対談:復興のゲートウェイ──建築と被災地を結ぶ仕事

塩崎賢明(立命館大学政策科学部教授)+小野田泰明(東北大学大学院教授)

復興の全体像と具体的な問題

編集──東北大震災の発災から2年半を迎えようとしている現在、被災地では壊滅した社会のレイヤーを復興・復旧するさまざまな取り組みがつづいています。復興における建築家の役割は、被災の度合いや地域の特徴、行政や住民の意識など、多くの要素から導かれる問題に丁寧に対処し、最適な解を見出すことにあると思いますが、そこには都市部の建築設計手法では解くことが困難な課題が山積することも事実だと思います。こうしたなかで東北大学の小野田泰明先生は、発災直後から被災地における建築のハードとソフト、建築家と被災者などを結ぶゲートウェイとして、目的、分析、手段を明確に語り、そのうえで建築の外の領域との協働を図って復興計画を実現してゆく活動を行なってこられました。
そしてその小野田先生が、この2年以上の間の活動のお手本とされてきたのが塩崎賢明先生だということをうかがいました。塩崎先生は神戸大学で教鞭を執られていた1995年に阪神淡路大震災に遭われて復興計画を先導されたご経験を携え、現在、東北大震災の住宅復興、自力再建支援のシステムづくりに傾注されていらっしゃいます。
今日はそのようなお二人から、現在東北被災地で起きている復興住宅や建築をめぐるさまざまな状況をお聞かせいただき、問題を広く共有したいと思っています。

小野田泰明──職場の東北大学が被災地にあって、学校自体も一部被災したので、図らずも復興のなかに巻き込まれてしまいました。東北大学は、いまは復興をほぼ折り返して、被災地支援などで活発に活動していますが、当時は被災した研究室も多く、早期の開校が待ったなしの状態でした。そこで、作業チーフとして、被災状況の把握や、一時避難のロードマップ、改修のための発注業務などに汗をかいていました。その間、いくつかの自治体から「大学が片付いたらうちの状況も見てほしい」との要請があり、それが現在も続いている感じです。
復興に関わるようになって、最初にぶち当たったのは、現場の変化は早く、巻き込まれていると何が起こるか予測しがたいということでした。阪神大震災と東日本大震災は状況が大きく違うので、安直な同一化は危険ですが、それでも何が起こりそうかという予測から逆算しながら、判断を迫られる現在の局面において、私が塩崎先生から学ばせていただいたことは計り知れません。どうしても、進行中で、内部者としての秘守義務もあるので、復興の具体的内容については限定的にしか喋ってきませんでしたが、せっかくの機会ですので、私の周りに限ってですが、復興がどのような段階にあって、この先どのような力が必要かなどについてお話できればと思います。

