反復による文明の比較──式年遷宮から日本を見る

大澤真幸(社会学)

日本人の神への観念と式年遷宮

昨年は伊勢神宮と出雲大社の両方の式年遷宮がありました。僕は民俗学や歴史学、建築の専門ではありませんが、式年遷宮を他の文化や文明と比較しながら、その意味やそこに現われているコスモロジーについて「反復」をひとつのキーワードにしながらお話したいと思います。
厳密にはわかりませんが、式年遷宮は世界的に見ても、日本にしかないと言っていいほど極めて稀な行事です。式年遷宮のやり方は、伊勢と出雲ではかなり違いますし、独立性を持っています。ただ、伊勢神宮と出雲大社は、全体としてセットで考えるべきところがあります。基本的なことを確認しておくと、ヤマト王権があり、そのほぼ真東に伊勢神宮があり、ほぼ真西に出雲大社が位置しています。伊勢の方がだいぶ近いということはありますが、その東西軸でひとつのバランス、記号論的に言えばバイナリー・オポジションになっています。天津神系の伊勢と国津神系の出雲という構造があります。
僕の仮説ですが、式年遷宮の原点は、日本人の神に対する観念に規定されていると思います。式年遷宮はいくつかの神話や天照大御神が皇祖神とされていることなどによって、独特の儀式化を経ていますが、そのベースは日本列島の中にあったプリミティブな神への感覚と結び付いていると思います。「神」の語源を考えると、たとえば隅っこを「くま」と言いますね。「くま」というのは、隅の影の部分、暗がりの部分です。この「くま」と「かみ」は同一の語源です。つまり「神」の字義は、影とか暗がりということです。日本人の神は、そういった暗がりから、ふわっと浮かび上がり現れ出てくる。つまり、僕の考えでは、日本の神の原初的な意味は「どこからともなく、闇の中から出現するもの」ということです。
神社は、たとえば伊勢神宮や出雲大社であれば広い敷地があり、がっしりした建物があり、意味付けもされていますが、その大元をたどると、ご神木や岩にしめ縄がしてあるものです。自然の場所に時々神様が現れるということが基本でした。自然の岩や木に神を迎える場を設定することを、「ヒモロギ」を立てる、といいますが、神社の起原は、これだと思います。その後、神に名付けがなされたり、神が頻繁に現れる場所が生まれていきます。もともとは、神はそこに住んでいるわけではない。神が、気まぐれに現れときに、目標にする場所が依り代であり、依り代として最も多いのが背の高い特別な木です。
それらがやがて体系化されたり、洗練されていき、神が常にそこにいるというような神社が建てられていきました。だから、本来からすると、日本人にとっての神は常住するものではないのですよ。考えてみれば、お神輿も移動式の神社のようなものです。
式年遷宮は、20年や60年などの長いスパンで反復している巨大な儀式に思えますが、基本は神がふわっと現れるという感覚のものです。式年遷宮は、その神の現れの場を、繰り返し設営しているわけです。極論すれば、新しくつくられる本殿は、耐久性の高いヒモロギのようなものです。そのような神の現れの感覚が、1300年にわたり何度も反復され、天皇制や国家のイデオロギー的な潤飾などが入ることで複雑化し、儀式化されたのが式年遷宮だと思います。

