「Playback」と「建築映画」

鈴木了二(建築家)+三宅唱(映画監督)
三宅唱氏(左)、鈴木了二氏(右) 

鈴木了二
『建築映画 マテリアル・サスペンス』
鈴木了二──今日は、僕の『建築映画 マテリアル・サスペンス』の出版記念のトークショーでぜひ三宅唱さんとお話したいとお願いをして、来ていただきました。
この本は実は5年くらい前からずーっと苦労して書いていて、去年の10月くらいにほぼ書き終わり、最終ゲラをチェックしていたところで、三宅さんの映画『Playback』を観て、驚きました。『マテリアル・サスペンス』で僕が書いた「建築映画」がいきなりそこに出現したと思いました。いやホントに。原稿を仕上げるギリギリのタイミングだったので、あわてて『Playback』をトンネル映画ってところに書き足したんです(笑)。

三宅唱──ありがとうございます。

鈴木──それから本のはじめの方に映画のスチール数点を掲載したカラーページがあります。トニー・スコットの『アンストッパブル』から始まり、終りに『Playback』の写真を入れさせてもらいました。

三宅──ありがとうございます。本当はペドロ・コスタ監督や青山真治監督がここに座っていた方がいいんじゃないか、とも思いつつ、のこのこやって参りました。

鈴木──いやいや(笑)。

三宅──こんな日ははじめてですし、二度とないかもしれないので、今日はいろんな話ができればなあと思います。ホントうれしいです。

鈴木──ムチャクチャ若いですよね、三宅さんは。

三宅──実は鈴木さんとちょうど40歳違うということが分かって、衝撃をうけました。あんまり意識しすぎると何も喋れなくなりそうなので、いま鈴木さんと僕が並んでいる画を客観的に想像すると、これはこれでけっこういい感んじじゃない?と勝手に思っています(笑)。
青山真治監督が僕のちょうど20歳上です。さらにちょうど20歳上に鈴木了二さんがいらっしゃり、そしてトニー・スコット監督も同年の生まれだったと思います。

鈴木──いやぁ恐ろしい話だね、それ。

三宅──今日はどうぞよろしくお願いします。

ヤバい本

三宅唱氏
三宅──この本は見た目からして「あ、なんか危険だな」という感じがしました。手に取ってみた瞬間、あまりの軽さに驚きました。本を開いたらなにか仕掛けが飛び出てくるんじゃないかと恐る恐るページをめくるという感じで、「危なっかしい本だなあ」と。そして内容も、僕のような映画の作り手にとっては、まさに危険でやっかいな本だった。
ある種の映画を観ていると、その映画を観るのを途中でやめて「いますぐ俺も映画を作りたい!」と思う映画がある。批評でも、そのなかのいろんな描写を読んで、こんな出来事を俺も撮ってみたいと強烈に感じるときがある。『マテリアル・サスペンス』も、読んでいる間中、いますぐ外に出て「建築映画」を撮りたい、という欲望に駆られる本でした。建築と映画のその渦がグルグルっとなっているところに巻き込まれてく感じが、心地よくもあり、「ヤバい、ヤバい」と焦るような、そんな感じでした。
例えば、まずページを開くと、目次もなく突然、カサヴェテス『グロリア』論がある。『グロリア』はずいぶん前に観てほとんど忘れてしまっていましたが、冒頭の空撮からニューヨークの町にいたる流れが見事に書かれている。それを読んでいるうちに、「そのままパクって東京で同じように撮ってみたい」と思ってしまうわけです(笑)。そういうヤバさがあります。「横移動」も撮ってみたいとか、「トンネルは撮ったから、よし」とか。

鈴木──ああー。そうでしょうか、うれしいです。

三宅──他にも、黒沢清監督の映画について、カメラが建築を見上げて横移動するカットが指摘されていますが、「よし、必ず次撮るぞ」と頭のなかにメモしてから、「いやいや、そんなこと考えて映画撮っちゃダメだ」とあわててメモを捨てるような、そういう戦いをしながら読みました。

鈴木──ありがとうございます。この本はデザイナーの吉岡秀典さんがデザインしてくださったんですが、僕自身も本のつくり自体をちょっと違う感じにしたいと考えていました。でもここまで軽くできるとは思っていなかった。330ページくらいありますが、この厚さで文庫本より軽い。量ってみたら文庫本は1冊、350グラムから400グラム近くありますが、この本は300グラムちょっとで、まるで綿菓子みたいな軽さです(笑)。 それからどんどん加速してきて僕も途中でヤバくなってきたなぁと思ったんですよね、実は。僕のドローイングが面白いとか言って、表紙をね、凝り出しちゃって......。

三宅──この表紙は、一度取り外してしまうと、元に戻らないんじゃないかって心配になる。そのサスペンス感もあります。

鈴木──表紙は僕の建築に関するドローイングや写真です。表紙にだけ、僕の作品が使われていて、本のなかの画像はすべて映画です。映画を建築で守っている。建築はせいぜい守るくらいのことしかできないわけです。

三宅──なるほど、なるほど。

鈴木──映画館という建物も、光を守っているわけです。漏れないように、光が入らないように。だからこの本も映画館的な、映画の守り方かもしれないという、若干の建築の自負がありました。
それと、ご指摘いただいた本の始まり方についてですが、映画ではよくやりますよね、タイトルが始まる前に映像が入るというスタイル。『Playback』もそうです。

三宅──アヴァンタイトルと言われるあれですね。

鈴木──そう。この本でもあれやりましょうって、やった。で、はじまりをピンクの紙にして。僕はピンクっていうのはあんまりまだ、なじまないなあって思っていますが、でもピンクで来ちゃった(笑)。

