新しい哲学と「オブジェクトa」

瀧本雅志(岡山県立大学デザイン学部准教授、表象文化論・哲学)
新しい哲学の流れが、ここ数年の間でいよいよ活性化してきている★1。そして、建築の世界では、そうしたポスト・ポスト構造主義とも呼ばれる哲学と共振しているかのような制作のモードが、すでに一部の建築家たちのもとで実行されてきているようにも見える。ならば、それらの哲学と建築の新たなる出会いが、今後生産的に交わされてゆくことになるだろうか? しかし、少なくとも現状はまだ、建築の議論では、依然構造主義・ポスト構造主義系の思考が幅を利かせている。むしろ、それらは英語圏を中心にますます一般化の度合いを増している感さえあり、とりわけ表象文化論的・メディア論的な建築論、あるいは建築とほかの芸術領域(特に視覚アート)との境界や複合関係を分析するメディウム論などで援用されては、以前にもまして数多くの論考をグローバルに生み出している。だとすれば、仮にいまを新しい哲学と建築(およびその新たな関係)への転換期と見なすとしても、それは構造主義とポスト構造主義の単なる後退と、ポスト・ポスト構造主義への漸進的な交替を示すのではないかもしれない。むしろ事実は、ポスト・ポスト構造主義の台頭と並行しながら、構造主義・ポスト構造主義系の建築論も拡張しているかもしれないのであり、その意味でまず注目しないといけないのは、両者の交錯や分離と、その興亡を左右する互いの差異であるだろう。

2007年4月、ロンドンのゴールドスミス・カレッジで、哲学者のグレアム・ハーマンやクァンタン・メイヤスーらが「思弁的実在論(Speculative Realism)」という題名のワークショップを開く。これは、それまでの哲学からのいわゆる「思弁的転回」をマニフェストする大きな機会ともなり、以降この新しい哲学は英語圏を主軸に活気ある潮流を形成してゆく。ところが、まさにこの同じ2007年の4月、アメリカのプリンストン大学で建築とアートの関係をめぐるシンポジウムが開かれているのだ。題名は、「Retracing the Expanded Field」。美術史家・美術評論家のイヴ=アラン・ボワ、ベンジャミン・ブクロー、ハル・フォスターをはじめとする錚々たるメンバーが集結したこの会で議論のテーマとなったのは、1979年に批評誌『オクトーバー』に発表されたロザリンド・クラウスの論文「拡張された領野における彫刻(Sculpture in the Expanded Field)」★2だった(クラウス当人も、シンポジウムに登壇している)。この論文はよく知られる通り、60年代から70年代にかけて登場してきた新しい種類の彫刻が重大なる芸術上の転回を果たしたことを、(当時の大方の批評とは異なり、単なる発展的展開や多元主義で事済ますのではなしに)構造主義的な差異関係でその位置づけを捉え返そうとしたものだった。そこでは、彫刻と建築とランドスケープが、差異の論理的パラメーターとして、四角形のダイアグラムのうちに配置された[fig.1]。そのため、それは、建築とは何であり、また何ではなく、さらには(パラメーターの組合せ操作により)建築は(論理的には)何になりうるかを考えるうえでの重要な規準点としても、以来長らく参照されることになる。上記のシンポジウムは、いまや建築の領域範囲がいよいよ不分明さを加速させてきた目下の状況を受け、クラウスの構造主義によるこの「アート×建築」論を再読しリツールする機会を講じたのである。よって、それはまさにポスト-構造主義的とも言いうるイベントであり、件の図が引かれた当時の状況を再考する(つまり、当時に引き返す[リトレース])とともに、いま現在の「アート×建築」の文脈にあわせてダイアグラムを編成し直す(つまりは、図を引き直す[リトレース])ことが企図されていた。では、はたしてわれわれは、新しい建築へ向けて、このダイアグラムをどう引き直せるだろうか?



fig.1(ロザリンド・クラウス「彫刻とポストモダン」[『反美学』勁草書房、1987]より)

さしあたり、それらの建築を概略的に捉えるなら、物的な要素エレメントどうしを、その接合の関係性=構造をあらかじめ先立って考えることなしに、アドホックにブリコラージュしているようにも見える。それらは、いわゆる映像的なイメージ建築ではまったくなく、まずはバラバラに離散したモノオブジェクトを起点にして制作を試みているようだ。また、それは最終的な総合へと確定的に至る(=作品化する)つもりはなく、むしろ「プロトタイプ」★3的に暫定的なモノオブジェクトの組合せが提示されているふうでもある。よって、それは非−平面(反a)と非−総合(反A)との組合せ項①として、fig.2のように位置づけられそうである。そして、この論理関係を展開してゆくなら、それがほかのタイプの建築との間で示す差異も描き出されることになるだろう。



fig.2(筆者作成)

