群像の貴重な証言集めた労作。私たちはその声をどう聞くか──豊川斎赫『丹下健三とKENZO TANGE』

青井哲人(建築史・都市史、明治大学理工学部准教授)
豊川斎赫『丹下健三とKENZO TANGE』
(オーム社、2013)

1 群像

今年は丹下健三(1913─2005)生誕100年にあわせたイヴェントや出版等が目白押しで、今後も続くらしい。さながら「世界の丹下」を建築界を挙げて顕彰する一大事業の観を呈している。その事業群に、では、従来とは異なる新たな視点の提示や事実の発掘がどれほど含まれているか、という視点でみるとき、豊川斎赫の仕事が占める位置は大きい。

豊川には、博士学位論文『丹下健三研究室の理論と実践に関する建築学的研究』(2007)をもとに書籍化された『群像としての丹下研究室──戦後建築・都市史のメインストリーム』(オーム社、2012、以下『群像』)がある。丹下健三については無数の言葉が費やされてきたが、そのほとんどすべてが固有名としての丹下像を語るものだったのに対して、豊川は「群像としての丹下研究室」という視座を設定し、私たち読者の視野を力強く開いた。

豊川自身の次の説明がわかりやすいだろう。すなわち丹下の業績は、槇文彦の回顧★1を借りれば、(1)広島平和記念公園・会館(1955)、代々木国立屋内総合競技場(1964)、大阪万博お祭り広場(1970)などの傑作を生んだこと、(2)丹下研究室において後続を育成したこと、(3)70年代以降「日本の近代建築の門戸を世界に対して開放したこと」の3つに要約できるが、豊川のねらいは、(2)の実相を明らかにすることによって、(1)の業績群を生み出しえた構想力の基盤を解くことにあった、というわけである。そこで彼は、丹下研メンバーの卒論や報告書・雑誌記事などの厖大な資料を渉猟・整序するのだが、一方で丹下を取り巻く人々に精力的なインタヴューをこなした。その厖大な記録を書籍化したのが『丹下健三とKENZO TANGE』(オーム社、2013、以下『丹下/KENZO』)である。

第I部「東大建築学科丹下研究室」、第II部「東大都市工学科丹下研究室」、第III部「URTEC」、第IV部「コラボレーションおよび成城・原宿時代」の4部構成で、49名の証言(うち黒川紀章は丹下宛書簡の活字化)が載録される。インタヴューは2006年から12年にわたって行なわれてきた。並大抵の仕事ではないうえに、書籍化するにあたって実に丁寧に註が付され、魅力的な写真や図版が豊富に加えられており、豊川が投じた尋常でない時間と労力を思うと気が遠くなる。全890ページ。ずっしり重い。

本書『丹下/KENZO』は、したがって、まずその成立の経緯からして豊川の自著『群像』をバックアップする資料集である。実際、本書に収められたのはたんなる聞き取りというより、インタヴュイーと豊川との対話であるといったほうが近く、豊川の周到な準備を行間から感じる。また「群像」という視座は、実は話し手をたんなる丹下について回顧する人としてでなく、むしろ本書の多数の主役の一人ひとりとして登場させる枠組でもある、という点にも留意したい。そして、それゆえにこそ、この資料集は、未来の読者がそこから多様な文脈を紡ぎ出すアーカイブたりうるように思う。

2 再生

豊川の歴史観ははっきりしている。彼の主張によれば、現在わたしたちに求められるのは「丹下+群像」によって代表される戦後─60年代の建築家像の再生(回復)である。では、それほどまでに彼が理想化する丹下らとは、いったいどんな「建築家」だったのか。

豊川は、『群像』でも『丹下/KENZO』でも、磯崎の言を借りてそれを説明している。すなわち「人々が生きているその場のすべて、社会、都市、国家にいたるまでを構想し、それを目に見えるよう組み立てること」、それこそが「建築の本義」★2であり、国家・都市・建築を貫くアーキテクチャーの構想を担う者こそ「建築家」なのである★3、と。