三宅──ピンクのページというだけでなんだかヤバいことが書いてありそうです。

鈴木──そうです、そして途中でいきなりカラーページ入れて、なんとなくそこから始まっちゃう。それからクリント・イーストウッドの『チェンジリング』のスチールに「マテリアル・サスペンス」という文字を大きく入れてしまった。『マテリアル・サスペンス』っていう映画みたいでしょ、これ。

三宅──確かに(笑)。いいですねそれ。

鈴木──デザイナーの吉岡さんと編集の高田さんに頑張っていただいて、僕が思っているところをどんどん先にいかれたという感じがあります。
僕は自分の作品に「物質試行」ってタイトルをつけているんです。ちょうど三宅さんの歳くらいのときに1番からつけ出した。

三宅──ああ、そんなに前からのプロジェクトなんですね。

鈴木──先のことを考えずにやっていたんですが、いまではなんと「物質試行」50番台あたりまで来ています。物質試行というくらいだから、素材の物性に関してはずっと関心がある。この本は、僕が思っている以上にいきなり物質的になったところが、面白かった。

あらすじと能書き

鈴木了二氏
鈴木──あとで『Playback』を観ながらお話したいですが、映画には必ずあらすじがあって、「あらすじから入っていかざるをえない」という制約がありますよね。それは建築では「なんの役に立つか」みたいなことと対応している。僕はその両方を通さないで建築や映画を読めないか、と考えています。映画におけるあらすじと、建築における能書き、その両方をすっ飛ばしたらどうなるか。そこから「建築映画」を思いついた。

三宅──「建築映画」というフレーズをはじめて聞いたときは、有名建築が出てくる映画のことかな、と思いました。でも実際読んでみると、そうではない。この瞬間さえあれば「建築映画」なのだ、というその瞬間の数々を読みながら、映画を観ていてふと時間が止まってしまうときの感情や体験を思い出しつつ、それに仮に名前をつけるならばそれが「建築映画」なのだ、という理解をしました。
『Playback』をご覧になった方はお分かりだと思いますが、僕も「物語が分かりづらい」だとか、「次撮るときは物語が分かるように撮れよ」とか言われて、一応戦っているというか、色々考えてはいる。
映画を観たり撮ったりするなかで僕も、物語にはどうやっても回収しきれないものがスクリーンには溢れている、ないしカメラはそういうものもまるごと捉えてしまう、ということに気づいてきた。だからとてもうれしい本です。なにかの役に立ってしまわないモノ、そういう瞬間について語られている本だと思います。

鈴木──役に立たないってとこが逆に危険っていう、ヤバさに繋がっているのかも。

三宅──そうかもしれません。役になんか立ってやるものか、というか、あるいは、役に立ちたいと思えるものはなんだ、というようなことを考えてきたと思っています。僕は『Playback』の前に『やくたたず』というタイトルの映画を撮りましたが、もしかするとその映画は『やくたたず』とは違う言葉をタイトルにしてもよかったかもしれない、と思ったフレーズが本のなかにありました。「建築映画とはなにか」の章に、「まあ要するに台無しってことだ」って書いてあります。この「台無し」という言葉に刺されるような気持ちになりました。さらに続けて、「『台無し』になったところから、どう始めるんだっていうことでしょう」というようなことが書かれている。自分が『やくたたず』と『Playback』をつくる過程と繋がった思いで、とても共感しました。

鈴木──そうですね。『Playback』を観て思ったのは、「一回全部ダメになった後、どうすんだ?」っていうことです。ただね、建築って「台無し」で終わっちゃったって、なかなか言えないの、職業柄。

三宅──まあ、そうですよね(笑)。

鈴木──でも実感としては、もう終わったなって。ただ、終わった後にもなにかがあるわけですよねぇ。『Playback』にはそういうものを感じた。
最初はとにかくダーッと惹きつけられるわけです。まずショットがものすごく綺麗で。カメラがあるところから動いてあるところで止まる、その入ったときのショット、アングル、フレームの切り方と、そのショットが終わるときの画が、ものすごく決まっている。だからもう食い入るように映画を観るわけです。極めてサスペンスがあります。普通サスペンスって、殺人やクスリの取引がバレるんじゃないかとかでハラハラするわけですが、『Playback』はそうじゃない。じゃあなにがあるのかなって考えたら、『Playback』は物語が持っているサスペンス感だけを残して中の物語はそっくりない、というような感じがした。

三宅──物語がそっくりない、となるとドキッとするんですが、正直、思い当たる節が多々あります。なにを撮るかと同じくらい、なにを撮らないでおくか、ということも重要なんですが、自分がそれを語るにはまだはやいです。何を撮れなかったのか、という反省込みになってしまいそうです。

鈴木──物語はあったはずだけどいらない、みたいな。「サスペンスだけあればいいでしょ」って。だからまたすぐに見たくなる。一体どうしてああいうことになるのか、やっぱり知りたいですよ。ですから立て続けに3回足を運んで見ましたが、まだまだ謎です。

三宅──三宅は引き算で映画をつくっていると人に言われたことがありますが、そのせいかもしれません。とはいえ、じゃあ引き算で残ったものはなにかというと、実は僕自身もいまだに不思議に思っていることが多いです(笑)。

鈴木──じゃあ、ちょっと具体的に『Playback』という映画を考えていきます。観ていない方がいらしたら、ぜひ劇場で観ることをお勧めします。

三宅──東京での公開は終わってしまいましたが、3月9日から広島と富山で、3月末以降には関西でやります。そこまで来てくださいとは言えませんが(笑)。東京でもたぶんまた春以降にやると思います[4月20日(土)より吉祥寺バウスシアターにて再上映が決定]。

鈴木──建築だったら、四国だってなんだって見にいくわけだからさ。

三宅──あ、じゃあぜひ広島と富山にも来てください!

