「オブジェクト」はわれわれが思う以上に面白い

エリー・デューリング(哲学)+清水高志(哲学)+柄沢祐輔(建築家)

新しいパースペクティヴィズムへ
──連動と断絶のトポロジー的探求

左から、柄沢祐輔氏、清水高志氏、エリー・デューリング氏
デューリング──今まさに柄沢さんが強調された部分は重要ですね。建築家の視点から見た、構造物全体のトポロジックなサブ・ストラクチャーについて伝えてくださったわけです。あなたが描き出したのは、幾つかのパースペクティヴが、複雑な、二重の構造のうちにはめ込まれているということですね。おそらくそれは、あたかも眼と足のあいだで、脳が分割されているという考えを明確化するもう一つの方法なのでしょう。こうした不安定さが、パースペクティヴが全体化されることを妨げるのです。これはセールと現代哲学についての私たちのディスカッションにおける、もう一つの非常に重要な点です。私たちはパースペクティヴィズムを望んでいるのですが、直接的な全体化のためのやり方が、私たちには欠けているのです。実際には、こうしたやり方が存在しないというのは本質的なことです。というのも、私たちが目指しているのは本当の世界──つねに変化する、みずから進行しつつある世界なのですから。そんなわけで、諸々のパースペクティヴを綜合する、すべてを覆うグローバルな空間といったものはありません。《s-house》の場合は、二重の構造が、諸々のパースペクティヴが古典的なパースペクティヴ空間のうちにはめ込まれるのを妨げている。──こうした古典的な空間は、現代的な建築家のうちにもおしなべて残っているものなのですが。諸々のパースペクティヴは共在しているものの、それらすべてを束ねているたった一つの空間といったものはないんです。

柄沢──3D CAD技術の発展が、トポロジー的な空間をより複雑にしているということは大いに関係していると思いますね。

清水──今、アートでも建築でも、人類学でも、いろんなアイデアが出てきていますが、それらは個別の、ユニークな例として登場しています。これからは、僕は哲学においてもパースペクティヴィズムを一般化しないといけないと思っています。そのためにも、ウィリアム・ジェイムズの純粋経験という概念をそこに導入したいんです。彼が提示した主体と対象の中立一元論(neutral monism)に、「一と多」という主題をさらに読み込んでいく。また、そこに個別と普遍、個別化と普遍化といった別の二項的な問題を導入する。それら複数の二項対立がすべて重なる交点を探して議論をつくると、弁証法でも、構造主義でもない〈第三の理論〉が形成されるだろうと思っています★6

デューリング──弁証法でもなく、構造主義でもない......、私たちはそれをどんなふうに呼んだらいいのでしょうか。

fig.13──アンリ・ベルクソン
『ベルグソン全集〈3〉
笑い 持続と同時性』
( 鈴木力衛ほか訳、白水社、
2001)
清水──ミシェル・セールが「幹-形而上学」と呼んでいるのがそれだと思います。理論的に完成させるのは、年齢的にも難しいかもしれませんが......。ウィリアム・ジェイムズ、西田の純粋経験論を入れ、さらに人類学の思考を組み込んで、僕はこれを完成させたい。そこに美学理論も入ってくると面白いと思います。

デューリング──ベルグソンも似たような問題を提示していました。『物質と記憶』(1896)の第一章が、中性一元論の形式を採り入れたものだと思っている人たちもいます。経験の場、〈イマージュ〉の場といったものがそこにはすべて揃っています。求められるのは、そこからパースペクティヴや視点の問題を説明することです。これを発展させるために、あなたは時間を──アクションとリアクションのあいだのタイムラグそのものを──導入する必要がある。ずれたアクションこそが、ミニマムにパースペクティヴの中心をかたちづくるものだからです。だからベルクソンは、先在するフレームワークにまったく依拠しないパースペクティヴの概念を練り上げたわけです。局所的な諸々のパースペクティヴがはめ込まれねばならないパースペクティヴのグローバルな空間は存在しない。諸々のパースペクティヴ自体の多様性だけがあるのです。道元の例は、ベルクソンの議論ととても近い状況を描き出していて、私にはとても衝撃的でした。『持続と同時性』(1922)[fig.13]の第3章、私が編集したアインシュタインについてのエッセイで、彼は同時性の問題を提示しているんです。彼は実際には、2種類の同時性があると言っている。一つは瞬間の同時性で、これは共存平面の継起的な重なりとしての生成の観念に相応するもの。もう一つは諸々のフローの同時性です。そして彼はこのアイデアを、道元の例──流れる水のフロー、空を飛ぶ鳥、そして私の内的な意識の流れである第3のフローについて思いめぐらすこと──ととても近い状況を描いて発展させています。これら3つのフロー、流動するパースペクティヴたちは、異なっているにもかかわらず同時的です。そこには一種のグローバルな同時性があるのですが、それらを統一するという意味で包含する第4のグローバルなパースペクティヴはないのです。グローバルなパースペクティヴはない──局所的なさまざまなパースペクティヴの相互連関の網の目だけがあるのです。

