北米都市におけるジェントリフィケーションの展開──バンクーバー ダウンタウン・イーストサイド地区の現在

山本薫子(都市社会学)

1. 都市バンクーバーの成長と発展

バンクーバーはカナダ・ブリティッシュコロンビア州(以下、BC州)南西岸に位置する都市であり、都市圏としてはトロント、モントリオールに次ぐ国内第3位の規模を誇る。2011年の国勢調査によれば市人口は60万人、周辺都市を含むバンクーバー都市圏(メトロバンクーバー)の人口は231万人であり、いずれも前回の2006年調査よりも増加傾向にある。
現在のバンクーバーおよび周辺地域には少なくとも3,000年以上前から先住民★1が居住していたが、18世紀に英国の探検家がこの地域に到達して以降、ヨーロッパ人の入植が始まり、林業や鉱業の拠点、貿易都市として発展した。1880年代には市内東部に位置するギャスタウン(Gastown)に州都が置かれ、周辺地域が発展するとともに大陸横断鉄道定期便の開業、東洋との間を結ぶ航路の開設などによって大西洋側と太平洋側を結ぶ北太平洋の重要な港湾都市として成長していった。
このような交通、貿易の結節点として都市バンクーバーが発展してくなかで、日本、中国から多くの移民が労働者等として移り住み、市内東部にそれぞれエスニックタウンを形成した。第二次大戦中に行なわれた日系人の強制収容をおもな理由としてバンクーバーの日本人街は衰退したが、中華街はその後も発展を続け、今日では北米でも有数の規模となっている。今日ではバンクーバー都市圏人口の45%が「先住民を除く非白人」(visible minority)であり、特に中国系、南アジア系、フィリピン系が多いが(2011年国勢調査)、それ以外にもベトナム系、カンボジア系、韓国系、日系、東欧系、中南米系など、多くの移民や移民にルーツを持つ人々が暮らしている。

2. ダウンタウン・イーストサイド地区の背景と今日の社会状況

2-1. 形成過程と地域荒廃

ダウンタウン・イーストサイド(Downtown Eastside:以下、DTES)地区はバンクーバー市東部に位置する。行政区画としてのDTESはギャスタウン、中華街、工業地帯も含まれる2平方キロメートルの範囲であるが、いわゆる簡易宿泊所街、低所得地域に限定すると0.2平方キロメートル程度である★2。DTES地区は先述したギャスタウンとも徒歩圏内の位置にあり、20世紀半ばまでは市の中心地区に隣接した地域であった。当時は地区内および近隣に大陸横断鉄道の駅、旅行者対象のホテル、劇場、商業施設等が置かれ、繁華街として賑わった。さらに隣接地区には日本人街、中華街など移民コミュニティが生まれ、発展していった。しかし、第二次大戦後、行政・商業地区が市内他地域へ移動したことでDTES地区は衰退し、林業、建設産業に従事する労働者、低所得層向けの簡易宿泊所(Single Room Occupancy: SRO)街となっていく。
SROの典型的な部屋は3m四方と狭小であり、シャワー・トイレ、台所は共有である。部屋数は年々減少しており、1970年には約13,330部屋であったものが2006年には約6,000部屋、2011年には約5,000部屋に数を減らしている。
カナダでは1960年代から精神保健医療の脱施設化が進められたが、BC州でも1970年代に州財政の改善を図るために地域を拠点とする医療システムへの転換が図られ、入院患者の多くが退院し地域社会での生活を始めた。この施策については、その後、他の先進諸国等に広がる、地域での医療ケアの先駆的事例という評価も多い。しかし、このとき患者受け入れに対する地域での体制が未整備であったことがその後の入退院の繰り返しやホームレス増加を生み出したという批判もなされている。実際に、地域社会で受け入れられなかった精神疾患患者の多くが行き場を失なって結果的にDTES地区でホームレスとなり、同時に薬物への依存を高めたという指摘もある。特に1980年代にはDTES地区では薬物汚染とそれにともなうHIV/ AIDS問題が深刻化し、北米でもっとも荒廃した地域のひとつに数えられた。

DTES地区内の簡易宿泊所(SRO)(2012)

