圏外から再構築される建築

門脇耕三(建築家、明治大学専任講師)

動的な体系としての建築

建築は環境を「構築」する術の体系であると捉えることができるが、構築という行為は本質的に、その対象についての無矛盾性を志向する。ときには、建築における構築の結果物のひとつである建物に対して、相矛盾する論理に基づく建築的な言語や文法が持ち込まれることもあるが、その場合にも、それらの共存が方法的に裏付けられているかぎり、その方法的枠組みにおいて、それらは無矛盾であると言ってよい。構築は方法的意識を伴い、このことが、構築物に無矛盾性を帯びさせるのである。
また建築は、孤立してはあり得ない。そもそも建物は、環境と人間を媒介する存在であるから、周辺との連続を断ち切ることができず、このように媒介物として定義される建物をつくる術の体系としての建築も、政治・経済・文化などと独立してはあり得ない。あらためて指摘するまでもなく、建築はその社会において成立するのである。
しかし社会は、漸進的に、時に急激に変化するから、建築という体系は、みずからと連続する社会とのズレを蓄積し、建築における構築は、その無矛盾性への志向により、このズレを解消しようとする欲望を内在する。したがって建築は、繰り返される構築という行為によって、絶えず組み立て直されているのであるが、このときの再構築の駆動力は、建築と連続する外部、すなわち圏外からもたらされるのである。

縮小する建築

以上の認識をひとまずの前提として、本稿では、いま建築を組み立て直そうとしている「構築」の前線について、圏外の状況からの考察を試みたい。
現在の建築を取りまく状況についての言説を概観してみると、そこで「縮小」が鍵語として用いられることがままある。「縮小」の主語となるのは、建設市場を含む日本経済であったり、建物のユーザーの総量、すなわち人口であったりするのだが、そうした中で、建築そのものの役割が縮小しているとの指摘も見いだすことができ、この意味での「建築の縮小」は、まさに圏外からもたらされたものであると理解することができる。その過程を確認するために、ここで歴史を振り返ってみよう。
近代化以降の建築は、多かれ少なかれ、制度を建物として物質化し、社会に固着する役割を担っていた側面がある。学校、病院、集合住宅、オフィスなど、近代以降にビルディング・タイプとして整備された建築はいずれも、教育、社会保障、労働などの社会制度と密接に関わるものであるし、これらを社会に行き渡らせることは、政策課題そのものであった。言うまでもなく、これを主導したのは官僚機構であり国家だったわけであるが、いずれにせよ建築は、近代的な社会システムの確立に関して、大きな役割を果たすものであった。しかし日本における近代化は、1970年代にはおおむねの完成を見る。建築に関して言えば、社会的共通資本としての建物が、1970年代頃までに一応のところ充足したと言い換えることもできるだろう。そしてこれ以降、社会における建築の存在感は、徐々に小さなものとなっていったと考えられるのである。
ただし、この頃に起きた社会背景の転換は、おそらく日本のみに限られるものではない。1980年代初頭のヨーロッパやアメリカでは、市場原理主義を重視した新自由主義的な経済政策が推し進められるようになり、「大きな政府」から「小さな政府」へと表現される行政規模の縮小も、各国で進められた。また、1967年に欧州諸共同体(EC)が発効してからは、米ソ両極体制の世界システムの構造転換も進み、冷戦構造崩壊後の世界はさらに多極化するとともに、アメリカ型の新自由主義が各国に導入され、1990年代からはグローバル資本主義が大きく発達した。以後、国家の枠組みを超越した世界企業も誕生し、この意味でも主権国家システムの存在は、相対的に小さくなってきている。すなわち、1970年前後は世界的にも社会背景の転換点であったとも捉えられるわけであるが、これと呼応するように、建築はモダン・ムーブメントが掲げていたような明確な主題を失っていき、そのようにして曖昧化する建築の状況を、磯崎新は「建築の解体」と表現した★1。
磯崎新『建築の解体──
1968年の建築状況』
(鹿島出版会、1997)
なお、磯崎による『建築の解体』は、世界の建築の状況を報告するものであったが、この頃には日本においても、それまでの建築に対する異議申し立ての動きがさまざまに展開されていた。たとえば、私的な住宅の中にコスモロジーを宿させ、その芸術性をもって、猛々しい公共建築に対抗しようとする考え方も1960年代には認められるし(篠原一男)、生産システムへの介入によって、中央集権的な建築を瓦解させようとする試み(剣持昤、大野勝彦)、集団設計の方法論を深化させることによって、英雄的な建築家像を追撃しようとする試み(象設計集団)、集落の空間構造のサーヴェイを通じて、社会構造と都市や建築の形態との関係を探ろうとする試み(神代雄一郎)など、1960年代後半から70年代の日本の建築界の動きは、思い付くままに挙げるだけでも多様を極めている。それらはいずれも、変化を遂げようとしているこの社会の次なる姿にふさわしい建築のあり方を探る動きだったと捉えられるのであるが、一方で1980年代以降の日本の建築の前線は、建築を芸術として捉える動きに一本化されてしまった感がある。このことは、おそらく1986年に始まるバブル景気と関係しており、いわゆる「失われた20年」の遠因となったとも言われるこの好景気によって、日本の社会の構造転換は先延ばしにされ、建築を変革しようとする動きもまた潰えてしまったのだろう。しかし現在、長引く景気停滞による建設需要の低下、公共予算の縮小などによって、官僚機構によって牽引されていたかつての建築の輝かしいあり方は、もはや描くことがまったく不可能な状況に陥っており、建築の意味は、ふたたび問い直しの必要に駆られている。1970年代と現在の建築の状況は、「失われた20年」をはさんで、奇妙に接続するのである。
加えて、情報技術の発達などに伴い、都市や建物が担っていた機能それ自体にも、見直しの必要が生じている。たとえば、都市には同一用途の建物が集塊する傾向があり、そのことによって特定の用途の建物についての到達可能性や探索可能性が一定程度担保され、これが都市における人間行動に空間的なパターンを与えているわけであるが、地理情報システムやモバイル・インターネット・デバイスの発達によって、都市的な構造が人間行動に与える効果は、明らかに弱まっている。情報空間における検索技術の発達により、これまで商業に適さないと考えられていた場所に構えた店舗が、超広域から集客する現象なども珍しくはなくなっているし★2、そもそもインターネットは、自宅に居ながらにしての買い物さえ一般的なものにした。位置情報ゲーム『Ingress』★3の流行によって、拡張現実上で繰り広げられるストーリーに基づき、世界各地で大量のプレイヤーが現実空間を移動したことも記憶に新しい。情報空間はいよいよ本格的に現実空間に干渉しつつあり、拡張現実技術やウェアラブル・デバイスが一般化すれば、その影響を都市や建築が無視できなくなることは必至である。この点でも、都市や建物それのみが担っていた意味は、弱まりつつあると考えられるのである。

