東京大学 村松伸研究室

村松伸(東京大学生産技術研究所教授)

東京大学工学系大学院建築学専攻村松研究室は、建築史研究を本務とする研究室なのだが、普通の建築史研究室とは若干趣を異にしている。それは、建築史研究といえども、現在私たちがおかれた成熟社会という状況に対応すべきだとする私の信念があるからだ。

三つの時代の建築史

日本における近代的な建築史研究は、19世紀末の伊東忠太、関野貞から始まった。それから言えば、私はおそらく6世代目くらいにあたる。これらの6世代は、3つの建築史の時代に区分できる。第一世代の伊東、関野から、第二世代の藤島亥治郎、村田治郎、そして、三代目の太田博太郎、関野克たちに至る建築史家は、明治・大正・昭和初期の日本社会の勃興期のナショナリズムと平仄を合わせて活動したことから第一期の「勃興社会の建築史」と呼んでいいだろう。戦後すぐの4代目の稲垣栄三、村松貞次郎から1980年代の5代目の鈴木博之、藤森照信、陣内秀信たちが教鞭をとった時代、日本は経済的にも、人口的にも成長期にあった。体制批判は喧しかったが、未来が輝き、経済も順風満帆なこの時代の建築史家たちが目指したのは第二期の「成長社会の建築史」であった。
そして、私たちは、少子高齢化、定常経済、地球環境の危機などに直面した社会の成熟期にいる。つまり、私たちより若い世代の建築史家たちは、第一期、第二期のよい部分を継承すると同時に、第三期の「成熟社会の建築史」を模索する必要があるだろう。「成長社会の建築史」の代表格であった藤森研究室を継承した私の研究室の研究内容が、極めて散漫に映るのは、勃興社会でも、成長社会でもなく、現在の成熟社会に適合した建築史研究を新たに切り開いていこうとしているからにほかならない。

成熟社会の建築史

建築史・都市史研究の根幹は、時間・空間・ディシプリンの三つの領域を自在に飛び回ることにある。そして、その目標は、①建築・都市にかかわる思想の構築、②過去から知恵の発見・改良・提示、③過去の保全、④現在生じている不具合の原因の究明、の四つに尽きる。「勃興期の建築史」は、国家や民族のアイデンティティを愛国主義的に確立するため、古建築を発見、修理し、遺産として指定し、あるいは、公共建築のための建築の伝統を創造、発見することが要求された。一方、「成長期の建築史」は、都市的、あるいは近代の建築史の研究が必要とされ、同時に、ポストモダンの建築デザインへの支援が要請された。では、「成熟期の建築史」は、何を目標とするのだろうか?
それは、極めて簡単だ。勃興社会、成長社会、成熟社会の建築史がそれぞれ持っている関心を、①空間、②対象、③手法の三つの側面から比較してみると、すぐわかる。
①それぞれの建築史が対象とする空間範囲は、国家→都市→地球・地域・コミュニティと移っている。一国という国家の枠組みを超え、地球総体、もしくは、気候・文化に即した地域生態圏(日本は、モンスーンアジアに属している)の建築史・都市史へと広がっている。一方、ミクロに小さなコミュニティの問題への関心も必要となる。建築についていうならば、勃興社会、成長社会、そして、成長社会の建築史の関心は、様式・構造→機能→環境・感性・リテラシーへと移行している。それは建築のつくり手の関心の変化とも合致しているし、建築家のみならず、一般の人々への貢献も視野にいれる必要がある。手法に関しても、三つ時期の建築史は、発見→認識→構築へと変化してきている。成熟社会の建築史で言えば、単に分析するだけではなく、さまざまな形式を取って現実へと介入することが要請される。

村松研究室の理念

成熟社会の建築史研究は、どこかにモデルがあるわけではない。自ら問い、観察し、思索し、新たに構築する必要がある。だから、決められた本を律儀に読んだり、決められた手法をそのままなぞったりすることを推奨してはいない。常に、クリエイティビティとオリジナリティが必須となる。だがこれは、放任とは異なる。確かに、修士、博士の学生たちのテーマはてんでんばらばらではある。基本的にテーマは自分で選ばなくてはならない。それこそが、ぐいぐいと自分でどこまでも進んでいける原動力となるからだ。
当然、私の指導能力の限界を逸脱する。でも、「先生」は世界中にいるし、どんな風にテーマに向かっていくかの伴走者としてのお手伝いは可能だ。成熟社会の建築史として相応しいテーマである限り、わたしは何も言わない。むしろ、対話することで私も新しいテーマを学び、それに楽しみを感じている。それこそが教師の楽しみでもある。これも成熟社会の建築史家のふるまいのひとつであろう。

