スペキュラティヴ・デザインの奇妙さ、モノの奇妙さ
──建築の「わかりやすさ」を越えて
──建築の「わかりやすさ」を越えて
「スペキュラティヴ・デザインって、なんか単純な形をした謎なオブジェクトを無表情な人が触ってるような白い背景の謎な映像で。あ、もちろんでてくるのは白人で...」★1
イギリスのデザイナー、アンソニー・ダン&フィオナ・レイビーによる『スペキュラティヴ・デザイン──問題解決から、問題提起へ。未来を思索するためにデザインができること』(久保田晃弘監修、ビー・エヌ・エヌ新社、2015)に掲載された寄稿文で牛込陽介が挙げている、スペキュラティヴ・デザインに対するステレオタイプの一例である。そして、このような表層的な理解によって、スペキュラティヴ・デザインが本来持っている多様性が失われ、単一的なイメージに陥ってしまうことを、牛込は危惧している。しかしここでは、スペキュラティヴ・デザインのプロジェクトが醸し出す「雰囲気」という、ある意味で非常に表層的な理解を、あえて始点に据えて論じたい。というのも、プロジェクトの多くが共通して持っている雰囲気こそが、ダン&レイビーが本書のなかで繰り返し訴える、文化の単一化に抗する多様な世界観を確立するうえで重要な役割を担っているように思われるからだ。
不気味さについてはフロイトが、滑稽さについてはベルクソンが、それぞれ考察を行なっている★2。そして両者の考察に共通しているのが、どちらの印象も、親しみのあるものが他の存在者に見出されることで引き起こされるということである。先に挙げたプロジェクトを私たちが感受するとき、そこには私たちにとって親しみがあり理解できる(合理的な)ものから、馴染みがなく理解しがたい(不合理的な)ものまでのスペクトルがある。そして、私たちという存在者にとって不合理的なものが他の存在者にとっては合理的(または、その逆)であるとき、そこを通してその存在者が私たちに「ほのめかされる」のではないか。この「ほのめかし」によって、見る者が自分とは違う多様な世界観の存在に気づくということ。それが、スペキュラティヴ・デザインが目指す「多様な世界観の確立」の意味することではないだろうか。
人間にとって抱き枕とは、文字通り「抱く」という、機能性をもったものである。柔らかく、抱きしめると自分の体の形が残されるという点でも、親しみがもてるものだろう。しかし、きのこ雲型抱き枕の形状自体は、私たちが理解し、合理的と考えるものからは、はずれている。さらに、きのこ雲は多くの人にとっては未知の存在者である。もちろん、多くの人が写真などできのこ雲を見たことがあるだろうし、それに関する知識を持っている。ただ、それはあくまでも抽象的なイメージ(または、写真などのメディアで表象されたもの)としてのきのこ雲であって、1957年のネバダ州でのきのこ雲という、特定の、具体的なきのこ雲ではない。一方、1957年のネバダ州のきのこ雲は、きのこ雲型抱き枕をどのように感受するのだろうか。形状は、きのこ雲自身の似姿であるという点で、きのこ雲にとってある程度親しみのあるものだろう。しかし、私たちが親しみを覚える、抱き枕の「抱く」という機能性については、きのこ雲にとっては理解しがたいものだろう。このようにして、私たちという存在者に、このきのこ雲型抱き枕を通して、1957年のネバダ州で発生したきのこ雲という未知の存在者がほのめかされるのである[fig.2]。
哲学者であるグレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論(Object-oriented ontology [OOO])に従えば、この奇妙さは、スペキュラティヴ・デザインだけがもつものではなく、すべてのモノ(オブジェクト)に備わったものであると考えることもできる。ハーマンによれば、すべてのオブジェクト(ハーマンはこれを「実在オブジェクト」と定義している)は他の存在者との関係からは引きこもっていて、アクセスできないものである。その代わりに、オブジェクトは他の存在者と「感覚オブジェクト」(上の図式では「感受された対象」にあたるだろう)を通して関係をもつことができるとしている。そして、感覚オブジェクトから放射される質を、それぞれの存在は知覚している★3。
この具体例としてハーマンが頻繁に挙げるのが、「ハンマー」である。ハンマーは人間にとっては釘を打ちつけることができるという質をもったオブジェクトである。しかし、「犬やコウモリ、さらには虫は、ハンマーが持つ、人間が知覚できる範囲を越えた質に気づいているかもしれない」★4と述べるように、他の存在者たちには、人間がハンマーに見出すものとは違う質を見出している。つまり、すべてのオブジェクトは、それを知覚するそれぞれの存在者が個別に感覚オブジェクトを持ち、多様に知覚することを許容している。
