思弁の容赦なさ
──「プロジェクトの社会」における世界の複数性

岡本源太(美学、岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授)
いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ。
──アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』

1

現代人が生きている今日の社会は、あるいは「プロジェクトの社会」とでも名指すことのできるものなのかもしれない。かつてギー・ドゥボールは、現代社会を「スペクタクルの社会」と呼び、日々メディア上を行き交う社会的イメージに自己を重ね合わせないかぎり何ものも享受できなくなっている現代人のありようを、批判的に分析したのだった。けれども、今日わたしたちがみずからの生を重ね合わせているのは、そのようなスペクタクル化された社会のイメージに加えて、なによりもプロジェクトとして提示される未来のイメージではないだろうか。企画、計画、提案、プラン、アジェンダ、プロポーザル......未来のイメージが現代社会に溢れかえっている。それどころか現代人は、産業についても政策についても、芸術や学問においてさえ、往々にしてプロジェクトなしに携わることを禁じられてすらいる。未来のイメージなしには、わたしたちは──すべてではないにしても少なからぬ場合において──思考も行動も許されない。プロジェクトの描く未来のイメージこそ今日の最大のスペクタクルであり、人々はそのイメージを演じることに一喜一憂しているかのようだ。

プロジェクトとは何か。わたしたちは、プロジェクトを立てるという、何の生産でもなければ何を消費するでもない営為に、少なからぬ時間を費やし、思考と行動の大半を捧げている。いっそう大きなプロジェクトを立てるために、いくつもの小さなプロジェクトを次々と立ててすらいる。とすれば、そうして描かれる未来のイメージとはいったい何なのか、わたしたちは何をしているのか。もし未来とはいまだ存在しないものであり、未来のイメージとはこれから実現される(あるいは実現されない)可能性のことだとすれば、プロジェクトの社会とは、非在と非現実に現在と現実を隷従させるという、途方もない徒労なのだろうか。プロジェクトを、いまだ実現していない未来のイメージだと考えるかぎり、その失敗は文字通り無であり、すべては無駄になる。とはいえ、失敗なきようにとプロジェクトを達成可能なものに落とし込めば落とし込むほど、そこで実現される未来なるものは結局のところ現在の似姿になって、人々が費やした時間と労力は無意味になる。幻想の未来をまえに、現在は失われるばかりだ。

2

Elie During, "Prototypes
(pour en finir avec le romantisme)"
in Esthétique et Société, C. Tron (dir.),
Paris, Éditions de L'Harmattan, 2009.
しかしながら、プロジェクトは存在するのだと考えてみよう。なによりもわたしたちの思考と行動そのものとして存在しているのだと。プロジェクトとは、存在しない未来のイメージではなく、未来のイメージとして存在しており、現在のただなかではたらいているのだと。エリー・デューリングは、プロジェクトが百花繚乱の様相を呈している現代芸術の動向のうちに、非現実的な可能性としてのプロジェクトそのものの顕現ではなく、むしろプロジェクトを成立させる具体的なオペレーションの数々と、その理想的かつ実験的なオブジェとしての諸々のプロトタイプの存在を看取した。プロジェクトは実のところ、書類や図面や模型や見本といった「プロトタイプ」と呼びうる物質的な基盤をもって、現在において活動を展開するのだ。そこでは、可能性が実現され──そして可能性が消尽するというよりも、可能性そのものが拡張されていく。このことはおそらく、プロジェクトの社会としての現代において、芸術に限られた話ではない。

プロジェクトは存在する。とすれば問題は、失敗によって現在が無に帰してしまわぬように、いかに未来を実現するのかなどというものではない。そうではなく、プロジェクトが複数であり、無数にあることだ。現代社会は、プロジェクトという、数え切れないほど多くの世界の未来のイメージに満たされている。「世界の複数性」という西洋古来の思弁が、おそらくここで息を吹き返し始めている。

3

未来のイメージを構想するという行為が固有の名称を獲得し、その社会的地位を高めていった時代が、西洋の歴史上にあった。それはルネサンスのイタリアであり、イメージの構想は「ディセーニョ」(disegno)と呼ばれるようになったのだった。もちろん、今日の英語の「デザイン」(design)の由来となった語である。

ディセーニョは、まずは実際に描かれた素描を意味していたが、16世紀にもなると、制作するまえに芸術家の精神に宿る構想のことを意味するようになる。前者が「外なるディセーニョ」、後者が「内なるディセーニョ」と呼ばれて区別され、精神に宿る内なるディセーニョは「セーニョ・ディ・ディオ」すなわち「神のしるし」であるとまで主張されるにいたった。芸術家は神のごとく制作をおこなう。しかも、神が6日間かけて順序だてて計画的に世界を創造していったように(しかも7日目には休息したのであった)、芸術家もまたあらかじめ構想したディセーニョにもとづいて計画的に秩序正しく制作をおこなう。ディセーニョはその意味で、旧約聖書の神の世界創造に倣う営為とされたのである。