「反復」の文明的相違──ヨーロッパ的な一神教

ここからは、日本と他の社会との比較をしてみたいと思います。20世紀初頭、ベンヤミンの絶筆となった草稿『歴史哲学テーゼ』は、まさに歴史と反復がテーマになっています。もう少し遡れば、キルケゴールも反復について書いています。キルケゴールには信仰という要素も入っていますが、ベンヤミンとキルケゴールの反復は、基本的な設定が近いものです。
そもそもヨーロッパの時間観念や歴史観念は反復に馴染みません。反復を徹底的に排除した時間の観念をつくったのが一神教です。つまり、神が最初に宇宙を創造し、最後の日に救済がやってくるというものです。キリスト教は最後の審判があり、ユダヤ教も最後にユダヤ人の救済があり、イスラム教でも裁きの日があります。神による世界の創造から世界が終わる裁きや救済の日まで、時間の真っ直ぐな、戻ることない直線で、これは、一神教がつくり上げたある意味で画期的な時間観念です。ここまで時間を完璧に不可逆な一直線のものとして考えた文明は他にありません。他はそこまで考え抜いていないとも言えます。始まりや終わりは神話によく出てくるテーマですが、大抵、再生と結び付いていますので、普通の意味での反復に関係していますが、絶対繰り返さないという時間観念をつくったのが一神教です。そういった一神教の時間観念を引き継ぐヨーロッパの中で、あえてベンヤミンやキルケゴールは反復ということを言いました。
たとえ話をします。あなたが、ある初対面の人に好印象を与えようと思ったのに、つまらない失言によって失敗をしたとします。あなたは、そのような状況がもう一度あったならば、その失敗を取り戻したいと思う、でしょう。もう一度、そのときがきたら、絶対にあんな失敗はしないのに、と思うでしょう。タイムスリップに近いのですが、同じことを繰り返すのではなく、本来自分がやるべきだったことをやり遂げたい、ということです。ベンヤミンの「反復」は、卑俗に喩えてしまえば、こういうことに近いのです。
歴史の中で考えると、たとえば1917年にロシア革命があり、良い社会になると思われたのに、結局スターリニズムによって酷い社会になってしまった。また、ロシア革命から70数年後には結局ソビエト連邦はなくなってしまい、まともな社会主義国がなくなってしまった。ですが、もう一度社会主義革命をやらなければいけない、失敗をやり直したい、レーニンが当時なぜああしなかったのか、その時代に戻ってやり直したいと思うことです。
ベンヤミンはそういった反復という感覚を歴史の中に取り戻さなければいけない、と言ったのです。反復によって違うことができる、むしろ反復が本当に新しいことを生み出すという感覚です。ベンヤミンは、厳密に不可逆的な時間意識があるヨーロッパの歴史の中に、反復という概念をあえて投入したのです。

「反復」の文明的相違──中国的な天命

もうひとつの補助線として、中国の反復があります。易姓革命は、儒教、とりわけ孟子に由来しますが、その前提として「天」という概念が決定的に重要です。天があり、徳のある人に天命が下る。天命を受けたその皇帝が天子と呼ばれます。そして、皇帝が徳に基づいた政治を行えばうまくいくはずだという論理です。けれども徳を失えば、別の人に天命が下り、姓が変わります。つまり王朝が変わって革命が起きます。次の天命があるので、徳を失った皇帝を排除することに問題はない、というわけです。
中国の歴史を見ると、この易姓革命の論理でかなりのことが動いています。大きな王朝が数百年続く場合や短命な場合があり、倒れた時にすみやかに次の王朝になったり、不在が長い場合などもありますが、すったもんだの末にいつも同じような王朝ができ上がっています。ヨーロッパにおける革命、たとえばフランス革命によってブルボン王朝が倒され、それまでとはまったく違う政治システムとして共和制ができるというようなものではありません。天命は、新しい政治体制をつくることではなく、単に皇帝のすげ替えですから、基本的に同じようなシステムが出てきます。それが中国型の反復です。かつてヘーゲルは『歴史哲学講義』の中で「中国は持続の帝国である」と言いましたが、そこにあるのは、天命による革命という論理です。
ヨーロッパにおける例外的な思想としての20世紀のベンヤミン的歴史観における「反復」と、中国の伝統的な易姓革命の論理による「反復」という、ふたつのまったく違う反復の話をしました。日本の伊勢や出雲の反復を見ると、明らかにそのどちらともまた違うものです。日本の反復はある意味で最も純粋な反復です。中国型とは少しだけ似ているところがありますが、やはり違う。中国では、厳密に同じでもの回帰するわけではなく、皇帝が別の人になり、新しい王朝になっています。易姓革命では、同じ形式の構造が反復されますが、その形式を埋めている内容が異なっている。形式のみならず、内容の面でも、まったく同じことを繰り返す、日本の天皇制はこれとは違う。その日本の天皇制の純粋な反復を象徴しているのが、1300年間同じことをやっている伊勢や出雲の式年遷宮です。日本には、中国とは違う意味で、厳密な「持続のシステム」があります。
天皇制の起源の問題は難しいのですが、実証的に考えるならば、崇神天皇くらいからはほぼ確実に存在しているとされています。崇神天皇は3-4世紀の人ですから、ここから数えれば、天皇制は1700年くらいになる。ただ「天皇」という語が導入され、天皇の権力が強く安定的なものになるのは、まさに、式年遷宮が伊勢で確立された時期、つまり天武・持統天皇の頃です。それ以前は、オオキミ(大王)と言われ、豪族連合の中で比較的力があるという程度でした。天皇制のほんとうの意味でき成立は、この時期に見るべきでしょう。そうすると、式年遷宮の連続性と天皇制の連続性は重なっている。両者は本当に反復を通じて、純粋に持続をしています。日本型の反復はまさに字義的な意味での反復です。ベンヤミン的な反復は、革命の論理をつくろうとしたわけで、反復によってむしろ不可逆的な変化がもたらされるという逆説があったので、日本型の反復はこれとはまったく違ったものです。