村松研究室の研究内容

現在、村松研究室で行なっている雑多なテーマは四つの系に整理することができる。

1. 建築史系:
①全球都市全史(http://global-megacities.net/)、
②五感と建築の全球史、
③日本を含む東アジア建築史、

2. 保全系:
④なかなか遺産の推進(http://nakanakaisan.org/)、
⑤まちの統合的景観・環境保全(福島県矢吹プロジェクト)、
⑥建築・まち保全の経済的手法の構築、

3. リテラシイ系:
⑦ぼくらはまちの探検隊プロジェクト(http://www.bokumachi.org/)、
⑧伊東子ども建築塾プログラム開発(http://itojuku.or.jp/course/children)、
⑨風水師養成プログラム開発、

4. 統合系:
⑩メガ都市と地球環境プロジェクト(http://www.chikyu.ac.jp/rihn/project/C-08.html)、
⑪成熟社会の都市・まち・むらのありかた研究(http://www.chikyu.ac.jp/rihn/project/FS-2014-04.html)、である。

「建築史系」は、建築史研究室の正統的な研究の姿であるが、対象を全球の人類一万年に広げたり(空間・時間の拡大)、五感との関係で見たり(ディシプリンの拡大)、やや無節操に方法、対象を肥大化させている。ここ数年は、マド[窓]の全球全史を考えている。これは視覚という認知にも地域生態系によってさまざまなバリエーションがあることを人類史のなかで明らかにしたい。「保全系」も、従来とは違う。世界遺産を補完するために、「なかなか遺産」を創設して、地域再生に貢献しようとしている。保全と経済との関係も考えたいのであるが、他分野からの学びが必要だろう。「リテラシリテラシーは、建築設計や建築計画に近似して、社会に介入する手法を構築しようとしている。「統合系」は、人工環境のひとつの建築を学ぶ私たちから、地球全体、もしくは、小さなまちやむらに対して、他のディシプリンと協働して成熟社会に合致したモデルを提示することを目指している。

推奨図書:
以下、推奨というわけではない。現在、たまたま読んでいる近刊本9冊を、方法(1、2)、理念(3、4)、建築史(5〜7)、その他(8、9)で分けて提示してみた。3カ月も経てば読んでいる個々の本は変わるだろうけれど、方法、理念、建築史、その他の枠組みそのものは基本的には変わらない。こんな感じで多様な読書を試みてほしい。




1. 保城広至『歴史から理論を創造する方法』(勁草書房、2015)
従来型の多くの歴史研究は、「木を見て森を見ない」もので、広い視野や目的もない狭隘な自己満足に終わっている。それに対して、歴史的な実証分析を行ないながら、理論を構築していく手法を説いている。具体的には複数の事例を列挙し、アブダクションを行なうことである。歴史研究の一分野である建築史・都市史研究は、同じような陥穽に陥りやすい。それを乗り越えて、普遍性を獲得するための指針として、熟読すべき本である。



2. サンキュータツオ『ヘンな論文』(角川学芸出版、2015)
研究というのは、好奇心の延長にある。それが原動力となって、どこまでも進展していく。その例がこの本には描かれている。私も「ヘンな論文」が好きで、いろいろ集めたり、書いたりした。毛沢東バッジの研究はその一事例だが、実はこれは社会主義と芸術、もしくは、大衆動員における芸術の貢献、という深い研究につながる。そんな、好きこそ研究の上手なれ、の事例がこの本には満載である。研究室ではかつて修士論文で、猫と都市、匂いと都市などの研究も行なわれた。ちなみに、この本は、研究室の助教の岡村健太郎さんに教えてもらってすぐキンドルで買って読んだ。



3. ロバート・ワトソン他『環境と開発への提言』(東京大学出版会、2015)
地球環境、あるいはサステナブルな開発に関する研究はとても範囲が広くて、蓄積も多い。6年間京都の総合地球環境学研究所で、メガ都市と地球環境に関する研究プロジェクトを行なったが、それでもやっと全体像が把握できたにすぎない。この本は、たまたまいま読んでいる本で、環境学のノーベル賞と呼ばれるブループラネット賞の受賞者たちの論考のさわりを集めたもの、簡潔ではあるが初心者にはやや難解だろう。私たちのプロジェクトの成果は、今年度中に『メガ都市とサステナビリティ:都市は地球環境と共存できるか?』(東京大学出版会、全6巻)として出版予定である。そこでは、都市と地球環境の関係をもう少し全体的に理解しやすく述べている。