塩崎賢明氏、小野田泰明氏

小野田──今日のテーマは、復興を住民主体の実のあるものにするには何が求められているか、またそこでの専門家はどういう役割を果たすべきか、ということだと思いますが、それを共有するお相手として、真っ先に浮かんだのが塩崎先生でした。実は東日本大震災直後「先生の経験を教えてほしい」とメールをお送りしたのですが、すぐに「阪神と今回は違う。自分の知っていることも限られているからほかを当たれ」と、そっけなく突っ返されたことがあります。ですが、そのメッセージに、小さなメモが添付されていて、そこには「これから起こるであろうことと、それへの対処」が系統立てて書かれていました。あまりに役に立ったので、しばらくは印刷してずっと携帯していたぐらいです。やはり経験を継承する意義は大きいと確信した瞬間です。
現在、私が関わっている復興計画のひとつに、釜石市での学校復興と連動したまちづくりがあります。津波によって被災した2か所の小中校の復興のお手伝いです。そのうちの大きいほうの地域では、地域全体の被災が大きかったので、学校は、仮設住宅とともに内陸に移転しています。発災直後、この学校の再建を考える議論をした時に、関係者の間では、仮校舎が建っている内陸の土地で再建すべきという意見と、先祖代々の海の見える元の場所に工夫をして学校を再建しようという意見に分かれました。私自身もその議論に加わらせていただいたのですが、住民の皆さんは緊迫した議論の末に、学校を元の場所に再建し、それを通じて街そのものを復興しようという尊い判断をされました。それで今度は市の復興ディレクターとして、安全かつ素敵な学校づくりとまちづくりを連動させる方法を、市教育委員会、文科省、市復興担当、盤整備を担当する都市再生機構、先生方、そして地元協議会の方々などと一緒に具体的に詰めています。その2つの学校の設計者選定のプロポーザル審査を去る6月12日に終えたところです。選ばれたのは、シーラカンスアンドアソシエイツ+新谷眞人、乾久美子建築設計事務所・東京建設コンサルタントJVの2社ですが、プロポーザルに参加していただいたすべての建築家の案が、学校再建を核にどのようなまちづくりが可能かということを考えてくれましたし、学校を復興の拠点と位置づける熱意に溢れるものでした。いまはその熱意を住民の皆さんと一緒に、学校とともにある街はどのようなものかという話に発展させつつあります。これらの地域は、ひどい被害にはあったのですが、発災以来皆さんがいろいろと防災や安全について勉強や議論をされてきているので、ワークショップのレベルも高く、私も毎回緊張します。
こうした事例では、プロセスの仕込みは非常に複雑なものとなります。いろんなことが起こっても、慌てずに解決策の種だけを仕込んで、その後で協力してくれる人と一緒に育てるといったことの繰り返し、という感じでしょうか。そうしたねばり強い関わりが復興支援の実質であることを、塩崎先生との交流から最初に学べたことは幸運であったと思っています。
復興への取り組みが良かったかどうかは10年ぐらい経たないと判断できないので早計は禁物ですが、良かったと思うことに、同僚の佃悠助教といっしょにアーキエイドの支援で行なった、塩崎先生や被災地を研究されている先生方を招いた公開連続レクチャー「東日本大震災における災害復興公営住宅計画の実践的手法に関する連続講座──阪神・中越・玄界島から学ぶ住宅供給の手法」(http://archiaid.org/news/3635?newwindow=true)があります。自治体の復興担当者にも多く来ていただいて、具現化につながる知恵がいくつか共有できました。
そのひとつが孤独死問題です。コミュニティを重視した住み替えの重要性は比較的よく知られていますが、孤独死がどのような場所で多く発生して、そのメカニズムは何かという点まではよく知られていません。当日紹介された塩崎先生と田中正人さん(都市調査計画事務所代表)の研究成果では、単にコミュニティと括るのではなく、「積極的参加」と「気づき」の2層があって、孤独死の防止には後者が有効なこと、そしてそこには建築・空間の役割が大きいことが示されました。宮城県の七ヶ浜町でいま孤独死を防ぐコミュニティ志向型復興住宅を計画中ですが、そこには先生たちのデータが生かされています。
2つめは、復興住宅をつくることが目的ではなく入居後が本番であるという意識であり、そのために数の把握が重要であるということです。時系列で公営住宅とそのコミュニティがどう変遷するのかが示されたデータから将来のことを考えて、コミュニティの質と規模を維持することが重要であること、そしてそれにはどういう人がどういう場所に住むのかを把握することが不可欠であることを知りました。これは、釜石でのストック活用計画の設定や石巻での希望者登録制度に役立っています。
ですから、いまわれわれがやっている作業のいくつかは、過去の大震災における研究等を通じて獲得されてきたデータを読み解き、現在の状況に当てはめていく作業のようにも思います。冒頭の学校の事例でも、そもそも別事業である文部科学省主導の復旧事業と国土交通省主導の区画整理事業を統合して進めるためにさまざまな方法を探っていますが、私が「こうなると思います」と言ってもまったく説得力がないことも、阪神淡路でこういうことが起こり、こうして復興したという記録を提示しながら説明すると、省庁や自治体の担当者が身を乗り出してくる。塩崎先生はそういう意味で私の師匠(笑)なのです。

編集──建築デザインが扱うべき問題とは別に、先生方が復興のディレクター、ファシリテーターとしていらっしゃることの意味はとても大きいと私たちは思っています。さまざまな方法を提示し、議論を調整し、相互理解へと引き上げていく。そこにおいて塩崎先生の先行する蓄積がとても貴重な導きになっていて、そこから個々の場所、事情に対する個別解をつくっていかれているということですね。