『Playback』3大トンネル

鈴木──この映画は観れば観るほど、凝っていて、考え抜かれていることがよく分かる。これからいくつか抜粋した映像を見ながらお話しますが、こんなふうに映画を切って見せてしまってよいのか、という疑問はあります。でも今日は僕の「建築映画」の視点から少し単純化して話します。
まず「建築映画」の大きなテーマの一つにトンネルがあります。トンネルって一つのフレームで、周りが真っ暗という、いわば映画館と同じ構造を持っている。実際、トンネルに関心を持って撮っている監督はいる。僕は今回の本では青山さんの作品について書きましたが、『Playback』にもトンネルが惜しげもなく出てきます。普通は、映画に一ヶ所トンネルが出たら喜ぶんです、僕たちは。「おーやった建築映画!」みたいな(笑)。
ところが『Playback』はトンネル3連発です。しかも全然違うパターンのトンネルです。こんな確信犯がいたのかってうれしくなる。それをちょっと見ていきます。 ちょっと、まず最初にこの映画のあらすじを言っておくと......、でもよく分かんないんですが(笑)。

三宅──僕が説明した方がいいですかね(笑)?

鈴木──いやいや、簡単に言います。思い出や記憶みたいなものと、いま動いている時間が混ざり合って、プレイバックするっていうお話です。プレイバックするっていうのは時間がバッと後退するとか、空間がバッと変わらないといけないじゃない。それには絶対にトンネルが必要なわけです。
最初ご覧いただくのは東京から水戸にいくシーンで、文字通りトンネルが出てきます。移動する車から撮っていますが、素晴らしい映像です。最初東京からだんだん遠ざかるところはカメラが後ろ向きで、途中から前を向きます。その辺を注意して見てください。

【トンネル 1(0:00~3:03秒)】

鈴木──ある世界から違う世界に抜けていく。見たことないってくらい綺麗ですね。

三宅──今日水戸方面からいらした方がいればお気づきでしょうが、車で東京から水戸へ向かう途中には、実はあんなトンネルはないんです。

鈴木──えーっ、そうなんですか。

三宅──僕がシナリオの柱にさらっと「トンネル」と書いたのですが、ロケハンで水戸へ向かう途中で「あれ、トンネルなかったよね」と(笑)。常磐道で、水戸より先の福島方面に向かうあたりでトンネルが続くので、そのうちの一つを撮影しました。

鈴木──いやー、そうでしたか。このトンネルは湾曲していますよね。ほとんどのトンネルは入ったら、向こうの出口が見えるものです。でもこれは湾曲しているので、最初真っ暗でだんだん出口が見えてくる。それからトンネルを出ると時空が変わり、バスのところで音がパっとなくなります。あそこでいきなりタイムスリップして、30代後半の村上淳さんが学生服を着ているところに、いきなり切り替わる。重要役割を持ったトンネルの一つ目です。
他のトンネルも見てしまいましょう。次は道路の反射鏡をトンネルとして使っています。これも映画のなかの時空のズレが交差するシーンです。そこをちょっと見てください。

【トンネル 2(3:07~3:43秒)】


鈴木──片方のミラーがこの世だとすると、もう一つがあの世みたいに見えます。そこを繋ぐトンネルとして鏡を使っている。すごいところに使いました。 実は、『Playback』を観る前に鏡のことには気づいていて、本のなかでもジョン・カサヴェテスの『グロリア』に出ているミラーのことを書いていました。
街路から建物の中庭に入るシーンで一瞬カーブミラーが映ります。

【ジョン・カサヴェテス『グロリア』/グロリアがギャングのもとへ向かうタクシーから街路と(建物の)中庭を繋ぐカーブミラーへとパンするショット】


三宅──あっはっはっはっはっは。

鈴木──三宅さん、ご存知でした?

三宅──いや、知らないですよ。勘弁してくださいよ!(笑)

鈴木──街と建物のなかを繋ぐというのは、難しい。カサヴェテスはそれをミラー一発で繋げた。さらに三宅さんはミラーでこの世とあの世を繋いでしまった。そういうトンネルでした。

三宅──ちょっと驚いちゃって、いまコメントが言えないです(笑)。

鈴木──そしたら、もう一ついっちゃいましょう!次は映画の冒頭のシーンと同じ場所に、森を通って出てくるという、時空を突き抜ける重要な瞬間です。大変美しいシーンです。

【トンネル 3(3:47~7:03秒)】


鈴木──これはまた違うトンネルです。声も効果的に響きます。この「トンネル」を抜けて、森から出てくると家々が並んでいる。実際も上手い具合に場所が繋がっているんですか。

三宅──はい、あそこは繋がっています。

鈴木── 森から出てきて村上淳さんがスケボーでバーっと走るシーンのあの家並み。オープニングでもこの場所は出てくるので、まさにプレイバックしているのですが、冒頭で見たときにもうこれはただ事じゃないと思いました。建物自体は、いかにもな建売住宅の列ですが、造成地の上にそれが並んだ風景が素晴らしい。カメラの高さが絶妙です。造成地の石の基盤の高さより少し低い。これより高いと建物の足元まで映ってしまって普通のパースペクティヴになる。家並みが奥行きを見せているのに画面はフラットなんですね。ジョットの絵画のような落ち着きが生まれた。
また先ほどのショットで最後にスケボー持った子供が、画面左側に抜けていって今度は手前に入ってくる。あそこに三宅さんのショットの撮り方の独特な奥行き感がある。オープニングでは子供の動きがちょっと違います。冒頭のシーンを見てみましょう。

