インテリアと建築の新しい出会い
『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク

中山英之(建築家、東京藝術大学准教授)+浅子佳英(建築家、デザイナー)+安藤僚子(インテリアデザイナー)

《ONE表参道》──ファサードに秘められたシステム

中山──《ONE表参道》のお話が出てきたところで、ここから建築について考えてみたいと思います。じつはここに来る前に、当時隈研吾建築都市設計事務所で《ONE表参道》を担当していた藤原徹平さん(現FUJIWALABO代表)に電話インタビューをしてきました。そこでこの建築について、とても面白い話を聞くことができました。まず、ブティックのファサードに施された、ある仕掛けについて。じつはこの建物では、通りに面したガラス面から奥行き60cmの範囲を、奥のスペースとは別個に賃貸契約を結べる仕組みになっているのだそうです。先ほどのオニキスの巨大ブラインドがあるファサードはちょうど左下あたりなのですが、じつはここの奥、CÉLINEの店舗ではありません。通りの反対側から見るとCÉLINEのストアはとても大きく見えるわけですが、その印象は一部、建築の表面60cmだけでつくり出されている[fig.5]。都市にあるブランドショップにとっての建築が、そこでのショッピング体験、インテリア体験を担う存在であると同時に、街に対してのプレゼンスをもたらす存在でもある。《ONE表参道》は、その両方に対して応える建築になっています。先ほど、この建物を見ればブランドの人気勢力図がわかると言いましたが、それは設計の段階から、あらかじめ建築家によって考えられていたことだったのです。

fig.5

では、下層のファサードから建物全体に視線を移してみましょう。この建物は下層がブティック、上層がオフィスになっています。ブティック同士の内部でのつながりはなく、それぞれが通りに個別に入口を持っています。一方上層は、基本的には一層がひとつながりのオフィスになる。つまり上層と下層では、空間の仕切られ方がまったく異なります。最初の構想では、この違いを建物の構造にそのまま置き換えて、独立して建つ数軒のブティックの上に、オフィスビルが乗っているような形が考えられていたそうです[fig.6]。電話口で藤原さんの話を聞きながら描いた絵なので、だいぶ誇張されているかもしれませんが(笑)、上層の柱の少ないオフィス層が地震に耐えられるように、あいだに中間層免震構造を挟んだ、ラディカルな案です。ただし、このプランは初期段階でお蔵入りになり、構造家の新谷眞人さんと中間層免震のコンセプトを活かして考えたのが第2案です[fig.7]。この案では、最上階と中間層──ちょうど表参道のケヤキが最も生い茂る高さ──に庭をつくって、シャワー効果★1を生むことも計画されていました。けれども、形態的に建物が上下に別れてしまうとLVMHグループとしての一体感が表現できない、という理由からこのプランも実現せず、最終案では上層に木ルーバー、下層はガラスと異なる素材でファサードを仕上げることで、違う機能が咬み合ってひとつのビルができていることを視覚化させる案に落ち着きました[fig.8]

fig.6

fig.7

fig.8

《東急プラザ表参道原宿》──人を招き入れる秘密


fig.9──《東急プラザ表参道原宿》 撮影=中山英之

中山──表参道にある商業ビルをもうひとつ取り上げたいと思います。《ONE表参道》から原宿方面へ向かった先にある《東急プラザ表参道原宿》(2012、中村拓志/NAP建築設計事務所)です[fig.9]。この建築をもとに、商業施設内のブティックの配置について、いわば建築とインテリアの関係について考えてみましょう。昔からあるデパートでは、入口を入ると共用部とエスカレーターが真ん中にあり[fig.10]、それぞれのブティックは入口を建物の内側に向けて並んでいます。一方《東急プラザ表参道原宿》の1階平面では、この構成がひっくり返っています[fig.11]。内部に共用部はなくて、ブティックはすべて個別の入口が歩道に向いて独立しています。各々のブティックは内部に専用の階段を持っていて、地下1–地上2階までを同じテナントが借りられます。賃料を高くとれる路面とその上下階をセットで貸すことができて、そのうえ経済的には無駄な共有部分を下層から消去できる。それぞれのテナントも、3層を使った立体的なブティックづくりが可能になるし、事業者思いの賢いプランニングですよね。