塩崎賢明──東北大震災からの復興において小野田先生の役割はすごく重要だし、良い成果も出はじめていますね。クライアントからの発注に建築家がデザインで応えるという限られた仕事への集中では根本的に解けない問題が山積していて、その前の段階のさまざまな設定を書き換えないと復興が失敗に終わることを意識して動いていらっしゃる。
被災地において期待される建築家の本来の役割はまさにそれだと思うんですよね。被災地はあまりにも広いし、状況はその分だけ多様だから、それぞれの場所でそういう視点を持った建築家が必要なのです。土木系にもそういう人がいると思うんです。発注された仕事だけをやって儲ければいいという技術者ではまずくて、自分の技術を問題の本質的な解決に向かって活かす技術者はいるはずです。私からみても、小野田先生のようなポジションで働く人が各都市・各地域にいてくれなくてはまずいんじゃないかと思うけれども、その分小野田先生がいろんな地域に貢献しておられるし、「アーキエイド」との連携もあって、建築家はただ単に綺麗なデザインを提案するだけではすまない、まちづくりの根本に入り込まざるをえないという認識が確実に広がっていると思います。このあいだ伊東豊雄さんも同様のことをおっしゃっていました。そうである以上、まずは若い建築家たちが、実際に体を動かし、ファシリテート・スキルを上げて育っていってくれることが大事ですね。
阪神淡路大震災からの復興においては、もちろん建築家もいろいろな活動をしてがんばりましたが、いまの小野田先生のよう仕事をしっかりとやれた人はあまりいなかったのではないかと僕は思う。そういう点からすれば、この分野は新たな展開を見せているのではないかと思っています。

阪神淡路と東北被災地復興の相似と相違、被災後の要求把握をいかにつかむか

仙台で建設中の大型復興公営住宅(撮影=小野田泰明)

小野田──阪神淡路大震災と今回で違う点も多いのですが、そのひとつが外部者の関わりかなと思っています。阪神淡路では被災の中心は神戸でしたから、震災後もガバナンスがしっかりしていて、良い意味でも悪い意味でもなかなか外部者が入り込む余地がなかったわけですが、今回は事情が違います。
もちろん、仙台市はガバナンスが効いているので、かつての神戸市と同じように、建築家は業務を担当するだけで、行政と一緒にファシリテーションをやる必要はありませんというスタンスです。早く動いて、東北全体の経済の牽引者になることが期待されている政令市としては、むしろ合理的な判断かと思います。神戸や仙台はそのように動けたとしても、他の多くの自治体はそうではありません。大槌町役場や南三陸市役所などは建物ごと被害を受けて自治体機能自体が低下していたので、支援を受け入れる余地がかなり出ています。もちろんそれを誰が埋めるのかという考え方はさまざまで、国や他自治体から手厚い支援を受けて早い復興を目指すこともあるし、直轄調査の流れで頼んだ復興コンサルタント会社が中心になる場合もある。例は多くありませんが、建築家や都市計画者のネットワークと協働して柔軟にプロセスを展開している地域もあります。

塩崎──阪神淡路と東北では、地震のタイプ、被災の規模、復興のスタイルなどが、直下型/海洋型、地震/地震+津波+原発、大都市型/地方都市型と、大きく違いますよね。しかし、被災して家族が亡くなったり、行方不明になったり、怪我をした状態から生活を立て直さないといけないということはどんな災害にも共通します。
去る5月19日-23日にスイス・ジュネーブで「防災グローバルプラットフォーム会議(GPDRR)」がありました。この会議は、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)が主催し、2005年の世界防災会議(神戸)以来、2年に一度開かれている会議です。ここで議論されている「災害」の概念は、地震や津波だけではなく、台風や洪水、土砂崩れ、干ばつ、原発事故、戦争といったあらゆる自然災害、人為災害で、そうした災害にみまわれた人たちがどうやって生活を立て直すかを話し合います。この会議で、福島第一原発事故の影響を逃れて日本中に被災者が散らばっているという話が出た時に、アフリカや多くの国の人たちが理解を示してくれたことに最初少し驚いたのです。というのは、彼らの生活の周囲には、何万人という内戦や干ばつからなる避難民(Internal Displaced People)がおり、ホストコミュニティがどのように受け入れてくれるのかという問題があるからなのです。そこには悲惨な死や傷を克服して生活を立て直すことをめぐる、同じような大きな困難があるのです。原因はさまざまであっても、災害を前にどれだけの政府援助があるのか、そのほかにどういう援助が必要なのかというような議論は、被災国同士の代表者と同じレベルで成り立つのだなということを痛感しました。
その意味において阪神淡路と東北は、被災者にとって復興途上の辛さや背負う困難は共通しています。ただ、私たちはそれぞれの地域はそれぞれのやり方で復興を実現していかなければならないことを学んでいます。
もうひとつ、国連主催の会議などで世界の多くの国の研究者が「Post Disaster Needs Assessment (PDNA:被災後の要求把握)」に基づいて政策を組まなければいけないと言います。しかし私たち日本人は、被災後に物資、医療、教育、将来への備えなどなにがどれほど必要になるかという生活ニーズを把握していない。ここには諸外国との相当大きな開きができています。急いで仮設住宅や復興公営住宅をつくると言いますが、そこで生活する被災者当人のニーズがなにかということをちゃんと把握し、それに合った政策を打ち出しているのかと問われるとそうではない。日本では結局「制度ありき」でしかないということを知らされる場面ですが、ニーズ対応こそが復興への本質ですからね、愕然としてしまう。復興をめぐるあらゆる問題を解いていくうえでこのことをベースに置かなければ、被災地が元気を取り戻していくという保証はできないでしょう。
こうした状況のなかで去る5月14日、2015年3月に「第3回国連防災世界会議(WCDR)」が仙台市で開かれることが閣議決定されました。1週間ほどのプログラムが予定されています。開催期は東北大震災からちょうど4年が経過する時期で、被災地は自然災害の側面からどのように復興しているか、他方で原発事故処理はどうなっているか、原発の是非についてどのような合意が形成されているかということに注目が集まっているはずです。先に挙げたいろいろな意味での「被災」地から来るアフリカの人たちにも、2015年3月のその時の状況が復興に向かうどのようなフェイズにあり、なにが問題になっているのか、すぐにわかるでしょう。そのうえでその先を構築する議論をしたいと思っています。