【トンネル 4(7:11~8:20秒)】


鈴木──このシーンはなぜか少年が左に抜けるところがない。その代わりに黒みがあっていきなり手前を横切る。で、2度目に出てくると向こうから、Vの字型でこうくる、同じようで違います。ここまでで『Playback』の3大トンネル。

三宅──出ちゃいましたね。

鈴木──『Playback』に流れる時間が魅力的ですよね。空間の移動、時空の移動がこの映画の大きな可能性なんでしょう。

三宅──高校時代と大人の時間を行ったり来たりする、また東京と水戸を行ったり来たりするということをどう繋ぐかと考えて、トンネルを選んだのだろうと思います。これまで映画を観てきた体験から、トンネル的なものが映ると時空が変わるということには薄々気づいていて、それを恥ずかしげもなくまんまとやってしまいました。もし『Playback』を撮る前に『マテリアル・サスペンス』を読んでいたら、おそらくこうはできなかった。この本で書かれてしまっていると、今後映画を撮るときにやりづらいなあ、という気もします(笑)。この本でも語られる青山真治監督の『Helpless』のトンネルも印象的でしたし、文章で読んでもハッとしました。ほかにもいくつか映画に出てくるトンネルを覚えていたために、思わず僕もトンネルを選んだのだと思います。

鈴木──トンネルという構築物は、わりと新しいものなのです。ピラミッドにはあったかもしれませんが、バロック建築やギリシア建築にはありませんよね。あれだけの穴を開けるのは近代以降の技術です。

三宅──そうですよね。

鈴木──こんな映画を観たら、僕ら建築家は本来「トンネル」くぐって出たら世界や時空がどうなっているか分からないって思って設計を考えていく必要があります。

三宅──村上淳さんが「ワーワー」と声をあげるトンネルの前のシーンに結婚式場が出てきますよね。実はあの結婚式場と森が離れた場所にありました。結婚式場が木に囲まれていたのですが、さすがに木だけでは繋げられないな、と。なにかランドマークのような人工物があれば、結婚式場と森という離れた場所が繋がって見えるかもと考えていたときに、たまたまあのトンネルがありました。
またファーストショットで映った住宅は、カメラマンの四宮秀俊とロケハンで決めました。僕はシナリオに「少年がスケボーに乗ってやってきて、倒れている男を発見する」くらいしか書いていなかった。それで、どこをスケボーで走らせようか、と延々と場所を探して、ようやく最後に、このエリアしかない、とあの場所を発見できた。
ただ、どこにどうカメラを置くのか。例えば、スケボーのタイヤを大写しにするようなファーストショットとか、少年と一緒に横移動で撮るようなことも考えていましたが、現場で四宮があそこにポンッとカメラを置いた。そのときに「あぁ、これだな」と。だからこれは彼の仕事だ、と思っています。僕が決めたのは、どのタイミングで少年がフレームインするか、ということくらいです。

鈴木──すごいファーストショットですよ。しかもこのショットが映画のなかで3度くらい出てくる。この『Playback』は、見逃してもまた出てくるからいいですよねぇ。ホント焦らなくていいわけ(笑)。タメがある。映画って前掛かりになりやすいじゃないですか。

三宅──そうですよね。

鈴木──『Playback』はそうならない。

あっち、こっち、そっち

鈴木──『Playback』は方向に関して意識的になる台詞が多いんです。「あっちだ」「こっちだ」みたいな。「そっちじゃない」「こっちだ」みたいな。

三宅──はい、とても多いです。

鈴木──それでわれわれ観客にも方向性が示される。位置関係が分かって、もう自分も映画のなかを歩けちゃうみたいな気持ちになって、記憶に残る。

三宅──ストーリー上、主人公がどう選択していくか、右に行くのか左に行くのか、前なのか後ろに行くのか、ということが重要だったので、それを暗示するために「あっちだ」「こっちだ」という抽象的な台詞を書いていました。ただ現場に出てみて、実際に「あっち」「こっち」と俳優が言うのを聞いていると、「あっち」という言葉はただの「あっち」という響きでしかなくて、将来の方向としての「あっち」という意味が乗ってないかもしれないぞ、と。じゃあどうしようとあわてて考えて、関係ないところでもどんどん「あっち」「こっち」と俳優に言わせてみよう、と。そうやって縦横無尽に動いてもらううちに、どこでも動けるんだけれど、最終的にはこっちに動いているんだよね、というようなことが見えてくる気がした。現場では、自由に動けることと動けないことを撮っていくという仕事をしたのかな、と思います。

鈴木──なるほど。自由に動けることと動けないことの関係の重要さは、建築的な空間にも共通しますね。
さて、また三つ映像を映します。今度は一つのショットに人間が何人か入ってきますが、それがどう動くのかに注目します。最初はトンネルのバリエーションとも言えます。複数の人間が倉庫みたいな建物のなかに入っていって、反対側へ抜けて出ていくシーンです。この動き方がトンネルを畳んだみたいな感じなのでそこに注目しながら見てください。また実はこの前にここでも本物のトンネルが出てきます。トンネルのなかに映っているワーゲンは、東京から来ている現在の主人公たちの車です。そのトンネルの歩道を、彼らの十数年前の高校時代の彼らが走っていくところからスタートします。

【方角と配置 1(0:00~1:20秒)】

鈴木──「あっち、こっち」って言っています。また、人が動いているのにぎりぎりのところでスクリーンから外れない、この画角と3人の配置も面白い。
3人の人物が画面に1人ずつ出てきて、この倉庫のような建物に入って、出ていく。映画のなかのトンネルがスクリーンのバリエーションみたいに見えます。映画内映画のような感じもありますね。
次は、人が縦に並んで歩いてくるのを、奥行き方向で撮っている。縦に歩くっていうのが三宅さんは好きで、何回か見るんですけど、これもまた印象的なところです。