人間の矮小化

磯崎新『偶有性操縦法──
何が新国立競技場問題を
迷走させたのか』
(青土社、2016)

宇野常寛『リトル・ピープル
の時代』(幻冬舎、2011)
縮小するのは建築ばかりではない。情報技術の発達は、複雑なネットワークと、そこで半自律的に作動するデバイスを発達させているが、多極化しつつも、グローバルな世界システムを介して、ものごとがどこまでも連関していく社会システムもまた、現在の情報ネットワークの構造と同型である。そして、こうした複雑なネットワークが形成された社会においては、磯崎によれば、"必然性に基づいて唯一の解に導く決定が構造的に必然的に存在しない" ★4。同じように、村上春樹は、このような構造が形成される以前の社会を、"1969年にはまだ世界は単純だった。機動隊員に石を投げるというだけのことで、ある場合には人は自己表明を果たすことができた。それなりに良い時代だった。"と表現し、対して、それ以後の社会を、"隅から隅まで網が張られている。網の外にはまた別の網がある。何処にも行けない。石を投げれば、それはワープして自分のところに戻ってくる。"と表現するが★5、村上の小説に用いられた言葉を用いて、前者を"ビッグ・ブラザーの時代"(巨人の時代=疑似人格化した国民国家が大きな物語を語り、個人の生を意味づけていた時代)、後者を"リトル・ピープルの時代"(小人の時代=無数の小さな存在が無限に連鎖し、その連鎖が不可視の環境システムを形成している時代)と呼んだのは、宇野常寛である★6。つまりネットワーク社会においては、人間の存在それ自体も矮小化する。ネットワーク社会は、属人的ではありえないのである。