建築ほど、数多くの人間や、その他の存在者たちが触れるものは、あまりないだろう。しかし、それらによる多様な感受を包容するのではなく、単一の感受しか認めないような建築のあり方が、現在多く見られるように思われる。単一の感受のみを許容するあり方とは、あらかじめ対象がどのように感受されるべきかを、対象自身が指示する、いわば一義的な状態である。さらに簡単に言い換えれば、「誰にとってもわかりやすい」建築となるだろう。このような「わかりやすさ」は、社会的な要求による部分も大きい。近年、すべてのものに「わかりやすさ」が求められるようになってきている★5。このような要求への対応方法として、建築家には大きく2つの選択肢が与えられていると思われる。
1──自身がデザインするモノに、「法隆寺五重塔」や「諏訪大社御柱」といった、それをどのように感受すべきかを示すラベルをあらかじめ貼っておく。この場合、ラベルはなるべく多くの人が理解しやすく、そしてシンパシーを感じやすいものでなければならない。
2──モノとしての建築をデザインすること自体をやめる。代わりに、地域住民参加のワークショップなどを開き、あらかじめ建築をどのように使いたいかなどの意見を集約し、それを空間のなかでコーディネートすることに専念する。
「ポピュリズム」と「草の根」といった具合に、この2つは相反しているように見える。しかし、一般大衆がシンパシーを覚えるラベルを見つけることも、ワークショップなどで人々の意見を集約することも、本質的には先に述べた、単一の感受のみを許容する建築のあり方に繋がっている★6。ここでの目的は、そのような一義的な建築のあり方そのものを批判することではない★7。むしろ、無自覚にそのあり方を追求してしまっていることが問題なのだと指摘することである。特に「2」に分類される建築家の多くは、(社会または建築の)多様性を支持し、それを追求しているつもりでいる。しかし、実際には「わかりやすさ」の要求に応え、多様な感受を排除している。それに対して無自覚であることが不適切なのである。
「多様な感受を包容すること」と「建築自体が多様性を持っていること」の混同が、この要因であるように思われる★8。
この2つの問題のうち、モダニズム以後、多様性を持った建築はどのように可能であるか、という一方のみに建築は取り組んできたといえる。ポストモダニズムにおける、建築のなかにさまざまな記号を散りばめるような手法は、たしかに建築に多義性・多様性をもたらした。しかし、個々の記号は一義的で硬直したものであり、多様な感受の包容という点では、成功していたとは言いがたい★9。1990年代前半から発展してきたコンピュテーショナル・デザインは、ポストモダニズムにおける記号の硬直性を批判した。
デジタル期のこのような動きは、モノとしての建築の重要性を低下させることにもつながってゆく。ポストモダニズムでは、モノとしての建築が持つ多様性に関心が当てられていた。それに対して、モノとしての建築ではなく、それを生成するプロセスが持つ多様性に焦点が移ってしまったのである。ブロッブが多様性を持っているのは、その設計プロセスのなかでさまざまな形状に変化している時だけであった。最終的にモノとして現実化されたとき、すでにひとつの形状にフリーズされていて、もはやほかの形状に変形することはないのだが、それは重要なことではなかったのである★11。
しかし、ハーマンのオブジェクト指向存在論が建築分野に紹介されたことをきっかけとして、ここ数年でアメリカを中心に、モノとしての建築についての議論が活発化してきている★12。
この議論は、モノとしての建築よりも、設計プロセスにおける、建築を生成する外部環境やプログラムなどのパラメーター同士の関係性こそが本質であるとされるようになったことへの批判から始まっている。そして、建築を生成するための諸々のパラメーターなど、抽象的なものに還元がされえない、モノそのものとして理解せざるをえない建築というものを、ここから追求しようとしている。この理論的な背景は、先に紹介したオブジェクトのアクセス不能性についてのハーマンの理論である。