こうした構造主義的な図式は、(このfig.2それ自体の精度は目下さておくとして)建築の世界内での新しい建築の位置づけ、もしくはそうした建築が論理的にも存在しうる可能性を、とりあえずも示してみせる。それが、まさに構造主義の示す大きな利点だと言えるだろう。だが、もちろんこの種のダイアグラムにも問題がないわけではない。既にフレドリック・ジェイムソンが『政治的無意識──社会的象徴行為としての物語』(平凡社、2010)でその使用にあたって指摘し、例のシンポジウムでも多くの論者が懸念を表わしていたように、こうした図式は歴史の矛盾やダイナミズムを捨象した静態的なものにすぎず、きわめて観念的な閉止・完結性によって図の形式的統一性が仮構されているにすぎないのだ。逆に言うなら、それは建築、とりわけ新しい建築についての特定のイデオロギー的意識を、四角形のなかに封じ込め、そうした意識の限界圏こそを輪郭づけているとも言える。そこで、いくぶん図式的すぎるかもしれないこの建築上のイデオロギーの囲いを脱し、これを外の歴史へと開くべく、さらにもうひとつの図式(fig.3左)へと移行してみよう。そして、fig.2における①の項は、本当にfig.2の範囲内に建築として留まりうるものなのかを、再考してみることにしよう。



fig.3(筆者作成)

fig.3左は、fig.2をある意味では書き換えたものである。しかし、そのことでそれは、おそらく建築が生まれる際の、基本の4項からなる図式へと変わってゆく。すなわち、空−間、物、図面、建築の4項である。そして、いまこの4項の関係性をストーリーづけるなら、建築とは、バラバラのエレメントを図面で描かれたイメージの全体性でまとめて建−物の形にすることを通じて(いまのそれは「総合」というより「ゲシュタルト化」である)、空間に意味をもった建造物を表出させる営為かもしれない。仮にそのような方向でfig.3左を考えてゆくなら、それは、建築というジャンル自体を、その生成の歴史へと開いた図式に近づくだろう。一方、この図の右に記したのは、ジャック・ラカンの「シェーマL」である。いまや、左右両図は近似してきたふうにも見えるが、ラカンの図のもとでは、「a」は実は、示された位置からの移動性や脱落性を孕んでいる。それは、左図と重ね合わせるなら、「建−物a」がゲシュタルト崩壊しまとまった形を失って、単なる物へとバラバラに分裂し離脱してゆく契機を示すだけではない。実のところ建築とは、その存在が欠如した無の空−間をめぐって構造のなかで立ち上げられてゆく技術テクネー的な主題サブジェクト[S-Aの対角線]なのだとすれば、そうした建造物たる建築は、イメージのなかで形をまとめられた建−物の方向軸(a-a´の対角線)とは、そもそも異なる位相にあるものなのだ。よって、ある「物a」について言えば、それは、意味ある建築の主題サブジェクトとはけっして完全には合致することなく、かえって建築の意味構造のレベルでは表出され難い穴を形成することになるかもしれない。言い換えるなら、空−間において建築という主題サブジェクトが立ち上がる際、そのいわばスイッチと見なせる境位(エレメントであったかのようにして、建築の構造それ自体からは排除されてゆく無意味な「物オブジェクト」aが、ラカンがいうところの対象オブジェクトaのごとくリアルに穴のように現出しかねないのである。