建築における構築のゆくえ

このような意味で非人間中心的な世界において、建築が組み立てうる戦略は、いくつか考えられる。
第一に、社会における人間の存在を回復させるため、この複雑なシステムに対抗しようとする道筋である。より具体的には、人びとの相互関係や、生産に伴う物質循環など、社会において取り結ばれるネットワークをより親密なスケールへと再構築し、具体の人間にとってのネットワークの全体性を回復させようとする試み(アトリエ・ワンなど)は、この場所に位置付けられることだろう。共同体を現代的なかたちで復活させようとする試み(シェアード・コミュニティに関連する動きなど)も、人間どうしの連帯性を通じて、人的ネットワークを認知可能な範囲にとどめようとしている点で、同一の立脚点に基づくものだと言ってよく、このような建築的な試みは、数多く認めることができる。
第二に、同じく人間の存在の回復を目指して、この社会を構成する非人間的スケールの物理的存在を、非物理化しようとする道筋である。現代社会には、巨大な建物や土木インフラなど、人間のスケールを大きく凌駕する構築物が多数存在するが、これらはその巨大さゆえに、属人的な決定を経て生まれることは少なく、複雑な意思決定の末、この社会にニッチを見いだしたかごとく、半ば自律的に誕生する。したがって、こうした巨大構築物は、しばしその使用者からも疎まれる存在となるのであるが、たとえば、住民に望まれないまま建設が進む防潮堤などは、その典型だが、物理的な構築物が持つ防災機能の一部を、住民主導のワークショップによる避難ルートの検討を通じて、コミュニティに代替させようとする「逃げ地図」(日建設計ボランティア部)は、人間を凌駕する物理的存在を非物理化する試みに数えうるだろう。ただし、この種の試みは物理的な構築に結びつきがたいためか、具体例として挙げられるものは限られている。
落合陽一『魔法の世紀』
(PLANETS、2015)
一方で、非人間中心的な世界それ自体に可能性を見出そうとする試みも認めることができ、建物の物的な構成要素であるエレメントに着目する動きなどは、このような側面を持っている。エレメントに着目する動きは、哲学・思想分野におけるオブジェクト指向存在論(object-oriented ontology/OOO)とも親和性が高いが、これもまた、科学主義に散見される人間中心主義を見直そうとする動きでもあった。
建築以外の分野では、この非人間中心主義的な状況がさらに進んだ状況を技術史的に考察し、現在の人間観や従来的な規範そのものの合理性を問い直そうとする動きも存在する。落合陽一は、計算技術の進歩が極まった先にある、自然物と人工物の二分法を超越した自然観を構想するが★7、そこで描かれる超自然のイメージは、人間とコンピュータが単なる環境構成要素として同列に見なされるという点で、ディストピア的でもある。
以上のように、現在の状況を概観してみると、建築における構築の方法論は、圏外の変化に対応しきれるバリエーションが出揃ってはいないと言わざるをえないだろう。建築とその圏外とのズレは現在も蓄積されており、そこで地殻変動が起きるとすれば、それはどのようなものなのか、見通しは未だ十分ではないのである。

★1──磯崎新『建築の解体──1968年の建築状況』(鹿島出版会、1997)参照。なお、本書は1969年から1973年にかけて『美術手帖』(美術出版社)に寄せられた連載がまとめられ、1975年に美術出版社から刊行された書籍の復刻版である。
★2──こうした状況については、拙稿「都市文化の現在地──都市における新しい『ウラ』の誕生」(「10+1 web site」、LIXIL出版、2015)にて報告している。
http://10plus1.jp/monthly/2015/08/issue-02.php
★3──『Ingress』はGoogleの社内スタートアップである「Niantic Labs」が開発・運営する一種の陣取りゲームであるが、「Niantic Labs」は「Niantic Inc.」としてGoogleから独立し、現在では「ポケモン」と共同でスマートフォン向け拡張現実ゲーム『Pokémon GO』の開発も進めている。筆者は『Pokémon GO』のフィールドテスト画面を実際に見たが、それは拡張現実技術が一気に一般化する予感を感じさせるインパクトを備えたものであった。
★4──磯崎新『偶有性操縦法──何が新国立競技場問題を迷走させたのか』(青土社、2016)参照。
★5──村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』(講談社、1988)参照。
★6──宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎、2011)参照。
★7──落合陽一『魔法の世紀』(PLANETS、2015)参照。






