近代建築と文化から読み解く都市のコード

中川理(建築史家、京都工芸繊維大学教授)+山盛英司(朝日新聞大阪本社生活文化部長)

大阪近代建築保存

山盛──東京は皇居を中心に同心円上に広がっていますが、大阪は格子状です。關が中心となって行なったことが、その後の大阪のイメージをつくっていったんですね。建物にしても、アール・デコなど非常にモダンな建物が建設されました。実際に、DOCOMOMO(モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)のモダニズム選で選ばれた大阪の建物は少ないのですが、やはり注目されるのは、公共建築ではなく、商業的ビルばかりですね[資料2]

[資料2]大阪の主要な近代建築

《大同生命保険ビル》
[photo:編集部]
中川──そうした近代建築の保存活用についてですが、いま東京駅を中心にした丸の内に数多くの事例が集中しています。《KITTE》、《日本工業倶楽部》(2003)、《銀行倶楽部》(1993)、《DNタワー21》(1995)、《明治生命館》(2004)などですが、いずれも共通した特徴があって、一部を残してその上に高層建築を新築するというやり方で、これはひとつの敷地の中で保存と新築を解決してしまおうとする日本的な特徴を示すものだろうと思います。これは、その形態から「腰巻き保存」だとか言われたりしますが、私は「自己完結型」保存と最近言っています。こういった保存は関西でも昔からあって、歴史的に言えば、1970年代に実現した京都の《中京郵便局》が、日本で最初の例になると思うのですが、阪神大震災後の神戸の《海岸ビル》などもその典型例ですね。大阪でも近年にいくつかそうした例があって、ウィリアム・ヴォーリズが設計した《大同生命保険ビル》(1925)の改築や《大阪証券取引所ビル》(1935、新築・一部保存=2004)、《ダイビル本館》(1925、新築・一部保存=2013)などが知られています。これらは、東京での「自己完結型」に比べるとかなり洗練されている気がしますね。《大阪証券取引所ビル》の保存・改築には、私も検討委員会に参加しましたが、保存部分と新築部分の切り分け方が丁寧で、少なくとも「腰巻き」には見えない。

《大阪証券取引所ビル》
Original Update by kenmainr
山盛──そうですね、壁面保存の例は大阪や東京以外にも、横浜の《日本興和馬車道ビル》(1989)や、あるいは海外にもあるという話を聞いたことがありますが、発祥についてのはっきりとしたことはわかりません。
たしかに《大阪証券取引所ビル》などは、上部に新築がのっかっているというよりは、セットバックして建てられていますよね。隈研吾さんが東京・銀座に設計した《GINZA KABUKIZA》(2013)は洗練された「自己完結」型の例かもしれません。

中川──最近は、「自己完結」型の保存も、単純に保存プラス新築ではなくて、いろいろ手の込んだ方法が使われるようにもなってきていますよね。

山盛──たとえば神戸の《商船三井ビルディング》(1922)のようにオリジナルの石材を保存活用して改築するものから、《KITTE》のようにテラコッタでレプリカをつくり直す方法、雰囲気だけ残したものなど、自己完結保存のなかにも質的なグラデーションがありますよね。そのバランスが崩れると本当に、中川さんのおっしゃる「ディズニーランダゼイション(ディズニーランド化)」になってしまう危険性を孕んでいます。

中川──丸の内界隈で言えば《丸の内ビルディング》(2002)のように新築でありながら低層部分を古いイメージを付加させているような例がでてきています。そうした保存をどのように洗練させていくかが日本の建築設計の新しい課題のひとつとなっているのではないでしょうか。文化財的な発想からすると、イメージの保存など建築の保存ではないとしなければならないのですが、都市における建築の多様な重層性を考えると一方的にこうしたものを否定するという状況ではなくなってきているようにも思います。

山盛──「大大阪時代」以降の関西圏の近代建築をまとめていると大阪のものはあまり現存していないということがわかります([資料2]参照)。

中川──大阪で近代建築が残らない理由のひとつは、先ほどの話とつながりますが、民間資本で建てられたものが多いので、経済活動の中での更新が激しく、保存されにくかったということがあります。しかし最近は状況が変わりつつあって、古いレトロビルを自主的にオーナーの方がコンバージョンして使うということが少しずつ広がっています。大阪の古い近代建築の残し方の新しい展開だと思います。

鈴木博之『現代の建築保存論』
(王国社、2001)
山盛──建築史家の鈴木博之さんの『現代の建築保存論』では「保存的活用」「活用的保存」「活用的開発」と3つに分類されていますが、今日すべての建築を保存することはとても難しくなってきています。近年では《大阪中央郵便局》(吉田鉄郎、1939)の保存を巡って、国に対して、重要文化財に指定するよう訴訟が起きましたが、認められずに取り壊すことになりましたね。
大阪の場合は特に建築物の保存と都市開発がセットになっているため、保存自体に対する意識がそれほど高くないのではないかと思います。その要因として私は、大阪に拠点をおいたアカデミズムからの発言力の弱さがあるのではないかと思っていますが、いかがでしょうか?