要するに、あるモノオブジェクトは、建築という主題サブジェクトを生む構造からは排除されて、構造主義的なダイアグラムから脱去してゆく。つまりは、fig.2からはfig.3へと移行する方向が開いているかもしれず、fig.3右から脱去した場合のモノオブジェクトは、もはや建築のエレメントでも何でもなくなり、リアルな物へと変位してゆくのだ。よって、モノオブジェクトはfig.2の①の項のうちに落ち着いたままとは限らず、①の項は建築の世界内には必ずしも定着し難いのかもしれない。それにそもそも、モノ=オブジェクトが離散した状況でのモノオブジェクトへの働きかけは、(少なくとも狭い意味では)なかなか建築であるとは考えにくく、あえて言うなら、建築というより、広い空間にわたって離散した対象オブジェクトどうしを調整するランドスケープ・デザインに近接するだろう(あるいは、フランク・ゲーリーのように、fig.2左の「総合」の側へ回って[=アンチエイリアス処理?]、建築を彫刻化する路線も選びうる)。いずれにせよ、ここで重要なのは、ラカン的な図式では、排除された対象オブジェクトaが不意に図式のなかへ戻ってくる契機にこそ目が向かって(もしくは見入られて)いる点である。つまりは、「リアルなモノオブジェクト(実在的対象)の回帰」というわけだ(これは、たとえばアンソニー・ヴィドラーにとっては、「不気味な建築」というテーマになる。そして、図2の①の項は、ヴィドラー流の「不気味な建築」にもなりうるポジションかもしれない。しかし、いずれにせよ、それは不気味ではあれ、いまだ建築だ)。また、いまこうして見てきたように、構造主義的な図式間の移行・変形・横断に伴走したり、ある構造自体の失調も含めた再編の動態に注目するのが、いわゆるポスト構造主義的な振舞いだと言えるだろう。しかし、ここでも同じく、構造から脱去したモノオブジェクトがしかも複数バラバラに離散しているような状況から、本当に思考を開始してゆくような方位は、結局は開かれることになっていないのかもしれない。そのうえ、ポスト構造主義は、構造から脱去したモノオブジェクトを、諸構造を包む外のひとつの流体的な全体性のなかで(個というより、波動や微粒子として)捉えてしまうホーリズム的な傾向がある。また、構造主義もポスト構造主義も、モノオブジェクト自体より、言語をモデルとした構造やシステム、そしてそれらと相関的な主題=主体サブジェクトの表象に(たとえ批判的な意図からであっても)主に関与するから、ともすれば、それは人間的・文化的・高踏的すぎるふうにも見なされかねないだろう。

あの2007年のシンポジウム「Retracing the Expanded Field」を書籍化した本★4は、なぜか2014年になるまで出版されない。その理由はさしあたり不明だが、この間、「思弁的実在論」のほうは、新しい哲学として確実に勢いを増してくる。一方、すでに述べたように、構造主義・ポスト構造主義系の建築論は、なおいっそう一般化の度合いを深めてゆく。とはいえ、実を言えば、それらはすっかり思想のモードとしては定番化してしまい、アカデミズムすぎる嫌いが否めない論文もそろそろ登場しだしたのが、この数年だった。粗く言えば、構造主義もポスト構造主義も、いかなる構造のなかで何が起きているかを、構造との相関において「読む」思考だろう。もしくは、構造が立ち上がり意味が生起するという「非物体的な」出来事を特権視したり、構造の要に位置する「何者ともいえない無」が構造内を浮動することで構造内の布置を(主体の意識を超えて)再編してゆくさまを、「否定神学的」なシステムとして捉えてゆこうとする。また、それらは、特定の既存のメディウムの世界だけではなく、その外の(ポスト・メディウム的な?)諸力の分析へ向けても意欲を見せる。つまり、そこには、つねに物よりも上に、先んじて構造や関係があり、もしくは、つねに物よりも下に、先んじて構造や関係性なき力の流動的な全体性が認められている。だが、モノオブジェクトだけの世界へ向けて、諸々のモノオブジェクトが構造から脱去し、それらがブツ切れの状態で離散化してしまう方向への非構造化的な出来事は、どうして起きるとは考えられないのか? そして、そうなった暁の、「先立つ神なき、超越的な人間なき、全体性なき、既定の関係性なき、先験的な構造やシステムなき」モノオブジェクトの多数性からなる世界を、はたして実在論的に思考することはできないものなのか? そして、そのなかで、切断された個別のモノオブジェクトからモノオブジェクトへと、接続によって何が起きるかを試行すべく、つねに暫定的かつ局所的にネットワークを形成してゆくこと(あるいは、無関係なままでいること)。......約言するなら、こうした方位こそが、「思弁的実在論」の指向するそれであるだろう。とはいえ、ポスト構造主義の否定神学的システム(それはまた、資本主義のシステムでもある)の世界からするなら、そんな別世界へとわれわれは、そう易々と到達しうるものなのか?