4. ハーマン・E・デイリー、『持続可能な発展の経済学』(みすず書房、2005)
私たちはどういった未来を想定したらいいのだろうか。そういった強靭な問いがない限り、常に小手先で安易な解法への向かってしまう。いずれにしても、地球という限界ある世界にわれわれは生きているのであるから、それを恒常的に有効に使っていく必要がある。成長経済から定常経済を説くデイリーの論理は、経済学を深く学んだものでないとなかなか理解しにくい。だが、都市やまちやむらへの介入を担当する私たちの専門で分野であっても、向かうべき方向への確固たる指針が必要となる。同じ著者による『「定常経済」は可能だ!』(岩波ブックレット、2014)、また、ロバート・スキデルスキー他『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(筑摩書房、2014)などとともに、自分の羅針盤をつくり上げたい。



5. 河上眞理・清水重敦『辰野金吾』(ミネルヴァ書房、2015)
日本の近代建築の創始者、辰野金吾についての伝記である。建築家の伝記は、日本ではほとんどなく、これが最初であろう。コンドルではなくバージェスからの影響、美術建築への傾倒、いくつかの挫折の連鎖など、藤森さんの辰野金吾理解とは異なった、新たな像がここでは描かれている。それは、時代を担う建築史家のひとり清水さんと美術史家河上さんとの協働の成果である。もう少し分量があるとよかったが、新しい日本近代建築史のスタイルとして味読した。



6. 磯崎新・藤森照信『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』(六耀社、2015)
藤森さんの本は、とりわけ建築史研究を引退された後のものは、きわめて「怖い」。藤森さんが培ってきた人生、研究、設計の体験と、鋭い本質をついた発見が、常に充満している。細々と実証的建築史研究だけやっていると、その射程の広さには到底ついていけない。これは、学ぶべき点だし、新たな研究の種が数多く埋まっている。しかし、一方で、思い込みや捏造も多いので、それを選り分けて、本質にたどり着ける眼が読者にないと、道を誤ることとなる。そういう意味ではこれは魔性の建築史ということになるだろう。



7. 曲沼美恵『メディア・モンスター:誰が「黒川紀章」を殺したのか?』(草思社、2015)
黒川紀章さんには、数度お会いしたことがある。私たちの世代だと接触はむしろ少ない方だ。でも、その黒川さんが都知事選に出馬した時には、仰天した。この本は、高度成長社会の化身のような黒川紀章の一生をドキュメンタリー風に描いている。書く方も大変だっただろうが、描かれた黒川さんもくたびれただろう。現代の建築史をいかに描くか、同時代をいかに理解するかのひとつのモデルとなる。知った人たちがたくさん出てくる。ちなみに、私は大阪万博のときの黒川さんに憧れて、建築を志した。これも現代史だが古い話だ。



8. 谷川俊太郎『悼む詩』(東洋出版、2015)
小説や詩やマンガや音楽や絵画など、すべてのアートは、心を癒し、生きるための力をくれる。暇に任せてこの小さい本を読んだ。友人、知人の死に際して、どんな言葉を紡げるかは、祝い歌よりも真実が吐露されやすい。父、谷川徹三の死に対する動揺、冷静、そして、深い祈りのような詩は圧巻だ。そして、悼む詩からは、悼まれた方の生き方、死に方に、しみじみと共感させられる。詩人矢川澄子の短く、簡潔な追悼の詩の背後に、情熱、恨み、諦観、さまざまな72年の人生が屹立している。私たちは何のために建築を学ぶのか。社会にとってであるかもしれないが、喜び、口惜しさ、疲労、痛み、快感という自分の生きる心身に立ち戻って考える必要がある。そのとき、詩のみならず、アートは、大いに役立つはずだ。



9. 村松伸『大地を支える─あと千回の逆立ち』(2019年出版予定)
これはまだ出ていない本。私は、ほぼ毎日逆立ち(正確には頭立ち)をしていて、それをFBにアップしている。少しばかり、ヘンかもしれない。でも、歳を重ねていくといろんなことを考える。それによって、さまざまな思索が深まり、バラバラな事実が融合し、新たな発見(どんなところで逆立ちしたいか、それが環境的に、風景的にどんな意味を持つのかなど)を獲得する。さらに老化への諦観も少しずつ獲得している。4年後の退任までには、この本を出版するつもりだ。副題は敬愛する山田風太郎の『あと千回の晩飯』に倣いたい。だからと言って研究室の学生たちみなに逆立ちしろ、と言っているわけでない。念のために。


201505

特集 研究室の現在
──なにを学び、なにを読んでいるか


経験としての建築研究室──学んだこと学ばなかったこと、そして考えたいこと
東京大学 村松伸研究室
明治大学 青井哲人研究室
東京電機大学 横手義洋研究室
首都大学東京 饗庭伸研究室
東京藝術大学 中山英之研究室
慶應義塾大学SFC 松川昌平研究室
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東洋大学 藤村龍至研究室
明治大学 南後由和ゼミナール
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