東京で一番住みたい街、吉祥寺──街の魅力とジェントリフィケーションをめぐって

新雅史(社会学者)×笠置秀紀(建築家、都市研究)

「住みたい街」としての吉祥寺

新──吉祥寺は久しぶりに歩きました。さすが「住みたい街」ナンバー1になるだけのことがあるな、と感じ入りました。今日は、笠置さんと5,6時間ほど吉祥寺を歩きましたが、多くの人は、特定のお店に行くという目的だけで歩いているわけではないようです。ゆっくりと風景を楽しむように歩いている姿を見て、来街者が吉祥寺を楽しみたい気持ちを見てとることができました。
では、吉祥寺と他の街は何が異なるのでしょうか。まずは緑が多いことがあげられます。吉祥寺のように人が多いといくぶん気疲れしがちなのですが、一休みすることができるスペースがあって、そのスペースが緑に囲まれている。井の頭公園の存在が大きいとは思いますが、それだけでなく、路面店が散らばっている吉祥寺北口の西側の奥には吉祥寺西公園と中道公園があります。吉祥寺西公園は、まだしっかり育っていませんが芝生がひろがっていて、多くの人がそこで地べたに座って休んでいました。吉祥寺はショッピングを楽しむことができるし、靴をぬいで幼心に戻ることができる空間がある。そうした場所があるのは下北沢や高円寺とは違うところで、魅力的で優位な点だと思います。とはいえ、吉祥寺に緑が多いのは今に始まったわけではありません。以前から、吉祥寺といえば、井の頭公園だったわけですから。以前に比べると、緑を楽しむことができるような、敷居の低い「まちあるき」ができるようになったことが以前との違いなのでしょう。

新雅史氏、笠置秀紀氏

fわたしは今年で40歳になりますが、上京した20年前の吉祥寺は、もっと敷居が高いというか、来街者を選ぶ雰囲気がありました。20年前は、インターネットがなかったこともあって、街の情報を仕入れるルートは、雑誌メディアか、文化資本が高い人に頼るしかありませんでした。
当時、文化資本が高い人たちは、代官山・吉祥寺・下北沢・自由が丘といった場所に出入りしていましたが、彼らから情報を摂取するためには、ある程度、音楽やファッションの情報に通じている必要がありました。たとえば代官山にはいくつか有名なセレクトショップがありましたが、ファッション情報に詳しければ楽しい街でしょうけれど、疎ければ普通の商店街にしか見えず楽しくないわけです。吉祥寺は古くからのジャズ喫茶や喫茶店、下北沢には古着屋がありましたが、やはり「一見さんお断り」という一種のサブカル臭が漂っていて、正直言うと苦手でした(笑)。
とはいえ、それでも吉祥寺は、大型店も公園もあったので、代官山・下北沢と比べると間口が広かったとは思います。1980年代から90年代は、雑誌メディアが初期の郊外地域----吉祥寺・下北沢・高円寺・自由が丘----を商品化しはじめた時期です。住宅地しかない場所を郊外というならば、郊外の風景を「商業化」することがはじまったのです。当時の雑誌メディアは、住宅地のなかにある隠れ家的なお店を発見するとか、街歩きをするような特集をおこなっていました。
わたしも東京の女性とデートをするためにそうした雑誌メディアから情報を摂取していました。つまり雑誌メディアの戦略にまんまと乗せられた口でした(笑)。今では「まちあるき」ブームもあって、とりたてて特殊なことではありませんが、当時は、ヨソモノが住宅地を歩くことは特殊なふるまいでした。わたしは、たとえば吉祥寺を歩く場合は、吉祥寺特集の雑誌の情報を頭にたたき込んで、街に出掛けていました。デートにガイドブックを持っていくことが恥ずかしいこともありましたが、それだけでなく住宅街をキョロキョロして歩くのは不審者に近いからです。それが渋谷スペイン坂を歩くときの違いです。渋谷スペイン坂は、そもそもヨソモノのためにつくられたスペースであり、そこでガイドブックを持つことは決してコードに違反する行為ではありません。住宅地をベースにした商業地区だからこそ、中央線の商業地区を歩くことは敷居が高かったわけです。それは商業地区と住宅地区が明確に区分されていた地方出身者の感覚かもしれないですが。
また、敷居が低くなったという点では、中央線文化といわれるジャズやロックの意味が変容したことがあるでしょう。たとえば、1990年代前半まではタワーレコード・WAVE・HMV・ヴァージンといえば一部の音楽好きが行く「ヒップな」場所でした。そして、そうした場所で、積極的に音楽文化を摂取していた層が、中央線の居住者だったわけです。つまり、ロックやジャズは、若者にとってディスタンクシオン(差異化)のツールであり、それが中央線の「匂い」をつくりだしていた。ですが、ロックが横並びのサブカルチャーのひとつに過ぎなくなり、また、レコード文化や喫茶店文化の弱まりによって、ユースカルチャーと中央線のつながりも薄れました。中央線のなかでは、高円寺が比較的ロックとつながりを持っていますが、じつは高円寺では来街者の数の減少に苦しんでいます。吉祥寺が来街者を減らせずに済んでいるのは、「中央線文化」から距離をとり「無色化」することに成功したからといえるかもしれません。
くわえて、吉祥寺を歩いていて気付いたのは、「地元」の人たちが不動産資産をうまく活用して、街の活気をつくりだそうと工夫していることでした。たとえば、吉祥寺北口の西側にある「中道通り商店会」では路面店が面的にひろがっていて、歩いてとても楽しいエリアですが、その地域の不動産所有者や事業者は、よくあるような雑居ビルをつくってテナント化するのではなく、みずから事業をおこない、街の活性化につなげていました。たとえば、元魚屋さんの二代目店主が魚をメインにした創作料理屋をやるとか、マンションのオーナーが一階部分をみずからのアイデアでリノベーションし、テナントもその「ノリ」にあわせてストリートレベルに開放していました。そして来街者はそこで購入したドーナツを公園で食べたりしているわけです。吉祥寺の事例をモデル化することは慎んだ方がよいとは思いますが、親から受け継いだ資産を吉祥寺の特徴を活かしつつ展開している点がたいへんに興味深かったです。