清水──道元についてもう少し言えば、道元は、いわゆる山河は〈古仏の眼〉であるとも語っています。山や河のような風景は、古仏の眼(パースペクティヴ)だと。古仏というのは、歴史上の釈迦牟尼の前にいたとされる仏たちのことですが、それは山や河であり、しかもそれぞれのパースペクティヴをもっているというわけです。

柄沢──パースペクティヴと無限性の極端な関係の例だと思います。

デューリング──パースペクティヴというのはつねに、少なくともヴァーチュアルには、あらゆるものに対するパースペクティヴなんですね。私たちが無限に戻ってくるのはそこにおいてです。ライプニッツの言う有限の精神のように、パースペクティヴが非常に限定されたものであってすら、まだそれ自身のパースペクティヴから世界の全体と交わりを結んでいるのです。それは無限と、ぼんやりした不明瞭なかたちで関係をもっている。われわれ人類は、たとえばカタツムリよりも、世界の幾つかの側面について広い視界を持っていますが、しかし私たちの視界もまだぼんやりした縁(fringe)に囲まれているのです。私たちが縁を通じて無限と関わる関わり方とはそのようなものです。

柄沢──情報技術の発達によって、われわれは他者のパースペクティヴをたやすく知ることができるようになりました。人類学においては、例えばネイティヴ・アメリカンに多様なパースペクティヴがあるということが議論されています。デ・カストロによれば、南米には多種多様の無限なパースペクティヴがあると。そして多自然主義ですね。多自然主義はデ・カストロが打ち立てた思想で、多様な文化があって、一つの自然が存在するのではなく、多様な文化があって、その文化ごとに異なる自然が存在しているという思想ですね。なぜ今こうした多自然主義や複数の主観性という考えが受け入れられているかというと、情報技術の伝播が大いに考えられると思います。そしてパースペクティヴの多様性について理解することが可能になっている。ここに強い繋がりがあると思います。《s-house》も情報技術を駆使することによってこのパースペクティヴの多様性を実現することができた。情報技術を駆使して空間の関係性を複雑にし、極小住宅でありながら空間のあり方を多様化し、家具や室内のオブジェなどの物の見え方、人の見え方、そこで営まれる生活のあり方の多様性を担保しています。情報技術を駆使することによって、かつてない多様性が産み出されている。空間の見え方から、窓の外の風景の見え方、空間の中に置かれたものの見え方、訪れる人同士の見え方まで、さまざまなレヴェルで多様性を感じることができます。

個に内在する複数の存在論

fig.14──Philippe Descola,
Par-delà nature et culture,
Gallimard, 2005.
清水──同じく人類学者であるフィリップ・デスコラの仕事[fig.14]についてはどう思いますか? 僕が思うには、デスコラは「一と多」、主体と対象の問題をミックスして、複雑な組み合わせをつくっている。僕はすごく面白いと思っています。

デューリング──興味深いですね。ただ哲学者としての私の個人的な不満は、こうした図式にのっとった最終的なオントロジー(存在論)がないように見えることです。基盤となるオントロジーがない。最初から私たちは、諸々のオントロジーの多様性を扱わねばならない。これは私のように古典的な訓練を受けた哲学者をひどく落ち着かなくさせます。

