反-空間としてのエレメント

門脇耕三(明治大学専任講師)

「空間」の誕生

建築における「空間」という用語は、1890年代以前には存在しなかったという★1。19世紀末といえば、ヨーロッパでは建築が過去の様式から解き放たれ、それまでの文化的連続性に依存しない建築のあり方が模索されはじめた時期である。すなわち「空間」という概念は、近代建築とほぼ時を同じくして誕生した。
当初、ドイツ語の著述にしか見られなかった用語である「空間」は、ジーグフリート・ギーディオンが『空間・時間・建築』を1940年に出版したことをもって、英語圏にも広く用法が普及する。その間、「空間」にまつわる言説は次々と追加され、意味内容は発展を続け、ついに「空間」は、20世紀の建築にまつわる最重要概念の地位を獲得することとなる。
かくのごとく「空間」が、20世紀建築の欠かせざる要素として認識されるに至ったのは、「空間」が本質的に、事物の属性を表わさない概念であることによる。「空間」は、建築の最も非物理的な属性なのであり、「空間」という概念を導入することによってはじめて、建築の物理的な要素は、ただの「モノ」にすぎないと見なしうることとなった。このとき建築は、具体の事物に先立ち、純粋に精神のみによって構築可能な体系へと昇華したのであり、その根底には、意思によって論理的に世界を認識し、現実を思弁的に征服しようとする態度を見出すことができる。こうした態度こそ、「近代精神」と呼ばれるべきものの表われなのであるが★2、ゆえに「空間」という概念の発展が近代建築と歩みを一つにしたことは、ある意味で宿命的であった。

「エレメント」の台頭

20世紀の建築が、「モノ」から自律した体系を打ち立てるに至ったことは、果たしてひとつの勝利であった。自己の意識によって世界のすべてを位置付けようとする決意は、合理主義・機能主義・実利主義のみに立脚し、文化と社会を再構築しようとするイデオロギーとして結実し、ここに近代主義、すなわちモダニズムが成立する★3。同時にモダニズムには、合目的的ではない存在を排除する決意も込められていたのであるが、排除の対象には、過去の歴史的様式や伝統的慣例も含まれていた。そして、この決意によってこそ建築は、過去へと至る連続性との絶縁を成し遂げたのである。
その後1960年代頃になると、近代建築そのものにはさまざまに異論が挟まれていくのであるが、意思によって建築を論理的に組み立てようとする態度自体は、いまだ広く承認されていると言ってよい。しかし、こうした態度とつねにともにあり続けた「空間」には、不気味に忍び寄る足音が響きつつあることも事実である。「空間」という概念の発明により払拭されたはずの、建築を構成するモノそのもの、すなわち「エレメント」への注目の高まりである。
エレメントは、「全体を構成する要素」といった意味の語であるが、「建築におけるエレメント」(Element of Architecture)のような用い方をする場合、建築の物理的な構成要素を指すことが多く★4、この意味での「エレメント」は、反-空間的な性格を備えている。「空間」が事物の属性を表わさず、すなわち建築からモノを捨象した概念であり、かつモノの存在に先立って連続的に広がっていくようなある種の全体性を有しているのに対して、「エレメント」は物理的な存在にほかならず、しかも建築の部分にすぎないことを、あらかじめ含意しているからである。
現在の建築が、「エレメント」という概念を召喚することへの共感を高めつつあることは、本特集自体がその証左である。だとすれば、この反-空間的な概念が台頭しつつあることの意味は何か。この問いは、いま建築をつくるにあたって、一考に値するものだろう。