【方角と配置 2(1:24~2:28秒)】


鈴木──道路に3人が立ち止まるところがすごく好きです。世代も思いも違う3人の男が、縦列で入ってきて、画面のなかでバラバラに配置されます。
もう一ついってみましょう。今度は人が垂直で入ってきて、急にバラける。空間的にも一気にバラける。最初出てくるところはカメラがかなり近いところで撮っていて、終わりはカメラから離れていく。三宅さんは近づいて撮ってから、遠くから撮るってことをよくやりますが、それをカットで割らずに一連でやっています。非常に建築的なところです。

【方角と配置 3(2:33~3:20秒)】


鈴木──垂直に入ってきます。ここでも「あっち、こっち」って言ってますね。

三宅──「あっち、こっち」言い過ぎかも(笑)。
さっき言い忘れたんですが、『マテリアル・サスペンス』を読んでから映画を観るとどうしても建築的なものが気になってしまう。最近だと『ムーンライズ・キングダム』や『アウトロー』を観ていても、これってもしかして「建築映画」かも、とか、いやこれはちょっと惜しいなあ、とか。これはいままでなかった感覚なんですね。
実際、『Playback』を撮っているときも「建築を撮るぞ!」とだけ考えたカットはほとんどなかったと思います。この歩道橋の螺旋階段のカットも、撮ったときになにを考えていたか覚えていませんが、建築の「け」の字も考えていなかったことは確かです。でもいま見ると、これ「建築映画」じゃん、と思いました。例えば、螺旋階段の下に並んでいる道路工事のフェンス、あれがあるかないかで、俳優たちの動線が規定されているところも「建築映画」的といえるのか、と。そうやって、自分の映画ですら見え方が変わる、ということがいま分かりました。
この本を読んで以来、街中をボーッと歩いていると、ふと建築が生々しくこっちに迫ってくるような気になります。東京には特にビルがいっぱい、しかも面がずらっと並んでいますよね。街を歩きながら、つまり横移動ないし縦移動で道路沿いの風景を眺めながら歩いていくと、建築がドンっと迫ってくる。自分にとって用事のない、関係のないビルの存在感、それがゼロから一気に目の前にドンっと現れる。なんだか恐ろしいなこれは、と思いました。

鈴木──すみません。いやありがとうございます。
三宅さんの映画のなかの人の動きはちょっと普通ではないですよね。だって3人撮るとき普通に並べて撮ればいいのをわざわざ垂直に歩かせて、それを向かい側から撮るわけですから。

立面・断面

鈴木──それがより複数化してくるのを見ましょう。ここは非常に凝っているショットで、いろいろあるので良く見てくださいね。まず垂直に入ってきます。交通事故があったというシチュエーションですが、内容はともかくそこにまず垂直に人が来るところから始まり、その周りに何人かが配置される。
で、カメラがそれぞれ撮りながら繋がっているんですが、そのリズムと人物がフレームから出たり入ったりする感じを距離や向きも含めて見てください。

【方角と配置 4(3:24~4:43秒)】


鈴木──渋川清彦さんが事故現場に走ってくる。垂直で入ってきます。それでこう真横にカメラが90度向きを変えて、バッとくる。いまのショットも普通は入れないですよね。

三宅──まあ、そうですね。

鈴木──あれは...なんで入ったんですかねぇ?

三宅──ええ!?(笑)

鈴木──いや、すごいなって思う。闇のなかから垂直で入ってくるところから、複雑にフレームイン、アウトを繰り返して、ひとりで帰ってくる河井青葉さんに至る。そのときの人の方向や、位置関係。特にこうバッとカットが切り替わって、90度ちょうど向きを変えるところ。

三宅──一応このシーンは、盛り上がった時間が終わってしまう、場が白けて容赦なく次の時間がはじまってしまう、そういうエモーションがあるはずだというイメージで撮影しています。
映画のスクリーン自体は平面ですよね。単に平面のなかで人物が小さく、あるいは大きくなっているだけにもかかわらず、僕らはなぜか勘違いし、奥や手前に広がる「奥行き」として見ている。だから縦、縦、縦と散々やった後に横に切り替わると、これはあくまで平面でしかないんだよ、という感じになる。90度回ったときに、スクリーンにおける奥行きがフィクションであることを暴く、あくまで「フィクションでしかありませんよ」と明かされるのではないか、と。それが、物語の流れの「白ける感じ」と繋がれば、ということだと思います。  とはいえ、事前にこういうように考えて撮ったわけではなくて、いま考えながら喋りました。すみません、上手く説明できないですが。

鈴木──確かにそうですね。奥行きから平面に相対化するっていう見方が一つ、もう一つは空間を立面と断面という感じで見ているんじゃないか、と感じました。

三宅──ああ、そうですね。このシーンだと、男2人はこの先にいく、女の先生はいけない、そういう境界線が具体的に道路上にあります。その境界線を基準に考えて、ちょうど正面と、横位置にカメラがありますね。

鈴木──まず断面図を見せられて、次そこから立面図がパっと出たような、だから把握しやすい。

加速する感覚

鈴木──では。もうちょっといきましょう。次は映画のなかの一つの山場です。ちょっとネタバレになっちゃうかな。亡霊っていうと違うかもしれないけれど、ホントはいない人が出てくるっていうシーンです。この説明でいいんでしょうか。

三宅──いいです(笑)。その通りです。

鈴木──はい。そういうシーンです。そこに至る人の動き方を、先ほどの夜のシーンでの微妙さを頭に入れた上で見るとすごいな、という感じがします。人がこう外へ出ていって、脇からその亡霊なる男が入ってきます。見てみましょう。

