10年代の中国から建築家を再考する

千種成顕(建築家)

本論考は中国の建築家・王澍(ワン・シュウ)に焦点を当て、中国で建築家として活動することの意義やグローバル資本主義下での建築家の役割を考察することを通して、現代における建築家というものを再考してみようというものである。まず、イントロダクションとして日本のアトリエ系建築家観について述べてみたいと思う。

1──作家主義とモダニゼーション

建築家といえば一般的には設計業務に従事する者全般を日本では指すが、『10+1』の読者などはアトリエ系建築家の略称としての建築家を思い浮かべる者も多いであろう。アトリエ系建築家とは、作品として建築をデザインする作家主義的な建築家の通称で、磯崎新が自身の建築設計事務所を「磯崎新アトリエ」と名付けたことがその呼称の始まりである。そもそも建築家という言葉に作家としての意味合いを含めること自体はルネサンス期から存在するが、有史以降の連続的な歴史観のなかでつくられる「大文字の建築」を実践しようとした磯崎にとって、自らを西洋に起源を持つ作家主義建築家と位置づける手法として芸術家の個人の製作場所である「アトリエ」という言葉を用いたことは現代から見ても秀逸な戦略であったと言える。磯崎自身によって大文字の建築の不可能性が語られた現代においても「アトリエ」=作家主義的というかたちで現代の建築家観に大きな影響を残している。
一方、われわれが近代以前の建築家たちを大文字の建築家として認識するときは、作家主義を標榜した者というより、歴史的な評価として作家と位置づけられた者たちを指すことが多い。特に近代建築家たちの大文字の建築家としての歴史的評価の指標とは、いかにモダニゼーションという社会革新を推し進め、啓蒙的であったかという点に尽きる。これは例えば、ミースやグロピウスが自己演出的に作家主義を謳っていたかどうかにかかわらず彼らのことを建築家と呼ぶ一方、ガウディは建築家でもあるがどちらかというと彫刻家だろうと言いたくなるような心理に現われている。どう見てもガウディは一般人にとってもっとも有名な建築家の一人であるにもかかわらず、モダニゼーションへの貢献度の見えづらさから現代の建築家からみて大文字の建築家としての認識が多少弱くなる。このことを裏返して考えると、現代のアトリエ系建築家はモダニゼーションという社会革新の遂行を行なった近代建築家を自身の直系の父のように考える節があり、それこそが作家主義的であり、かつ近代化の担い手=建築家という風に自らの職能をとらえることへ繋がっているように思える。
この職能観は現代のアトリエ系建築家の職業倫理や作品制作の主要なモチベーションを形作っており、20世紀初頭の建築家たち同様、理想主義的であるがゆえに時にナイーブでもある。私は個人的にはこういう価値観が好きだし、実際に自分にもそういうところがある。しかし、近代的価値観が成熟している日本において、建築物や建築表現運動によるかつてのモダニストのような社会革新はそうそうできることではなく、実際に行なわれている活動の多くはモダニゼーションを謳って設計した建築を作家性に回収させる表現のサイクルである。これはこれで洗礼された社会構造の一部であり、近代文化の必然とも言うべき状況である。ただ、モダニゼーションと作家主義を結びつけた建築家像に憧れる一建築家として、そのサイクルの枠内から建築を眺めるだけでは物足りない気持ちもある。

そんなことを考えている折に、出会ったのが王澍であった。王澍は先日プリツカー賞を受賞したことでも話題になった中国で活動する中国人建築家である。その作風は、建築である前に風景をつくろうとする中国の伝統的な水墨画や歴史建築から導かれており、中華人民共和国以前の文民思想による中国建築を目指している。作品の写真を見ると、ポストモダンの歴史主義・地域主義建築家として回収されてしまいそうな側面もあるが、実際の建築に訪れると記号的な建築を軽々と超越した、重層的な現代的コンテクストを感じ、まさに大文字の建築を見ることができる。ただし、結局は視覚的に感じられるコンテクストの只者ではない感じは、結局は王澍の建築家としてのコンテクストの深さから来ていると私は考えている。そこで、本論では王澍の建築物というより建築家像にスポットを当てることとする。そもそもグローバル資本主義によって大量のファストビルディングが建てられている中国において、作家主義の中国人建築家は非常に少ない。そんななか、アンチ・グローバル資本主義建築を自身の制作の根幹に据えて、極めて作家主義的に振る舞う王澍の活動を検証することは、いま、日本人が日本の建築家を考えるうえで極めて有効な事例となると考えている。