復興の次のフェイズ

塩崎──フォーカスを変えて、現在の復興のフェイズはどの段階にあるかいうと、まだ土木系の仕事が中心になっていると言えるでしょう。土木系の場合、震災後に早く調査が入って、工事発注が始まって、あとは仕事をがんがんやっていくわけですね。その後はなにが起きるかというと、公営復興住宅建設や新しいまちづくりの必要によって転出して空き地になった土地の再開発事業が待っているのですが、そのほとんどが、落札した土木系コンサルタントが自己流で開発したような区画になってしまう。そういう場所では往々にして自治体のガバメントが弱く、コンサルタント主導のまちづくりで街が本当にいきいきとしてくるのか、疑問もあります。
再開発の多くが、建物のヴォリュームを決めて補助金がどれくらい下りるかという議論ばかりで、そのなかでのアクティビティについてなどは考えない世界です。このやり方で絵を描いている現状に対して僕はとても不安を覚えます。単位でいうと「km」「10m」で行なわれる仕事では、人々の生活、アクティビティがあまり感知されず、後回しになっている。本当の生活復興をするためには、建築家レベルである「m」「cm」ぐらいのスケールの単位で仕事をしないとだめなのです。
そうした現状にくわえ、そこで本当に市民の活動がうまくいくのか、具体的に言えばそこでお金がまわるのか、商売に乗り出してきた人がうまく稼げるのか、というようなことまで自治体は考えませんが、今後復興の成否が問われるのはまさにそこなのです。あえて悪い予想をすれば、計画によって3、4建てのショッピングセンターができたのはいいものの、閑古鳥が鳴いているというようなことがこれから起こりえますよね。特に、中心市街地が大きな被害にあった地域ではそういうことをやってしまう危険性がある。そうではなく、被災地域の生活者がいきいきと生きていけるような理想とともに、なにをどう具体化するかということについてのセンスを持った人たち、街の活動や以前からあった習慣やビヘイビアなどをわかっている人たちを集めて、この街ならではの手の込んだディスカッションをしながら練り上げていき、そしてそのなかで必要な制度を要求していくということをしていくといいですね。現行制度に乗せて窮屈に再生していくよりも、生活ニーズを具体的に把握して要求していくことがモデルになっていくといいですね。
本当は財源はオールジャパンで見ればいくらでもあるのですが、必要なところに来ていない。いま言ったようなことについてくるお金がないということが一番の問題だという気がします。