アメリカでのこのような議論は、日本においてはまだあまり浸透していない★13。しかし、モノとしての建築を意識しようとする空気感は漂い始めているように思われる。ここで興味深いのは、「全体」対「部分」といった具合に、それぞれの国における関心に対照性が見られることである。アメリカにおける議論や、そこで提案されるプロジェクトは概して建築物全体についてである。それに対して、日本では部分への着目として、モノとしての建築への意識が現われてきている★14。具体的には、リノベーションのプロジェクトで、時間を刻んだ柱や梁などの古材を抽象的な要素として捉えるのではなく、それぞれがもつ特殊性(これを奇妙さと言い換えてもよいだろう)に目を向ける、といった具合である。
このような図式のなかで、須磨一清の《KOYA》[fig.4]は、独特な立ち位置にいる。《KOYA》は、古くから敷地に建っている牛小屋を、IT系企業のサテライトオフィスとしてリノベーションしたものである。
このプロジェクトをやるときは、今までとちょっと発想を変えて、もう全然いじんないと。(牛小屋の)外見はちょっと綺麗にしてやるけれど、古い土壁とか、ちょっと下の方が腐っている柱とか、やばいけど、それもいい感じだから残そうと」★15。
須磨のこの発言からわかるように、ここでは土壁や柱といった建築の「部分」への関心もあるが、それだけには回収できない、牛小屋全体への関心(そして配慮)もみられる。 《KOYA》は、牛小屋のなかに、入れ子状に鉄骨のガラスボックスが貫入された構成となっているが、両者はまったく別々に存在しているのではなく、かといって一体化もしていない。牛小屋の土壁とガラスの、人が入れるほども広くない、かといって無視できるほど狭くもない微妙な隙間。ガラスボックスに入り込む牛小屋の梁。普段は別々の構造体だが、地震の際には牛小屋がガラスボックスの鉄骨にもたれかかるという、自律とも他律ともつかない微妙な構造のあり方。牛小屋とガラスボックスの、このようなあり方★16によって、《KOYA》には多様な感受を包容する奇妙さが生まれている。そしてこの奇妙さによって、私たちに牛小屋という他の存在者の世界がほのめかされている。
「わかりやすさ」を乗り越えて、私たちがモノとしての建築が持つ奇妙さに目を向けるとき、さまざまな存在者による多様な感受を包容する建築のあり方が見えてくる。そして、そのような建築のあり方を通して、私たちの前に、未知の世界とそのなかに蠢く存在者たちがほのめかされる。そのような可能性を、スペキュラティヴ・デザインは建築に示唆している。
イギリスのデザイナー、アンソニー・ダン&フィオナ・レイビーによる『スペキュラティヴ・デザイン──問題解決から、問題提起へ。未来を思索するためにデザインができること』(久保田晃弘監修、ビー・エヌ・エヌ新社、2015)に掲載された寄稿文で牛込陽介が挙げている、スペキュラティヴ・デザインに対するステレオタイプの一例である。そして、このような表層的な理解によって、スペキュラティヴ・デザインが本来持っている多様性が失われ、単一的なイメージに陥ってしまうことを、牛込は危惧している。しかしここでは、スペキュラティヴ・デザインのプロジェクトが醸し出す「雰囲気」という、ある意味で非常に表層的な理解を、あえて始点に据えて論じたい。というのも、プロジェクトの多くが共通して持っている雰囲気こそが、ダン&レイビーが本書のなかで繰り返し訴える、文化の単一化に抗する多様な世界観を確立するうえで重要な役割を担っているように思われるからだ。
- fig.1──ダン&レイビー、
マイケル・アナスタシアデス
《原子爆弾のきのこ雲型抱き枕:
プリシラ(37キロトン、1957年、ネバダ州)》
引用出典=Dunne & Raby
不気味さについてはフロイトが、滑稽さについてはベルクソンが、それぞれ考察を行なっている★2。そして両者の考察に共通しているのが、どちらの印象も、親しみのあるものが他の存在者に見出されることで引き起こされるということである。先に挙げたプロジェクトを私たちが感受するとき、そこには私たちにとって親しみがあり理解できる(合理的な)ものから、馴染みがなく理解しがたい(不合理的な)ものまでのスペクトルがある。そして、私たちという存在者にとって不合理的なものが他の存在者にとっては合理的(または、その逆)であるとき、そこを通してその存在者が私たちに「ほのめかされる」のではないか。この「ほのめかし」によって、見る者が自分とは違う多様な世界観の存在に気づくということ。それが、スペキュラティヴ・デザインが目指す「多様な世界観の確立」の意味することではないだろうか。