2──設計院と建築家

王澍の建築家像をイントロダクション的にまとめるならば、作家主義をもってモダニゼーションを目指す建築家と言える。そんな王澍の建築家像を考察するにあたってまず注目すべきは、作家主義的建築家がほとんど存在しない中国で作家主義的建築家として活動している点である。こういった建築家がほとんど存在しない背景にあるのは、日本のように基本設計から実施設計、現場管理までのすべてを建築家が管理する個人設計事務所が存在しないことであろう。では誰が代わりに大量の建築を設計しているかというと、設計院という組織がほとんどの建築設計を実務作業的にこなしている。設計院はその前身が国営企業のため共産主義の性格をいまも色濃く持っており、所員の給与体系が図面一枚いくらという歩合制をとることなどは、私たち日本人にとって驚くべき制度であろう。そこには日本のアトリエ系のようにスタディをひたすら積み重ねていくような仕事スタイルが想定されていないし、それが不可能であるということが見えてくる。このようなスピード重視の分業的な設計環境のなかでは作家主義のようなものは生まれてくるはずもないし、逆に建築設計のビジネスライクな性格が加速していく。クライアントが満足すればなんでも良いという価値観さえ多くあるように思える。実際、設計院によって建てられた中国の建築、特に1990年代以降の建築の多くは、資本主義的な差異を表現しようとしているが、本質的にはどれも似たような刺激の少ない建築で満ち溢れている。皮肉にも中国の設計院は、前章で述べたような日本の建築家が考える建築家性を持たないことによって超効率化された設計事務所なのである。
ただ、こういった状況であるからこそ、作家主義的あるいは社会革新をうながす啓蒙的な建築家を目指す意義は大きいとも言える。そうした姿勢は制度的にも経済的にも非常に困難であり、職業形態から模索しなければ作品としての建築が生まれないため、自ずとその活動は批評性や作家性をまとうことになり、結果的に建築家としてのコンテクストをより豊かにしてくれる。発展途上の文化的状況は日本や西洋諸国も歴史的に経験したことであり、歴史的に見てこのような時期に名作と呼ばれる建築や都市計画が多く生まれてきた気がする。私自身、中国で建築家に出会うときは、彼らの作品と同等かそれ以上にその制作スタイルに興味を持って話を聞くことが多いのだが、それはそういった意識からである。

現代中国建築家の最初期の例として、張永和がいる。ギャラリー・間での展覧会などによって、日本人にも馴染みのある者も多いだろう。彼は文革後の建築学科を卒業した建築学生第一号であり、その後カリフォルニア大学バークレー校に留学する。卒業後、個人設計活動が困難な中国には帰国せず、アメリカの公認建築士としての資格を取得した後、アメリカの建築事務所を設立。のちに中国に帰国し、外国企業の支店として中国・北京にて事務所を設立、活動を開始したという経歴がある。この話は当時の中国人建築家が国内で作家主義的活動をし難かったという状況をおおいに物語っている。「アトリエ非常建築(FCJZ)」と名付けられた彼の事務所名はまさにこうした、現代にも続く個人建築家の中国国内の特殊性を表わしている。
一方、作家的な建築家の経歴として王澍の経歴も張永和に劣らず面白い。彼は大学を卒業して2年後、独立して初めての建築作品を浙江省海寧市に設計したのち、10年程度建築設計の仕事をやめて建築技術を学ぶため職人との協働作業を行なった。その後1997年、建築家として設計活動を再開させ、現代に至る。中国の設計院的な価値観を完全に捨て去り、建物を実際に建てる工匠から再出発した王澍のアプローチは、西洋から建築家を目指した張永和を第一世代とするならば、自国の文化から建築家を目指した純粋培養の建築家として第二世代にして真打といったところだろう。
王澍は、こうした中国建築家としての自身のスタンスを中国の文人に例える。王澍の考える文人とは、歴史的に続いてきた中国の中流階級にあたる階層の人民のことであり、昼間は野良仕事をし、畑から帰って来てから書を読み研究をしたり、芸術家として絵画を描いたりする者のことである。王澍はレクチャーにて水墨画を紹介しながら山中に住む文人の家の優れた建築性を紹介する。職人と協働しながら中国の水墨画や歴史建築の研究を行なった王澍は文人の現代的実践を行なっているのであって、作家性の根底から中国性を貫こうとする態度は、まさに中国的作家主義建築家と言えるのである。