時間における決定的外部の有無

ヨーロッパ型/中国型/日本型という3つの反復の比較を考えると、ヨーロッパ型も中国型も、歴史において決定的な外部が用意されていることが大きな特徴です。
中国はわかりやすく、天という外部の不動点があるために天命が尽きても反復ができます。天は、無時間的な永遠で、このような外部がなければ反復(易姓革命)できません。ヨーロッパの原理は一神教ですので、絶対の他者が想定されています。その絶対の他者(神)は、歴史の終焉をすでに見てしまっている。つまり、ヨーロッパ型の反復は事後から見た視線を前提にしているということです。先ほど初対面の時の失敗の話をしましたが、それは終わってしまった後から見ているがゆえにわかるわけですよね。だから、もう一度やり直したい、と思うわけです。ベンヤミンの反復は、事後の視点を前提にしているがゆえに生ずる反復です。その原形は、明らかに最後の審判です。最後の審判の日に人間はいろいろと言われますが、その失敗の時に戻れるならばそういうことをしなかったのに......、と思うわけです。他があり得たという可能性、自由な選択肢が見えてくるのは、絶対的な外部でもある、事後の視点があるからです。
そのように、中国型は時間の持続から完全な外部としての無時間的な天があり、ヨーロッパ型も時間の外部としての事後の視点があります。それらと比べると違いがよくわかりますが、ヨーロッパ型とちょうど逆で、日本型は始まりしかありません。日本には、決然とした終わりということがなく---自然と衰え往くという趣旨の終わりはありますが−−−、決定的なのは、神の出現という始まりのみです。「始まり」が段々と制度化されていき、「20年ごと(あるいは60年ごと)にもう一度始めましょう」という式年遷宮始の反復になっています。神は、時間の中に現れ、その外側にはいないわけです。現れるためには消えている必要があり、「現れうる」ということ、現れる動き自体が重要です。伊勢も出雲でも、ご神体が現れることが重要なので、いつも現れているのではなく、普段は隠されていないといけません。そして気づけば、主に隠されているという状態から、永続的に隠されている、隠れていることの方が中心になっています。
始まりだけを純粋に繰り返し、自覚的な終わりがないという考え方です。この「終わることなく始まり続ける」という時間感覚は日本人に古くからあり、われわれに染み付いたものだと思います。それを最も制度的にやっているのが式年遷宮というシステムです。