fig.10

fig.11

それからもうひとつ、建物の角に配置されたエスカレーターも重要です。全面鏡張りのトンネルのようなエスカレーターはちょっぴり品がないなあ、と思っていたのですが、今回初めてなかへ入ってみると、交差点を行き交う人や車や空や並木がいろいろな角度の鏡に映り込んで、表参道の風景のコラージュのなかを登っていくようなつくりになっていることがわかりました。下層に共用部を持たないプランニングにおいて、2階より上と歩道のあいだに人々の流れを生み出すうえで、このエスカレーターは必要不可欠なんですね。
3階より上のつくりは、中央にエスカレーターと共用部を配置した一般的なデパートのプランニングを踏襲したものですが、おそらくは容積率の余剰をうまく分配して、どの階にも少しずつ外部テラスを設けています。そのため建物の上階にいても、どこかの方向に必ず緑が見えます。さらに、上部に行くに従ってテラスのサイズが大きくなって、屋上では旅行者が木陰で昼寝をしていたり、表参道の真ん中とは思えない景色が広がっています。上部に施されたこうした仕掛けによるシャワー効果は、実現しなかった《ONE表参道》の第2案を見るようです。実際、藤原さんが担当者として《ONE表参道》プロジェクトと格闘しているとき、同じ事務所の先輩だった中村拓志さんに度々相談に乗ってもらっていたそうです。そんな建築家たちの思考の軌跡が、同じ表参道の坂の上と下で呼応しあっていることを、今度歩くときにぜひ想像してみてほしいなと思います。

表参道の歴史

fig.12──《神宮前太田ビル》 撮影=中山英之

中山──《東急プラザ表参道原宿》でこぼことした部分のデザインを見てください。なんだか石垣のように見えませんか? じつは同じ表参道に、石垣の基壇を持つ不思議なデザインのビル《神宮前太田ビル》(1981)[fig.12]があります。この石垣は大正時代からあるもので、現在は1階にPaul Stuartというブティックが、石をくりぬくように入っています。表参道は文字通り明治神宮の参道ですが、そもそもは明治天皇を祀る神宮を衛る人工の森に、全国から寄進された樹木を引き上げるために掘られた切通しでした[fig.13]。現在のキャットストリートにあたる渋谷川は青山台地を横切る小さな渓谷で、この谷を渡るために掘られた坂道の両サイドに、土留の石垣が積まれていました。Paul Stuartの石垣は、ビルオーナーの意向で残された、当時のままのオリジナルなのだそうです。さて、このPaul Stuartと《東急プラザ表参道原宿》の関係を絵に描いてみると[fig.14]こんな関係になることに気づいてしまいました。2つの小さな石垣を結ぶと、かつてこの場所にあった壮大な石垣の風景が、脳裏に再現されるかのようです。《東急プラザ表参道原宿》の屋上は「オモハラ(表参道・原宿の意)の森」と名付けられていますが、その森を見上げる目線は、かつてそこにあった渋谷川から青山台地を見上げるそれと同じなんですよね。《東急プラザ表参道原宿》は定期借地権★2で建っているビルなので、10年で更地に戻さなくてはいけないという宿命を帯びています。都市のまぼろしのような建築ですが、そこにフラッシュバックする風景が表参道の歴史というわけですから、建築家のロマンチックな企てにキュンとなります。中村さんには電話インタビューをしていないので、途中からはかなりぼくの想像ですが。
fig.13

fig.14

かつて磯崎新は、「東京にはインテリアしかない」と言いました(『磯崎新建築論集』第2巻、松田達編、岩波書店2013、p.222)。たしかに、東京という漠然とした巨大な場所を想像のなかで歩き回るとき、そこにあるのは建築という単位で認知されるアドレスではなくて、その表層を埋め尽くす情報から情報へと、どこまでも続くインテリア空間を彷徨うようだと考えたほうが、当たっているようにも思えます。建築家としては悔しい感じもしますけれども。そんなとき、今日挙げたように、インテリアが建築の組み立て方を触発し、そんな建築が新しい都市の風景を描き出していくような試みに、ぼくは希望を感じます。銀座にも、あたらしい東急プラザ《東急プラザ銀座》(2016)がオープンしましたね。そこに導入された手法を、ぜひ表参道のそれと比べてみてください。表層的な手法の反復は、時に本質を換骨奪胎してしまうこともありますが、一方で裏通りに回ると小さなクレープ屋さんやカフェが、表通りのビッグメゾンと一緒になってビルを支えている姿を見つけて、ぐっときたりもします[fig.15]。一進一退は続きますが、今日のインテリアと建築にまつわる話を聞いてから街を歩くとき、そんな建築家の奮闘を思い出してくれたら嬉しいなと思います。

