放射性廃棄物はどこに隠されているのか?
──『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』

福住廉(美術評論家)

先ごろ閉幕した「あいちトリエンナーレ2013」で、もっとも話題を集めたのは、建築家の宮本佳明の作品だろう。会場の愛知芸術文化センターの建物内にカッティングシートのラインテープを貼り巡らせることで福島第一原発3号機の原子炉を原寸大のまま再現した《福島第一さかえ原発》と、福島第一原発の建屋に木造の屋根をかぶせた模型《福島第一原発神社》を発表した。前者は今や肉眼で見ることが極めて難しい同原発の炉心のサイズを体感できるインスタレーションとして、後者は今後の廃炉作業も見越した現実的な提案として、来場者に大きな衝撃を与えていた。同時代を表現するはずの現代アートの美術家たちが福島第一原発については軒並み足踏みをしている現状を顧みれば★1、まさしくこの時代を鋭く表現してみせた今回の宮本の作品の功績は甚だ大きいと言わねばなるまい。
注目したいのは、宮本が福島第一原発に向き合ったとき、表現手段として神社を選択した点である。《福島第一原発神社》を見ると、建屋の上部を覆い尽くすほど巨大な屋根は、模型とはいえ荘厳で、まるで外部からの侵入を拒む結界を周囲に張り巡らしているようだ。10万年とも言われる長大な時間にわたって未来の人類を遠ざけるには、いまや厳粛な「神殿建築」★2がもっとも有効ということなのだろう。宮本は神社によって「パンドラの箱」を封印することを提唱したのだ。

宮本佳明《福島第一原発神社》2012(撮影:怡土鉄夫)

ところが、神社とは不可侵の領域とは限らない。そこは初宮参りや七五三参り、厄祓い、還暦祝いなど、庶民が人生の節目に訪れる人生儀礼の場である。それほど大仰でなくとも、個人的な祈願のために頻繁に訪問している人も少なくない。歴史的に考えてみても、そこはかねてから芝居や見世物、市や茶屋といった庶民の娯楽と分かち難く結びつけられていた。事実、日本で初めて油絵が展示されたのは、美術館ではなく、浅草奥山に仮設された「油絵茶屋」だった★3。端的に言えば、神社とは人が集まる場所なのだ。

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・
ガイド』(ゲンロン、2013.7)
人を近づけない遠心性と、人を呼び寄せる求心性。神社に通底するこの両義性が日本における特異な宗教観の現われであることは事実だとしても★4、ここで重要なのは本書が謳う「ダークツーリズム」★5が神社の求心性と重なり合っているという点である。敬虔な宗教心の有無に関わらず庶民は神社に集うように、たとえ不純な動機であったとしても、人類にとっての悲劇的な現場に人びとを招き寄せようとするのが、ダークツーリズムだからだ。一見すると相矛盾するかのように思われる「原発事故」と「観光」が交錯する地点に、ダークツーリズムの可能性は賭けられているのである。
本書の編者である東浩紀によれば★6、ダークツーリズムの意義は、事故や戦争の風化に抗うための記憶装置と、不正確な情報や知識による神話化に対する啓蒙にある。当の現場を直接的に体験することで、偏見やステロタイプを脱神話化しながら哀しい歴史の記憶を共有すること。本書で紹介されているチェルノブイリの事例を見るかぎり、そうしたダークツーリズムは、商業主義がもたらす弊害があるにはせよ、一定以上の成果を収めているようだ。「チェルノブイリの観光地化に福島の未来を見る」★7という本書のコンセプトも、時期尚早という批判はありうるにしても、宮本佳明とは別のかたちによる生産的な提案として評価したい。美術だろうと建築だろうと思想だろうと、優れた芸術的な実践は未来を先取りしながら私たちに「現実」を反省させるからだ。

