古代ギリシャからの視線──森一郎『死を超えるもの──3・11以後の哲学の可能性』

加藤典洋(文芸批評、早稲田大学国際学術院教授)
森一郎『死を超えるもの──3・11以後の
哲学の可能性』(東京大学出版会、2013)

3.11の東日本大震災と原発事故から二年半が過ぎたが、このできごとに促されての思想的な企てについては、原発事故の直後に書かれた中沢新一の『日本の大転換』などを除いて、その後、めざましい展開の例をきかない。中沢の著書は、エネルギー革命という観点から原子力エネルギーと原発の特異性に光をあてたもので、贈与や仏教の可能性にもふれるなど今後の動向を期待させたが、そこから生まれた「グリーンアクティブ」の活動も現在のところ、休眠中といったところである。二年半前のあの熱気は何だったのか、という気がしないでもないが、この間、一人の壮年の哲学者が関心を持続させ、ハイデッガーとアーレントを軸に、考えていた。
本書の著者は、大学で哲学を教える。『死を超えるもの─3.11以後の哲学の可能性』と題されたこの本に収められた論考の多くは、学会関係のメディアを初出としている。ただし、専門研究ではなく、世に生きていくなかでできごとに捉えられ、そこに発した哲学的な関心を東日本大震災、原発事故に促されるかたちで、哲学的な考察として展開している。第一部は「いのちから世界へ」、第二部は「原子力をめぐる思考の可能性」。なかで私は、専門的な知見の厚みを感じさせる第二部に読み応えを感じた。
著者の思考は、ハイデッガー、アーレントがその思惟の淵源としている古代ギリシャの考え方を基礎としている。そのことが、この本の思考に波長の長さを保証している。波長の長さとは、現代に起こることがらが、古代ギリシャの哲学者の目からも見うるということ、視界に「古い時代」の感覚が保たれているということである。著者はこのことの必須性を、上の二人の哲学者から学んでいるが、そのゆるぎなさと学識のたしかさがこの本の強みである。
基本をなすのは自然と世界の違いで、こういわれる。ギリシャ人にとって、自然は「悠久の永劫回帰」のうちにあり、神々は老いも死も知らない。種としての生物も不滅である。これに対し、個としての人間だけは、始まりと終わりによって限られた一生を生きる。死すべき人間は、そこから「おのれの可死性をよしとせず、みずからの功業によって不滅の足跡を地上に残」そうとする。これがアーレントいうところの「活動」的な生の理想である。また、同じく、自然の猛威に対し人間は建物を作り、身を守るが、そこに現れるのが世界である。
したがって、著者によれば、現今の「自然を守れ」という考え方は転倒している。そこでの自然とはすでに人間化された自然つまり世界(環境世界)なのだ。この点がおさえられていないと大地と天空の関係を壊したニュートンの万有引力説の意味も、いま原発事故となって現れている原子力時代の到来の意味も、みえてこないだろうと、著者はいう。
第一部の主題である「死を超える」では、身辺の「別離」の経験がふれられ、友人と先達の学者の死に際し、その著作を死後にまとめる仕事をしたことが語られている。でも、東日本大震災などで自分のかけがえのない存在を失った人びとの「死」の経験と、この知識人の「活動的」な生の「死の超え方」の間にはやや落差がある。3.11以前に書かれた第一部の論考が、少し私にもどかしく感じられるのはこのことによる。ふつうの人びとは、アーレントのいう「活動的生」から遠く、何も制作せずに、生きて死んでいく。そこで「死」は、それを「超える」すべをもたないできごととして現れるが、そのときはじめて、「死」は、どう「超えられる」かが問題になるものとして、私たちのまえに立ちはだかるのではないか。学者が亡くなり、その仕事が遺るということのうちに、「死をどう超えるか」という問いは、浅くしか答えられていないのではないか。
これに対し、第二部は、著者の学者としての力量を示す刺激的な指摘に富む。私は教えられた。
今回の3.11の原発事故は、1949年の『ブレーメン講演』をはじめとするハイデッガーの技術論に私たちの眼を向けさせたが、私は、この著者の紹介と検討をえて、ようやくその全貌にふれたという感じをもった。これを受け、ハイデッガーの観点をより進展させたものとしてアーレントの『人間の条件』所収の技術論がとりあげられるが、これらを通じて浮かびあがってくるのは、いま私たちがどこにいるのか、という人間世界の思惟上の「歴史感覚」である。
3.11の原発事故で、私たちは、これまでにないことが起こったと感じた。でもいまはもう、ものごとがほぼ旧に復し、二年半前の言説については、あれは一部の人間が大騒ぎしただけで、たいしたことではなかったのではないか、という声も聞かれる。でも、たぶん、事故というものは、ある著述家もいうように、いまでは思想的なできごとなのだ。(ポール・ヴィリリオ『アクシデント 事故と文明』)。一つの事故は、そのことで時代を画するというより、それを機にじつはもうだいぶ以前から、より大きく広く深い変化が起こっていたことを私たちに心底から想起させ、私たちに考えることを強いることで、時代を動かすのである。
総力戦体制から原水爆製造にいたる時代のなかで、ハイデッガーは技術の本質を相手の何もかもを徴用の対象に見立てていく「総かり立て体制」にみる新たな技術論の地平をひらくが、そこで明らかにされたことは、こうした変化が、もう数百年前、ニュートン以前からはじまっていたということである。著者は、この宇宙時代がガリレオの望遠鏡にはじまるというアーレントの説を紹介しつつ、この観点をより徹底し、デモクリトスの古代原子論にまで遡及させている。
本書の圧巻は、私のみるところ、アーレントの『人間の条件』での宇宙科学の出現をめぐる記述にある(「アーレントと原子力の問題Ⅰ」)。著者は、1960年に行われた日本の雑誌での宇宙時代をめぐる座談会をとりあげ、そこで若い哲学者が核爆弾の出現にさほどの意味を見出さないことにふれて、それは彼が「すでに新時代のほうから考え、感じている」からではないかと指摘する。これは「古い時代」の感覚を保つ立場からの批判である。古代ギリシャ以来の「古い時代」の感覚に立つとどうなるか。著者はそのような感覚を濃厚にもつアーレントの著作が1958年、「スプートニク1号の打ち上げの翌年」に出版され、それを受けて「人工衛星の話」からはじまっている事実に読者の注意を喚起する。また、この領域で先駆的な業績とされる『時代おくれの人間』の著者ギュンター・アンダースがアーレントの最初の結婚相手で、ともにハイデッガーの弟子であったことにもさりげなくふれている。アーレントは、今日、物理学がめざしているのは、未知のエネルギーの生産、光速に近い高速度の達成、天然には存在しない元素の制作など、どれをとっても「地球外の宇宙の一点を観察位置に据えて自然を操作」し、宇宙で起こっていることを地球のうえで起こそうという企てになっているといっている。こう書けばわかるように、この観点は、上に述べた中沢新一の『日本の大転換』のエネルギー論を先取りするものだ。ただし、中沢著にアーレントへの言及はない。
さて、この本に語られている「古い時代」の感覚に裏打ちされた学識がどのようにこうした現在の日本の文脈に働きかけるのか、そして結合するのか。そうはならないのか。そのゆくえを注視してみたい、これが私の読後感である。


かとう・のりひろ
1948年生まれ。早稲田大学国際学術院教授。著書=『言語表現法講義』『敗戦後論』『テクストから遠く離れて』『小説の未来』『3.11死に神に突き飛ばされる』『ふたつの講演──戦後思想の射程について』ほか。


201311

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