小野田──最近の関心は、物理的復興だけでなく、生業や産業にまで拡張しています。ビジネスをどうつくるかですね。漁業の復活自体も複雑で簡単ではありませんが、それでも漁場があるというのは強いです。一方で二次や三次の産業は面倒です。いま、各地で食品加工工場の復旧が進んでいて、発災前の半分位まで復旧しているところもあります。新工場の生産力は旧工場に比べて上がるので、生産量が元に戻るのも時間の問題のようです。しかし、この2年半の間にすべての販路を他県や他国に取られてしまったので、取り戻すのは並大抵ではない。例えばわれわれがスーパーで手にするメカブなど、以前は三陸産がほとんどでしたがいまでは韓国産に変わっている。販路を戻すには、営業で食い込む元気な人やそれを魅力的に売る場所が必要なのです。しかしながら、沿岸部の被災地では現在、商業者がどんどんいなくなっています。例えば、石巻でいえば牡鹿半島には鮎川地区、雄勝半島には雄勝町といった具合に、地域の商業拠点がそれぞれあったのですが、現状では商業者がなかなか戻っていません。漁業者は戻ってくるけれども、商業者がいない。地元の人々の多くは、なんとかそこで暮らしを立て直したいし、商業者もそうなのですが、すでに違う販路ができていて、売れるかどうかリスクの高いところにはだれも出店できないわけです。
冒頭で学校再建がまちづくりの先導を務めるという方法をご紹介しましたが、これには地域の人たちが望んでいるという理由のほかに、人々が戻って復興を宣言する大きなリスクを、まず行政が担うということでもあります。もちろん次世代を担う子どもたちを危険にさらすことはありえないことですから、安全に対する配慮が同時に行なわれる、するとそれが安全な町の実現につながり、商業者がすこしずつ戻ってくるきっかけにもなるということです。すなわちはずみ車のように、リスクをヘッジする起点をどこかにつくって状況を動かしていくことが最も求められていることなのです。だれかが最初の循環をつくっていかないといけない。

仮設、中設、本設


小野田──もちろん商業が後追いかというと、むしろ戦後の闇市のように先を行く要素のほうが強い。けれどもそれらは、ビジネスを小さく試しながら徐々に本設に移っていく、自発的で段階的なものです。このあたり、早いけれども柔軟さに欠ける仮設と、大規模な本設という2つの選択肢しか用意されていない現在の復興の状況とは大きく異なっています。つまり、復興では仮説と本設の間の中設が必要なのかもしれないということです。いま釜石で進めているのは、ちょうどそうした計画です。中心市街地に隣接して敷地面積30,000㎡ほどの大手のショッピングモールが計画されているのですが、店舗出店だけでは解決にならない。そこからの滴り落ちを受ける街側の仕組みつくらないといけません。そこで、商業施設の設計を徹底的にスタディして、参考設計をこちらから提案し、当初設けられていなかった街側にエントランスを設けていただいた。次いで、街側に小広場をつくって、そこに地元の商店が入ることができる軽量鉄骨造のしゃれた店舗群を中設的に立ち上げて、大型店舗が発する熱気を街のなかに引っ張りだそうとしています。長期的には、文化会館など公共施設の計画なども計画中です。こうした計画を通じて、地元商業者に商機を感じて、出店機会を探ってもらい、生活再建の意欲をもってもらおうとしています。
計画の過程では、東京のオルタナティヴ・アートスペース「3331 Arts Chiyoda」をはじめとする都市・地域再生の実践を行なっているプロジェクトマネージャー・商業ディレクターの清水義次さんや公設民営で成功を遂げている岩手県紫波町の「オガール・プロジェクト」を牽引している岡崎正信さんら、まち経営にも見識が深い一流のプロに指導いただいております。

塩崎──そういうことがすごく大事だと思います。私が復興計画策定委員会に携わっている岩手県大船渡市でも、津波の浸水が想定される地域に住む住民は転出しなければなりません。その地域では、これから区画整理が行なわれ津波復興拠点事業で中心市街地づくりが進められることになっています。現在ある仮設の商店街や屋台村などはけっして良い建物ではありませんが、そのハードを使いながらもっとアクティビティや経済循環が起きる仕掛けをつくり、力をつけてからハードの更新をするという考え方もあるのではないかと思うのですが、なかなかそういう議論にはなっていきません。

小野田──時間がかかることに対しては、評価は難しいですよね。

塩崎──われわれ委員のなかでもこの地域は仮設のままで復興を進めたほうがいいという意見もけっこうあるのですが、拠点整備計画は進行中です。大船渡市の中心は大船渡町と盛町ですが、イオンが南東の陸前高田との間に出店してきます。このあたりは車社会ですから、市民の多くはそっちに引き寄せされるだろうから、旧市街の真ん中にショッピングセンターをつくっても成功するかどうかわからない。初期投資のリスクにやはり頭を悩ませています。

小野田──業態も考えなければいけませんね。これまでパパママ・ストア(家族経営の小売商店)はコミュニティやお客さんとの昔からの付き合いがあるから成り立っていたし、それゆえ1階で商売をして2階に住むというかたちが可能でしたが、災害危険区域に指定されて居住ができなくなると、家は高台にあって元の場所では店舗を持ってという二重投資にならざるをえません。このリスクを全部個人で背負い込むのは無理がある。
またコミュニティが分断されてしまった地域では、補助を受けた仮設店舗であっても、その賑わいが街に滲み出し持続するような仕組みが用意されないと商売が持続できない。出店直後はほかに店がないからお客さんも来ますが、これからいろんなことが起きるでしょう。 余談ですが、これら被災地商店街の整備は、ある機構によってなされていて、初期にはわれわれも一緒に取り組みましょうとアプローチしましたが、早期復興第一の一点張りで、ひどい形の仮設店舗がどんどんできてしまった。思いつきのような場所に思いつきのように配置されていて、地域が分断されてしまっています。中設計画を立てておけばその後できることも多かったはずで、こういう経験をするたびに悔しさが残ります。

