オルタナティヴの批評性と可能性

田根剛(建築家、DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE/ARCHITECTS)共同主宰)
2016年5月28日より第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が開幕した。今回、総合ディレクターとして大抜擢されたのは、チリの建築家アレハンドロ・アラヴェナである。そのアラヴェナが提示したテーマは「REPORTING FROM THE FRONT」。アラヴェナらしい、現実を直視することから生まれる建築への期待が込められている。印象的なメイン・ヴィジュアルは、ひとりの女性が梯子に登り、遠い地平を眺めている象徴的なイメージである[fig.1]。そこには、ドイツの考古学者であるマリア・ライヒェ(1903-98)がある日アルミの梯子に登り、大地にただただ不自然に並べられた石が、視点を変えたことによって「ナスカの地上絵」を発見したことがモチーフとなっている。アラヴェナは「2016年のビエンナーレ建築展では、ライヒェが梯子に登った時のような視点を与えたい。建築がもつ複雑で多面的な挑戦の数々を『REPORTING FROM THE FRONT』として掲示することで、地面に立ったままであるわれわれにも、それらが持つ視点や見識、知識やその経験に耳を傾ける機会になればと思っている」と述べている。またヴェネチア・ビエンナーレ事務局長であるパオロ・バラッタは「建築と市民社会との乖離は顕著である」と言い放ち、「豊かな資金や権威のあるクライアントの、富や権力を誇張するような壮大な建築がもてはやされ、一般社会は無縁な状態で取り残されている」と、現在の建築が置かれている状況を危惧し、ビエンナーレではそれに代わるメッセージを近年の数回の建築展で模索し続けてきた。

fig.1──「第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」ポスター

REPORTING FROM THE FRONT

ヴェネチア・ビエンナーレ建築展は面白い。あたりまえのことではあるが、まず建築の展示は建物を会場に展示することはできないため、「何を展示するのか」を考えなくてはならない(ビエンナーレ国際美術展では作品が展示される)。そのため建築家は建築を二次的制作物=ドキュメント・プロセス・情報・実験・思考・思想などへと変換させ、ヴェネチアの古い街並みのなかにインストールするのである。この7世紀から栄える中世都市を彷徨いながら、現代建築の最前線を垣間みて刺激を受けることは、たいへん贅沢である。今回、メインの展示会場となるアルセナーレやイタリア館では、展示物のサイズが大きいことに驚いた。建築の展示をより体感的に感じられる表現へと更新されている試みを感じる。まずアルセナーレ会場に立ち入ると、キュレーターであるアラヴェナによって制作されたインスタレーションが眼に飛び込んでくる[fig.2]。「REPORTING FROM THE FRONT」と題されたこのインスタレーションは一昨年前のビエンナーレで使用された軽量鉄骨とプラスターボードによるもので、通常は廃材になるはずの素材から価値を見出し、そこにあるものを「空間」へと変換している。会場を訪れる人々は、この批判的創造性から生まれる新しい価値の提案に触れたあと、続々と展示される見応えある各国建築家の大型の素材、模型、インスタレーションに出会い、その質、量に圧倒されることとなる。2010年に妹島和世がディレクターを務めた第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展「People meet in architecture」の際の、大型展示と来場者の出会いというキュレーションと演出方法の影響は大きく、第13回のデヴィッド・チッパーフィールドによる「Common Ground」、第14回のレム・コールハースによる「Fundamentals」と、建築の展示手法は年々変わり続けているように思える。

fig.2──アレハンドロ・アラヴェナによるインスタレーション(アルセナーレ会場)
以下すべて筆者撮影

一方、ジャルディーニの各国パヴィリオンでの展示[fig.3-5]には、各々の国のコミッショナーによるディレクションの踏み込み具合の違いに歯痒さを感じる。無論、各国の展示は自国の建築の紹介・プロモーション機会ではあるが、テーマの掘り下げ方については、お国柄というべきか毎年温度差が表われている。特に今年の「REPORTING FROM THE FRONT」というテーマのもとでは、各国の政治・経済的事情や、そうした事情が引き起こす現状のドキュメントを中心とする展示、さまざまな状況を映し出すモノをかき集めては物量で示す展示、またはひとりの建築家やコミッショナーがすべてを取り仕切るトップダウン型の展示など、やや散漫な印象がありながらも、いくつかのタイプに大別できる建築展だったと言ってよいだろう。

fig.3──ガビネテ・デ・アルキテクトゥーラ(パラグアイ、企画展示部門賞)

fig.4──クリスチャン・ケレツによるスイス館

fig.5──バルト諸国館。手前に見えるDGT.《エストニア国立博物館》がGRAND PRIX AFEX 2016(Grand Prize for French Architects in the World)を受賞

