人間学としての都市・建築論──槇文彦『漂うモダニズム』

中島直人(慶應義塾大学准教授)
槇文彦『漂うモダニズム』
(左右社、2013)

槇文彦の近著『漂うモダニズム』を読み進めていると、次第に目の前のこの本ではない、別の2冊の書籍が気になりだした。読了後、自宅の書棚からその2冊を探し出して、再読してみた。1冊は槇の最初のエッセイ集である『記憶の形象』(筑摩書房、1992)、そしてもう1冊は多木浩二の『都市の政治学』(岩波書店、1994)である。この2冊の書籍とも、私が都市計画を学び始めた頃に購入したもので、随分長いこと本棚の一角に置かれていたはずだが、読み直す機会はなかった。ひさしぶりに頁をめくってみると、所々に鉛筆で線が引いてある。何かの授業のレポートをでっち上げる際か、あるいは当時まだ健在だった『建築文化』の懸賞論文を必死に執筆する際に、両書のなかの都市に関する魅力的な概念やセンテンスを拝借したのを思い出した。どこまでその内容を理解していたのかは自信がないが、槇が『記憶の形象』のために書き下ろしたエッセイ「都市空間に関するノート・一九九二」で提示した「故郷」と「異郷」という対概念、多木の「われわれが『都市』と呼んできたものが、ネーション・ステートの首都を普遍化した概念であったことも綿密に考慮しておかねばならない。そのような意味での『都市』は、すでに消滅しかかっているといってもいい」といった文章などである。今よりもさらに浅学であった私が、初めて真面目に勉強した都市論が、この2冊であった。どうして、この2冊のことが気になったのか。

『漂うモダニズム』は、一編の作家論を除いて、全てが1990年代後半以降のエッセイ、特に大半は2000年代後半の最近のエッセイを集め、編んだものである。冒頭に配された「漂うモダニズム」という書き下ろしの長篇エッセイが、本書の書名と同じタイトルを持つことからもわかるように、本書の基調をなす重要なテーマを扱っている。しかし、このエッセイは、槇自身が述べているように「特に都市について多く触れてない」のである。「漂うモダニズム」のテーマは、槇が若き日に出会い、自らもその進化、成長に中核的役割を果たしたモダニズムという建築の普遍語が、気づけば共通の使命感と思想(大きな船)を失い、一人ひとりは確かにモダニズムの語彙を使い続けているものの、お互いに共有可能な価値を見出せないままに、大海原を漂っているように見える状況に対する、槇なりの羅針盤の提示である。槇は建築と人間とのかかわり合いの原点に立ち返り、それを建築化、空間化、社会化という3つのプロセスとして整理し直したうえで、大海原のなかにも「共感としてのヒューマニズム」と「新リージョナリズム」という2つのうねりが見えているとする。前者は「人間をどう考えたかの思考の形式が消費されない社会性を獲得したものへの評価」にあり、後者は西欧中心のモダニズムの消失後の「比較人類学者のまなざし」から見出されるものであるという。海原に漂うモダニズムの建築に、うねりという不安定なかたちながらも、何らかの方向性を指し示すことが、道ばたでの青年の問いに対する誠実な応答であった。したがって、建築の土壌としての都市は、このエッセイには登場してこなかったのである。

私だけでなく、ある世代以上の人の多くは、『漂うモダニズム』を手にした時、20年前の『記憶の形象』との出会いを想起したことであろう。出版社は変わったが、装丁は今回も矢萩喜從郎の手によるものである。エッセイをテーマ別に幾つかの章に分けて提示する編集方針も変わっていない。しかし、だからこそ、前作『記憶の形象』の序章が「都市とともに」であり、江戸-東京論やアーバンデザイン論を含む都市論が大半を占めていたことが記憶にある読者は、都市の話が中心に来ていない「漂うモダニズム」から始まる『漂うモダニズム』に、当初、違和感を抱くはずである。『記憶の形象』の第1章が、1960年代から70年代初頭にかけてのモダニズムの展開の同時代的報告を中心に、東大、ハーヴァード時代の私的回想録が加わった「モダニズムの光と影」であったのと同様に、『漂うモダニズム』も第1章「モダニズムの現在」、第2章「回想の半世紀」にカテゴライズしてモダニズムに関するエッセイ群を配している。しかし、そのエッセイのトーンは異なる。『記憶の形象』の第1章がモダニズムとの出会い、つまり「過去」をテーマとしていたのに対し、『漂うモダニズム』は、回想には別の章を立てることで、第1章はモダニズムの「現在」の議論に専心しているのである。「漂うモダニズム」のテーマは、この章全体の通奏低音となっており、繰り返し論じられている。かつて、モダニズムという船とその乗組員との出会いを語ることに意味があったのは、まだ槇がその船に乗っていると認識していたからであろうし、その船の白い航跡や先に見える風景を語ることで足りた。しかし、船の姿は消え、乗組員たちは散り散りになった(多くは鬼籍に入った)現在、自分も含めて、皆が大海原にいることを指摘する槇の眼差しは地理的にも時間的にも俯瞰的なものとなっている。槇は『漂うモダニズム』が『記憶の形象』と異なる点として、「もう少し視点が高くなっている」と説明している。

