団地の地理学

大山顕(フォトグラファー、ライター)

ファイアウォール団地「都営白髭東アパート」

日本中の団地を撮り続けて20年のぼくが「いちばん印象深い団地はどこか」と聞かれたら、迷うことなく「都営白髭東アパート」と答えるだろう。これは東京都墨田区堤通2丁目、隅田川左岸に聳える団地。なんと長さが1km以上ある。1号棟から18号棟までがひとつにつながり、壁のように続く。最寄り駅は東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅。ちなみにこのそばにあったのが鐘淵紡績、後のカネボウである。

【航空写真】http://goo.gl/maps/1CrhM
団地が壁となって低層住宅地帯と土手の公園とを仕切っているのがよくわかる。

墨堤通り側の光景。雁行しながら1kmにわたって連なる。

1977年に竣工したこの団地の長大な壁っぷりにはちゃんと意味がある。これは防火壁なのだ。この団地が建つエリアはまたの名を「白髭東防災拠点」という。1964年に新潟地震、1968年には十勝沖地震があり、東京でも防災拠点整備の必要性が叫ばれるようになった。この当時、首都圏が震災に見舞われた場合に特に大きな被害が予想されたのが江東区だった。そこでいわゆる江東デルタ地帯を対象として1969年に「江東防災6拠点構想」と呼ばれる、延焼を食い止めかつ避難広場として機能する6地区の整備が計画された。そのひとつがここ白髭東地区というわけである。

この団地と隅田川の間に10万人が避難できる東白髭公園があり、付近が大火災になった際にはここに住民を収容する。そして白髭東アパートが防火壁として、体を張って火の手を防ぐ。教訓になっているのは関東大震災のときの陸軍被服廠跡地の悲劇である。被服廠が赤羽に移転し(ちなみにその赤羽の跡地に建ったのが現在の赤羽台団地だ)公園予定地として空き地となっていたここに避難した市民が火の手に追い詰められ多数の死者を出した。ここでの犠牲者38000人以上という数字は、関東大震災による東京市の死者行方不明者の半分以上をしめる。

「体を張って」というのは比喩ではなく、この団地はいざというときにはトランスフォームして一枚の壁になる。棟と棟の間の隙間は完全に閉じられ、各戸のベランダには防火シャッターが降り、ドレンチャー設備からの放水によって延焼が防がれる。また、各所には放水銃もあり、避難してくる人々を火の粉や熱風から守るという機能まで備わっている。みなさんいちど見に行ってみてほしい。こんな団地ほかにはない。

ベランダ側には防火シャッターが備え付けられていて、いざというときは一枚の壁になる。

棟と棟の間には地名を付けたゲートがある。これは一番北側にある「鐘淵門」

屋上にあるオレンジ色のタンクには水が蓄えられている。

いたるところに放水銃が備え付けられている。

外から見て赤く塗装されているフロアは避難通路として機能する階。

一部都道を跨いでいるのだが、その部分もいざというときには閉まるようになっている。

『新建築』1978年7月号には当時できたばかりのこの白髭東アパートについての記事が10ページにわたって掲載されているが、その内容が非常に興味深い。住宅建築としての解説はほとんどなく、もっぱらファイアウォールとしての説明に終始している。まるで「白髭東防災パンフレット」のようだ。しかし、これはまぎれもなく団地だ。約2400戸、7000人もの人々が住んでいる。

最近ぼくは、この白髭東アパートのような「巨大さゆえに機能が兼ねられた団地」に惹かれている。

キュートだな、と思うのはこれだけ懸命に一枚の板にしようとしているのに参道だけはふさげないという点。
参道の奥、隅田川のほとりには古くから水神さまがいらっしゃる。しかしこの光景、まるで首都高を奉っているかのよう。

防音壁団地「川口芝園団地」

とはいえそういう団地はめったにない。貴重なもうひとつの例は埼玉県川口市にある川口芝園団地だ。こちらも長さ500mという長さを誇っている。完成したのは白髭東アパートの翌年1978年。

巨大屏風のような姿をつないでパノラマにしたもの。

さきほどは防火壁だったが、こちらは防音壁だ。敷地のすぐ脇がJR京浜東北線・東北本線など走行本数の多い線が走っており、この長大な壁によって、その内側の住宅群はこれら鉄道の音から守られるというあんばいだ。航空写真で見ると、まるで屏風のように折れ曲がり敷地をカバーしている様子がよくわかる。実際「内側」はとても静かだ。

【航空写真】http://goo.gl/maps/IvOGh
敷地と線路との境に建っている様子がわかる。
実際、ひっきりなしに列車が通過していった。

ちなみにこの団地はその圧倒的な存在感ゆえ、大友克洋作の『童夢』の舞台になった。超能力者同士の空中戦が繰り広げられる場所として確かにふさわしい雰囲気だ。1983年の第4回日本SF大賞を受賞したこのマンガが名作であることは間違いなく、ぼくも大好きな作品だが、この作品によって団地に対するネガティヴなイメージが決定づけられた面もあり団地ファンとしては複雑な気持ちだ。