2-2. コミュニティ活動の展開と住民支援

こうした状況に対し、1970年代から低所得層、労働者の生活を支援する活動がコミュニティセンター、キリスト教会、その他の市民活動家らによって進められてきた。今日でも地区内および近隣で市民団体、キリスト教会、慈善団体などによる炊き出し、シェルターや生活物資の提供が積極的に進められており、毎日、朝・昼・晩の3食を炊き出しや教会の食堂で無料で食べることができる。
コミュニティ活動としては、公立のカーネギー・コミュニティセンターが1980年代に開設され、今日まで図書館分室、談話室、食堂、ホールなどが一般に開放されている。カーネギー・コミュニティセンターでは住民を対象にした成人教育、工芸やダンスなどのワークショップがほぼ毎日開催されているが、各プログラムの内容や運営方針は運営委員会と地域社会に長年関わってきたスタッフらによって検討、決定されている。日本でのコミュニティセンターと比較すると、カーネギー・コミュニティセンターははるかに独立性の高いプログラムを実施し、低所得層への支援というこの地域共通の課題に中心的に取り組んでいる。いわばコミュニティ活動の拠点ともいえよう。
同時に、「薬物依存は犯罪ではなく治療の対象である」との考えに基づいて依存症患者を排除しない社会運動が進められてきたこともDTES地区の特徴のひとつである。1998年には薬物依存者(利用者)を対象に権利保護、生活改善、居場所づくりといった支援を行なう「VANDU(Vancouver Area Network of Drug Users)」が組織され、さらにVANDUなどの要求によって安全で衛生上問題のない環境で薬物注射を打つことができる施設Insiteが2003年に地区内にオープンした★3。こうした施設があるのは北米でも唯一この地区だけである。このほかにも、薬物を利用している者でも利用できるコミュニティセンターが地区内のNGOによって運営され、居場所づくりや住民の生活支援を行なっている。
このように、DTES地区は、貧困問題を抱えている低所得層、ホームレスに対して幅広い支援活動、資源の提供がなされる場であり、またそこでは多くの一般市民・学生がボランティア活動に従事している。

キリスト教会内に設けられているホームレスのための荷物保管所(2013)

2-3. 先住民による社会運動における役割

日本の「寄せ場」、簡易宿泊所街とは異なり、DTES地区は単身男性だけの街ではなく、母子世帯や単身女性も暮らしている。男女ともに人口に占める先住民の割合は市内他地区よりも高いが、同時に行政の先住民支援施策として先住民を対象にしたクリニック、コミュニティセンターも置かれている。また、DTES女性センター(NGO)のように先住民女性を対象とした生活支援、居場所づくりの活動を行なう、おもに先住民女性を中心に運営される団体もある。
この地区では貧困ゆえに売春をよぎなくされる女性も少なくないが、そのなかには先住民も含まれている。路上での売春は危険と隣り合わせともいえるが、1992年にDTES地区近くで女性の惨殺遺体が見つかり、その後、路上から連れ去られ殺害された女性たちの遺体が次々に見つかるという事件があった。被害女性の多くが先住民であったことから、先住民女性への暴力反対を訴えるマーチが先住民グループによって毎年2月にDTES地区で行なわれるようになり、市内外から大勢の人々が参加している。このように、DTES地区はたんなる貧困地区ではなく、そこで暮らす人々、特にマイノリティ・グループの支援、権利のための社会運動の拠点という役割も担っているのである。

殺害された女性たちを悼み毎年2月に行なわれているメモリアル・マーチ(2012)

2-4. 福祉住宅の増加と社会企業の活動

市政府の統計によれば2001年時点でDTES地区では非市場住宅が全体の3割を超えていたが、これらは行政、非営利組織、先住民組織、教会、ホームレス支援団体等によって建設、維持管理がなされているものであり[林2004: 196]、今日、福祉住宅(社会住宅=social housing)と呼ばれる。古くから活動を行なってきたキリスト教会は1980年代に福祉住宅を地区内に2棟建設し、ホームレスであった人々の居住確保を進めてきた。今日では、福祉住宅に入居する人々をはじめ、簡易宿泊所住民の多くが社会扶助(生活保護)を受けて暮らしている。

キリスト教会によって1980年代に建てられた福祉住宅(2013)