人間にとって抱き枕とは、文字通り「抱く」という、機能性をもったものである。柔らかく、抱きしめると自分の体の形が残されるという点でも、親しみがもてるものだろう。しかし、きのこ雲型抱き枕の形状自体は、私たちが理解し、合理的と考えるものからは、はずれている。さらに、きのこ雲は多くの人にとっては未知の存在者である。もちろん、多くの人が写真などできのこ雲を見たことがあるだろうし、それに関する知識を持っている。ただ、それはあくまでも抽象的なイメージ(または、写真などのメディアで表象されたもの)としてのきのこ雲であって、1957年のネバダ州でのきのこ雲という、特定の、具体的なきのこ雲ではない。一方、1957年のネバダ州のきのこ雲は、きのこ雲型抱き枕をどのように感受するのだろうか。形状は、きのこ雲自身の似姿であるという点で、きのこ雲にとってある程度親しみのあるものだろう。しかし、私たちが親しみを覚える、抱き枕の「抱く」という機能性については、きのこ雲にとっては理解しがたいものだろう。このようにして、私たちという存在者に、このきのこ雲型抱き枕を通して、1957年のネバダ州で発生したきのこ雲という未知の存在者がほのめかされるのである[fig.2]。
- fig.2──存在者たちによる多様な感受を包容する対象(筆者作成)
哲学者であるグレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論(Object-oriented ontology [OOO])に従えば、この奇妙さは、スペキュラティヴ・デザインだけがもつものではなく、すべてのモノ(オブジェクト)に備わったものであると考えることもできる。ハーマンによれば、すべてのオブジェクト(ハーマンはこれを「実在オブジェクト」と定義している)は他の存在者との関係からは引きこもっていて、アクセスできないものである。その代わりに、オブジェクトは他の存在者と「感覚オブジェクト」(上の図式では「感受された対象」にあたるだろう)を通して関係をもつことができるとしている。そして、感覚オブジェクトから放射される質を、それぞれの存在は知覚している★3。
この具体例としてハーマンが頻繁に挙げるのが、「ハンマー」である。ハンマーは人間にとっては釘を打ちつけることができるという質をもったオブジェクトである。しかし、「犬やコウモリ、さらには虫は、ハンマーが持つ、人間が知覚できる範囲を越えた質に気づいているかもしれない」★4と述べるように、他の存在者たちには、人間がハンマーに見出すものとは違う質を見出している。つまり、すべてのオブジェクトは、それを知覚するそれぞれの存在者が個別に感覚オブジェクトを持ち、多様に知覚することを許容している。
建築ほど、数多くの人間や、その他の存在者たちが触れるものは、あまりないだろう。しかし、それらによる多様な感受を包容するのではなく、単一の感受しか認めないような建築のあり方が、現在多く見られるように思われる。単一の感受のみを許容するあり方とは、あらかじめ対象がどのように感受されるべきかを、対象自身が指示する、いわば一義的な状態である。さらに簡単に言い換えれば、「誰にとってもわかりやすい」建築となるだろう。このような「わかりやすさ」は、社会的な要求による部分も大きい。近年、すべてのものに「わかりやすさ」が求められるようになってきている★5。このような要求への対応方法として、建築家には大きく2つの選択肢が与えられていると思われる。
1──自身がデザインするモノに、「法隆寺五重塔」や「諏訪大社御柱」といった、それをどのように感受すべきかを示すラベルをあらかじめ貼っておく。この場合、ラベルはなるべく多くの人が理解しやすく、そしてシンパシーを感じやすいものでなければならない。
2──モノとしての建築をデザインすること自体をやめる。代わりに、地域住民参加のワークショップなどを開き、あらかじめ建築をどのように使いたいかなどの意見を集約し、それを空間のなかでコーディネートすることに専念する。
「ポピュリズム」と「草の根」といった具合に、この2つは相反しているように見える。しかし、一般大衆がシンパシーを覚えるラベルを見つけることも、ワークショップなどで人々の意見を集約することも、本質的には先に述べた、単一の感受のみを許容する建築のあり方に繋がっている★6。ここでの目的は、そのような一義的な建築のあり方そのものを批判することではない★7。むしろ、無自覚にそのあり方を追求してしまっていることが問題なのだと指摘することである。特に「2」に分類される建築家の多くは、(社会または建築の)多様性を支持し、それを追求しているつもりでいる。しかし、実際には「わかりやすさ」の要求に応え、多様な感受を排除している。それに対して無自覚であることが不適切なのである。
「多様な感受を包容すること」と「建築自体が多様性を持っていること」の混同が、この要因であるように思われる★8。
