い評価を得る。現在は建築設計事務所アトリエ・アンド・アイを主宰、東京工業大学名誉教授。1990年に《House F》で日本建築学会賞(作品)、1992年に《コモンシティ星田》で村野藤吾賞、2013年に『建築に内在する言葉』(TOTO出版)で日本建築学会著作賞をそれぞれ受賞。
URL=http://a-a-i.co.jp/

服部一成(はっとり・かずなり)
グラフィックデザイナー。1964年東京生まれ。1988年東京芸術大学美術学部デザイン科卒業。ライトパブリシティを経て、2001年よりフリーランス。主な仕事に「キユーピー ハーフ」などの広告、雑誌『真夜中』『流行通信』『here and there』のアートディレクション、美術展ポスター・告知物のデザイン、ブックデザイン、ロゴタイプなど。作品集に『ggg Books 95 服部一成』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)、『服部一成グラフィックス』(誠文堂新光社)。

qp(きゅーぴー)
1979年兵庫生まれ。イラストレーション・美術・写真・デザインなどの領域で活動。主な仕事に谷川俊太郎著『二十億光年の孤独』『62のソネット+36』(集英社文庫)の装画や、雑誌『真夜中』(リトルモア)11号の表紙、『窓の観察』(『建築と日常』別冊)への写真寄稿など。第23回ザ・チョイス年度賞大賞、第27回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ。
URL=http://www.k5.dion.ne.jp/~yokogao/

長島明夫(ながしま・あきお)
編集者。1979年神奈川生まれ。出版社エクスナレッジを経て、2009年よりフリーランス。同年創刊の個人雑誌『建築と日常』で坂本一成に3度のロングインタヴューをするほか、坂本の論説集『建築に内在する言葉』(TOTO出版)の編集を担当。その他の編書に『ザ・藤森照信』(エクスナレッジ)、『映画空間400選』(結城秀勇共編、INAX出版)など。桑沢デザイン研究所・日本工業大学大学院非常勤講師。
URL=http://kentikutonitijou.web.fc2.com/


201611

特集 地図と都市のダイナミズム──コンピュテーショナル・マッピングの想像力


設計プロセスにおける情報マッピング
WebGIS・SNS・ビッグデータが描く都市の諸相
世界とのインターフェイス──グーグルマップの社会学をめぐって
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る