建築と業態のサポート

塩崎──小野田さんにとっての釜石などのように、全体を見る人が入っていってやれているところがどれだけあるかですよね。

小野田──もちろん上手くいくかどうかは私もわかりません。店主の方々と話をさせてもらったりしていますが、「本当に大丈夫だろうか」という皆さんの不安をいつも感じています。
今回の災害で最も大きな被害を受けた都市のひとつに、宮城県石巻市があります。大きい街なので、死者行方不明者が約4,000人、ほとんどの住宅が一部損壊を含めた被害にあっています。そこに、地元の商店主やNPOをはじめ、日本中の建築家やまちづくりにかかわる人などのクリエイターが集まって、衣食住にかかわるさまざまなことを支援している「石巻2.0」という団体があります。建築家の西田司さんたちもメンバーです。その活動のひとつに、「石巻工房」というオリジナル家具やバッグなどをつくり販売している工房があります。工房長は寿司屋さんだったと聞いていますが、震災後のひょんな共同作業から家具づくりの道に入って、その後も木工需要に応えて腕を磨き、その活動をメディアが伝えてお客さんが増えている。また、沿岸部では、アーキエイドの貝島桃代さんが、若者向けの漁業学校「牡鹿漁師学校」を起こしたりしています(http://hamatsukuri2013.sakura.ne.jp/index.html)。これはなかなか魅力的な企画です。このように産業を復興するうえで大事なことは、小さいことを積み重ねていくことで、そこで若い人たちががんばっているところは少しずつ良くなっていくように思います。逆にそうではないところは大変かもしれません。


石巻工房(撮影=小野田泰明)、牡鹿漁師学校(HPより)

釜石は、そのような人と人との関係、人と商業との関係に、建築がちょっとだけ介入している場所と言えるでしょう。伊東豊雄さんのやられた《釜石みんなの家》は、「@リアスNPOサポートセンター」(http://rias-iwate.net/)という地元で頑張っているNPOの拠点としてよく使われています。先のプロジェクトでも、先ほどお話した岡崎さんと一緒に嶋田洋平さん(らいおん建築事務所)がやってくれているのですが、嶋田さんは北九州の小倉で空き店舗の再生を手伝っていて、ずっと地元の商工会議所などとやり取りをしながらやってきたノウハウのある人です。商工主は業態を変えなければいけないけれど、いきなりは難しいから、建築家が新しい中設店舗の設計をお手伝いして、それに合わせるかたちで業態を少しずつ動かしていってもらうようなところでしょうか。どうやれば客を呼べるか、それに合わせてどういうデザインをするかを考えるという業態サポートまで行くことができればいいのですが、まだまだ難題山積です。とにかく被災地ではこうした試みはとても大事なことかと思います。

塩崎──復興の次のフェイズ、この先のヴィジョンを描くには、いまおっしゃったような、商業・産業・水産業などがその場所できちんと回っていくかということに帰着するでしょうね。

復興公営住宅の現状

小野田──復興公営住宅の現状はどんなフェイズにあると見ていらっしゃいますか。

塩崎──復興公営住宅はたくさん問題を抱えていますが、どこの県・市も工程表を出して発注を大急ぎでやって、一部はもうでき上がってきています。いま私が関係している地域でも、コンクリート造で簡単に早くつくればいいとなりがちで、可能な限り木造、低層でつくることを進言していますが、用地確保の問題もあり、戸数を稼ぐ必要もあり、なかなか大変です。地域に合ったものをどれだけ建てられるか、いまがひとつの正念場ですね。小野田さんはどう見ていますか。

小野田──先生に見せていただいた、兵庫県芦屋市若宮地区の復興公営住宅は素晴らしいと思いました。阪神淡路大震災で全体の約9割、230戸を超える住宅が全半壊した地区に建っています。区画整理のなかに小規模低層の公営住宅をポイント、ポイントに配置して、公営住宅をきっかけにした街の再生が進んでいます。震災直後にできた建物が、いまもしっかりと維持されています。なによりコミュニティが分断されず残っている。そのため、私は被災地で若宮モデルを使って提案をすることもあるのですが、響かないところもある一方、「すばらしい」と乗ってくれる地域もあります。反応が地域によって大きく異なり、過去の優れたモデルが評価されず、議題にも載せられないのはなぜだろうと思ってしまいます。