2011年3月11日、東日本大震災が起こる。それは、人間がそれまでに設定したさまざまな関係づけを一気に崩壊させる非構造化的な出来事だったかもしれない。むろん、それで世界はけっして終わったわけではなく、いまも物理的な法則は不変だし、引き続きそれは以前の世界の一部であるだろう。たしかにそうも言えるが、このとき、壁、柱、梁、屋根、窓、土台、土、道、崖、草、木々、山、空、鉄塔、電線、車、船、埠頭、岩、波、海、空気、等々が、それまであてがわれていた人間的な関係性の軛をいったん解かれて、その明確なる個物性・オブジェクト性を、(残酷なまでに)新鮮に放ち始めたのかもしれない。そして、さまざまなモノオブジェクト(自然、物、人間、等々)が、新たな関係をモノどうしで自ら結んだり(例えば、津波に洗われ、いまや骨組みだけになった建造物に、夥しいばかりに引っ掛かっている海藻やゴミ)、かつての人間的な関係性の残骸を何の感傷のかけらもなく使っているリアルな領野が、くっきりと開けてきたかもしれないのだ★5。幸運なことに(もしくは残念なことに?)、こうした別世界は、あまりにも人間的な者たちの眼には、たぶん見えてくることはない。しかし、あるモノオブジェクトたちにとっては、そうした新しい世界が以来クリアに明るく開けている。2007年から2014年までの間に、日本ではそうした世界へとジャンプさせる大きな穴が開いた可能性がある。もちろん、これは言うまでもなく異世界へのロマン主義などではなく、ポスト・ポスト構造主義的思弁スペキュレーションの新たなる建築aへ向けた投機的スペキュラティヴな例示のつもりだ。いまも続くと思われる以前からの世界では、構造主義もポスト構造主義も、それらのモノオブジェクトをそこへと回収し復興することだろう。

では、新しい哲学の流れが生まれてきた元の英語圏ではどうだろうか? ポスト・ポスト構造主義と新しいタイプの建築が生産的な出会いを交わしている例は、具体的に登場してきているだろうか? 寡聞にして、断片的な理解しか残念ながら記せないが、「思弁的実在論」の最大のスポークスマンとも言うべきグレアム・ハーマンは、ハイデガーの建築論・道具論を自らの哲学の重要な要素としてアレンジしていることもあって、建築関係の組織や教育機関で、ここ2~3年講演等をいくつか行なっているようだ(たとえば、Pratt Institute School of Architecture)。また、実際の建築の世界の動向と、ポスト・ポスト構造主義を関係づけようとしている議論で、筆者の目に留まったまだ数少ない例のひとつとしては、ジョエル・マッキム(Joel McKim)の論文「Radical Infrastructure? A New Realism and Materialism in Philosophy and Architecture」が挙げられよう★6。以下、マッキムの文章を参考にしつつ、じつは哲学者によってさまざまに異質な方向を孕むポスト・ポスト構造主義と、建築とが、どう重なりあうかをほんの少しばかり探ってみよう。

ゼロ年代のアメリカでは、いっそう悪化する郊外へのランダムなスプロールや、ポスト産業の時代に対応しきれぬ旧来的な都市構造の破綻(たとえばデトロイト)を前にして、建築家・建築理論家のスタン・アレン、R・E・ソモル、サラ・ホワイティングたちが、建築の政治面・社会面での実践的有用性への回帰を訴え、「インフラストラクチュラル・アーキテクチュア」を主張してきた。また、ランドスケープ・デザインの事務所フィールド・オペレーションズのジェイムズ・コーナーは、「ランドスケープ・アーバニズム」を主唱し、ホーリズム的で生態学的な観点から、いくつかのプロジェクトを進めてきた。彼らは、無秩序に分断・混合された自然と郊外と都市を関係づけし直したり、ゴミ処理場(フレッシュ・キルズ)や貨物用高架鉄道線路跡(ハイライン)の公園化等で、自然や生物、レジャーやスポーツ、文化イベント、コミュニティ活動等を複合し重層的に関連づけた場をデザインしてきた。しかし、彼らは、そうした実践を第一義とするなかで、テクストやコンテクスト分析・文化分析に傾いていた以前の建築からは離れ、ひいては哲学(上部構造?)にも背を向けてしまう。けれども、マッキムが述べるように、(人間も含めた)すべてを等し並にモノとして非人間的に扱うそれらは、ジェーン・ベネットらの「ニュー・マテリアリズム」(新しい唯物論/広い意味では、思弁的実在論と類同的に考えられることもある)と非常に親近性が高い。また、自然界の生物も地域住民も人工物もエネルギーも、すべてランドスケープ内で自ら関係性の網の目を接続・切断してゆくエージェント(作因・媒介)として機能させてゆく点では、「アクター・ネットワーク・セオリー」(やはり、ポスト・ポスト構造主義のなかに入れられる)とも考え方が近いだろう。そして、マッキムがそれらの哲学を建築に接続させようとしているのは、モノオブジェクトをけっして人間は支配しきれぬことをそれらが省みさせるからなのだという。つまりは、それらは、建築の謙虚さのための倫理学になりうるだろうというのが、その論旨なのだ。