実際、『群像』の画期的な成果は、下河辺淳や大林順一郎らのいた経済安定本部と丹下研との具体的な関係および彼らが国土計画策定において担った大きな役割の解明にあるし、また、丹下チームがつねに経済成長の諸側面を数理的に説明し、構造的に結晶化させる方法の探求によって来るべき国土・都市・建築に明瞭な規範的形態を与えようとした、というのが同書を通底するライトモチーフなのだ。丹下のそうした野心的かつ科学的な包括性を支えたのが、「群像」という基盤だったのである。

3 アンビバレンス

では、その「群像」はどのようなかたちをしていたか。丹下とほかのメンバーとの関係はどう図式化できるのか。ある局面では、全メンバーの個々の営みがすべて丹下に集約されるような関係であり(丹下の博士論文)、またある局面では、分担領域のスタディが一定程度自律的・離散的に動けるように分節されたオペレイティヴな関係ともみえる(設計プロジェクト)★4。しかし、豊川がいくらかは示唆しつつもあまり際立たせていないのは、「群像」の間に生じる「斥力」あるいは「アンビバレンス」であり、筆者はむしろそこに興味を惹かれる。

1913年生まれの丹下健三は、文学史等と照らし合わせても「戦後派」と呼ぶべき世代に違いないが、しかし敗戦後、1950年代には建築界の「中堅」である。対して、研究室メンバーは、年長の大谷幸夫が1924年生まれだから、みな戦後の卒業であって、彼らの間には無視できない社会意識や政治意識の違いがあったようだ。

たとえば、『丹下/KENZO』所載の大谷幸夫へのインタヴューには、敗戦直後に丹下研で行なった国土計画・地域計画の研究について、「実態の社会と遊離したところで統計資料を扱っていて、その無力さを痛感しました」などと、現実の政治・経済との乖離への疑問を吐露しているし、あるいは丹下研の都市プロジェクトについては「『誰のための都市なのか』『どういう立場の市民が登場しているのか』それが僕にはよく分からなかった」とも発言している。こうしたアンビバレンスは、『丹下/KENZO』所収の証言群のそう多くに読み取れるわけではないが、たとえば平良敬一(1926─)の左派的な意識からみれば、丹下は半ば此方に、しかし半ば彼方に居るような存在だったとみえる。

また、同じく『丹下/KENZO』の磯崎新のページには、1956年に『東京大学学生新聞』に磯崎が書いた文章★5が活字化されているのがきわめて貴重なのだが、磯崎はそこでモダニスト丹下健三ともマルキスト西山夘三とも異なる立脚点を模索しており、ある程度まで彼らの世代意識を反映している。1950年代前半は、池辺陽や西山夘三ら中堅の左翼に率いられたNAUの運動が崩壊した後に、一回り下の若い世代による、新しい左派意識に根ざした多様な「民主的」建築運動が展開された時期で、設計におけるボス支配を排する共同設計の試み等もあり、1956年には丹下世代の「例の会」に対する、若手の「五期会」も結成されおり、丹下研の全メンバーがこれに加わった。このように、丹下と若い世代との間に生じたアンビバレンスには、多くの場合、左派的な社会意識の反復的な再生と挫折が関わっていたように見える。

4 民衆/都市

1939年、「ミケランジェロ頌──Le Corbusier論への序説として」によってあの衝撃的なデビューを果たす丹下が、その少なくとも3年前(25歳)まではマルクス主義にどっぷり浸かっていたという事実を、藤森照信は丹下との共著で明らかにした★6。30年代後半に苛烈さを増した社会主義弾圧のなかで、丹下は「誰にも気づかれずに」「転向」し、そのために精神的危機に近い経験をしたようだと藤森は語っている★7。戦後の丹下は、民衆の意 志などはあらかじめあるものではなく、建築家の天才的創造を通してのみ表出されるものだとする立場を、西山ら確信的左翼に対して取り続けたが、それはどこかで自らが振り切ったマルクス主義への複雑な「抵抗」の現われなのではないかとも筆者には思える。丹下の場合、「国家」がつねに=すでに自分の内にあり、その完璧な範型的具現化を希求する以上、この「抵抗」にはなおさら切実なものがあったような気がする★8