ルネサンスには、神を芸術家(工匠)に擬えるプラトン以来の隠喩が逆転され、むしろ芸術家のほうが神のごとく世界を創造すると語られ始めた。画家の精神を神のそれと同一視したレオナルド・ダ・ヴィンチが、まるで憑かれたように繰り返し繰り返し、未来のイメージを──やがて起こるであろう大洪水による世界の滅亡のイメージを描きつづけたのも、その一例と考えることができる。たしかに創造が滅亡へと反転してはいるものの、レオナルドによれば、洪水が地上の万物を押し流すことで、地球は原初の完璧で神的な球形を取り戻すという。したがって、滅亡もまた創造の反復である。それをさらにイメージによって反復するがゆえに芸術家は、神のごとき存在にほかならないとされるのだ。

4

上:ブルーノ
『無限、宇宙および諸世界について』
(清水純一訳、岩波文庫、1982)
下:岡本源太
『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』
(月曜社、2012)
折しもルネサンスに、ジョルダーノ・ブルーノがあらためて世界の複数性を語った。すでに古代ギリシアでエピクロス派が考え、中世ヨーロッパには神の世界創造をめぐるスコラ学者が論じた世界の複数性は、芸術家のディセーニョがそれぞれに神のごとく世界を創造するようになってしまったルネサンスにあって、いくぶん新たな様相を呈し始める。異なる惑星には違う文明があるという話でも(これはこれでルネサンス以後もたとえばフォントネルに引き継がれる)、神がこの世界を別様に創造しえたという話でもなく(こちらはのちにライプニッツが取り上げなおす)、この現実の世界がそのまま複数的だというのである。複数世界とは、どこか遙かな遠方のことでもなければ、ありえたかもしれない可能性のことでもなく、いまここ自体が複数的だということなのである。

世界の複数性という思弁は、古代のエピクロス派から近世の自由思想家にいたるまで、たんなる宇宙論上の科学的仮説などではなく、宗教や政治の旧弊を批判し、異文化への寛容を説き、災厄からの慰めを得て、社会と共同体をかたちづくるという、生存の技法そのものであったことに注意しよう。思弁によって描かれる世界のイメージは、じつのところ、そのようなものとしていまここの現実世界のうちではたらいている。空想のイメージにもそれ固有の真理があると、ブルーノは語った。空想の中味が実際であろうとなかろうと、それがそう想像されているという事実そのものが、現実のなかで人々の思考と行動としてはたらくのだ。ディセーニョは次々と世界のイメージを描き、その複数的な世界のイメージはそれとして現実世界のなかに存在し、作用する。世界の複数性の思弁それ自体が、世界の複数性をかたちづくるのである。

5

プロジェクトの社会としての現代において息を吹き返しつつある世界の複数性は、フォントネル的な多元宇宙論の意味(異なる惑星の違う文明)でも、ライプニッツ的な可能世界論の意味(この世界のありえたかもしれない別様の姿)でもなく、現実がさまざまなプロジェクトの描く複数の世界の未来のイメージによって事実として動かされているという意味で、理解されるべきだろう。かつてアンリ・ベルクソンが示唆したところによれば、人間の思考とは、直接に知覚できない際の代替手段であり、逆の言い方をすれば知覚の拡張である。また人間の知覚は、行動いかんによって制限されるが、逆の言い方では行動によって成就される。とすれば、思考とは潜在的にはすでに知覚であり行動であるのだろうか。少なくとも、思考はそれとして現実のなかではたらき、思弁はそれ自体でプロジェクトの社会のなかで作用する。

人間には思弁が許されている。経験によらない思考実験を、人間はおこなうことができてしまう。イマヌエル・カントは、経験によって探ることのできない先験的なものの探究方法を、まさに実験に擬えていた。とはいえ、思弁は、思考実験は、科学史的に理解するなら、理論の検証と正当化よりも理論の発見に関わるものだ。検証や正当化といった批判的作業は、あくまでも現物実験が担う。思考実験の目的は、批判ではなく、むしろ発見的作業である。

かくして、プロジェクトの社会のなかでわたしたちに徒労を覚えさせるものに対して、いっそうの思弁でもって、容赦ないまでの想像力でもって、なすべきことが見えてくるだろう。現代人の思考と行動が、一見したところプロジェクトという未来のイメージに隷従してしまっていることから、いかにして自由になるか。現場主義への回帰は、おそらくは発見も批判もない、無思考な行動の全面化を招きかねない。プロジェクトをより経験に引き寄せて、達成可能なものに絞り込むことは、一見して実際的な判断のようでいて、結局は既知のものの反復に終始し、未来への隷従のもとに現在をいっそう疲弊させる。しかしながら、プロジェクトの社会としての現代にあって未来のイメージは、それが実現される以前から現在に作用している。さらに言えば、実現されようとされまいと、未来のイメージは現在のただなかですでにはたらいているのだ。思弁にはそれ固有の真理があり、それが可能か不可能かにかかずらう必要はないのである。



岡本源太(おかもと・げんた)
1981年生まれ。美学。岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授。著書=『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』(新プラトン主義協会賞)など。訳書=ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし』(岡田温司との共訳)など。http://passing.nobody.jp/


201604

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