このように、支援団体等によって新しく建設される福祉住宅がある一方で、近年は行政による一部の簡易宿泊所の福祉住宅への転用も行なわれている。2000年代に入り、行政(おもに州住宅局)が簡易宿泊所をリノベーションして福祉住宅とし、運営を社会企業に委託する事例が増加してきた。また、居住面だけでなく生活面の支援も含んだケア付き住宅(supportive house)を委託運営する社会企業もある。現在、簡易宿泊所運営や不動産管理によって収入を得て、それをコミュニティセンター運営などに充てる社会企業が複数存在する。このように、福祉住宅が増加し、その運営が社会企業によって担われているという構図が今日のDTES地区にはある。

福祉住宅にリノベーションされた元簡易宿泊所(2010)

社会企業が運営する福祉住宅(元簡易宿泊所)、1階には同じ社会企業が経営するカフェ、衣料品店、菓子店などが入っている(2013)

3. コンドミニアム建設ラッシュとダウンタウン・イーストサイド地区周辺におけるジェントリフィケーション

3-1. バンクーバーにおける家賃高騰とコンドミニアム建設ラッシュ

バンクーバーにおける初期のジェントリフィケーションとしては、1960年代にヒッピー文化が盛んであったキツラノ地区が1970年代以降に高級住宅街となり、高所得層向けのレストランやカフェが増えたことがまず指摘される。また、ギャスタウンなど旧市街地の整備、観光地化とそれにともなう低所得層の流出も挙げられるが、同時にジェントリフィケーションと地域活性化(revitalization)との差異についてもたびたび議論がなされてきた。
バンクーバーでは1990年代以降、賃貸住宅の空き室率が1%前後で推移して慢性的な住宅不足が続いてきたが、同時に投機的な賃貸用のコンドミニアムが多数供給される状況が続いている★4。バンクーバーを含むBC州内では2010年2月に冬季オリンピック(第21回オリンピック冬季競技大会)が開催されたが、開催が世界同時不況(リーマンショック)後、まもない時期であったことから大会運営への経済的打撃も大きく、選手村として使用された住宅が大会後に売れ残るなどした。一方で、「世界でもっとも住みやすい街」の上位につねに名が挙がるなど移住希望者は途切れることなく、またアジアからの移民も多い。こうしたことから人口は依然として増加傾向にあり、そのこととも関連して、今日、バンクーバーは世界的にも見ても住宅価格が高騰している都市となり、「世界で2番目に住宅取得が難しい都市」とする報告書もある★5
2012年1月にカナダの大手不動産仲介会社が発表した2011年第4四半期の住宅価格報告ではバンクーバー都市圏の一般的な2階建住宅平均価格は約8,500万円、コンドミニアム(分譲集合住宅)の場合は4,000万円以上であり、いずれもトロントなど他の国内都市よりも抜きん出ている。こうした住宅価格高騰は、居住、投資双方を目的としたコンドミニアムの建設ラッシュにもつながっており、とくに近年議論の対象とされているのはDTES地区と周辺(中華街の一部を含む)でのコンドミニアム建設にともなうジェントリフィケーションである。

3-2. ダウンタウン・イーストサイド地区におけるジェントリフィケーション

DTES地区のジェントリフィケーションの象徴として指摘されるのが、かつて百貨店であったウッドワーズ(Woodwards)の建て替えである。ウッドワーズ百貨店は1903年にDTES地区にオープンし、バンクーバー市民に人気の百貨店として知られていたが、地区商業の衰退とともに経営が低迷し、1993年に倒産・閉店した。その後、建物は長いあいだ放置されていたが、市が主導するDTES地区活性化の一環として2006年に取り壊され、行政機関オフィス、商業施設、ミドルクラス向けのコンドミニアム、福祉住宅が入る複合施設として2009年に生まれ変わった。世界同時不況後とはいえ、オリンピック直前で住宅不足、家賃高騰が問題となっていたバンクーバー都市圏のミドルクラスにとって、他地区よりも安価なウッドワーズのコンドミニアムは注目の的となり、販売開始と同時に売り切れる状況であった。

2009年に複合施設として生まれ変わったウッドワーズ。上階がコンドミニアムと福祉住宅(2012)