エレメントの性質

建築のエレメントには、その概念自体を通じて、いくつか特有の性質を見出すことができる。
エレメントは、建築の具体的で物理的な構成要素であるから、具体のスケールを伴う。こうしたエレメントのスケールは、たとえば階段のように、人間の身体寸法に応じた固有の範囲を持つことがある。あるいは、床にできた段差が自然と人に腰掛けることを誘うように、エレメント自体の寸法が、人間の所作を誘発する場合もある。このようにエレメントには、寸法を介して、人間の慣習的動作が刻まれることがある。ただしエレメントの寸法は、人間の身体寸法や所作からのみから決定されるものではない。柱の太さが、その材質と荷重条件に支配されるように、エレメントの寸法は、モノそれ自体の原理によって、人間の都合とは無関係に決定される側面もある。
またエレメントは、屋根や壁などのように、複数の材が組み合わされて構成される部位を意味する場合が多く、エレメントはそれ自体に組み立ての概念、つまり構法を内在する。エレメントが内在する構法は、長い時間をかけて洗練されてきたものであるから、それはすなわち、様々な時代に生きるあまたの人々の競争と協力によって生み出されてきたものであることを意味しており、そこには一種の集合的知性が、時間の積層とともに表象されていると見ることもできる。また、仮にエレメントが内在する構法が、ある時期に突如生みだされたものだとしても、それ自体が歴史的経緯に他ならないから、いずれにしてもエレメントは歴史性を帯びる。そして歴史性は、その歴史が育まれた地域の特性とも切り離せないものであるから、エレメントには、地理的コンテクストも同時に刻まれることとなる。
このようにエレメントには、時間的・地理的コンテクストが付着しており、またエレメントには、それに付随する人間の所作が記憶されている場合もあることから、エレメントは、特定の社会においてのみ了解される意味内容を備えうる。つまりエレメントは、特定の記号性を帯びる場合がある。

エレメント主義の建築

以上のようにエレメントは、モノそのものとしての合理に従うばかりではなく、時間的・地理的・社会的な意味を含み、そうした自身の来歴によっても、そのあり方が規定される存在である。過去との連続性に依存しないことを目指した近代建築が、エレメントを抽象形態へと還元せざるをえなかったのは、こうしたさまざまな意味性をエレメントから漂白しようとする意識に基づくものだろう。一方で、エレメントが孕む意味内容の複雑さを失わせず、むしろそうした複雑さを尊重するような態度を、仮に「エレメント主義」と呼ぶのであれば、エレメント主義は、建築における時間的・地理的・社会的連続性の回復を目指すものであると言ってよい。
またエレメントは、そこに刻まれうる情報がざまざまで雑多なものであり、かつそのあり方が、歴史的経緯によっても規定されるがゆえに、しばし素朴な意味での合理性を逸脱し、単一的な目的を見出しにくいものとなる。たとえば木造在来構法による壁体には、西沢大良が指摘するように、新しい性能が追加されるたび、それに対応する物理的なレイヤーが文字通り重ねられていった★5。結果、木造在来構法の壁体は非常に多層な構成を持つこととなり、そのあり方は、合理主義的観点からすれば過剰なのである。
加えてエレメントは、建築の部分であるにすぎないがため、エレメントに刻まれた雑多な情報は、それらが布置する体系の全体像を指し示めさない。エレメント自体が、自律的で完結的な存在ではないのだから、それが表象するものも体系の全体像を提示することはなく、体系の存在を予感させるにとどまるのである。エレメントに注目する建築は、しばしバラバラなエレメントを、バラバラなままに共存させる表現を志向するが、ゆえにそうした建築は、必然的に折衷主義的な性格を帯びることとなる。そして、そこで志向されているものは、建築的な表現ではけっしてなく、むしろ体系に満たない複数の論理が、ある均衡の下に輻輳しながら共存する場の構築にほかならない。互いに出自の異なるエレメントが共存する場は、したがって論理的に異なる立場にある存在、あるいは同一の体系に位置付かない存在、つまりは他者的なるものに対する開放性を帯びることになる。
そしてこの開放性は、言うまでもなく、現実の世界との連続性と、その包括的全体性にこそ向けられたものである。すでに述べたとおり、近代精神は、意思によって論理的に世界を認識し、現実を矛盾のない体系立った方法によって組み立てる態度として結実するのであり、近代精神に共鳴する近代建築もまた、無矛盾な体系的方法により、「空間」を形成することを目指すものであった。しかしゲーデルの不完全性定理★6を持ち出すまでもなく、無矛盾な体系は、それがいかに精緻に組み立てられようとも、体系からこぼれ落ちる事物を生みだしてしまう。近代建築や、その後に続いた、建築に一貫した論理的整合性を付与しようとする試みは、いずれもあらかじめ与えられる全体的体系を志向していたがゆえ、否応なくなんらかの欠如を抱えざるをえなかったのであり★7、その欠如とは、建築のモノとしての属性であり、歴史性であり、地域性であり、あるいは建築にまつわる人々の慣習であった。近代建築は、つまりは世界の全体性を、逆説的に否定するものにほかならなかったのである。