しかし、(マッキムも理解しているが)少なくともハーマンの哲学では、モノオブジェクトはそれらの間の関係に先立って存在する。そこでのモノオブジェクトは、必ずしも物的マテリアルでもなければ関係保持的リレーショナルでもなく、人間もモノのうちに含めて、モノどうしは互いにまったく無関係なのがかえって通常の状態である。そして、そこで第一哲学となるのは、倫理学ではなくむしろ感性学である。ならば、マッキムの考えるような、新しい哲学の建築への寄与は、ハーマンの「オブジェクト指向存在論」には、期待し難いだろうか? じつのところ、そもそもハーマンの哲学は、よく言われるようにプログラミングでの「オブジェクト指向」を示唆するどころか、ほとんどが「オブジェクト指向」そのものにも見える★7。それは、われわれのコンピュータや携帯のネットワーク世界の現状を哲学化したものと言えるかもしれず、そうであるなら、建築は特に新たな哲学の思弁に触発されるまでもなく、(議論のツール以上の?)格段の「魅力」を哲学には見出しにくいかもしれない。たぶん、いまのネット社会でそれらしく振舞ってゆくなら、建築はそれなりに、予定調和的にポスト・ポスト構造主義的にも(ハーマンふうのみならず、とりわけ「関係性リレーショナルの美学」的にも)になってゆきうる。だとすれば、その意味からも、哲学と建築が今後、本当に生産的な出会いを遂げてゆくとするなら、それは、(これまで以上に?)じつに貴重な事態の到来と言いうるだろう。


★1──とりわけ、『現代思想』誌(青土社)の2013、14、15年の各1月号の特集を参照のこと。
★2──邦訳は、ハル・フォスター編『反美学』(室井尚+吉岡洋訳、勁草書房、1987)、および、ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復』(小西信之訳、リブロポート、1994)に所収。
★3──ここでの「プロトタイプ」というタームは、エリー・デューリング「プロトタイプ」(武田宙也訳)、『現代思想』2015年1月号所収、を意識している。
★4──Spyros Papapetros and Julian Rose, ed., Retaracing The Expanded Field, MIT Press, 2014.
★5──こうした場面の記述は、建築写真家・山岸剛による、驚くほどモノが明瞭で清新な震災後の光景の写真を参考にしている。また、山岸の写真に触発されて、新たなる建築への意志を表明している建築家・青木弘司の文章からも、大きな触発を受けている(彼の文章の凄さは、http://kojiaoki.jp/works/detail/4をあたって実感してみていただきたい)。もちろん、ここでは、彼らの建築(写真)が真底ポスト・ポスト構造主義的かどうかについては、判断を保留したい。というよりも、殊写真については、そもそもポスト・ポスト構造主義的な写真がありうるかどうかという疑問さえ、じつは浮かぶからだ。しかし、それでも、上にも記したような構造主義やポスト構造主義とは存在論的にやはり異なる類のモノオブジェクトへと、山岸と青木は向いているかもしれない。少なくとも筆者にとって、彼らは、ポスト・ポスト構造主義と生産的に出会いうる建築(写真)の目下の最高の参考例となっている。
★6──Nadir Lahji, ed., The Missed Encounter of Radical Philosophy with Architecture, Bloomsbury, 2014.という論集に所収されている(http://www.academia.edu/6158175/Radical_Infrastructure_A_New_Realism_and_Materialism_in_Philosophy_and_Architecture?login=&email_was_taken=trueでも、閲覧は可能)。
★7──ハーマンの考えは、オブジェクトにくわえて、われわれのオブジェクトへの(フッサール的意味での)志向(=知覚空間)すらオブジェクトとする点で、「オブジェクト-志向存在論」だとも言える。




瀧本雅志(たきもと・まさし)
1963年生まれ。岡山県立大学デザイン学部准教授。表象文化論・哲学。共著=『モードと身体』(角川書店、1993)、『表象のディスクール 4』(東京大学出版会、2000)、『ドゥルーズ/ガタリの現在』(平凡社、2008)、ほか。訳書=ヴィレム・フルッサー『デザインの小さな哲学』(鹿島出版会、2009)、『Supergraphics』(BNN新社、2011)ほか。


201502

特集 空間からエレメントへ──ニュー・マテリアリズムの現在


反-空間としてのエレメント
エレメントと時間:《調布の家》
エレメントとエデュケーション──型と道からなる日本の建築デザイン:《Mozilla Factory Space》
建築におけるアクター・ネットワークとはなにか:《高岡のゲストハウス》
新しい哲学と「オブジェクトa」
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