とはいえその一方で、本書が依拠している「現実」は、非常に偏った現実であることを指摘しなければなるまい。なぜなら本書には、原発問題に不可欠な放射性廃棄物の論点が根こそぎ欠落しているからだ。取材陣は、ウクライナの原発依存率が50%である事実を踏まえたうえで、チェルノブイリ・ダークツーリズムの関係者に原発推進政策の是非を問うことはあっても、放射性廃棄物の処理について踏み込んで問うことはない。インタビュイーにしても、唯一、チェルノブイリ博物館の副館長アンナ・コロレーヴスカが、辛うじて使用済み核燃料に言及しているにすぎない。放射性廃棄物は、本書において周到に、いや、むしろあからさまに排除されているのだ。
なるほど、「放射能の危険性は過大評価しても過小評価しても」ならない★8。だからこそ、ダークツーリズムには「正しい認識」を形成するための啓蒙的な役割が期待されているのだろう。その目的自体には何ら異議はない。ただ、その「正しい認識」から放射性廃棄物が人為的に除外されているとしたら、当然その正しさは疑わしいものにならざるを得ないではないか。むろん、宮本の《福島第一原発神社》にしても、放射性廃棄物は隠されている。しかし、それは人類を原発から遠ざけるコンセプトを成立させる前提として作品の基底に封じられているのだ。ところが、本書における放射性廃棄物の不在は、その理由が全く不明である。それを隠した意図すら隠されているのだ。だが、なぜ放射性廃棄物に言及しないのかを明快に説かなければ、多かれ少なかれ被爆してしまった私たちの耳に「ダークツーリズム」という声は決して届かないだろう。
対照的に、本書においてたびたび強調されているのが、ゲームの存在である。チェルノブイリのダークツーリズムは、同地を舞台としたゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」の影響が大きい。実際、同ゲームのファンがダークツーリズムに数多く参加しているというエピソードが本書の随所で紹介されている。ダークツーリズムが「観光」である以上、そうしたサブカルチャーを内包していることは何も不思議ではない。しかし、放射性廃棄物を度外視する反面、サブカルチャーに焦点を当てる本書の政治性には、やはり大いに疑問を抱かざるを得ない。偏った現実からは、偏った未来しか生まれないからだ。
将来的に福島でダークツーリズムが実現したとしても、そこに放射性廃棄物の問題が欠落していたとすれば、それは記憶装置としても啓蒙の機会としても甚だ不十分な、いやむしろ観光客に虚偽意識を植えつけかねない代物になる恐れすらある。原発は、それを稼働させる以上、必然的に放射性廃棄物を絶え間なく排出し続けるのであり、人類はそれらを蓄積して放射性物質の半減期を待機する以外の解決方法を、今のところ手にしていない。人類の生存を脅かしかねない負の遺産を未来へ先送りにする欺瞞をダークツーリズムが上書きするとすれば、ダークツーリズムそのものが哀しい歴史になりかねないだろう。

★1──もっとも代表的なのが、ヤノベケンジである。論旨が外れるので詳述しないが、チェルノブイリ原発事故の後、放射能に汚染された現地に《アトムスーツ》を着用して赴いたヤノベは、しかし、福島第一原発事故の後、《アトムスーツ》で福島を訪ねてはいない。
★2──長谷川堯『神殿か獄舎か』(鹿島出版会、2007)
★3──木下直之『美術という見世物』(ちくま学芸文庫、1999)
★4──たとえば渡辺京二は、外国人旅行者の視点から見た近代化以前の風土や文化を描写するなかで、日本における宗教は娯楽であると指摘している。いわく、巡礼は物見遊三であり、祭礼は市だった。つまり、宗教的儀礼と大衆的な娯楽は決して矛盾するわけではなく、むしろ双方は混じり合っているのである(渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー、2005、p.532)。
★5──「ダークツーリズムとは、戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に悼みを捧げるとともに、地域の哀しみを共有しようとする観光の新しい考え方である」(本書、p.53)。
★6──「ツアーがないと、みな事故のことも忘れていくし、跡地にも近づかなくなって、除染や廃炉そのものが「モンスター化」し「神格化」していく」(本書、p.112)。
★7──本書、p.5
★8──本書、p.72

ふくずみ・れん
1975年生。美術評論家。著書=『今日の限界芸術』。共著=『路上と観察をめぐる表現史 考現学の現在』『フィールド・キャラバン計画へ』『ビエンナーレの現在』『道の手帖 鶴見俊輔』など。http://artscape.jp/report/review/author/1197768_1838.html


201311

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