ところで、1930年代以降の戦前の国土計画を支えたイデオロギーは、進歩的・革新的な計画主義と、保守的な民族主義や国家主義とが合流したものだったが★9、豊川も書いているとおり戦後の国土計画も戦前からの滑らかな連続であり、下河辺淳は『丹下/KENZO』所載のインタヴューで戦後こそ本当の「総力戦」だったと指摘している。1970年の万博にいたる丹下研の都市をめぐる研究やプロジェクトの数々もまた、多かれ少なかれ同様の両義性を持ちつつ推移してゆくように見えるが、丹下の若き日の転向経験を背景に、60年代までに「丹下+群像」がこなしていったプロジェクトの多義的な文脈を腑分けし、そのなかで、丹下がみせた西山夘三への揺るがぬ対立、岡本太郎へのどことなく小胆な屈服、あるいは大谷幸夫や平良敬一らが抱えたアンビバレンスなどといったものを見ていくのは興味深い主題である。それは丹下を批判的に再考しつつ、次なる時代への作動因を見ていくことでもあろう。

さらにいえば、こうした葛藤や亀裂は、「丹下+群像」の構想力が、近代日本の都市の特質、すなわち私権が強く、都市計画が弱く、新陳代謝の激しい、そうした特質に具体的に向き合う時に生じ、あるいは増幅していく、という側面も少なからずあっただろう。あるいはむしろ、丹下研がどれほど日本の国土計画・都市計画に影響力を持ったといっても、それは湾岸部や郊外部に偏しており、既成市街地の現実にはさほど抵触しなかったとみるべきだろうか。いずれにせよ、市街地の大部分は「弱い都市計画」「弱い住宅政策」が市場メカニズムの力と(結果的に)うまく手を結び補い合うことで、スラムを解消し、インフラの整った広大かつ雑然たる都市生態系をつくってきたという観察にも一定の真実があり★10、こうした柔らかい都市の自生的秩序は、これに介入(もしくは回避)する建築家やプランナーの職能と無縁ではありえない。「群像」のメンバーたちは、そこでどんな立脚点を組み立てたのか。この種の検証もまた、豊川の仕事を受けてわたしたちが取り組むべき重要課題だろう。

5 敬意

最後に一点、迷ったがふれておくことにする。引用は避けるが、豊川は、戦後─1960年代に「丹下+群像」が体現した建築家像の現代的再生(回復)を唱える一方で、しばしば今日の内向的な建築家では到底21世紀の社会を担えないだろうと批判し、3.11以後の被災地の支援に入った建築家たちを切って捨てるような辛辣な発言さえしている★11。言いたいことはわからないではないが、国家的な使命を帯びて広島に立った丹下と、今日の社会的枠組のなかで被災地に立つ建築家たちとを、後者をめぐる政治経済的文脈の説明をほとんど付さずにいきなり比べるのはフェアでないし、反論を難しくしているようにも思われる。また、住民のエゴを切断するのが建築家だというような豊川の言辞も、何らかの政治的文脈のなかで具体的な決断として発しないかぎり、いくぶん時代錯誤的に響くかもしれない。いずれにせよ、もしこうした言葉が建築家の世界での党派的なジェスチャーと受け取られてしまうとしたら、けっして著者の本意ではないだろう。評者としての誠意を尽くすつもりであえて言及した次第である。