中川──私は、アカデミズムはあまり入らない方がよいのではないかとも思っています。それは、学術的評価というのは、基本的に文化財的な評価になってしまいがちだからです。もちろんそうした評価も重要なのですが、むしろ、さきほどのレトロビルの活用のように、使い続ける価値があるものかどうかという物差しで、建築を評価できる視点が大切ではないかと思います。そもそも近代建築は、減ったとは言え、社寺建築などとくらべれば圧倒的に数が多い。これまでの私の経験では、近代建築の価値の指標として『日本近代建築総覧』に載っていることを示すことが多かったのですが、このリストには、約13,000の建物が載っているわけです。その中の一つです、と言っても文化財的価値を主張する説得力に欠けます。近代建築の場合、とりわけ大阪に多い中小ビルの遺産などは、文化財的な保存ではなく、オーナーレベルでの活用アイデアを提示して広げて行くというやり方がよいのだろうと思いますが。

山盛──橋下市政下の文化政策では、文化保存であるか文化振興かが意識的に区別されていると思います。文化保存に関しては国が金を出すべきで、文化振興には市がお金を出す代わりに、振興の提案は当事者が行なうといった考え方をしています。納税者を納得させろ、というお金の使い方ですね。この方法だと、万人に分かり易い活用や振興策を提案できなければ、国が保存に乗り出すほど貴重でない限り、所有者一人が修復費などを背負って保存するという発想になります。
一方でアカデミズムが必要だと感じたのは、阪神淡路大震災のときです。震災で半壊・全壊した歴史的建造物の破壊度を新聞で特集した際、そのリストに載せてしまうとオーナーが保存を諦めてしまうのではないかと、配慮して外した物件がありました。ところが今度は、そのオーナーから「うちの建築物はこのリストに載る価値を持っているはずだ」と言われてしまいました。建物を壊さないことを家族に納得してもらう理由が必要だったのです。やはり、どこかで誰かがお墨付きをあげることも重要なのだと感じました。

中川理氏
中川──阪神淡路大震災の直後に建築文化財の調査をしました。その際に、大阪市内ではありませんが、甚大な被害を受けた阪神間の別荘・邸宅群も調べに入りました。東京の郊外と違って、阪神間のお屋敷は高い塀に囲まれているので、中の建物が見えない。そこでわれわれもどのような文化財的住宅があるのか、わからない部分が多かったのですが、震災後の調査では、オーナーの方々がわれわれを見つけて、住宅を診断してほしい、つまり、破損の程度を見てほしいということで頼まれることが多くて、その際に初めて塀の内側に入り込み、実はすごい住宅が隠れていることを見つけてしまった。などということもあったのですね。この際には、確かに文化財調査の重要性を思い知りましたね。それはお墨付きというよりも、リスティングです。つまり、どこにどんな歴史建築があるのかをきちんとリストとして把握しておくということです。これは、その後、日本建築学会による全国規模での膨大なリスト作りなどに実現されることになりますが。
それと、この阪神間の調査の際に、もうひとつ気づいたことがあります。阪神間の邸宅において塀が高いのは、その塀の中をきわめてプライベートな空間として閉じようとするからで、その閉じた空間に、まさに大阪船場の暮らしをそのまま持って行くわけですね。船場が暮らしにくくなって、それならばその暮らしをそのまま郊外に持って行く、そうした郊外邸宅の作り方をしているのです。これは興味深い。

山盛──たしかに大阪と阪神間の結びつきは強く、阪神間が文化・生活拠点、大阪市内はビジネス街として成立しているため、大阪では《中之島公会堂》の保存問題以前に、建物の保存に関して模範となるものがあまりなかったという印象があります。東京ではいま、オリンピック国立競技場を巡って議論が持ち上がっていますが、ああいった雰囲気は大阪ではあまり起こらないかもしれません。

中川──企業家が公共的な精神を持っている一方で、彼らは徹底的に閉じたプライベートな空間を作ろうとする。町中でもこの特徴は見られます。たとえば地下街。日本全国の地下街の面積をランキングすると、実は大阪の地下街はそのランキングにはあまり入ってこないのだそうです。なぜかというと、たとえば梅田三番街はビルの地下階という扱いになるからです。梅田の地下街はとても広く感じますが、実は、個々のビルの地下が繋がっているだけだ、とも言えるわけです。だから、東京や、地下街の有名な名古屋などに比べ、大阪の地下街は歩いていると、地下街の雰囲気ががらっと変わるという特徴を指摘できます。それはそれぞれの地下が異なるディベロッパーによって造られていて、その空間ごとに違った特徴が出てくるからだと思います。質の違う場所がずるずると繋がって続いていくような感覚ですね。巨大な地下街ということであれば単に大きな空間があるだけですが、大阪の地下街は、一歩踏み込むと違う場所に迷い込んで行く、あの独特さが面白いですね。

山盛──外国人には、新宿と梅田の地下街がわかりづらいようですね。規模では新宿のほうが大きいので迷うのだと思いますが、地下全体の構造はわりとわかり易い。ところが梅田は、地上の街は格子状なのに、地下街は駅を中心に放射線状になっていることも複雑さを生んでいる理由ですよね。あるいは、駅ビルの地下に入ってしまうので、地下街の1階を歩いていたつもりがいつの間にかビルの地下2階になっていたりして、上下方向の感覚もわからなくなってしまう。

201409

特集 大阪、その歴史と都市構想 ──法善寺横丁、ヴォーリズから《あべのハルカス》まで


近代建築と文化から読み解く都市のコード
(ポスト)モダン大阪の「路地」と「横丁」
大阪の近現代建築と商業空間──「近代建築」と「現代建築」の対立を超えて
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