【方角と配置 5(4:48~6:43秒)】


鈴木──三浦誠己さんが亡霊的な役をしていますが、彼の最初の画面への入り方。それから、このドアの使い方。世界を分けているようなものとしてドアを背景にしての出入りが印象深かった。

三宅──実は、シナリオ上での三浦誠己さんのファーストシーンは、西新宿の地下道の階段を三浦さんが上っていくのを、下から見上げるように撮るという予定でした。暗い場所から抜けて明るい外へ出る、いま思うとちょっとトンネルっぽいイメージです。それから街へ出て、病院にやってくるという流れを考えていましたが、編集でカットしました。トンネルをやりすぎた、と思ったわけでは決してないんですが(笑)。
結局、編集段階でラッシュをみながらいろいろ考えて、このカットを三浦さんの最初のカットとして使いました。さも重要な登場人物ですよ、というような入り方ではなく、まったく関係ない人がフッと入ってきてしまうような感じがいい、と。

鈴木──なるほど。全くその通りだと思う。三宅さんの映画のショットには運動感が溢れてくる。カメラがすでに動いているところに三浦さんが出てくる。

三宅──はい。

鈴木──三浦さんが入ってくるときに加速するような感覚があります。どのショットにもそういう弾力性のようなものがあって、次に繋がる動力を持っています。

三宅──ありがとうございます。四宮秀俊の名前を何回も出しますが、というか全部「しのみー」のせいにしたいくらいですが(笑)、四宮秀俊がなにかを感じながら撮影しているのだと思います。

鈴木──はいはい。

三宅──あのフッという動きとフォーカス送りと、四宮さんの仕事がやっぱいいですね。僕は、どのタイミングで入ってくるか決めただけです。

鈴木──それと、あの村上淳さんの「お前か」っていう台詞が効いている。 じゃあ次は、さっきの立面、断面のような軸の話をもう少し掘り下げます。2人の人物が座って話しているのを撮っていますが、方向性、軸性のようなものが、非常に強く現れているシーンです。「立面、断面」という建築的な言葉で恐縮ですが、見てみましょう。

【身体トンネル 1(0:00~1:48秒)】

鈴木──左上の方を目掛けた軸があります。ここは村上淳さんが渋川さんの方に体を乗り出しています(村上淳を顔を正面からショットに対して)。
まあ当然ですが、横を向くと軸が変わります。90度(渋川清彦の顔の向きの変化に対して)。2人は座っているだけで、動いていませんが、ガーンっと決めたカメラの位置と俳優の目の軸線で、方向性がものすごく明快になる。

三宅──はい。そうですねえ。

鈴木──これに対し、じゃあ1人を撮る場合はどうするのか、を見ていただきます。

【身体トンネル 2(1:53~2:15秒)】


鈴木──このショットですね(汐見ゆかりがひとり、廊下で壁の方を見つめているショットに対して)。

三宅──なんで、これがついているかって、ことですよね(笑)。

鈴木──ですねぇ(笑)。 だって完全にこの場所から出ちゃっているのに。

三宅──はい。ここにもはや、いないはずです。

鈴木──足音も遠ざかっている。

三宅──これ以上は秘密としか言いたくない気もするんですが、映画ではこんなカットを繋げてしまうことによって、その人物が、ごく当然と思われている在り方からどんどん踏み外していくなあ、と感じます。その人物の存在感を強めていくために、むしろこんな風に希薄な感じ、ずれていく感じを狙ってみました。

建築化する人間

鈴木──もう一つ、ひとりしか映らない映像を見ましょう。えーとこれはですね、2回出てくるんですが、村上淳さんが寝ていて、そこを撮るんだけど、どう撮ると思います?まぁバッと撮ればいいじゃないですか。

三宅──ははは(笑)。

鈴木──それがですよ、こうです。

【身体トンネル 3(2:23~3:30秒)】


鈴木──なんと足の裏から入る。しかも仰け反るような感じで、顔の方をはるか遠くに見るわけです。はじめは村上淳さんの顔はよく見えない。
これは、足から入って横顔までいく、身体のトンネル化としか言いようがないと思います。これは2回出てきますが、最初は横顔のショットはなく、2度目に横顔まで入る。この横顔の輪郭線が、画面を二分していて、ズバリ決まっている。

三宅──建築を見ることで始まった話が、最後は人まで建築になってしまった、と。そういうことですね。

鈴木──はい、そこです。

三宅──ここにきてやはり衝撃的なのは、『Playback』は俳優を撮ろうとした映画でして、つまり「映画は何であるのか」という問いに、「映画とは俳優である」ということを仮の答えとして、撮った映画なわけです。にもかかわらず、人間が建築のように見えてくる瞬間があるというのは......。これは、さらにもう3時間くらい必要な話ですね。

鈴木──そうですよねぇ。ふふふ(笑)。

三宅──街を歩くときに、人までが建築に見え始めたら、これはもう通常の生活を営むのを諦めざるをえない、終わっているというか(笑)、大変なことだなと思います。

鈴木──いや、人物が一つの建築に見えることがあってもいいんですよ。人物というものは建築とは別ものだと思われているけれど、同等に見える場合があってもいいんじゃないだろうか。
もう一つちょっと印象深いことがあるので、お話しておきたい。映像のなかに写真を使う。すごく綺麗なシーンです。ちょっと見てください。