「MA(間)」から「en(縁)」へ

日本館には毎年のことながら注目が集まる。第13回(2012)では伊東豊雄氏による東日本大震災以降の建築をテーマにした「ここに、建築は、可能か」が金獅子賞を授賞し、第14回(2014)では太田佳代子氏による「In the Real World:現実のはなし~日本建築の倉から~」が日本の近代化のピークをテーマに「日本建築の70年代」を切り取りとった。そして第15回となる今回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館のテーマは「en[縁]:アート・オブ・ネクサス」である。コミッショナーを務めた山名義之氏はそのステートメントで以下のように語っている。

「情報環境を劇的に変化させたインターネットの普及など、時代の指標となる事象はさまざまにあるが、競争原理をその核にすえた新自由主義は、戦争やテロ、放射性物質による環境汚染などと異なり、すぐ目の前にある脅威とはとらえにくいものの、いまや社会の隅々にまで浸透してその屋台骨を深く蝕んでいる。とはいえ、「進歩」といった大きな物語、メタ物語が社会のエンジンとして駆動したモダンの時代、そして高度成長期とは異なり、こうした現状、動向に抗して目標となる未来の姿を描いてそこに向かっていくこともできず、われわれの社会には閉塞感のようなものが暗く、重く覆いかぶさっている。
そしてさらに3.11以降の喪失感が加わったなかで、日本の社会は大きな転換期を迎えており、近代国家の描いた「都市における幸せな家族像」が崩壊する一方で、「"SHARING"(価値観やライフスタイルなどを共有)する新たな共同体」が出現しはじめている。このような時代にわれわれの建築はどのようにつくられているのか。そして、どこへ向かおうとしているのか――われわれがいま注目するのは、その多くが、モダン・ムーヴメントのプロパガンダ装置であった建築雑誌などを華やかに飾るようにも、また、近代国家を形成してきたこれまでの建築の枠組みのなかでそれらを大きく変えるような力を秘めているようにも──少なくとも表面上においては──見えない建築群である。それは、今までの社会のあり方、それぞれのさまざまな関係性、すなわち本展のテーマである「縁」を変えることに重点を置いているからと考えられる。」
──日本館ウェブサイトより

ここには「近代化(モダニゼーション)」に対する強い疑念が訴えられている。近代社会が失ったもの、忘れ去ったものがあまりにも多いこの社会のなかで、「SHARING」による新しい時代の価値観を創造する試みが行なわれていることを「en(縁)」というテーマで提示した。日本の社会はなにもかもを「新しく」することで経済的発展を遂げることができた。自然環境を壊し、国土を開発し、歴史を忘れ、未来を信じることが「豊かさ」であると思っていた。しかしそこに3.11の東日本大震災が起こる。その瞬間からわれわれのなかで「何か」が崩壊した。その「何か」はわからず、見えるものではないかもしれない。それでも多くの人々がそのことに気がつき、未来への幻想ではなく、今ある現実に向かって実践的な活動を行なっている。そして建築の分野においても同様に、その「何か」の先を模索する試みが始まっている。「en(縁)」には「関係性」「絆」「因果」「結束」「共有」「曖昧」「由」から、現在建築議論で注目される「ネットワーク」「コミュニティ」「シェア」など、古来現代までのさまざまな概念が多層的に含まれている。そんなことを考えていると、1978年の磯崎新プロデュースによる「間─日本の時空間」展(パリ装飾美術館)が思い起こされる。磯崎新は「間(MA)」を「〈ひもろぎ〉〈はし〉〈やみ〉〈すき〉〈うつろい〉〈うつしみ〉〈さび〉〈すさび〉〈みちゆき〉」の9つのサブテーマに分解し、これら私たちの全時=空間軸上の展開を視覚化し、展示したのである。そして、「この単純なひとつの言葉〈ま〉が、日本文化を理解するキーワードであることを海外の人達に知ってもらうことを強く期待している」と記していた(磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』鹿島出版会、1990)。「間(MA)」を日本の空間概念として読み解き、この展覧会を機に「間(MA)」が磯崎新、ロラン・バルトによって言語化された。これにより古代から現代までの日本建築に脈々と続いてきた空間と時間が融合され、そのゆらぎと存在は儚く曖昧でありながら、「間(MA)」という日本独自の空間概念を定義したことで、世界に「間(MA)」の衝撃を与えることとなった。

