建築におけるアクター・ネットワークとはなにか:《高岡のゲストハウス》

能作文徳(建築家、能作文徳建築設計事務所主宰)

イメージからナラティヴへ

私たちは、今日、急速に発達しつつあるグローバリゼーションの波のなかにいる。経済危機、大災害、テロリズム、技術革新など、局所的な出来事が、全世界に影響を及ぼすようになった。そのため社会の不確実性はますます大きくなっている。グローバル化に影響を受けたあらゆる産業は、その産業そのものを維持していくために、生産と消費のスピードを上げて収益を得る。その結果モノのサイクルはより短期的になっていく。あらゆるモノは新しく実装されなければいけなくなり、次々にモノは時代遅れになっていく。たとえばコンピュータや携帯電話などを想像してもらえればわかりやすいだろう。技術のイノベーションが起こるごとに、人間のほうが機械に合わせて、それを使う能力を必死にインストールしていかなければいけないのである。さらに消費を促進するためには新しいイメージが必要となる。百花繚乱のイメージは際限なく生み出されては消えていく。人々はそのイメージがどんな意味をもつのか、どこから来たのかわからない混乱のなかで消費し、イメージを生産する側も、なにがいいのか、なにが悪いのか、確信のないままにつくり続けていくのである。そのことによって、自分とは無関係なモノで世界は溢れていく。

このように、グローバル化に伴う市場原理や産業構造のなかに、人々は従属していくしかないのか。必ずしもそういうわけではない。なぜならグローバル化は単一の現象ではなく、その逆の作用も引き起こすからである。つまり、グローバル化による弊害を是正するために批判的で多様な実践が行なわれることで、世界中のローカルな価値やアイデンティティの復興を同時に促すからである。そうした実践を担う人々は、市場原理のなかで利己的充足を満たしていくだけでは、自らの幸せが得られないことに気づき、他人とともにあること、利他的で協調的な行動のなかに幸せを見出していく傾向にあるはずである。新品や目新しいものよりも、たとえささやかであったとしても、人々は歴史との接続を感じさせるもの、世界を文脈化するものに魅力を感じるようになると思われる。言い換えると、イメージからナラティヴへ価値が転換していくのである。

ナラティヴを創出するアクター・ネットワーク

では、ナラティヴを生み出すとはどういうことだろうか。たとえば、料理におけるナラティヴとは何か考えてみたい。料理に使われている野菜は、どこの畑で採られたのか、誰がどのように育てたのか、その畑はどのような土壌でどの水源を利用しているのか、遡ることができる。もし生産者に会うことができ、その野菜を育てる苦労や喜びを聞くことができたなら、その料理は豊かな意味をもつことになるだろう。このように野菜を履歴やプロセスを内在したアクターと捉えるならば、野菜はナラティヴな価値を生み出すものと捉え直されるのである。そのようにみれば、料理とは、さまざまなナラティヴを伴った食材の結び目といえるだろう。

しかし実際に料理を食べるときに、そのような食材の履歴やプロセスについて知ることは少ない。スーパーやコンビニで買った食材は、生産地までは表示されていたとしても、誰がどのようにしてつくったかまでは、明らかにされることはない。それは食品産業が市場に展開したため、生産者と消費者の顔が見えないようになったからである。つまり食材の履歴やプロセスについてはブラックボックス化されてしまったのである。たとえば、テレビ番組で農家が汗水を垂らして食材を育て、料理人が試行錯誤の調理法で渾身の一皿を生み出すのを知るときに、ブラックボックス化されていた食材の履歴やプロセスの一部が開けられて、食材をめぐるナラティヴが視聴者に届けられる。

このように、野菜は単なる物質ではなく、履歴やプロセスが内在しているという意味でアクターである。それらのアクターは、自然だけでなく社会的なネットワークのなかにある。このようなアクター・ネットワークは、あるときには明示されていたり、またあるときには隠されていたりする。ネットワークの一部が明るみに出るときナラティヴが創出される。些細なものであっても、豊かなネットワークのなかに組み込まれていることを知ることによって、世界はより文脈化されるのである。

《高岡のゲストハウス》におけるネットワーク

建物は建築資材というモノの集合によってできている。建物の空間構成に重きを置いて捉えたならば、モノは空間を構成する部品でしかない。モノに内在した履歴やプロセスに着目するならば、モノは能動的なアクターとしてストーリーを語りはじめる。建物はさまざまなモノをひとつの場所に繋ぎ合わせるネットワークの結び目となるのである。