しかし、市民団体の調査によれば、ウッドワーズ建設にともなって周辺の簡易宿泊所の家賃が上昇し、そのことが地区全体の簡易宿泊所の家賃上昇につながっている★6。また、先述したように簡易宿泊所の部屋数は全体に減少しているが、DTES地区および周辺では2005年から2012年のあいだに新規に集合住宅計2,324室が建設されている。しかし、そのうち社会扶助の基準に合わせた家賃設定の福祉住宅は602室で、残りは一般向け住宅(大半がコンドミニアム)であった[Swanson and Drury 2012]。つまり、現在のDTES地区で指摘されていることは、安ホテルが開発業者に売却されてコンドミニアムに建て替えられ、そのことが低所得層の居住の選択肢を狭め、より居住状況を困難なものとしているという問題である。
また、新しく建設されたウッドワーズ内のテナントショップ(スーパーマーケット、ドラッグストア)やウッドワーズ周辺に新しくオープンした店舗(レストラン、バー、カフェ、家具店など)はいずれもミドルクラス層を顧客対象とした価格設定、店構えとなっている。こうした店舗の進出にともない、特に若者層にとってDTES地区は「新しい店がオープンした、いまおしゃれな場所」として注目されるようにもなっている。これらの動きはDTES地区全体や中心部ではなく、あくまでも一部で進んでいる事象だが、こうした状況が地区全体の地価上昇、家賃上昇につながり、低所得層の生活圧迫につながることを地域関係者は懸念している。

ウッドワーズの近くに新しくオープンした衣料品店(右)(2013)

また、DTES地区に隣接する中華街でもコンドミニアム建設が進んでいる。現在、バンクーバーの中国系住民のうち生活の安定した2世、3世は郊外に居住する者が増え、郊外に新しい中華街(中国系コミュニティ)もできた。古くからある中華街は建物の老朽化、住民の高齢化に直面しているため地域経済活性化を望む声がある一方、コンドミニアム建設が中華街の雰囲気、街並みを変えるのではないかという懸念も生じている。また、中華街のなかにも低所得層向けの簡易宿泊所が多く立地しているが、それらがコンドミニアムやミドルクラス向けの店舗に建て替えられることによって人々が住居を喪失するのではないかという懸念の声もある。

中華街のなかにある簡易宿泊所(2012)

4. ジェントリフィケーションに関する議論の行方

簡易宿泊所家賃の上昇、コンドミニアム建設といった近年の動きに対して、複数の市民団体は低所得層を地区から閉め出す要因になるとして反対運動を行なっている。2012年末、以前は簡易宿泊所であった場所に1階がミドルクラス向けのフランス料理店、上階がコンドミニアムという建物が建設されたが、それが地域住民にとって愛着のある小広場に面して建てられたこと、フランス料理店がその広場名に似た店名をつけたことなどから、住民たちの反感を買い、「ジェントリフィケーションである」としてオープンと同時に閉店を求める抗議デモがほぼ毎日行なわれるようになった。こうした出来事に際して、ミドルクラス向けの店舗の進出が低所得層の生活困窮につながるとして反対の立場をとる者もいれば、そうした反対運動は地域経済の活性化に悪影響であると問題視する者もいる。
また、1950年代から長年にわたって地域で経営を続けてきた精肉店が2009年に閉店した後、起業家によって買い取られ、かつての店名のまま精肉および軽食店として2011年に開店した。これに対しても、地域内では「地域経済に貢献している」「以前の客であった低所得層が利用できる価格の店ではない」といった賛否両論がある。現在のDTES地区で生じている状況が「ジェントリフィケーションである」として批判する地域関係者や社会運動家の多くは、福祉住宅の充実による低所得層の居住確保が優先されるべきと福祉政策の拡充を求めるが、一方で市場経済の自由は尊重されるべきであるとの信念も同時に持ち、行政による出店規制には反対の立場をとる。

フランス料理店のオープンに反対して抗議活動をする市民団体(2013)

ジェントリフィケーションに関する議論の一方、DTES地区では2011年より行政・商工会議所・住民組織等によるまちづくり協議Local Area Plan(LAP)が進められている。このまちづくり協議は行政区画上の範囲を対象としているため、簡易宿泊所街だけでなく周辺の住宅街も含めた、異なる立場、異なる社会背景の人々によるものである。低所得層のための雇用創出、地域活性化と人々が家賃上昇に怯えることなく安心して住み続けられる地域づくりがいかにして可能なのか、今後もいっそうの議論が必要である。