前項で述べた、「群像」の内外にあったはずのアンビバレントな関係の輻輳は、私たちにとっても日本近代への理解を深めるうえで重要な課題となるだろう。そして、これを解くことは、実は60年代にとどまらず、私たちのすぐ足下にまでつながる歴史的脈絡を知ることでもある。長谷川尭の「神殿か獄舎か」(1971─72)★12の丹下批判に象徴される70年代以降の知的脈絡も、それほど簡単に打ち捨てられてよいものではなかろう。

ここ2─3年で、「建築家」を歴史的に再考する議論が活発化してきた感があり、筆者自身もその一部となる議論の場をつくっているつもりだが、大局的にみればほとんど共有の地平が構築されないまま、早くも「歴史」が消費されかねないという危惧も感じはじめている。過去への敬意は、結局は現在への敬意なのだということを、自戒をこめてあらためて考えたい。



★1──槇文彦「丹下健三」(『文芸春秋』新年特別号、2013年1月)
★2──磯崎新「弔辞 丹下健三先生」(『磯崎新の思考力』王国社、2005)
★3──磯崎新(『GA』No.19、A.D.A. EDITA Tokyo、2012)
★4──このあたりは八束はじめによる「聞き語り調書──丹下研究室のアーバンデザイン一九六〇─七〇 楽屋の表と裏」(槇文彦+神谷宏治編著『丹下健三を語る──初期から一九七〇年代までの軌跡』鹿島出版会、2013)が生き生きとした輪郭を与えてくれる。
★5──東大工学部建築学科丹下研究室「現代建築の方法と課題──機能主義を批判すること」
★6──丹下健三+藤森照信『丹下健三』(新建築社、2002)。同書で紹介されている、丹下健三「〈この後に来るもの〉への考察-序-」(『建築』再刊第1号、1936年7月、『建築』は東大建築学科の『木曜会雑誌』の前身)における丹下の思考は、20代とは思えないほどに冷静・鋭利で、ル・コルビュジエの不徹底な両面性を批判してもいるのだが、3年後、当時のモダニスト陣営の砦であった日本工作文化連盟の機関誌に発表された「MICHELANGELO頌」(『現代建築』1939年7月)には、ミケランジェロ=ル・コルビュジエ(ディオニソス的なもの)に同一化し、自ら造物主たらんとする丹下の姿があり、それ以降の彼は国家でも民衆でも内面的に自身に合一できるような主体のあり方を保持した。
★7──2013年度日本建築学会大会(札幌)研究協議会「丹下健三の世界再読──丹下健三生誕100年記念」(2013年8月31日)での藤森照信の講演(2013)。
★8──日埜直彦「複数なる建築家について」(『建築雑誌』2013年11月号特集「『建築家』が問われるとき」)では、近代日本の建築家の4つの指向性を挙げ、その間の緊張関係とダイナミクスの説明が試みられている。この4つの指向性を用いるなら、丹下においては「国際派」「国民国家」「日本の伝統」が統合され、ただひとつ「社会主義」とだけはアンビバレントな対立関係が維持された、とみなすことができる。
★9──八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』(オーム社、2011)は、豊川の成果にも学びつつ、左翼の問題も含めて歴史の複雑な脈絡を丁寧に整理している。
★10──渡辺俊一(インタヴュー)「なぜ今東京にはスラムがないのか?」(『建築雑誌』2011年1月号特集「未来のスラム」)
★11──『群像』『丹下/KENZO』のほかに、座談会「丹下健三の業績が発する現代へのメッセージ」(前掲『丹下健三を語る』所収)中の発言。
★12──長谷川堯『神殿か獄舎か』(相模書房、1972)に所収。


あおい・あきひと
1970年生まれ。建築史・都市史、明治大学理工学部准教授。主な共・著書=『植民地神社と帝国日本』(2005)、『世界住居誌』(2005)、『彰化一九〇六年──市区改正が都市を動かす』(2006)、『建築家坂倉準三』(2009)など。


201311

特集 ブックレビュー2013


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