fig.15──《東急プラザ銀座》 撮影=中山英之

浅子──ありがとうございます。大変素晴らしいまとめで、これを聞けただけでもこのトークは成功だったと思います。ぼくも《東急プラザ表参道原宿》には本当に感動しました。中山さんが言ったように、商業施設内の賃料は路面が最も高く、そのなかでも角地にある店舗はさらに高くなります。そこで《東急プラザ表参道原宿》では、ブティックとブティックのあいだに縦動線(エスカレーターとエレベーター)を配置し、1階のブティックがそれぞれ2面ファサードを持てるようにつくられています。
もちろん言うまでもないですが、商業の論理でつくられていることが素晴らしいのではなく、一方で完全に商業の論理に応えながら、他方で屋上に公園のような場をつくるという相反する問題にも同時に応えていることが素晴らしい。
しかしながら、ファサードについては、まったく違う見方もできるのです。最近は老舗百貨店でも一部を路面店化することが増えてきていますよね。例えば、松屋銀座でも一角をLouis Vuittonが占めています。

安藤──銀座では三層以上の高さにもブランドのファサードが侵食していることがよくありますね。

浅子──そうです。銀座だけでなく最近の百貨店はほぼそうなってきている。以前の百貨店は、建物の形そのものがアイデンティティでした。ところがいつ頃からか、集客のため海外ブランドに内部だけでなくファサードごと貸すようになった。それらが徐々に百貨店のファサードを侵食し、現在では建物の総体がわからなくなるほど多くの領域を占めるようになっていった。自社のイメージが削られてしまうわけだから、決していい話ではありません。だから《東急プラザ表参道原宿》は非常に優れた建築ですが、百貨店の未来を示すものではないのかもしれません。

fig.16──
『ラッキー嬢ちゃんの
あたらしいおしごと』
(マガジンハウス、1998)
中山──高野文子さんの『ラッキー嬢ちゃんのあたらしいおしごと』(マガジンハウス、1998)[fig.16]は百貨店を舞台にした漫画です。ぼくはこの漫画がとても好きで、読むと無性にデパートへ行きたくなります。特に買い物がしたいわけでも、洋食が食べたいわけでもなくて、百貨店を歩き回ることの楽しさや素敵さには、必ずしも消費行動だけではない何かがあるのかなあと、今何となく思いました。そういう言葉にできない百貨店固有の何かを、もういちど建築が体現できたらいいなあ。

浅子──本当にそうですよね。以前の百貨店は、舶来の、手の届かない、まさに見たことのないものがたくさん集まったワクワクする場所だった。だけど残念ながら、現在その機能の大半はネットにとって変わったんだと思う。
ただ、ショッピングには、その場でしか体験できないことを提供するというネットには苦手な武器も持っています。昨年、現存する日本の百貨店のなかで最も美しい百貨店のひとつ《大丸心斎橋店》(1922、W.M.ヴォーリズ)の建て替えが決定しましたよね。しかし、建て替えて売り場面積を増やすだけでは、大丸という百貨店のブランドの価値を高めていくことにはつながらないんじゃないか。《そごう大阪店(現・大丸心斎橋店・北館)》(1935、2003解体、村野藤吾)も《梅田阪急ビル》(1929、2006解体、伊東忠太)も建て替えた今だからこそ、うまく残して改装すればわざわざ行かなければならない特別な場所にすることもできたと思うのです。

201610

特集 グローバリズム以降の東南アジア
──近代建築保存と現代都市の構築


社会の課題から東南アジアの建築を考える
マレーシア・カンボジア・シンガポール紀行──近現代建築の同質性と多様性
インドネシア、なぜモダニズムは継承されるのか
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