「反復」の文明的相違──インド的な輪廻

さらに比較の話をしたいと思います。大文明の中で一神教が生まれ、ヨーロッパではそこにアクロバティックに反復を導入したベンヤミンがいました。また、易姓革命がある中国では王朝が反復でした。もうひとつ違った形として、インド型の反復があります。
インド型はまた独特で、まさに輪廻という言葉が示すように、生命が永遠に反復し続けていることを表しています。インドでは、ひとつの生命体としては反復していて、前世の報いで来世が決まります。ただ、同じ人物として出てきているわけではなく、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道という6つの生命システムがあり、循環が続いています。ですが、中国型とまったく違うのは、インドは集合体や社会としての反復ではありません。ひとつの生命体は循環しますが、共同体としてはただ、永遠に持続しているだけです。
比喩として言えば、ヨーロッパ型の一神教的な時間は最初と終わりのある有限直線で、終わりでは振り出しに戻ることがありませんから、不可逆になる。熱心な信者だと毎日終わりに近づいている感じがして大変だと思います。突然、今が終わりだ、と告知されてしまうかもしれない。「最後」の予告や事前通知はあるかどうかわかりませんので、試験の日がわかっていない受験勉強みたいなものです。
一方、インド型は不可逆な無限直線のです。ここには、共同体の水準での反復はない。しかし、その無限直線の中で、個々の生命が反復しています。ヨーロッパ型も中国型も時間の外部の点があり、それとの関係で反復が決まっていましたが、インド思想にもそのような外部が用意されています。ですが、それはあまりに極端な外部です。たとえば、仏教をみるとそのことがわかる。仏教も、基本的には輪廻が前提している。しかし、善業をつんだり、修行をしたりすると、何回もの転生の後に、最後に、悟りを得たり、解脱したりする。解脱して、涅槃に入るということは、時間の完全な外部に出てしまうということです。もはや、輪廻の循環をしなくてよくなるわけです。人間道はいい方ですが、楽しいことばかりではなく、生きている限り苦しいので、そこから外に出られるということです。
ヨーロッパ型と中国型は、時間と干渉対応を起こす外部です。中国では、天は普段は何をしているかはわかりませんが、天命という介入があり、反復が発生します。天が世界を見放してしまうと、戦争だけが繰り返される永遠の春秋戦国時代になると思いますが、天がちゃんと介入してくれるので、革命が起きます。ヨーロッパ型は、最後の審判という形で神が出てきて、歴史を見返すというある種の反復感覚がもたらされます。というわけで、どちらも外部が人間の世界に積極的に関心を持って介入しますが、インドの場合の涅槃(ニルヴァーナ)とは、輪廻する世界の完全な外にあり、われわれ人間の世界に介入しません。ですから、生命体としては反復しても、共同体や歴史としては反復がないという構造です。
そして、日本型の最も顕著な特徴は、外部がまったく用意されていないということです。何度も述べてきたように、神の神たるゆえんは、この世界の内部に「現れる」ということにこそあるからです。ですので、ある意味で何も変わらない、純粋な反復が出現する。極論すれば、日本の歴史は、間延びした始まりの連続です。プロセスや決定的な終わりがなく、始まりだけがあります。