【スクリーン 1(0:00~0:43秒)】

鈴木──デジカメが出てきます。もう1カ所ありので、続けていきます。

【スクリーン 2(0:47~1:32秒)】


鈴木──映画のなかに写真が出てくるっていうのは、いつも考えさせられるし、面白いことだと思います。メディアを変えて時空が繋がるような......。

三宅──そうですね。二つ引用してくださったおかげで僕もハッとしたんですが、最初のシーンでは、切り抜きで写真がポンッと、ベタで出る。2回目、縁側に座ってデジカメの液晶画面を見るところも最初は同じくベタベタッと並べていたんですが、なにかが違うと思い、編集の詰めの段階で四宮さんを呼びまして、わざわざ自分の手で撮り直しました。あれが僕の手だっていうと興ざめかも知れないんですが(笑)。

鈴木──あっはっはっは、やっぱり。さすがですね。

三宅──これによって、きっとなにかが変わるんではないかなぁと賭けるようにして、あの手のカットを繋ぎました。最初のシーンをいまみると、写真と映画の明らかな違いというか、止まったものが動きだすその瞬間になにかが起こる、そんなことを改めて感じました。

スクリーン

鈴木──はい。それでは最後に二つ。 非常に印象的なシーンです。一つは『Playback』のシーンで、大勢いた人がしばらくするといなくなって、最後にひとりだけが残る。そして巨大なスクリーンのようにガラス越しに自然が見えるというシーン。もう一つは、三宅さんがお好きだという、トニー・スコットの『デジャヴ』です。過去のある映像といまが繋がる、かなり強引に空間をこじ開けるシーンです。

【スクリーン 3(1:37~3:01秒)】


鈴木──人の出方に注目してください。たくさんいる人が全部いなくなります(結婚式場での記念写真で来場者が集まっているシーンを見ながら)。

三宅──ここ好きなんです。なんでこのタイミングでパンしているんだって感じでしょう、まだ人が出てきてないのに、先にカメラが動く(写真を撮り終えた集団が室外から室内に入ってくるところを撮ったショットに対して)。

鈴木──そうそう。で、画面手前を人が通り過ぎたと思ったら、奥のドアからも人が出てくる。外にいる人たちが奥のドアから室内に入ってきます。これでものすごく空間の広がりが出ます。で、河井さんが出てくる。これ、ずっと見ていたいな。向こうの世界とこちらの世界とが大きなガラス越しに重なっている印象深いシーンだと思います。 最後は派手でお金も掛かっている『デジャヴ』です。

【トニー・スコット『デジャヴ』/爆破事件を担当しているダグ・カーリンが過去を見ることが出来る装置を使い、事件のカギとなる、殺害されたクレア・クチヴァーの生きている姿をはじめて見るシーン。】


鈴木──はい。『Playback』と『デジャヴ』をこのように並べると、共通していることが分かります。空間と時間を隔てていたはずの異なる時空みたいなものをどうやって接続させるのかということです。どちらの映画も、時空を越えたものが同時にそこに見えるんですね。

三宅──いまのシーンを見ても、例えばこのカット(モニターに映し出されているポーラ・パットンと彼女を見つめるデンゼル・ワシントンが同一画面に収まっているカット)、前のカットから、なぜここにカメラがあるんだろうと思うようなところに置いてあるカットに繋がる。その瞬間に、まるでスクリーンそのものをみている、というかもっと言うと、自分たちが一瞬で映画のむこう側、映画のなかにいるという感じもして、一気に興奮しますね。スクリーンを真ん中にして、あちら側とこちら側が一緒にポーラ・パットンさんをみている。というか、もはやあちらとかこちらという感覚すらおかしくなって、これが映画をみるということだぞ、と。その後の物語でのデンゼルさんの、映画をみてしまった者としての覚悟にも心撃たれます。いやぁこんな映画撮りたいですね。

鈴木──撮れちゃっているんじゃないですか?『デジャヴ』の場合はめんどうくさいストーリーがあるわけで。

三宅──あははははは。

鈴木──『デジャヴ』のこのシーンを2時間弱、ガッと伸ばしてできたのが『Playback』じゃないの。

三宅──なるほど。あのー、光栄です。

鈴木──最後にもう一つちょっと、あのー『Playback』を観ていて、やっぱり、実はストーリーがすごいなって思ったんです、残念ながら。

三宅──残念ながら(笑)!

鈴木──見過ぎちゃったのね(笑)。何度も見ているうちに、「すごいストーリーだな!」って。俳優の映画だっていうのはよく分かりますよね。で「あっち」「こっち」って言うでしょう。これ場所の問題ね。それから「いつ」っていうのもよく出てきますね。「いつだったんだよ」、「あれ中学のときだった」みたいな会話がある。

三宅──そうですね。

鈴木──「あっち」と「いつ」で物語はできるんだなって思った。

三宅──おぉ。

鈴木──あとは「あ、お前かぁ」っていう台詞があったでしょ?これも2,3回あるんですよ。「あ、前かぁ」とか「あ、母ちゃん」とか。そして目の前に女性なり男性なりがいるわけですが、「あ、母ちゃん」って呼んだ途端に「母ちゃん」になっちゃうんだね。で、「あ、お前かぁ」って言うと、もう「お前」になっている。そのときに「映画」になるんだな、と。

三宅──うーん、まあ「お早う」と言いあうだけで一本の映画ができる、ということもありますし。

鈴木──脚本の作り方が、物語の確信をつく「どこ」と「いつ」と、「あ、お前かぁ」っていうのでできている。それでできちゃうのか、ひょっとして。

三宅──いや、さすがにちょっとそこは、「そうです」と僕なんかが認めていいのかまだまだ悩みたいところなんですが、究極的にはそうなのかもしれないです。

鈴木──とにかく、人物がどのひともみんないいですよねぇ。人物洞察が深いんですかね。『Playback』に出てくる、一番歳上の......。

三宅──菅田俊さんですね。

鈴木──あれ、僕も同じ気持ちになっちゃう。菅田さんは僕より全然若いんだけれど。「もう時間ないぞ」、みたいな。

三宅──はい、何度も言う台詞です。

鈴木──「人間なにもやらないと腐っちゃうぞ」って僕が言いたいですもん(笑)。10代くらいの若い男の子も分かるし、村上淳さんの年齢の男も理解している。だから途中で「あの人誰だ?」って迷うことは絶対にない。はっきり覚えられる。