清水──セールはヨーロッパの作家や学者に、デスコラの方法を当てはめて分析しているんです。ガリレオとか、ジョルジュ・サンドとか、ライプニッツとかラ・フォンテーヌ、プルーストなど......。当然、彼らは一つの世界像や存在論にしたがって思考したり創作したりしているつもりなのですが、複数の存在論がそうした個人にすでに混淆していると言うのです。この観点は面白いと思う。日本の文化を考える際にもこうした方法は使えるのではないでしょうか? 今その本を翻訳しているんですよ★7

fig.15──Bruno Latour,
Enquêtes sur les modes
d'existence: Une anthropologie
des Modernes,
La Découverte, 2012.
デューリング──おそらくセールはオントロジーの多元論という考えにもっと好意的でしょうね。またラトゥールも、彼の近年の本『Enquêtes sur les modes d'existence: Une anthropologie des Modernes(存在様態論)』[fig.15]ではそんな感じです。これは、さまざまな通路や翻訳の手続きにもとづき、それらに相応する言論や理論的なフレームワークをもった、多様な存在の異なるモデルのあいだを経めぐることのできる〈コモン・ワールド〉の構成を説明しようとする試みです。事実の問題から関心の問題へ、技術的なオブジェクト-プロジェクト──まさにプロトタイプですね!──から存在の倫理を経た法的フィクションへ、といった具合にね。多元論はすでにベルクソン、ジェイムズ、ドゥルーズ、そして思弁的実在論者たちの思想においてかたちづくられてきましたが、私が思うに究極のところでは、われわれに存在論的な根底を探求しようとさせる形而上学的な衝動と、人間-非人間ノンヒューマンの関係を和解させることは難しいのです。グレアム・ハーマンもこうした症候の一つです──彼の場合は、あらゆるオブジェクトたちの表面に現われた諸々の関係のおびただしい陳列の背後に横たわる、孤独な実体の概念にこだわらずにはいられないのです。

清水──僕は完全に形而上学のレヴェルで、「一と多」や「主体と対象」の問題を理論化できると思っている。個別と普遍とか、そうした問題もそのなかで発展させようとしています。

デューリング──ある意味、デスコラが人類学においてやっていることを、清水さんは哲学でやろうとしているんですね。面白いですね。

柄沢──加えて、清水さんの哲学というのは有限/無限、一/多、主体/客体の関係性を理解するためにマテリアルを扱っていますね。《s-house》において特筆すべきは、これまでネットワーク論というのは散々やられてきているけれど、それを建築に初めて落とし込んだという点です。ハイブリッドやネットワークの重要性について多くの人が気づき始めているけれど、それを実体に、オブジェクトに、ネットワーク建築として落とし込んだ試みはない。清水さんも自らの哲学においてそれを実現されています。

デューリング──そして、彼は《s-house》のオーナーとして、建築的オブジェクトそのもののなかに住んでいるというわけですね!

「関係」のイデオロギーとハイブリッドの「切断」
──アーキテクチャーのプロトタイプ

清水──ロマン主義の話に戻りますが、ロマン主義が有限に無限を持ち込んだという話、それがたんなるプロセスになってしまった背景には、そもそも哲学が扱うテーマがいつの間にかもっぱら言語やテキストの問題にすり替わっていったということがあるんじゃないか。そこにオブジェクトが立ち現われる場がなくなってしまったんだと思います。

デューリング──ええ、問題はデリダ、さらにはレヴィナスをどう乗り越えるか、というところにあります。

fig.16──マリリン・ストラザーン
『部分的つながり』
(大杉高司ほか訳、水声社、
2015)
清水──今、われわれや人類学者のマリリン・ストラザーン[fig.16]、デ・カストロ、デスコラ、そしてデューリングさんがそこを抜け出そうとしている。