兵庫県芦屋市若宮地区の復興公営住宅(撮影=ともに塩崎賢明)

塩崎──結局、役所で担当している人たちの経験やセンスが重要で、なにを重視しているかによりますよね。役所に建築職などのきめ細かく考える人がいない場合、公営住宅整備事業は機械的にマニュアル化しがちで、優れたモデルがあっても、「ややこしいことを言うな、工事が遅れるだろ」と一蹴されてしまう。「それは特殊例でしょ」と言うけれど、個別の問題を解いていく、良い事例を積み上げなければならないと思います。


阪神淡路大震災後の復興公営住宅「ベルデ名谷」(上)と「HAT神戸」(下)
(撮影=ともに塩崎賢明)

石巻の復興公営住宅(撮影=小野田泰明)

小野田──釜石については、復興推進本部/都市整備推進室のリーダーが建築出身だということとも関係しているかもしれません。スピードとクオリティを天秤にかけながら、復興の質を長期的に見ておられます。そういう人がいてくれると非常にやりやすいですね。副市長は土木出身で、第1回復興公営住宅プロポーザルの審査に関わっていただいたのですが、建築プロポーザルの長所を見抜かれて、復興事業としての位置づけに助言をいただいています。土木と建築のバランスを取っていただいているよい理解者です。もちろんこれには、野田武則市長のリーダーシップが効いています。通常被災地では「早く、たくさん」しか言われないのですが、長期的な市の姿も重要であるということを理解され、復興を牽引しておられます。氏の理解がなければ、伊東豊雄先生と始めた釜石版アートポリス「かまいし未来のまち事業」は成立していなかったと思います。 一方われわれも、土木や行政のルールについてのリテラシーは上げています。例えば先の学校の事例では、山を削って学校をはめ込むわけですから、土木のことを知らなければ、どういった設定が可能かわからないし、効率や安全性についても答えが出せません。そのように双方が学んでいける自治体はうまくいっていると思います。

塩崎──釜石は上手く進んでいますね。そういうことをほかの県や自治体に発信していって、いましなければいけないことを伝えないといけない。高台移転や防潮堤の話などを聞いているとひどいなと思うこともいっぱいありますよね。発災から2年半が経とうとしていて、復興計画が現実化していく段階にあるいまこそ、この事業計画でやっていけるのか、立ち止まって考えるぐらいのことをするべきではないかなと思います。なかには辻褄が合わないのを承知で走ってしまっている地域もあるし、このまま進めていってどうしようもない状態になるのをなんとか避けなければならない。いまが最後のチャンスだと思います。
先生がおっしゃったような、良いやり方で進められるところはハイスピードではなくても結果的に良くなると思います。

小野田──塩崎先生には、阪神淡路大震災における「復興という名の蛮行」の例をいろいろと教えてもらったので、スピード一辺倒で、これはやばいなと思うことに敏感になりますし、避けられることは避けられるようにしています。それでも、われわれができることは限られています。

チームでなければ複雑な問題は絶対に解けない


小野田──発信が苦手なので、こうして取材にきてくれるのはありがたいと思いますが、その一方で、私がやっていることは本当に小さなことです。石巻での活動は、東北大学災害科学国際研究所の復興実践学分野としてのもので、土木景観系の平野勝也先生や都市計画の姥浦道生先生、さらには土木・建築混合の若くて優秀なスタッフと一緒に動いています。釜石では伊東豊雄さんや工学院大学の都市計画の遠藤新先生に復興ディレクターをお願いしていますし、岩沼では東大の石川幹子先生と行政を繋ぐ役割などを果たしました。アーキエイドやJIAといった専門家集団と共同したり、それぞれの状況に合わせたチームを組んでいます。
大事なのはチームでなければ対応できないということです。実際に事業を動かす行政ともチームで作業することが多くなっていますが、復興支援の最先端にいるこうした人たちの頑張りは驚異的です。高い理想をもって、土日もなく働き、失敗もあるけれど前を見て進めていく。そして自分たちはアノニマスで構わないと考えている。なので、私は、偉そうな学識としてではなく、そうした人たちを支援する側に立っているという感じです。
もちろん、復興の主役は被災された住民の方々に違いありませんから、そこを忘れてはいけません。極限を経験した方々の人格形成の錬度は半端ではありませんから、彼らとのコミュニケーションにおいても学ぶところがいっぱいあります。私自身もいろいろな人たちと仲良くさせていただいています。けれども現在の復興という仕組が、まだそういう思いを吸い上げるインターフェイスを持ちえていないのかもしれません。
ともかく、過酷な被災地で復興をなんとか成就するには、外と内の人的リソースを使い切っていくことが必須と思います。ですから、過去の研究リソースを提供してくださる塩崎先生のような方が大切で、私にとって未来への羅針盤となっています。