三宅──それぞれ素晴らしい方たちですが、やっぱり俳優という存在そのものが面白いですね。例えば渋川清彦さんは上映中の『横道世之介』にワンカットだけ出てきます。僕からすれば、『Playback』のモンジという人物が、ああここでこうして生きているんだな、と。また渡辺真起子さんは『チチを撮りに』という映画でも母親役、それも離婚した母親を演じている。別の映画で「お母さん」って言われたら当然「お母さん」になっているわけです。本人と、それぞれの役がいろいろ混ざって、得体のしれない存在として見えてきて、とても面白いです。そういう風に俳優を見るようになったのは『Playback』を撮る前後です。それできっと、10年後とか20年後に『Playback』を観たときには、あ、あのころこんな顔していたんだった、と思い返すんだろうな、といまから先取りするように想像してみたり。

鈴木──もう一つのプレイバックですね。

三宅──いずれ時限爆弾のように機能すればうれしいな、と思っていますけれど。

鈴木──あぁー危ないですね、やっぱり(笑)。

三宅──やっぱり危なかったですね、映画は、はい。

「気散じ」する

司会──それでは、会場の方から質問を受け付けたいと思います。

質問者──『マテリアル・サスペンス』について質問します。鈴木さんはベンヤミンの「気散じ」「触覚」に注目されていて、まさにその通りだなあと思いました。この本では「気散じ」が、なんとなくぼんやり、まどろんで見ることっていう解釈をされていますが、僕は「複製技術時代の芸術作品」を読んだときに「気散じ」を知覚の散逸、という風に読んでいました。この少し前のところに「部分と全体」という話がありましたが、映画のフィルムも一度に全体を見ることはできない、建築も一定の時間をかけて建築のなかを回って体験しないと捉えられないという意味では、類似している。だから「気散じ」を「全体と部分」の関係で解釈するのはどうか、と考えたのですが、どうでしょうか。

鈴木──確かにそうも取れますね。色んな知覚に分散しているっていう意味合いで「気散じ」を取るってことですね。その捉え方はとてもいいです。ただ僕が書いているときは「触覚」的な方向から映画や建築を見ようとしていたので、少しバイアスが掛かっているかもしれないです。

三宅──映画を撮り始めたころ、街を歩くと全てがフレームを通して見えていたことがありました。カメラを覗きすぎたせいか、具合が悪くなるくらい、なにをみてもそのまわりにフレームがあったことを覚えています。最近はさすがにその感覚がなくなった代わりといいますか、今度は、この本を読んで以降ですが、建築の潜在性のようなものを捕まえてみようと思いながら歩いています。このとき僕は、たぶん「気散じ」している。傍から見たらただボーッとしている変な人だと思いますが、集中して建築を見ていると、目の前を通過していく動くモノもまた気になってくる。もちろんこれは人なんですけど、フォーカスが合わないんで、動いているなにか、という感じなんですね。建築を見つつ、その動くモノ、ずばり動物も同時にみている。これは、人を人としてみる知覚とはまったく違うので、ちょっと新鮮です。

鈴木──なるほど。そうねぇ。

三宅──そんな感じで「気散じ」ながら街を歩いているんです。いま僕はそんな感じです。

鈴木──「気散じ」っていう状態はボーッとしているんだけれど、ちょっと角度を変えるとサスペンスがある。それが「マテリアル・サスペンス」、かな。ちょっと上手く落としすぎ(笑)。

三宅──いいじゃないですか、この宙吊り感が(笑)。


2013年2月28日、青山ブックセンター本店


映画『Playback』公開劇場情報
http://www.playback-movie.com/theater.html
吉祥寺バウスシアター
http://www.baustheater.com/jikai.htm#playback


三宅唱(みやけ・しょう)
1984年、札幌生まれ。2007年、映画美学校フィクションコース初等科修了。2009年、一橋大学社会学部卒業。2009年、短編『スパイの舌』が第5回CO2・オープンコンペ部門最優秀賞を受賞。2010年、初の長編作として『やくたたず』を製作・監督(第6回CO2助成作品)。最新作『Playback』(2012)が第65回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門正式出品され、また第27回高崎映画祭新進監督グランプリを受賞。東京では10週のロングラン上映を記録した(現在全国ロードショー中)。

鈴木了二(すずき・りょうじ)
建築家。1944年生まれ。早稲田大学大学院修了。70年にfromnowを設立。83年、鈴木了二建築計画事務所に改称。73年より自身の作品を「物質試行」としてナンバリングし、建築はもとより、絵画、彫刻、インスタレーション、書籍、映像などの多領域にわたる「物質試行」は現在53を数える。作品は、建築に「佐木島プロジェクト」「金刀比羅宮プロジェクト」、映像に「空地、空洞、空隙」、「DUBHOUSE」、書籍に『建築零年』、『非建築的考察』(ともに筑摩書房)、『鈴木了二作品集1973-2007』(LIXIL出版)などがある。また映像作家、七里圭との共同監督映像作品「DUBHOUSE」は、2013年の第42回ロッテルダム国際映画祭短編部門に招待された。


201304

特集 鈴木了二『建築映画 マテリアルサスペンス』刊行特集


建築─ガレキ─映画
「Playback」と「建築映画」
鈴木了二氏への手紙
「建築の証拠」からグルーヴするその論の行方
光学としての建築映画
建築のエモーショナルな感受性へ
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