日本の神の始源

いろいろとアレンジされて複雑になっていますが、天皇制は式年遷宮を利用していると言えます。それは意図的に考えてそうなっているわけではなく、伝統的な価値観によるところが大きいと思います。
民俗学や古代史の専門家によっても多少見解が違いますが、天照大御神が皇祖神だとされているのは、よく考えてみるとおかしいなことだと思います。有名な古代史の研究家である津田左右吉も率直に言っています。なぜなら、天照大御神の前にも神々がいるからです。そもそも、──「古事記」と「日本書紀」では少し説明が違うのですが──天照大神は、イザナギ(とイザナミ)から生まれている。どうしても、天照大神の系譜に拘るのならば、少なくとも、イザナギが皇祖神でなくてはおかしい。しかし、天照大御神がなぜか原点として特別視されています。日本人はごく普通にそのようにインプリンティングされているので、あまり疑問に思いませんが、外国人で古事記や日本書紀を教わった人であれば、同じようなことが書いてあるテキストがなぜふたつあるのかとか、皇祖神はどうして天照大神なのか、とか疑問にもつはずです。
イザナミ、イザナミは「いざなう(誘う)」から来ていますから、やはり誘うことで出現します。イザナギ、イザナミはセックスによって産まれたのではなく、まるで発生してしまったような生まれ方で、そういった出現感覚は古事記風に表現されています。
天照大御神は、古事記や日本書紀が書かれる頃に特権化されたと思います。それ以前には、天照大神というような、太陽の女神は存在していなかった--少なくともそれほど特別なものとして確立されていなかった、のではないか、と推測されるのです。皇祖神としての天照大神は、それは古代における天皇制の確立、まさに天皇という言葉、「スメラミコト」が導入され、使われるようになったプロセスと並行していると思います。先ほど述べた、天武・持統天皇の頃ですね。
天照大御神より前には、タカミムスヒノカミが、古代国家の神として重視されていた、というのが、古代史の専門家の考えのようです。その痕跡は、記紀にもはっきり残っていて、たとえば、タカミムスヒノカミは、天孫降臨の時も重要な役割を果たしています。邇邇藝命(ににぎのみこと)を葦原の中つ国へ派遣しますが、それは、天照大御神とタカミムスビの両方が派遣を命じています。ですので、タカミムスビは重要な神です。極めてプリミティブな神話的世界が元にあり、それをイデオロギー化しようとした段階で、最初に原点になったのは実はタカミムスビだったと思います。いろいろな仮説がありますが、伊勢神宮に一番最初に祀られていたのも、おそらくタカミムスビだったと思います。つまり、僕は最初から伊勢神宮のご神体が天照大御神だったということは疑わしいと考えています。この点を、建築家の武澤秀一氏がはっきりと述べていて、僕は、この説にかなり説得力があると思っています★1。武澤さんの説によると、実は、伊勢神宮には二つ御神体があるのです。一つは、もちろん鏡として具体化されている天照大神ですが、もうひとつは、タカミムスヒノカミで、それは「心の御柱」というかたちをとっている。
タカミムスビは、結構大陸の要素が入っていて、大陸の神様と日本の神様の習合ではないか、という印象をもちます。「ムスヒ」とはいかにも日本的で、「ヒ」は、「日」や光の「匕」です。本居宣長は霊という字を当てて、生命力の意味だとしていたり、人によって解釈は違っていますが、僕としては、その生命力の方に魅力を感じます。「ムス」は、「苔むす」の「むす」ですから、「発生する」の意味。つまり、先ほどから何度も話している「出現する」「現れる」ということです。というわけで、「ムスヒ」は日本らしいものです。
一方「タカミ」の方に、いくぶんか大陸的な風味が加わったものを感じます。もともと、日本人の感覚として、神社の原点として柱がすごく重要になっていますが、柱のさらに原点は巨木です。非常に特別視された木があり、そこを依り代にして神様が降りてきます。まず、そういった高い木(高木)への信仰があり、のちに人工的なものとしての柱になっていったわけです。ですから、「タカミ」には、このような、日本の土着の信仰からの継承がまずはあります。しかし、タカミムスヒノカミが、(天照大神より前に)国家の神として重視されていく過程で、この「タカミ」の部分に、日本の本来の要素にはなかった、大陸由来の観念が、加算されたのではないか、そのように推測できます。