塩崎──小野田先生のなさっていることは、阪神淡路大震災の復興支援を超えていると思いますよ。

小野田──結果がまだ出ていないからなんとも言えないです。もしかしたら未来では大罪人になっているかもしれません。本当は怖くて仕方ないし、成功しそうなところだけを選んで集中したほうが賢いんだろうなと思ったりもします。でも、結局誰かがやらないといけないんだろうから、街や人々の活気が現われる確率を少しでも上げようと、いろいろな人を巻き込んで愚直にやっているという感じです。

2013年7月7日、東北大学にて


塩崎賢明(しおざき・よしみつ)
1947年生まれ。立命館大学政策科学部・教授(神戸大学名誉教授)。都市計画、住宅問題・住宅政策。主な著書、共著書=『住宅政策の再生──豊かな居住をめざして』(2006)、『住宅復興とコミュニティ』(2009)、『東日本大震災復興への道──神戸からの提言』(2011)、『東日本大震災からの復興まちづくり』(2011)、『東日本大震災 復興の正義と倫理──検証と提言50』(2012)など。

小野田泰明(おのだ・やすあき)
1963年生まれ。東北大学大学院教授。都市計画・建築計画、文化経済学。主な著書、共著書=『せんだいメディアテークコンセプトブック』(2001)、『オルタナティブ・モダン』(2005)、『プロジェクト・ブック』(2005)、『空間管理社会』(2006)、『ネクストアーキテクト2──カケル建築家』(2009)、『モダニティと空間の物語』(2011)など。


201308

特集 復興のゲートウェイ──建築と被災地を結ぶ仕事


発災から2年後における復興の課題
対談:復興のゲートウェイ──建築と被災地を結ぶ仕事
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第1回復興 シンポジウム「復興と地域社会圏」(福島県・1/26)

福島県では震災後7年が経過し避難区域の解除に伴い避難者・帰還者の復興がより具体的な形ではじまりつつ...

日本建築学会 西洋建築史小委員会 西洋建築史の諸問題ラウンドテーブル第2回(港区・1/12)

日本建築学会 西洋建築史小委員会では、2018年秋に「西洋建築史の諸問題ワーキンググループ」を設置...

ベロニカ・アントニオウ「ゴリラたちによるフリースペースへのトリビュート:キプロス、ヴェネチア、東京」(渋谷区・12/9)

第1回となるELSE.W.HERE(エルズウェア:ここではないどこか)では、地域や国境を横断...

FUSION_N×MEZZANINE VOL.3 ローンチイベント「起業都市(ニューヨーク)巨大テック企業たちは、今なぜ都市をつくりたがるのか(トロント)」(千代田区・12/13)

新しいものと伝統あるもの、古くからの個人商店とオフィスビルとが違和感なく共存している千代田区神田エ...

『出島表門橋と12の橋|DEJIMA FOOTBRIDGE & 12 BRIDGES』刊行記念 渡邉竜一+門脇耕三トークイベント(渋谷区・12/21)

「土木学会田中賞」を受賞するなど高い注目を集め、地元・長崎でも熱狂的に支持されている「出島表門橋」...

アートプラザ開館20周年記念 ARATA ISOZAKI TALK+EXHIBITION(大分県・12/17-27)

アートプラザは、大分市出身の世界的建築家・磯崎新氏の設計により「大分県立大分図書館」として1966...

福井をゆさぶる2夜連続トークイベント「福井のこれから、わたしがつくる」(福井・12/15,16)

今、福井では、4年後の北陸新幹線の延伸により福井駅前/福井市街地の再開発がはじまり、いよいよヒ...

建築情報学会キックオフ準備会議第5回(目黒区・12/14)

「建築情報学」は、旧来の建築学の学問的カテゴリに捉われることなく、建築内外の知見を架橋することが...

鉄道芸術祭vol.8「超・都市計画 〜そうなろうとするCITY〜」(大阪府・11/10-1/27)

鉄道芸術祭vol.8では、アートエリアB1開館/中之島線開業10周年を記念して、沿線開発という「都...
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