門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生まれ。2001年東京都立大学大学院工学研究科修士課程修了。2012年より明治大学専任講師。専門は建築構法、構法計画、設計方法論。博士(工学)。近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書・共著書に『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』』『静かなる革命へのブループリント』『シェアをデザインする』など。Twitter: @kadowaki_kozo


201605

特集 圏外から学ぶ都市/建築学入門


圏外から再構築される建築
〈インフォグラフィックス〉──都市と情報を可視化する
〈タクティカル・アーバニズム〉──XSからの戦術
〈マテリアル〉──物質的想像力について、あるいはシームレス化する世界の先
〈写真アーカイブズ〉────歴史を振り返り、再発見する手段
〈展示空間〉──チューニング、アーカイブ、レイアウト
〈地図〉──建築から世界地図へ
〈ファッションデザイン〉──システムをデザインすること
このエントリーをはてなブックマークに追加
INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引

PROJECT

  • パブリック・トイレのゆくえ
  • TOKYOインテリアツアー
  • 建築系ラジオ r4
  • Shelter Studies
  • 再訪『日本の民家』 瀝青会
  • TRAVEL-BOOK: GREECE
  • 4 DUTCH CITIES
  • [pics]──語りかける素材
  • 東京グラウンド
  • 地下設計製図資料集成
  • リノベーションフォーラム
『10+1』DATABASE

INFORMATIONRSS

「記憶の光跡展」関連イベント(港区・9/28、9/29-10/3)

2018年5月に岐阜県養老町で開催され、2日間で1000人を越える来場者を記録した教育委員会主催アー...

建築情報学会キックオフ準備会議第4回(渋谷区・10/5)

「建築情報学」は、旧来の建築学の学問的カテゴリに捉われることなく、建築内外の知見を架橋すること...

Making the City Playable 2018 コンファレンス(千代田区・9/28)

英国のメディアセンター、ウォーターシェッドが2012年に立ち上げた、「遊び」を通して都市と人が出...

LIXIL出版 中途採用のお知らせ

10+1websiteを運営するLIXIL出版では、 建築・デザインに関する書籍の編集スタッフを募...

石川初×大山顕「地上学への誘い」『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』刊行記念(世田谷区・9/20)

LIXIL出版より発売中の『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、...

NPO建築とアートの道場 2018年秋-1レクチャーシリーズ「建築家の生態を探る」(文京区・9/1-10/13)

gallery IHAの2018年秋-1レクチャーシリーズは、『建築家の生態を探る』と題して、成瀬友...

リノベーション・スタジオ展示会「カプセルタワーのメタボリズム(新陳代謝)2018」(中央区・8/27-9/1)

東京理科大学工学部建築学科4年の設計製図演習「建築・都市設計」では、現代の社会で建築が取り組むべき...

ミサワホームAプロジェクト シンポジウム「時間がよびさます建築」(京都府・9/26)

今回のシンポジウムは、今年度村野藤吾賞を獲得した平田晃久さんと、昨年、青森の八戸美術館と一昨年京都...

地域社会圏」と「現代総有」─個人・社会・空間をつなぐ新しい考え方─(千代田区・9/1)

人口減少と少子高齢化、東京への一極集中に代表される都市部と地方の格差拡大、グローバル化が進む中で...

「建築」への眼差し -現代写真と建築の位相-(品川区・8/4-10/8)

ニセフォール・ニエプスによって撮影された歴史上初の写真が作業場の窓から見える納屋と鳩小屋の映像であ...

UNBUILT: Lost or Suspended(品川区・8/4-10/8)

建築の歴史はある意味で「敗者の歴史」である。計画取り止めやコンペ敗北の時点から"過去"になることで...

川田知志「Open Room」(大阪府・9/2-10/13)

「壁画」を主軸とするインスタレーション制作によって、視覚芸術と都市空間との関わりを提示する美術家・...

WIKITOPIA INTERNATIONAL COMPETITION(公募・-9/24)

Wikitopiaプロジェクトは、先進的な情報通信技術を活用することで、オンライン百科事典Wiki...

秋野不矩美術館開館20周年記念特別展「藤森照信展」(静岡県・8/4-9/17)

秋野不矩美術館開館20周年を記念し、当館を始め多数の建築設計を手掛けている建築家・建築史家、藤森...
建築インフォメーション
Twitter Feed
ページTOPヘ戻る