雑然とした同質性

今回の日本館に出展したのは、1974年生まれ以降の世代である12組24名の若手建築家であり、筆者も同じ世代の建築家である。この世代は「間―日本の時空間」展が開催された頃の生まれでもあり、バブル時代に幼少または青年期を過ごし、90年代から00年代に学生時代を過ごした世代である。日本館のテーマと出展者が発表された記事を見て以来、同世代の建築家たちがヴェネチア・ビエンナーレという建築の祭典でどのような展示を行なうか、個人的にも楽しみにしていた。
まず日本館の展覧会場を眼にした最初の印象は「混んでいる」ということである。各国のパヴィリオンが建ち並ぶジャルディーニの会場のなかでも、日本館はひときわ混み合っていたのだ。時間をずらして訪れてみても、また混雑している。これは今回の展示への注目もさることながら、昨今の日本の建築・建築家がいかに世界的に高く評価され注目を浴びているかということ、いわば人気の高さを示しているように思えた。
日本館のなかに入ると、大小さまざまな模型やインスタレーションのような展示物、写真や図面、映像などが混在して展示されており、定形のないバラバラなメディア・ドキュメントが渾然一体となって「雑然」とした印象が増幅する。この混み合った状況とあいまって、どこか不思議と日本の都市空間または室内空間の現われでもあるようであった。この偶然発生したような整理されない状況、フォーマットの欠如から発生する雑多さが、12組の建築家の真意を直接的に、わかりやすく表現していると感じた。個々の建築家のアイデアに眼を凝らしてみると、一瞬では会心できない展示物も多くあったものの、内容をミクロのレベルで観察していくと、それらの取り組みが特異なアイデアに満ち、現実的な問題から未来を切り拓いていることに気づく。しかし一方で、すべての展示作品をマクロな視点から眺めたとき、そこには「ひとりの建築家の個展」と誤読されてもおかしくないような、ある種の強い同質性を感じた。無論、展覧会のキュレーションによって選出され展示されたプロジェクト群であるから、近しい建築がまとまっているべきなのかもしれない。だが、これだけ多様な展示物を前にして同質性を感じるということは、そこに何らかの見えない共通項、共時性があるということなのではないかと思えてきた。

オルタナティヴに未来はあるか?

今回の日本館の展示を経験すると、これまでのモダニズムを基盤とする日本の建築とは生まれてくる起源がどこか異なることに気づく。モダニズムには強い理想主義があり、建築の純粋性、抽象性や論理性を骨格とするが、本展の展示物にはどこか具象的で即興的であり、日常性や人情を背景に生まれた建築であることが示されているように思える。通常建築展においては、純粋性、抽象性、論理性を明瞭化して不特定多数の来場者に伝える作業発表を行なうが、本展では、他者には非常に伝わりにくい(情報化しづらい)この「日常性」を展示する方法に挑んでいたと言えよう。純粋性、抽象性や論理性よりも、ある状況や条件=「日常」からはじまる建築。未来志向ゆえの建築の「新しさ=モダニティ」を探るのではなく、「日常」に向き合う楽観的で対応的な建築こそが、オルタナティヴな飛躍の可能性が胎動する建築であることを示すかのようでもあった。そしてそのような建築は、「人」や「地域」などとの[縁]という他力も掬い上げ、半完成(未完成ではない)であることを志向する。その空間には、外部と内部、既存と新築、解体と新設などの建築言語が曖昧になるように設定され、白い壁面を多用しながらも、木材・布・瓦・植物などが即物的に併存されている。12組24名の建築家は、建築を、完成よりも応用性の未来に向かって開こうとしている。これは推測ではあるが、もしかしたらこれらの建築は、建築に憧れる建築好きな施主からの依頼ではなく、友人関係や他人の紹介を通して依頼された、いわゆる一般の施主の要望からはじまった建築であり、その「繋がり」から生まれてきたのではないかとも思える。そしてさらにこれらは、日本が近代化の過程で先延ばしにしてきた「過密」「過疎」「地方」「少子高齢化」「空き家」など、差し迫る具体的な建築・都市の課題をめぐって最前線で闘ってきたオルタナティヴな建物の数々なのではないかと思えてきた。「en[縁]:アート・オブ・ネクサス」をテーマにした日本館は、その静かなる実践的な闘いの数々の成果によって、特別表彰を授賞することになった。それは、上記のような数々の課題が暗雲立ちこめる日本の状況において、それでもポジティヴに建築が可能であることを示した結果への評価であり、オルタナティヴの未来を同世代の建築家たちが切り拓いたことに強く励まされた。



田根剛(たね・つよし)
1979年生まれ。建築家。DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE/ARCHITECTS)共同主宰。 代表作に『エストニア国立博物館』(2016年秋完成予定)、『A House for OISO』(2015)『虎屋パリ店』(2015)『LIGHT is TIME』(2015)など。フランス文化庁新進建築家賞、AFEX2016大賞、フランス建築アカデミー新人賞(2016)、新国立競技場基本構想国際デザイン競技ファイナリストなど多数受賞。website: http://www.dgtarchitects.com


201608

特集 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展──「en[縁]」の射程


en[縁]:アート・オブ・ネクサス──「質感」と「リズム」の建築
オルタナティヴの批評性と可能性
出展作家から観たヴェネチア・ビエンナーレ──特別表彰は期待への投資である
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