ところで、そもそもなぜ、槇も含めて、建築家たちを乗せていたという船が姿を消して、皆が大海原を漂うになったのだろうか。槇は「世界的なスケールの資本と情報と欲望の壁の崩壊」が原因で、「なんでもあり」の時代が到来したのだとする。『漂うモダニズム』には、この資本、情報、欲望によって、建築のみならず都市が変容してしまったことを指摘したエッセイが含まれている。97年に英文で発表されていた「空間・領域・知覚」である。槇は空間の商品化と資本投資、均質空間化とユニヴァーサルな手法を前提としたモダニズム都市の発展、都市のトポス(固有の意味)の喪失といった事態を跡づけ、新たなかたちでのトポスの創出の必要性を説く。ここに来て、『記憶の形象』の主題との直接的な連続性が見出される。この論考では、多木浩二の次のような都市の定義、「夢を育む機会を与える限りは、断片化されたメトロポリスであっても、心理の根底において都市として存続する。夢こそが、都市における私達の存在を意味あるものにするのだ」を引いている。そして、『漂うモダニズム』を読み進めていくと、この多木の都市の定義と1度、2度、3度と出会うことになる。『漂うモダニズム』は、「日本の都市とターミナル文化」というエッセイで閉じられる。このエッセイの末尾で、台湾の駅とその周辺の最新の開発プロジェクトを紹介しつつ、そのプロジェクトが社会化するプロセスで展開される情景が日本のターミナルの情景とは異なったものになるだろうという予感をして、「このプロジェクトによって、また私にとって新しい観察要項が増えたのだ。この本で度々触れたように、都市は常に夢を育みつづけるところでありたい」と結んでいるのである。

私は多木浩二の熱心な読者ではないが、この都市の定義に何度も出会ったことで、『都市の政治学』を思い出したのである。『都市の政治学』で、多木が「都市よ、この老いたる海よ」と呼びかけ、説くのは、「都市」は消えたということであった。先にも引用したように、ネーション・ステートの首都であり、資本主義の富が集積した大都市をモデルとした「都市」は消滅しかかっている。そして、政治、経済の大きな変動(1989年、ベルリンの壁が崩れ、冷戦構造が終焉し、経済のグローバル化が一気に進んだ)のなかで、その「都市」とは異なる世界化した都市が拡がっていたのだが、「都市」に捉われるあまり、その変化が捉えられていないというのが当時の多木の見立てであった。多木は、「都市」は積層する地層のようなものであり、その地層のひとつが「夢を養う原形質」であるという。そして、都市は資本をはじめとする圧倒的な力の作用の場となっており、それをゼロの政治学と呼ぶ一方で、「夢を養う原形質」をはじめとして、生きている人間のパトス(感情)や欲望、あるいは思考の形式が刻まれていく、人間が集合として生きる世界でもあることを説く。引用しよう。「都市は多様な力が作用する場であり、資本の投機や政策だけが支配しているかもしれない。(...中略...)人間は、善か悪か、正気か狂気か、なんらかの状態で自己をそこであらためて見いだすのである。こうした経験あるいは現象によって、自己が意味あるものとして見えるか、あるいは無意味なものとして見えるかという場が都市なのである」と。

したがって、多木は、都市は世界の認識の方法であるとし、都市を論じることは人間学の問い直しであると述べている。何度も都市の「夢を養う原形質」に言及する槇もまた、同じ立場に立っていると言えよう。「漂うモダニズム」で、槇はグローバリゼーションの必然的な帰結として、「人間とは何か、何であるべきか」という問いこそが、最も切実で、重要であることを示唆している。だからこそ、槇は、建築と人間とのかかわり合いを問い直し、思考の形式の刻印としてのヒューマニズムを再提起し、人間集団の多様性と創造性を前提とした比較文化人類学のまなざしの重要性を指摘しているのである。建築について語りながら、都市という人間集団のあらわれを透視し、そして、実際に本書に都市論を散りばめていく。

クールで知的で洗練された槇の建築と、都市における自由と孤独の価値を強調する言説とは矛盾がない。しかし、一方で、槇の著作の魅力は人間に対する暖かく、深い詩情にあるとも思う。槇は本書の出版後、「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という一編の論考を発表した。大きな反響を呼んでいるこの論考が、師匠であるホセ・ルイ・セルトの「都市で道を歩く人」を基点とした思考方法から始まり、神宮外苑をつくった人々の気概と誇り、将来の都民の負担、市民社会を経て、「平成の都民が未来の都民に対して、大正の市民に対するささやかな贈り物」というフレーズで結ばれているのは、『漂うモダニズム』と同じく、「なんでもあり」の浮遊する都市や建築を人間学の視点から再構築していこうという槇の意思の表明であると受け取らねばならない。『漂うモダニズム』が提供しているのは、そうした都市や建築を巡る根底的議論の始まりなのである。


なかじま・なおと
1976年生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院助手、助教、慶應義塾大学専任講師を経て、2013年より現職。専門は都市計画。主な著書= 『都市美運動』(東京大学出版会)、『都市計画家石川栄耀』(共著、鹿島出版会)。


201311

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