柄沢──一連の思想的な傾向において、建築空間という要素も重要ですね。

デューリング──おっしゃるように、ネットワークがどういった種類のオブジェクト、あるいはハイパー・オブジェクトなのか理解することが問題なのです......。テキストとして、コードとして、情報としてではなく、アーキテクチャーとしてのネットワークを理解することが。あなたがおっしゃったことはじつに重要だと思います。WWWは、情報を共有する方法ですが、それがますます発展してゆけば、それが多くのレイヤーをもった、高度に複雑で、多次元的なオブジェクトあることを、私たちはますます理解するようになるでしょう。もちろんアクセスコードがなければ到達することもできない、地下のディープなインターネット、ダークなインターネットもありますが、それはリズムと局所的な時間の多様性も含んでいるのです。それをどうマッピングしていいのかすら、私たちにはわかりません。この物理的な空間の地図もしくはトポロジーをつくるための方法が研究されているというのは私も知っています──この怪物的なオブジェクトになった空間のね。問題はそれが、もはや情報の共有からかけ離れたものになっているということです。WWWには、ぞっとするほど自己生成的な側面がある。それはリゾームのように、無制御に成長してゆくのです。しかし本当の問題は、私たちが飽和点に達するまで情報で埋め尽くされているということではありません。ネットワーク空間を往き来することがどういうことなのかについて、われわれが大変限られた、初歩的な理解しかもっていないことなのです。平均的なユーザーであれ、より円熟した使い手であれ、ハッカーであれ、私たちはまだ、自分たちの特殊なパースペクティヴを全体に表出するための、相応しい方法を見つけてはいないのです。検索エンジンは頼りにはなりません。それは盲目のアルゴリズムだからです。そしてトポロジー的な図によっても、私たちが関わっている構造の、多次元的で不安定な性質を捉えることはできはしない。アーキテクチャー的な実験が、技術の世界と交錯するのはここにおいてなのです。

fig.17──ピエール・レヴィ
『ポストメディア人類学に向けて
──集合的知性』
(清水高志ほか訳、水声社、
2015)
fig.18──『ライプニッツ著作集
第II期[1]哲学書簡』
(清水高志ほか訳、工作舎、
2015)
清水──僕は今年、まさに情報の空間について論じたピエール・レヴィの『ポストメディア人類学に向けて──集合的知性』[fig.17]を翻訳しましたよ──私たちが準-客体のひしめく情報の空間のなかにすっぽり入っているというのは、僕もその通りだと思います。また、同時並行でライプニッツの手紙も、共訳で翻訳して出版したんです(「マルブランシュとの往復書簡[全][1676-1712]」[『ライプニッツ著作集 第II期[1]哲学書簡』)[fig.18]。そしたら手紙を書いているライプニッツというのは、結構嫌なヤツだったんです(笑)。彼は、一種の諜報活動みたいなことをしているんです。アルノーやマルブランシュを相手に、自分が知っていることを隠して、お互いに知識や情報を聞き出そうとしあっているんです。

デューリング──ライプニッツは外交官でもありましたからね。彼は情報を得て、それを流通させることに情熱をもっていました。彼の望みは、異なるシステム同士を折り合わせることです。今日ではラトゥールが、同じような探求の典型ですね。彼は人類学者、哲学者、科学の専門家や法律家といった人たちを媒介する外交官です。人々をテーブルの周りに集めて、なにか共通の土台にもとづく合意に到達するというのではなく、われわれの不一致を扱う方法について合意しようというのがその趣旨です。彼自身は、すでにアクター・ネットワーク論から距離をとっているかもしれませんが、しかしネットワークというメタファーはこの意味でまだ非常に力を持っています。

柄沢──ここ10年ほどの間に、さまざまな分野にほぼ無限とも言える大きさのネットワークが生まれていますよね。私もネットワークをつくろうとしていますが、実際の建築空間をつくるためにはネットワークを切断しなくてはいけない。《s-house》は2つのトポロジー的な閉じた円環が互いに絡み合いながら自動生成するロジックを持っていますが、巨大なオフィス空間だったりコンサートホールでもなんでも実現可能です。今回は清水さんのために個人住宅ですが。

デューリング──一つのプロトタイプですね。

柄沢──そうです。「切断」というのはネットワークを考えるうえで重要な観点です。プロトタイプは、ネットワークを作品として実現するためのカッティング・ポイントのことだと思っています。切断の仕方が重要で。ハイブリッドなネットワークから出現したプロトタイプとしてどのように切断するか、議論していかなくてはならない。私の仮説としては、プロトタイプをつくるためにネットワークを切断する身体感覚を養っていくことが大事だということです。建築において、この「切断」の問題は磯崎新が早い段階で指摘していました。彼は《大分県立大分図書館》(1967)をつくったときにこの課題にぶちあたった。無限性のなかで拡張していく図書館とはどういったものだろうと。これを彼は「切断」の問題と捉えたんです。時代が変わってアルゴリズム建築等の情報技術を活用した建築においても、われわれは同じ問題に行き着いた。アルゴリズム建築においては、パラメーターは幾多もあり、ほぼ無限です。無限の情報のなかから多くのパラメーターを抽出することができる。しかし実際には一つのパラメーターを抽出しなければならないんです。多くの変数から成る情報から建築物をつくるために。

デューリング──つまり一つのパラメーターを選択して、別の可能性をふるいにかけるということですね。こうした作業は、つねにヴァーチュアルなパースペクティヴから実行されるんです。私にとっては、切断するというのは諸々のヴァーチュアルなヴァリエーションのなかから、あるパースペクティヴを見つけ出す方法ですね。

柄沢──そしてパラメーターを見つける方法は、われわれの身体感覚を使うことのなかにあります。そしてプロトタイプをつくる方法というのは、あるパラメーター、オブジェクトのある部分を一つの断片として抽出することではないでしょうか。

清水──それは「切断」なのかな。鳥みたいに動くものなのか?