3──グローバルとアンチ・グローバル

中国において個人建築家がほぼ不在の状況であったなか、外国人建築家による国家プロジェクトが出現したことは中国建築の転機となった。これらのスターアーキテクトの招聘は、都市景観に関して保守的だった首都・北京にて1998年に行なわれた「中国国家大劇院」の国際コンペが契機となったというのが通説だ。このコンペに勝利して実際に施工された建築はポール・アンドリューによるチタニウムとガラスのカーテンウォールに囲まれたドーム建築である。空港建築家として有名な彼の設計した建築は、政治性もなければ地域性も感じない、都市におけるジェネリック(無印)なアイコンであった。下手に現代的な中国のナショナリズム建築を模索した建築よりよほど中国政府の国内事情と対外アピールを同時に満足させる建築表現であったのだと予想できる。それはいま思うと、その後の中国沿岸部の凄まじいアイデンティティ不在の都市化を予感させた建築であったといえよう。
実際、ゼロ年台の中国では、ナショナリズムと建築表現の不可侵条約を背景に、海外スターアーキテクトが国家に指定された戦略都市において国家プロジェクトを手がけ、もう一方でジェネリックな建築が都市そのものを建設していった。まさに熱狂的であり、本質的な議論を仮にしたとしても、開発の規模とスピードに置き去りにされるような状況であったように思える。そういった状況も含めてグローバル資本主義が都市を表象したといったところか。誰もがポジティブにこの状況に建築の新しい可能性、つまり、建築による新たなモダニゼーションがグローバル資本主義というステージによって推し進められる可能性を感じたのではないだろうか。国家の威信をかけた北京オリンピックにおいて中国人建築家ではなく海外のスターアーキテクトが多く起用されたことは、建築にナショナリズムを求めない中国建築の現代的な状況をもっとも象徴する出来事と言えよう。

ザハ・ハディッド《広州オペラハウス》(2010)
引用出典=http://www.flickr.com/photos/xiazhiimage/6048143903/

そのようなグローバル資本の流入による急速な都市破壊とジェネリックシティ化に対し、同時期にナショナルな建築を探求し設計活動を再開させ、さっそくプリツカー賞を受賞してしまった建築家・王澍は対立構図としてたいへん魅力的だ。当然、王澍は強烈なアンチ・グローバル資本主義建築家である。そういった言説も多く語っているが、なにより、破壊された家のレンガを大量に用いたファサードを持つ彼の代表作《寧波博物館》には彼の作家としての態度が非常に明快に示されている。そのような王澍にプリツカー財団を主催するハイアット財団が建築家として期待することは非常に政治的なもの、つまり、今後の中国の都市開発や建築教育に関する思想的リーダーとしての役割であることはいうまでもない。これは建築家がモダニゼーションの方向性に関与することがいまなお期待されている最新かつ最大の事例であり、建築家がまとってきた近代化主義的啓蒙主義性・作家主義性の行方を考えるうえでも大きな事件なのである。

4──ビッグネスとアマチュア

ここで、王澍がハーヴァード大学デザイン大学院における丹下健三客員教授記念レクチャー★1にて述べた内容を紹介する。

──中国は過去25年間で90%もの豊かな文化や伝統を捨て去ってしまった。......彼らは都市を破壊し、大量の世界各地の建築物のコピーを建設した。......それは、プロフェッショナルな都市計画家と建築家が政府と共に行なったことだ。......そこで、私はまったく異なる種の建築家が私たちには必要だと考えたのだ。

「プロフェッショナル」とは中国で展開されている都市破壊に関わる設計院や外国人建築家であり、設計院的な設計者を養成するプロ教育のことでもある。王澍はこれを批判し、自身の建築家としてのカテゴリーを「アマチュア」として表明する。アマチュアとは、職人のことを指す言葉であり、彼自身のスタジオ「アマチュア・アーキテクチャ・スタジオ」の名前に使われている。中国的な建築と王澍が考える文人による建築の思想は、山水の風景世界こそが恒常的な文人の精神の居場所であると考える。これは、「都市=商売や政治を一時的に行なうテンポラリーな場所」としてとらえることと対称的で、反グローバル資本主義的思想でもある。こうした文人建築の実践を王澍は「アマチュア」という言葉を用いることで、グローバル社会共通の思想に昇華させようとしている。