★1──カナダではイヌイットもしくはメティ以外の民族を「the First Nations」と呼ぶ。現在、630を超えるthe First Nationsの民族がいるが、そのほぼ半数はBC州もしくはオンタリオ州に居住している。
★2──市民の多くは簡易宿泊所街を指してDTES地区と呼ぶことが多い。以下で用いる「DTES地区」は狭義の範囲を指している。
★3──衛生的な注射針が提供され、医療スタッフによって利用者の精神面でのケア、過剰摂取時の医療対応なども行なわれている。運営費(年間約50万カナダドル)は保健局が支出している。
★4──ピーク時の1995年には5千戸近くが供給された[林 2004: 197]。
★5──"9th Annual Demographia International Housing Affordability Survey: 2013 (Data for 3rd Quarter 2012)"
★6──市民団体が毎年行なっている簡易宿泊所の家賃調査では、社会扶助額との関連で「425カナダドル以上」を「very unaffordable」としているが、2012年調査では調査対象2,202室のうち2,042室が425カナダドル以上であった。

参考文献
Alcock, Pete and Craig, Gary, eds. 2001, International Social Policy: Welfare Regimes in the Developed World. Palgrave: Basingstoke.(=埋橋孝文ほか訳『社会政策の国際的展開──先進諸国における福祉レジーム』晃洋書房、2003)。
新井光吉『勤労福祉政策の国際展開──アメリカからイギリス、カナダへ』(九州大学出版会、2005)。
Boyd, Susan, Macpherson and Osborn, Bud, 2009, Raise Shit!: Social Action Saving Lives. Fernwood Publishing: Winnipeg.
Campbell, Larry, Boyd, Neil and Culbert, Lori, 2009, A Thousand Dreams: Vancouver's Downtown Eastside and the Fight for Its Future. Greystone Books: Vancouver and Toronto.
Drury, Ivan and Swanson, Jean, 2011, "Upscale: The Downside of Gentrification." (CCAP 2011 Hotel Survey)
林上『現代カナダの都市地域構造』(原書房、2004)。
Hugill, David, 2010, Missing Women, Missing News: Covering Crisis in Vancouver's Downtown Eastside. Fernwood Publishing: Winnipeg.
木村真理子「カナダの精神障害者施策と日本の近未来像──カナダ精神保健政策の展開過程」(『月刊ノーマライゼーション』、2000、20-27頁、40-43頁)。
岸上伸啓「カナダにおける都市イヌイットの社会経済開発──ホームレス問題を中心に」『みんぱく実践人類学シリーズ7 開発と先住民』(明石書店、2009、331-353頁)。
Shier, Reid ed., 2002, Stan Douglas: Every Building on 100 West Hastings. Contemporary Art Gallery: Vanouver.
Swanson, Jean and Drury, Ivan, 2012, "We're Trying to Get Rid of the Welfare People': CCAP's 2012 Hotel Survey and Housing Report".

参考ウェブサイト
"9th Annual Demographia International Housing Affordability Survey: 2013 (Data for 3rd Quarter 2012)" URL=http://www.demographia.com/dhi.pdf
カナダ統計局 URL=http://www.statcan.gc.ca/
バンクーバー市, 'Downtown Eastside Local Area Plan' URL=http://vancouver.ca/home-property-development/dtes-local-area-plan.aspx


やまもと・かほるこ
1973年生まれ。博士(社会学)。首都大学東京都市環境科学研究科都市システム科学域准教授。著書=『横浜・寿町と外国人──グローバル化する大都市インナーエリア』。共著=『実践のフィールドワーク』『移民をめぐる自治体の政策と社会運動』『貧困と社会的排除──福祉社会を蝕むもの』『不埒な希望──ホームレス/寄せ場をめぐる社会学』『移住労働と世界的経済危機』。


201307

特集 都市的なものの変容──場所・街区・ジェントリフィケーション


東京で一番住みたい街、吉祥寺──街の魅力とジェントリフィケーションをめぐって
北米都市におけるジェントリフィケーションの展開──バンクーバー ダウンタウン・イーストサイド地区の現在
想像力という理路──「黄金町バザール」と都市再開発をめぐって
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