《高岡のゲストハウス》(2013)は、富山県高岡市にある私の実家を改修して祖母の住まいと家族や友人が宿泊できるゲストハウスをつくる計画である[fig.1─3]。この家には、祖父母、父母、子どもの3世代が住んでいたが、今は祖母がひとりで住んでいる。ひとりの住まいにしては広すぎるため、家の一部を食堂やゲストルームにつくりかえて、家族や友人が集まれる場所にする。既存の建物は築40年の瓦屋根の家屋であり、これを壊して新築するのではなく、部分的に解体しては修繕をするという計画である。解体したマテリアルを再利用して次の建設資材として使い、敷地内で生じる段階的なマテリアルフローによって建築をつくろうとする試みである。具体的な建設のプロセスは、第1期工事では既存の座敷に水回りを増築して祖母の住まいにし、第2期では2階建て部分を解体して、既存の瓦小屋組をクレーンで吊り上げて新築の壁の上に移設し、既存の瓦を貼り直す。第3期では寝室をゲストルームに改装し、第4期では既存のマテリアルを再利用して庭を整備する。このような段階的なプロセスによって、祖母が引っ越しせずに、住みながらつくることができる。敷地内にあるモノを再利用することで、モノによる新陳代謝のネットワークをつくろうとしている[fig.4]

fig.1──富山県高岡市の実家

fig.2──解体したマテリアルの再利用

fig.3──《高岡のゲストハウス》内観

fig.4──改修計画プロセス

計画地は、瓦屋根の古い住宅、建て売りの新興住宅、所々に残された水田が入り混じった、田舎の住宅地のありきたりな風景のなかにある。周辺の建物は、壁はトタンやサイディング、窓はアルミサッシで、その多くの屋根には瓦が葺かれている。そのなかでも、瓦屋根はこの場所にとってはありきたりな建築の要素であるが、地域で共有された要素でもある。もし建築家がこの場所で何か空間イメージを造形にしようとするならば、瓦屋根は邪魔ものでしかないかもしれない。しかし、ありきたりなモノほど地域の風景にとってはローカルなネットワークを形成する重要なアクターになるのである[fig.5, 6]

また、祖父母は高岡の伝統産業である銅器製造を生業としていたため、家には銅製の火鉢、香炉、文鎮、置物などが残されている[fig.7]。さらに座敷にある木彫が施された欄間や雪見障子は、家族にとっては懐かしいものである。既存の塀や外壁、土間に使われていたタイルや石なども庭の舗装として再利用する。新品の建物を望むならば、これらは古くさくて、ノスタルジックすぎるかもしれない。しかし家に残された銅器は高岡の町の伝統産業を、欄間や雪見障子、庭は家族の記憶を生き生きと語るアクターとなるのである。これらのモノを廃棄するのではなく、引き継いでいくことが、歴史や時間のなかに私たちが生きていることを感じさせるはずである。

fig.5──瓦屋根がつづく街の風景

fig.6──ネットワークを形成するアクターとしての瓦

fig.7──実家に残る銅製製品

アクター・ネットワークと全体性の修復

《高岡のゲストハウス》は、住宅の改修という些細なプロジェクトかもしれない。しかし小さな建築であっても、私たちが生きている場所や時間が、より大きな全体性のなかにあると感じられるようにすることができるはずである。ここでいう全体性とは、建物で完結した空間的な全体のことではなく、建物を含んだ風景や街並、建設資材の生産地、地域の人々、家族や生活のしかた、場所の歴史といった建築に関係づけられたネットワークの全体のことを指している。

これまで建築作品と呼ばれるものは、人やモノのネットワークとはあまり関係のない空間イメージのほうに重きが置かれていた。その多くは芸術という名のもとに、アクターとの接続ではなく切断を図ることによって建築の自律性を高め、建築的な価値を主張してきた。そうした自律性は、どの芸術のジャンルにおいても探求すべき事柄のひとつであろうと思う。しかし現代の建築家に突きつけられているのは、自律性の探求に逃げ込むことではなく、グローバル化によって引き起こされた無関係なものに溢れた世界や断片化したネットワークを、建築を通して修復し、より大きな全体性として描き出すことではないだろうか。

そのためには、文化人類学者が未開の地を観察するように、現代社会に生きる私たちがどのような枠組みのなかで思考し、行動しているか、どのようなアクターが相互に関係しているかを観察しなければならないだろう。そして私たちは観察者であるだけではなく、自分自身もアクターであり、ネットワークの一部であることをより意識しなければならないだろう。そうした前提のもとに、人だけでなく、モノも履歴やプロセスを内在したアクターとして捉えること、そしてありきたりなモノこそがローカルなアクターを担っていることを認識すること、それらのアクターを建物のナラティヴな資源として捉え直すことが必要になるはずである。ただ、それらの多くは産業構造のなかに動かしがたいかたちで固定されているか、ブラックボックス化されることで誰の目にも留らないように隠されているかもしれない。しかし、建築をつくることによって、ネットワークの一部に光を当てるができれば、建築は、私たちの生きている世界がどのようなものであるかを明らかにし、全体性を修復することができるのではないだろうか。

参考文献
★アンソニー・ギデンズ『暴走する世界──グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(佐和隆光訳、2001、ダイヤモンド社)
★ブルーノ・ラトゥール『虚構の近代──科学人類学は警告する』(川村久美子訳、2008、新評論)
★ブルーノ・ラトゥール『科学がつくられているとき──人類学的考察』(川崎勝+高田紀代志訳、1999、産業図書)




能作文徳(のうさく・ふみのり)
1982年生まれ。建築家、能作文徳建築設計事務所主宰。東京工業大学大学院建築学専攻助教。http://nousaku.web.fc2.com/index.htm


201502

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