笠置──僕は生まれが吉祥寺で、両親は「中道通り商店街」でブティックをやっています。西武デパートにコサージュを卸すメーカーでもありました。華やかな店ですが内実は零細企業です。新さんの『商店街はなぜ滅びるのか』のあとがきを読んで痛く共感しました。新書で泣いたのは初めてです。生まれ育った商店街の風景として、小学生の80年代あたりから、コンビニが3軒立て続けにオープンしていたことが印象的です。高校から大学時代は、よくある話ですが地元がなんとなく嫌になり、ファミレスや都心が居場所となっていました。
吉祥寺のフィールドワークを始めたのは、2005年頃からです。『Hanako』を持って街を歩く人が増え、「街のイメージ」に対する違和感からフィールドワークやリサーチを始めました。雑誌メディアにおける吉祥寺の取り上げられ方や、生まれ育ちながら目を向けていなかった歴史の文献をあたったり、街のキーマンへのインタビューをしています。
吉祥寺の文化も変遷してきています。かつてのジャズ、ロックから、1980年代に漫画やアニメの街に変わりました。漫画家が多く住む街でもあり、アニメの舞台になったり、スタジオ・ジブリもありました。また、そういったアニメカルチャーを扱うお店もかなりありました。プラモデル屋さんや、フィギュアを販売するお店、未だに「アニメイト」は一店だけ残っています。市民は、アニメ文化にシビックプライドのようなものを感じていたかもしれません。ところが、2006年頃にそれらが軒並みなくなってしまいました。リーマン・ショック前で、地価が上がっていた頃です。また、北側の中心を走る「吉祥寺サンロード商店街」がチェーン店ばかりになっていきました。これも地価が上がったことと関係しています。
僕の予想ですが、資料を調べていくと1998年から始まった東京ウォーカーの「住みたい街ランキング」で吉祥寺が2005年から連続1位になる時期と関係していると思います。それまでは三軒茶屋や自由が丘の下で2位から5位の間でした。2000年代中盤からから不動産や住宅メーカーもインターネット上で「住んでみたい街ランキング」を実施し始めた時期でもあります。そのアンケートは多くて母数3,000人前後なので、統計というよりは、メディア的な影響が大きいと思います。つまり、回答者は実感的に住みたいというよりは、ある種のイメージが広がっていて、それを見る人がまた住みたくなるというような、欲望のシミュラークル的増殖があります。ちょうどその頃から、アニメ、オタク系カルチャーから、ナチュラル系、つまり、自然食品や、女性に受ける衣料・雑貨店が増えてきました。自由が丘に本店があるお店が支店を出したり、北欧系のブランドが出店するというケースです。現代都市の理想的なイメージとして、ナチュラル、エコロジーを押し出した街になっていると思います。『Hanako』の吉祥寺特集から「おいしさ」の見出しが消えて食からライフスタイルに焦点を当てるようになったのもこの頃です。確かに、新さんがおっしゃるように、おしゃれをして行くような街ではなく、リビング感覚で歩ける敷居の低い街というイメージはありますが、実際の住人の日常生活の場としての魅力は下がっていきました。