このいわば「鉄道と対抗している」川口芝園団地だが、その敷地は以前鉄道車両の工場だったというのが興味深い。1972年に閉鎖されるまでここには日本車輌製造株式会社の蕨製作所があったという。

建築の専門家ではないぼくは、これらの団地の機能を知ってとても驚いた。建築をそういう風に使ってもいいんだ!と。住宅は住宅というひとつの機能だけを負っているもので、オフィスビルはオフィスビル以外の何物でもない、というのがおそらく建築に対する普通の認識だろう。しかし本来都市計画とは構造物群をレイアウトすることで、大きなスケールで見た場合に単体が持つ機能とは別のレベルの機能を発現させる、ということだと思う。白髭東アパートのような極端な例ではないが防火建築帯というものがまさにその典型だし、ドイツには川口芝園団地をさらに大がかりにしたようなシュランゲンバーダー地区の社会福祉住宅「Schlangenbader Straße」がある。これは付近の高級住宅地の騒音対策として高速道路を完全に覆う構造をしている。

建築はボリュームを持っている

集合住宅がそのボリュームを活かして別の機能を獲得すべきだというアイディアは、例えば長谷工コーポレーションが1992年に創業55周年を記念して設立した「ハウジングアンドコミュニティ財団」が行なった「若手デザイナー助成」の対象事業として、坂本一成氏が中心となって東京工業大学建築学科メンバーが提言した「ハウジング・プロジェクト・トウキョウ」(1996)でも示されている。これは都心部に集合住宅のボリュームを大胆に挿入することで、防音や防火のほかにも導線の制御や景観の再構築を図るという魅力的なアイディアだ。この成果は1998年に同名の書籍として東海大学出版会から出版されている。

建築行為は絵画に喩えられたり、プログラミングとの類似を言われたり、音楽と比較されたりするが、決定的に違うのは建築はものとして大きいという点だ。ぼくが建築に期待することは、その形状やボリュームによって都市の問題を解決する機能を獲得することだ。そうなったとき、建築物ははじめて都市のなかで居場所を見つけるのではないだろうか。抽象的な言い方で申し訳ないが、大きな構造物が景観の問題になりやすいのは、もしかしたらそれが必要な容積を積み重ねていった結果巨大になってしまっただけで終わっているからかもしれないと思う。多くの巨大建造物は単機能にすぎる。

ともあれ、建築がボリュームを持って存在することそれ自体の可能性やおもしろさにぼくが気づいたのは団地のおかげだ。今号対談で登場しておられる建築家木下庸子さんの近著『いえ 団地 まち──公団住宅設計計画史』(木下庸子+植田実、ラトルズ、2014)所収の対談ページに、団地の設計に関するURの方の発言があって、ぼくはそれにはっとした。曰く「設計とは即、配置でした」と。棟が規格化されたおかげでどのようにレイアウトするか、という部分に注力できるようになったのだ。つまり団地の計画とは建築計画ではなく街づくりだったのだ。ぼくはそのことを知って感動した。そういえば以前赤羽台団地建て替えの見学をした際聞いたURの建築士の方のお話は、建築家ではなく完全に都市計画家のそれであった。

小さな東京・軍艦島

最後にもうひとつ、防壁として機能していた団地を紹介しよう。

現在は廃虚だが、かつては5000人を越える人びとが住んでいた軍艦島。
以上、航空写真を除き、すべて撮影=大山顕

長崎の沖合にあるかつての炭鉱の島・端島、別名「軍艦島」の集合住宅がそれだ。軍艦島の集合住宅は、日本で最初の鉄筋コンクリート造の団地だ。最初のものは1916年の完成。そしてこの島の集合住宅群は、防波堤の役割をはたしていたという。埋め立てを繰り返し面積を広げていったとはいえ、小さい島に最盛期には5000人を越える人びとが住んでいた。おのずとボリュームのある建築は単機能ではいられなかったというわけだ。

これらの「壁団地」を知った後、ぼくには軍艦島がスプロールできなかった東京に見えてしょうがない。同時に、東京は実は小さな島なのではないかと思ったりもした。もしかしたら、100年後には「単機能」の建築は時代遅れのものになっているかもしれない。大きな敷地面積を持ちその中にボリュームをもった建築が並ぶということに何が可能か。団地はそれにチャレンジし続けてきたのだ。白髭東アパートはそのことをぼくに教えてくれた。


大山顕(おおやま・けん)
1972年生まれ。フォトグラファー、ライター。住宅都市整理公団総裁。著書=『団地の見究』(東京書籍、2008)『ジャンクション』(メディアファクトリー、2007)、『高架下建築』(洋泉社、2009)など。 http://www.ohyamaken.com/


201408

特集 風景としての団地


すまいづくりからまちづくりへ──団地の今昔
戦後日本における集合住宅の風景
団地の地理学
「ままならなさ」へのまなざし
花畑団地27号棟プロジェクト──部分から風景へ、建築を飛び越えてみること
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