エレメント主義の世界認識

建築におけるエレメント主義は、したがって単一の意思によって現実を征服するような態度に基づくものではなく、現実をその姿のまま、いったんは承認したうえで、それを局所的に改編するような想像力に根ざしている。改編が加えられた世界は、しかしそれ以前の世界との連続性を保つべきものであるから、そこで目指されるのは、事後的に均衡する世界の新しい状態である。「ノイラートの船」★8を思い起こさせるようなこの態度は、あるいは編集的であると言っても差し支えない。
こうした態度は、近代建築に代表される、世界に革命を起こす手段としての建築に慣れ親しんできた身からすれば、ともすると消極的だと捉えられるかもしれない。しかし建築は、近代建築がその方法的意識によって解釈したように、手段としてあるのではない。建築は環境形成そのものなのであり、また環境は、合目的的な存在ではない。近代から現代に至るまで、建築表現の多くが建築の方法論の表現であった事実は、いまこそ十分に問われなくてはならないだろうし、近代以後の折衷主義にしばし認められる、方法論をとりあえずの作業仮説と見なしたり、あるいは方法論自体を脱臼させようとする態度には、こうした意味において迫真性を見出すことができるのである。
また世界は、近代がそうであると仮定したように、単一の意思によって捉えられるようなものではない。互いに相容れない意思や事物がうごめく現代の社会は、誰しもが感じているように、単一の意思によっては把握できないほど複雑化しているし、社会が複雑化していると捉えられるようになるその以前から、そもそも世界は十分に複雑であった。
来歴の異なるエレメントを、それに先立つ単一の全体性を仮定しないまま共存させようと試みることは、このような世界の捉え方に基づいている。それは言わば、中心あるいは絶対的な主体が不在の世界である。しかし中心を脱した部分は、中心の原理から逸脱した存在の宿り代であり、そうした存在こそが世界の全体性を担保しているのだとすれば、建築におけるエレメント主義は、近代以後の建築が抱えた欠如を、建築が本来もっていた豊穣さによって充填しようとする考え方なのである。


★1──エイドリアン・フォーティー『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(坂牛卓+邉見浩久訳、鹿島出版会、2006)参照。以降の「空間」にまつわる記述の多くも本書による。
★2──鈴木博之『建築の世紀末』(晶文社、1977)参照。
★3──桐敷真次郎『近代建築史』(共立出版、2001)参照。
★4──あるいはより直裁に「Building Element」のように用いることもあるが、「Building Element」には、イギリスにそのルーツを持ち、建築構法計画学分野で発達した学術的概念としての側面もある。戸田穣、権藤智之、平井ゆか「建築構法学・構法計画学の成立・発展史の研究──オーラルヒストリーと文献史学による戦後住宅史」(『住総研研究論文集』No. 39、住総研、2012)参照。
★5──西沢大良『木造作品集 2004-2010』(LIXIL出版、2011)参照。
★6──数学者クルト・ゲーデルは、「数論の無矛盾な公理系は、必ず決定不能な命題を含む」ことを、1931年に発表された論文において証明した。これを「ゲーデルの不完全性定理」を構成する2つの定理のうち、「第1不完全性定理」と呼ぶ。ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ──あるいは不思議の環』(野崎明弘ほか訳、白揚社、1985)参照。
★7──★2に同じ。
★8──「ノイラートの船」とは、科学哲学者オットー・ノイラートが、知識体系の絶対的基盤が存在しえないことを述べる際に用いた、自らが乗船する船をいちどきにはつくり換えることができず、故障が生じる度ごとに海上で改修を行なわなくてはならない船乗りの比喩を指す。ウィラード・V・O・クワイン『ことばと対象』(大出晁、宮館恵訳、勁草書房、1984)参照。




門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生まれ。建築計画、建築構法、建築設計。東京都立大学助手、首都大学東京助教を経て、現在、明治大学専任講師。http://www.kkad.org/


201502

特集 空間からエレメントへ──ニュー・マテリアリズムの現在


反-空間としてのエレメント
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