その「大陸由来」ということが、どういうことなのか、少しだけ説明しておきましょう。中国で重要なのは天です。天との特別なつながりがあると思われなければ、皇帝として君臨することはできない。この天の垂直性、超越性、いわば天の高さは、日本の「高木」信仰どころではないものだったと思います。朝鮮半島や中国大陸、とくに大陸の北部には、こうして天の垂直性に正統性の根拠をおく、帝国や王権があった。古代において、日本は何度か朝鮮半島を侵略しようとして痛い目に遭っています。つまり、戦争に負けたわけです。今でもそうですが、負けたときには、もっと近代化しなければいけないということになって、勝者のやり方をまねたり、導入したりしますね。古代においても、大陸の帝国に負けたとき、大陸風の超越性を模倣しようとしたのではないか、と思います。第二次大戦でアメリカに負けて、アメリカ風になったような感じです。そういった時に、厳密な意味での天観念ではないですが、ある種素朴な天が導入されたのだと思います。特に中国の北方系、鮮卑(せんぴ)やモンゴル系の人たちはそういった天の思想を持っているので、その影響を受けていると思います。ヤマト王権が豪族連合の中から自分たちの力をつけようとした時に、進んだ文明風の神様を考えようとして、おそらくはもともとからあってタカミムスビをそのように解釈して、活用したのです。先に名前をあげた、武澤秀一さんは、高句麗に敗北したときに、そのようなことが起きたのではないか、と推測していますが、おそらく正しいと僕は思います。
このようにして、日本古来のタカミムスビに、中国的な「天」の超越性を加味して、特権的な神としたわけです。しかし、この神は、やや中国風なので結局使い勝手が悪かったのです。そして、その後タカミムスビをフェードアウトさせ、天照大御神をメインにしたのではないか、と推測できます。天照大御神が皇祖神として浸透したのが段階は、多くの学者がそのように考えていると思いますが、式年遷宮が始まる直前の頃、つまり、何度も登場するように、天武天皇から持統天皇の頃です。天武天皇は古代史では、非常に重要な人物です。壬申の乱を引き起こしたのは、天天皇(大海人皇子)ですね。古事記では、天照大御神は獅子奮迅の活躍で目立ちますが、日本書紀ではあまり活躍していませんが、その原因は、天照大神は、実はもともとはさして重要ではなかったからです。古事記は、天照大御神が活躍するように、古来の神話を編集し直したのではないかと思います。最初はタカミムスビを祀っていたのですが、天皇制にとっては、天命思想のように天という外部的な抽象性に連なりうる神は、あまり望ましくなかった。すでに述べたように、「天」は、「革命」を許容するので、皇祖を正当化できないのです。「天」は、皇祖より上位の、正統性の根拠になってしまうわけです。そこで、「天」を連想させうるタカミムスヒノカミの重要度を下げたのでしょう。
では、なぜ天照大御神が選ばれたのかはいろいろな理由がありそうで推測するしかありません。ベースには太陽信仰があったと思います。世界中にいろんなタイプの太陽信仰がありますが、日本の初期の太陽信仰はたいへん素朴なものだったと思います。中国の天は太陽信仰とは違います。強いていえば天は不動点である北極星と同一視されています。太陽は出たり入ったりと、動いてしまいますので。日本人にとってはその日の出と日の入が重要で、伊勢が前者、出雲が後者に対応しています。いずれにせよ、ずっと遠くの向こうにある世界から出てくるので、超越的な上部(天)にあるというより、同じ平面上のずっと先にあるものです。それを受け継ぐ形で天照大御神という神が出てきます。
結論的に言うと、タカミムスビを祀っていたものの、ある段階で天皇制を不動のものとしてイデオロギー化する際に、天照大御神をベースにした、神々の体系ができてきます。そうした再編成の張本人は天武天皇だと思います。壬申の乱で、天智天皇の跡継ぎ争いが起き、のちに天武天皇となる大海人皇子がクーデターを起こし、大友皇子(弘文天皇)をやっつけた。このように実力で、天皇になった天武天皇は、神とみなされる最初の天皇です。「おおきみは神にしませば」と言われるときのおおきみの最初が、天武天皇です。天武天皇は軍事的にも強く、カリスマ性もあったのだと思います。その壬申の乱の時に、天武天皇は少し回り道をして、伊勢の天照大御神を拝んでから、勝負に勝ったという話になっていますが、おそらくあとからのつくり話で、本当は勝った後に原因が天照大御神にあったとするための捏造だと思います。そうした神話の創作を含め、天照大御神の神格を高めていきました。
先ほど言ったように、最初はタカミムスビが重要な神でしたし、先ほど述べたように、伊勢神宮にもタカミムスビが祀られていたと思います。「高み」ということで太陽と関係があり、太陽の神でもあります。折口信夫が書いていることですが、古代にはヒルメ(日女)という女がいた。折口によると、ヒルメは日(太陽)の神様の妻という意味です。タカミムスビは太陽の神様でもあったので、ヒルメは伊勢にもいたと思います。そして、政治家の秘書の方が政治家自身よりも偉くなるのと似たような経緯で、ヒルメが、日の神であるタカミムスヒノカミを押し退けて信仰対象として力を持っていきます。そしてタカミムスビでは都合が悪くなった時に、信仰の対象になっていたヒルメと天照大御神を同一視して、皇祖神という考え方をつくったのではないか。これはひとつの推測で、古代史の専門家でもこれと同じように考えている人もいると思います。
天照大御神を祖先とすれば、天皇制はひとつの系列で抑えられますし、革命が起きません。天武天皇はそうやって皇祖信仰をつくっていきました。天武天皇から持統天皇にかけては、律令制も取り入れていきますから、中国風の改革ですが、それだと天命思想にもつながってしまうので、二本立てにしたのだと思います。つまり、中国的な天とのつながりと皇祖神とは別の原理でなければいけなかったのです。中国風の律令を取り入れながら、他方、天の思想を抜きにした皇祖信仰をつくり上げたのです。単純化すれば、古事記と日本書紀という二本立ては、次のように考えられます。前者が皇祖神の正当化のための神話であり、後者が中国風の律令国家を正当化するための歴史書だと。