柄沢──もし切断しなければ、それはただのハイブリッドであり、「関係性の美学」ですよね。この「切断」をしなければ、リレーショナル・アートだとか際限のないワークショップになったとしても、オブジェクトにはなりません。オブジェクト、つまりは作品を産み出すためには、ハイブリッドなネットワークを切断して、プロトタイプを産み出さなくてはなりません。

デューリング──建築やまた現代アートの領域では、アーキテクチャー的なプロジェクトを、関係をつくったり、関係を産み出すための空間を開発するという観点から再解釈する傾向がありますね。とくに日本では、若い建築家たちが公共空間の問題や、公的空間と私的空間のあいだの交流といったことにとても敏感です。彼らは概して、こうした問題にとてもプラグマティックに取り組んでいますよね。しかし危険なのは、これが人々をつないだり、異質なコミュニティのあいだで影響関係やアイデアを循環させることが最終的なゴールになってしまっているような、関係のイデオロギーに転じてしまうときです。ある点において、私たちが切断しなければならないというあなたの考えに同意しますよ。しかし問題は、切断するというのがなにを意味するかです。切断とは、パラメーターを選ぶことであり、あらゆるものをその角度から眺めるパースペクティヴを再解釈し、発見することです。たとえばあなたなら、独特の角度から、切断によってしっかりした形状を刻んだり、削り出したりするでしょうが、一人の芸術家にとってはそれをやる別のやり方があるわけです。たとえば、マルセル・デュシャンは切断するということを、四次元の空間を三次元の空間のうちに切り取ること、もしくは投影すること、というふうに定義し、超幾何学において彼が理解したものを描いていました。彼はまた四次元の空間を、三次元の空間によって切断されるもの──分離され、それ自体切り離されるもの──というふうにも定義していました。こうした思索によって彼は、まったく新しい手法による絵画の面の構成に携わることができたのです。問題は、インスタレーション・アートやビデオ・アートにおいていかに切断がな成し遂げられるか、ですね。切断の特殊なコンセプトを採り上げることは簡単ではありませんが、私たちは切断の異なる方法、切断の異なるレジームを試し、突き止めるべきなのだと思います。ラカンが彼の時代に、精神分析学の領野でやったのもそういうことですね。

柄沢──さまざまな切断の仕方があると思いますが、ネットワークやハイブリッドを切断するあらゆる方法を発展させていかなくてはいけないと思います。一番重要なのは身体感覚です。身体感覚を喪失すれば、ネットワークやハイブリッドを切断することはできず、プロトタイプをつくりだすことができない。身体感覚を突き詰めて建築と哲学に応用しないといけない。

清水──千葉雅也君も切断ということを言うよね。僕はそのとき「切断」はあっても、プラクシス(実践)になってはいけないと思う。

柄沢──ポイエーシス(制作)にならないといけない。

清水──そう、ポイエーシスにならないといけない。いくつかのプラクシスが合流するような、そんな対象を作品としてポイエーシスすることが必要だと思うんです。

柄沢──そこで重要なのはハイブリッドがつぶれないように「切断」することで、それをどうすればいいかはまだ課題です。

清水──ポイエーシスされる作品というものは、複数のアプローチが合流するようなものであり、それによってそれぞれのアプローチの意図や目的はずらされる、流れの向きを変えることになる。それがつまり「切断」ということだと思うんだ。

柄沢──私は、多様な「切断」の方法を見つけることができれば、プロトタイプをつくることも可能だと理解しています。

201608

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en[縁]:アート・オブ・ネクサス──「質感」と「リズム」の建築
オルタナティヴの批評性と可能性
出展作家から観たヴェネチア・ビエンナーレ──特別表彰は期待への投資である
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