中国にかかわらず、われわれ一介の建築家が仮に近代化主義的啓蒙主義を信条として設計活動をするとき、グローバル資本主義に「伸るか/反るか」という問題がある。伸るほうの理論を唱えているのは、グローバル資本主義都市の典型としての中国をもっともはやく論じた建築家の一人であるレム・コールハースである。その姿勢をダーティ・リアリズムと評される彼の「ビッグネス」の理論によると、現代の建築家にとって唯一建築家の理論を用いてモダニゼーションによる社会革新を目指せる領域があるとすれば、建築におけるビッグネスの理論を構築するほか道がないという。日本は例外的であるが、都市化にともなう建築の大規模化の世界的流行は明らかである。そこにル・コルビュジエが近代建築理論を唱えたような建築家・都市計画家によるビッグネスの理論を打ち立てなんとか革新を起こすことで、より良いモダニゼーションを推し進めようという考えである。MVRDVやOMA、BIGなどによる高層ビルのトポロジカルな操作はビッグネスの実践として、巨大な建物に魅力的な多様性、公共性の可能性を見せてくれるものではあるが、いまだ革命に至らずというのが現状であろう。

OMA《深圳証券取引所》(2012)
引用出典=http://www.flickr.com/photos/joshuallaneza/6825510396/in/photostream/

一方、建築家は「アマチュア」になるという選択肢がある。歴史を背負って「プロフェッショナル」と道を違える作家主義的建築家の道である。王澍はこれまで論じてきたように、作家が成立しにくい中国において作家主義的な建築家の個の力を用いてモダニゼーションの修正を行おうと考える。日本のアトリエ系建築家はビッグネスよりアマチュアネスのほうに親近感がわくのではないだろうかと私は思う。そもそも、日本は作家的建築家がビッグネスに関われるチャンスが稀である一方、戸建て住宅によるパトロン的クライアントが他国と比べると多くいる特殊な社会環境にある。そういった環境下で、日本のアトリエ系建築家は「プロフェッショナル」を批判するほどではないにしろ、「プロフェッショナル」との差別化意識は強く持っている者が多い。

先日発表された伊東豊雄の「みんなの家」も一種のアマチュア建築だと私は思う。伊東は「みんなの家」を通して、社会に批判的な建築家の作家主義的表現を極端に捨て去ることで社会の内側に立って建築を考えることを試みた★2。この点に関して、王澍の《寧波博物館》と「みんなの家」は一見真逆に見えるかもしれない。しかし結局のところ、伊東のこの姿勢はまさに「プロフェッショナル」との差別化意識や作家主義を強く意識した振る舞いであり、建築物を通して作家主義との距離感を表現し社会とコミットする姿勢はまさにアマチュア建築家・王澍と同一のものであろう。3.11のカタストロフィの後、日本にも物語復活の予感とともに、建築家のアイデンティティも揺れている。

王澍《寧波博物館》(2008)
引用出典=http://www.flickr.com/photos/uonottingham/7500159002/

5──あとがき

先日、中国・北京市の人民大会堂にてプリツカー賞の授賞式が行なわれた。今後、そんな王澍のもとには国家プロジェクトに関わる機会が訪れるかもしれない。ただ、そのとき、ゼロ年代にジェネリックな外国建築家を求めた中国が、どのような建築を王澍に求め、どのように王澍は応えるのだろうか。ナショナルな建築? ジェネリックな建築? このことがはっきり論じられるようになるには、今後数年かかるだろう。ただ、どちらに転んだとしても、私が個人的に期待することは、将来、ナショナル・アーキテクトというカテゴリーで王澍を語れるようになっているということである。丹下健三の「弥生(対外的ナショナリティの建築表象)」と「縄文(国内的ナショナリティの建築表象)」の対比は、すでに「グローバル資本主義建築」と「アマチュア建築」という対比でナショナリズムを背景に対応をみることができる。だが、いまは時期尚早である。日本人として今後の王澍という建築家に期待だ。

★1──Kenzo Tange Lecture: Wang Shu, "Geometry and Narrative of Natural Form"
URL=http://www.gsd.harvard.edu/#/events/kenzo-tange-lecture-wang-shu-geometry-and-narrative-of-natural.html
★2──「伊東豊雄インタヴュー ── 伊東建築塾の1年、「みんな」で考えるこれからの建築」(「10+1 website」2012年4月号、LIXIL出版)
URL=http://10plus1.jp/monthly/2012/04/1-1.php


ちぐさ・なりあき
1982年生。建築家、美術家。2007年、パリ・ラヴィレット建築大学(ENSAPLV)。2008年、東京大学大学院修了。2009-10年、 NAP建築設計事務所勤務。2012年、東京藝術大学大学院修了。


201208

特集 建築家、再考──王澍の反全球的中国建築


10年代の中国から建築家を再考する
感覚の空間化──王澍の実践について
主体に基づく一種の詩的表現
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