話が拡がりすぎましたが、もとの筋に戻して整理すると、結局、歴史と反復ということについて、次のようなことを語りました。まず、西洋の一神教の伝統からは、ほんらいは不可逆的な時間の観念が出てくるわけですが、つまり、反復という概念にはそぐわない時間の観念が出てくるわけですが、そこに含まれていた「最後の審判」の概念を過剰に適用するようなかたちで、ベンヤミンが特殊な「反復」の概念を提起した。その反復は、繰り返しよりも、むしろ、革命的な変化をもたらす。中国には、伝統的に、易姓革命という意味での反復の概念があった。この反復は、形式的な構造を維持しつつ、内容だけを変えて行く反復です。それらに対して、日本には、最も純粋な意味での反復があった。それを象徴しているのが、式年遷宮であり、式年遷宮は、天皇制の万世一系の射影のようなものでもある。西洋と中国は、歴史の外部が想定されていて、その外部が歴史に干渉するところで、反復が生ずる。それらに対して、日本の純粋な反復には、外部がない。内部に出現する神がいるだけです。これらに加えて、さらにインドのことを少しだけ話しました。インドの思想にも、歴史から離脱した外部がある。仏教は、その外部を目指す思想と運動だと言ってもよいくらいです。しかし、その外部は、歴史的な時間に介入せず、純粋に切り離されています。このとき、個々の生命は反復しても、共同体のレベルでの反復という観念は生まれません。
このように、反復と歴史ということを鍵にして、重要な文明の基本的な特徴を抽出することができます。

★1──武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書、2011)。


大澤真幸氏

おおさわ・まさち
1958年長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。著書に、『行為の代数学』『身体の比較社会学』『虚構の時代の果て』『ナショナリズムの由来』(毎日出版文化賞)『〈自由〉の条件』『不可能性の時代』『「正義」を考える』他多数。最新刊に『社会は絶えず夢を見ている』。オフィシャルサイト=http://www.sayusha.com/MasachiOsawaOfficial/


201403

特集 伊勢/式年遷宮──古代建築と反復の神話学


伊勢神宮を語ること、その可能性と不可能性──式年遷宮を機に
反復による文明の比較──式年遷宮から日本を見る
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