主体に基づく一種の詩的表現

李凯生(中国美術学院建築芸術学院副院長 城市設計系主任教授)

「本土性」、つまり日本語の「地域性」の提唱が、王澍の建築設計と建築教育の根本的な方向性である。これは同時に彼の建築に多くの人々が惹き付けられるひとつの一般的な特徴でもある。しかし、われわれは王澍の建築をグローバル化による歴史の低迷がもたらした現代社会の新たな地域主義として、簡単に定義してしまって良いのであろうか。

文化的ノスタルジーと建築の主体

「地域性と民族性」というスローガンは、ある普遍性のある文化的ノスタルジーを引き起こしている。特に、言葉で言い表わせないほどの疑いを抱えながらも先端技術に溢れ路頭に迷っている「中国」という国家と人民にとってのノスタルジーは、同様の先端技術社会に生活している諸民族の歴史観にも深刻な影響を与えている。いまに始まったことではないが、技術にあふれた生活が伝統的な文化を切り離すことの苦痛は、技術の進化とは関係なく依然として集団的な社会生活の経験のなかにノスタルジーを生み出すきっかけとして存在しており、ゆえに多くの人々から同様の共感を得られているのかもしれない。いままさに、われわれが見ているこの世界の人々が、現代技術のもたらす利便性を楽みながらも、前近代的な社会の生活方式と状態を懐かしんでいるという状況は、産業革命初期段階における世界規模での植民地化(早期グローバル化)の背景と似たところがある。この「懐かしんでいる態度」を選択することは高貴で知的とみなされており、18〜19世紀のヨーロッパの建築学の分野において人々が熱中した建築の歴史的風格に対する議論と比較してとらえることができる。そして当時、嵐のように盛大であった風格に関する議論は建築史のある真相を表明したと言える。それは「文化が空間の形式体系に深刻な意味や価値を求める」ということである。
当然ながら今日においてわれわれは、これらの地域主義と地域建築の観念が巻き起こした風格学的な建築形式が、現代の建築形式と重なり合うとは思ってもいない。この風格学的な建築形式というものは、本来もっと複雑で広い社会背景を持ち、流動的な文化的局面にとらわれないものであると考えている。しかしながら、ある意味で、風格に対する注目、ローカル文化、建築の地域性というものは、現代の腐蝕されている建築の主体性を示していると言える。

「アマチュア」の射程

王澍の建築が、中国現代建築が経験してきた困難と混乱の数々の局面のなかから敏速に浮かび上がってくる理由として、彼の持つ「文化の主体性」に対する明確な意識が挙げられる。彼のすべての建築作品と教育の主張は、彼が建築活動の主体論を回復しようとする意識と根本的に関連があると考えてもよい。王澍は早期に「アマチュア建築」という設計観を提唱し、自身のアトリエを「アマチュア工作室」と称した。彼は、建築のプロフェッショナルを育成する職業訓練所としての専門的な建築教育が招いたマイナスの傾向のひとつは、日常生活に対する理解が技術化し形式化してしまったことであると考えている。つまり、いまの建築教育の基礎を築いた「技術文化」が一種の功利主義ともいえる、技術論理と技術手段がもたらした製品製造のための生産性至上主義になってしまったということである。そしてその挙句、現在では文化の功利的な論理があまりにも強くなり過ぎ、これを操作する者の主導によって、生活を完全に制御されてしまっているのである。
ハイデガーが言ったとおり、この時代はわれわれが技術文化をコントロールするのではなくて、技術文化にわれわれがコントロールされる時代であるということである。もし、建築活動をたんなる技術的な活動とするならば、技術の再現性やプログラム化が設計者を代替する。プロフェッショナルなシステムにより最適化される知識構造とプログラムで、建築活動は本当の主体を失うことになるのである。技術の世界においては、技術そのものが資本の再生産の代表となり、個々の設計者と使用者の考える重要性は軽視され、建築自体が知識−技術−資本の循環におけるたんなる生産品となるため、いわゆる「作品」になることは不可能である。

「工芸学」──ものづくりの基礎

「アマチュア建築」観に基づいて、王澍はこの種の技術文化への批判として、大きな技術至上主義に対抗する考え方と設計方法を打ち立てている。まず彼は、ヴァナキュラー建築と民間の自然発生的な建築行為に対する長期的な研究を通して、伝統のなかに潜んでいる人と物とのあいだにある、ひとつの「工芸学」の存在に気が付いた。具体的、直接的、質朴的、または日常生活のなかにある工芸学ともいえる、人と物との関連性は、ものづくりにおける職人の基礎を定義している。ゆえに王澍は自身の建築設計と建築教育の活動において、建築設計には場所と物に向かい合うときの機敏な判断力と感知力が重要であると強調するのである。これは工芸学と同様、日頃の絶え間ない「心と手」に関わる「造営学」の訓練からこそ得られるものである。この、実際に手を動かすこと、つまり「造営学」は、王澍が院長を務める、当中国美術学院の建築芸術学院教育の基礎となっている。毎年行なう集落調査と庭園実測、特別絵画訓練も、さまざまな総合能力的観点からの「心と眼」のあいだの直観的感覚を養うためなのである。 
王澍は、建築家の職人と自然との関係の回復を通じて、技術体系と世界の抽象的で功利的な対象化への抵抗を試みている。人間とその世界が持つべき本能的な自然関係に基づいた建築空間の創造を建築学の基礎としている。王澍の建築は、「建築」と「人」及び「存在している歴史世界」が織りなす複雑で豊かな現実の関係とその可能性を示すものである。彼の提唱する「地域化」は、その場所に埋もれている歴史的資源を解読し、表面的な引用ではなく現象の根源に遡って、建築文化が発生する自然機構を見出すことである。

中国語で言う地域の意味である「本土」の「本」は動詞にすべきである。その意味は「建築学が事象の根源に対面するときに、歴史的根拠となる現実的態度をとるべき」ということである。一方、「土」は生活そのものの意味である。われわれは生活と一体化した世界の創造を建築活動の終焉の「土壌」としている。われわれはそれぞれ違う場所、つまりそれぞれの地域で、それぞれの違う土、つまりそれぞれの「生活」の側面をみるしかない。これらの側面の集まりこそが大地と称される。
王澍にとっての地域性とは実質的な内容を指すものではなく、建築の根本的な機構と能力のことである──例えば、植物が自然と個体の本能に基づいて成長するような......。
なにに対面するのか、どこで生まれたか、どのような事実に向かってゆくのか、これらの現代社会の問題に直面することで、建築の本質が「本土性」から誕生したことがわかる。そして、建築における本土観は技術と現代性に対立するでもなく、狭い地域至上主義と伝統主義に縛られてもいけない。これが王澍の建築実践で現われた、質朴、開放、自由の本質であり、これによって空間詩学に基づいた建築が可能になったのである。[訳=助川剛+陸海]


Li Kai-Sheng
1968年中国四川省生まれ。中国美術学院建築芸術学院副院長 城市設計系主任教授。


201208

特集 建築家、再考──王澍の反全球的中国建築


10年代の中国から建築家を再考する
感覚の空間化──王澍の実践について
主体に基づく一種の詩的表現
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