新──昨今、吉祥寺はハーモニカ横丁が有名ですが、同じ闇市あがりの空間といっても、上野「アメ横」と比べると、生鮮三品のお店(魚屋・肉屋・八百屋)が極端に少ない。生鮮三品のお店は大型スーパーマーケットなどの展開によって、全国的にも少なくなってきています。たとえば、東京東部ではそれが業態展開するとコロッケ屋になるのですが、吉祥寺ではそうした展開をほとんど見ることができません。不動産価格が高く、そういった商品では単価が安過ぎるからです。たいてい、リストランテや寿司屋などに変化します。本当は、生鮮三品のお店がハーモニカ横丁にあってもよさそうですが、それらのお店は駆逐され、「路地らしさ」を活かした立ち飲み居酒屋ばかりが残っている状況です。
惣菜屋さんは活気のある商店街の必須の業態といってよいと思います。男性サラリーマン+専業主婦というブレッドウィーナーの家族モデルは徐々に姿を消しているわけで、当然ながら、生の食材を購入して家庭で調理をするというのは、今の家族にとってはあまりに非効率です。そこで増加しているのが「中食」とも言われる惣菜屋さんですが、こうしたお店は中央線沿いでは西荻窪には多くあります。じつは吉祥寺にまったくないかというとそんなことはありません。ただそれは商店街ではなく「東急」の食品売り場にあります。吉祥寺の消費者が「東急」で惣菜を購入する効果が2つあるように思っています。まず、東急の袋に惣菜を入れていれば、ヨソモノに対して惣菜を購入したことがわからないという効果。第2に、惣菜を東急で購入するという他の街に対する優越感という効果です(そして二番目の効果は主に吉祥寺在住者に向けられています)。商店街での購入は他者に何を消費したのかを明らかにせしめるという可視化の効果がありますが、吉祥寺の場合は、非可視化の効果があるというわけです。



ハーモニカ横丁

笠置──日常的な食料品について言えば、高架下にある駅ビルの「ロンロン」が比較的安かったのですが、縮小してしまいました。商店街にあった生鮮三品を扱ったお店もどんどんなくなってきていて、コンビニで買うことも多かったです。惣菜屋としては、吉祥寺の真ん中にメンチカツの有名店「さとう」があり、いつも行列していますが、それはおそらく日常の食欲を満たすためのものではなく、おみやげの延長であったり、ある種「日常生活の幻想」として買いに来ているのではないかと思います。やはり、2005年のランキングで一位になったことはそれらのイメージのキッカケになっていると思います。ちなみに、森川嘉一郎さんの『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬舎)が出たのも2003年ですが、秋葉原も電気街から「オタクの街」と定義されました。三浦展さんの『吉祥寺スタイル--楽しい街の50の秘密』(文藝春秋)は2007年です。街がある定義付けをされると、そのイメージだけが先走っていくということがあると思います。


201307

特集 都市的なものの変容──場所・街区・ジェントリフィケーション


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北米都市におけるジェントリフィケーションの展開──バンクーバー ダウンタウン・イーストサイド地区の現在
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