この2つの問題のうち、モダニズム以後、多様性を持った建築はどのように可能であるか、という一方のみに建築は取り組んできたといえる。ポストモダニズムにおける、建築のなかにさまざまな記号を散りばめるような手法は、たしかに建築に多義性・多様性をもたらした。しかし、個々の記号は一義的で硬直したものであり、多様な感受の包容という点では、成功していたとは言いがたい★9。1990年代前半から発展してきたコンピュテーショナル・デザインは、ポストモダニズムにおける記号の硬直性を批判した。
- fig.3──グレッグ・リン
『Architecture for an
Embryologic Housing』
(Birkhäuser、2002)
デジタル期のこのような動きは、モノとしての建築の重要性を低下させることにもつながってゆく。ポストモダニズムでは、モノとしての建築が持つ多様性に関心が当てられていた。それに対して、モノとしての建築ではなく、それを生成するプロセスが持つ多様性に焦点が移ってしまったのである。ブロッブが多様性を持っているのは、その設計プロセスのなかでさまざまな形状に変化している時だけであった。最終的にモノとして現実化されたとき、すでにひとつの形状にフリーズされていて、もはやほかの形状に変形することはないのだが、それは重要なことではなかったのである★11。
しかし、ハーマンのオブジェクト指向存在論が建築分野に紹介されたことをきっかけとして、ここ数年でアメリカを中心に、モノとしての建築についての議論が活発化してきている★12。
この議論は、モノとしての建築よりも、設計プロセスにおける、建築を生成する外部環境やプログラムなどのパラメーター同士の関係性こそが本質であるとされるようになったことへの批判から始まっている。そして、建築を生成するための諸々のパラメーターなど、抽象的なものに還元がされえない、モノそのものとして理解せざるをえない建築というものを、ここから追求しようとしている。この理論的な背景は、先に紹介したオブジェクトのアクセス不能性についてのハーマンの理論である。
アメリカでのこのような議論は、日本においてはまだあまり浸透していない★13。しかし、モノとしての建築を意識しようとする空気感は漂い始めているように思われる。ここで興味深いのは、「全体」対「部分」といった具合に、それぞれの国における関心に対照性が見られることである。アメリカにおける議論や、そこで提案されるプロジェクトは概して建築物全体についてである。それに対して、日本では部分への着目として、モノとしての建築への意識が現われてきている★14。具体的には、リノベーションのプロジェクトで、時間を刻んだ柱や梁などの古材を抽象的な要素として捉えるのではなく、それぞれがもつ特殊性(これを奇妙さと言い換えてもよいだろう)に目を向ける、といった具合である。
このような図式のなかで、須磨一清の《KOYA》[fig.4]は、独特な立ち位置にいる。《KOYA》は、古くから敷地に建っている牛小屋を、IT系企業のサテライトオフィスとしてリノベーションしたものである。
- fig.4──須磨一清《KOYA》(Photo:出口泰之)
このプロジェクトをやるときは、今までとちょっと発想を変えて、もう全然いじんないと。(牛小屋の)外見はちょっと綺麗にしてやるけれど、古い土壁とか、ちょっと下の方が腐っている柱とか、やばいけど、それもいい感じだから残そうと」★15。
須磨のこの発言からわかるように、ここでは土壁や柱といった建築の「部分」への関心もあるが、それだけには回収できない、牛小屋全体への関心(そして配慮)もみられる。 《KOYA》は、牛小屋のなかに、入れ子状に鉄骨のガラスボックスが貫入された構成となっているが、両者はまったく別々に存在しているのではなく、かといって一体化もしていない。牛小屋の土壁とガラスの、人が入れるほども広くない、かといって無視できるほど狭くもない微妙な隙間。ガラスボックスに入り込む牛小屋の梁。普段は別々の構造体だが、地震の際には牛小屋がガラスボックスの鉄骨にもたれかかるという、自律とも他律ともつかない微妙な構造のあり方。牛小屋とガラスボックスの、このようなあり方★16によって、《KOYA》には多様な感受を包容する奇妙さが生まれている。そしてこの奇妙さによって、私たちに牛小屋という他の存在者の世界がほのめかされている。
「わかりやすさ」を乗り越えて、私たちがモノとしての建築が持つ奇妙さに目を向けるとき、さまざまな存在者による多様な感受を包容する建築のあり方が見えてくる。そして、そのような建築のあり方を通して、私たちの前に、未知の世界とそのなかに蠢く存在者たちがほのめかされる。そのような可能性を、スペキュラティヴ・デザインは建築に示唆している。