社会の課題から東南アジアの建築を考える

村松伸(建築史・都市史)+山名善之(建築史・意匠学)+岩元真明(建築家)+市川紘司(中国近現代建築史)

岩元真明プレゼンテーション
東南アジアの現代建築

近年、ベトナムやタイ、マレーシア、シンガポールなどの東南アジアの建築家がDezeenやArchDailyなどのウェブメディアを賑わすようになりました。これらの国々には、日本の『新建築』に相当する建築誌がほとんどありません。そのため、若い建築家は国際的なウェブメディアを通じて作品を発信し、そこで認められたのちに母国での知名度を高めるというステップを踏みます。母国で地位を固めたのちに世界に打って出るという従来の流れとは異なるわけです。

彼ら東南アジアの若い建築家の作品を横断的に眺めると、いくつかのトレンドが見出されます。例えば屋上緑化や壁面緑化を多用するグリーン建築や、熱帯の気候に適応するおおらかな半屋外空間などです。日射を遮る多孔質のスクリーンや、竹などの地場材の使用、都市のありふれた材料をアッサンブラージュするDIY感覚なども、東南アジアの若い建築家に共通する特徴と言えそうです。
ただし、こうした特徴は、東南アジアに限らず、南米にもアフリカにも、欧米や東アジアの先進国の現代建築にも見られます。ここで言いたいのは、東南アジアの現代建築のトレンドは、純粋に地域特有の現象ではなくグローバリゼーションを背景とした地域主義だということです。市川さんの発表では、批判的地域主義とローカルコミュニティが台湾的だという話でしたが、無数の作品が日々消費されていくウェブメディアの視点から見ると、同様の状況が各地で起こっていることがわかります。自国ではなく世界とつながることが、新興国の建築家にとってキャリアの第一歩になるため、グローバリゼーションを背景とした地域主義が半ば戦略的に採用されているのだと思います。

先ほど列挙したトレンドにはそれぞれ先行する試みがあります。緑化と通風の表現を先駆的に試みたケン・ヤング。半屋外空間や自然素材によって熱帯固有の美学を模索したジェフリー・バワ。同様の感覚を洗練されたディテールで表現したケリー・ヒル。竹構造の可能性を切り拓いたコロンビアのシモン・ベレス。DIY感覚で建築を考えはじめた建築家としては、日本の石山修武が挙げられるかもしれません。彼らの試みは、1980年代からミレニアムにかけて行なわれました。バワを除くとみな1950年代生まれの建築家です。

彼らをさらに遡ると、ル・コルビュジエのチャンディガールや、フライ&ドリューによるインドとアフリカの建築における試み、フライ・オットーによる竹構造の研究など、その源流にヨーロッパの先駆者たちが見出されます。しかし、そのあいだの世代、つまり1950–70年代の東南アジアの建築についてはあまり知られていません。カンボジアのヴァン・モリヴァン[fig.6]、南ベトナムのゴー・ヴィエト・トゥー、インドネシアのフリードリッヒ・シラバン、タイのアモーン・スリウォン、フィリピンのレアンドロ・V・ロクシン、あるいはマレーシアの公共事業省などの建築家です。彼らの作品にも半屋外空間、日射遮蔽のスクリーン、地場材料の表現などが見出されます。エアコンが現在ほどには普及しておらず、輸送網も未発達だったので、当然といえば当然かもしれません。現代建築を先取りしたような先駆的な作品も多くあります。

fig.6──《高等師範学校》ヴァン・モリヴァン 撮影=岩元真明

グリーン建築、竹構造、DIY感覚などは、これら1950–70年代の近代建築には見られないグローバリゼーション以後の傾向と言えそうです。一方、現代建築には見られず、1950–70年代の近代建築に見られる傾向としては、ナショナル・アイデンティティのモニュメンタルな表現が挙げられます。この傾向は、新興国の近代建築家の多くが国家に雇われた官僚としての建築家、すなわち国家建築家(ステートアーキテクト)であったことと関係します。

建築におけるナショナル・アイデンティティを考えるうえで、国民国家(ネーション=ステート)という言葉が国民(ネーション)と国家(ステート)という2つの語からできていることは示唆的です。国家とは一定の地域を統治する機関であり、官僚組織などのかたちをとって事実上存在しています。一方、国民とは人々の心のなかにある共通意識と言えます。両者は必ずしも一対の関係ではなく、例えば複数の民族が国民として括られる場合、国民と国家のあいだにはズレが生じます。

このことから国家建築家(ステートアーキテクト)と国民的建築家(ナショナルアーキテクト)というフレームを設定できるのではないかと私は考えています。国家建築家が公僕として国家に与する建築家であるのに対し、国民的建築家はいわゆる国民を代表する存在です。欧米諸国の植民地支配から離脱した新興国では、国家という意識をまだもたない人々を──複数の民族を含めて──束ね合わせ、国民国家としてのアイデンティティを確立することが急務でした。したがって建築の場合も、1950–70年代には国民が共有できるアイデンティティを創り出すことが大きな課題であり、そこに取り組んでいたのが、先ほど挙げたモリヴァンのような国家建築家たちでした。そのような建築は、国民国家建築と呼べるかもしれません。

1980年代以降、こうした課題意識は薄まります。主なクライアントは国家から民間へと移行し、国家間ではなく都市間の競争が叫ばれるようになります。国家的アイデンティティは時代遅れのテーマとなり、グローバルに活躍するスターアーキテクトが台頭しました。
しかし、近年では、Brexit(イギリスのEU離脱)が代表するような国民国家への揺り戻しも見られ、グローバリゼーションの波に乗ることにも疑問符が付けられるようになりました。地域やコミュニティに基づいたソーシャルな建築を模索する建築家が多くなったのは、このことと無関係ではないように思います。こうしたなかで、私は東南アジアを対象として、1970年代以降の建築を再考することに意義を感じています。
なお、こうした課題を考えるうえでの前提として、そもそも日本人が東南アジアの建築設計や研究として関わっていくとき、どのような態度で臨むかという点についてもみなさんの意見を伺えたらと思います。

201610

特集 グローバリズム以降の東南アジア
──近代建築保存と現代都市の構築


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