私たちの凄まじく具体的な暮らし──鞍田崇、中沢新一ほか『〈民藝〉のレッスン──つたなさの技法』

柳澤田実
◉鞍田崇、中沢新一ほか
『〈民藝〉のレッスン──つたなさの技法』
(フィルムアート社、2012)
お前たちは操作されているのにそれに気づいていないだけ、といういささかSFめいた議論がある。もっともわかりやすいところではミシェル・フーコーが『監獄の誕生』(1975)で論じているパノプティコンによる規律訓練があるが、要するにお前は見えない権力によって操作されているのにそれに気づいていないだけなのだよ、という主張である。この種のトピックは大学の初年次生などに話すと結構な反響が得られる。いや、正確にいうと5、6年前には大きなインパクトを持ちえた。操作されているなんて知らなかったでしょう? でも本当は操作されているのですよ、このように諸権力によってコントロールされた私たちの生において、自由やリアリティはどこにあるのでしょうか? こう問いかける時、話し手は、素直にこの事実に衝撃を覚えてくれる聴講者に対して優越感さえ感じているように思う。自戒を込めて言うが、笑止千万なことだ。

◉國分功一郎
『暇と退屈の哲学』
(朝日出版社、2011)
現代の日本において、この種の主張は2000年代に入ってから、今度は消費社会批判、あるいは情報工学という名のもとに喧しく主張されてきたように思う。私たちの生がいかに産業社会によって操作可能なものとして差し出されているのかが、ハイデガーやフーコー、そしてボードリヤールやレッシグなどが理論的根拠として引き合いに出され、私たちを取り巻くメディア体制が分析されてきた。私自身はこの種の議論を真剣にフォローしなくなって久しいのだが、初学者に対してはよい導入になると思い、先日自分のゼミナールで國分功一郎氏の『暇と退屈の哲学』(朝日出版社、2011)の序文を読んだ。私たちの欲望が徹頭徹尾産業によってコントロールされていること、私たちの生を骨抜きにしないためには、何かに没頭し動物化することが重要だと説く序文に対して、20代前半の学生たちは冷ややかだった。フットサルやバイトやチェロやヨガやアニメに打ち込む彼らの感想は、けっして的外れなものではなかったと思う。私たちは消費社会のただ中にあっても、自分自身で消費財を吟味し、享受すればよいのだし、生れてこの方こうした消費どっぷりの生活に慣らされているからこそ、それなりの鑑識眼を持っているという自負もある。消費財にも優れた創作物は含まれており、それらは素直に称賛されるべきではないか。消費財といっても、そこには見事な職人的な技も含まれている。そしてそもそも、いかに産業によって提示された選択肢によって旅行に行こうが、スポーツをしようが、そうすることによって本当に楽しければそれでよいではないか。

長い前置きになってしまったが、以上の個人的経験によって、自分自身の漠然とした感慨は、強い確信に近づいた。それは、私たちの置かれている状況を構造分析して現今の在り方に警鐘を鳴らすというタイプの議論は、すでに現実に追いついていない、という感慨にほかならない。私たちは近代化を経て、豊かになったはずなのに豊かではない、なぜだろう?という國分氏の問いかけに対して、あるフットサル青年は「物質的に豊かならば、てめえで何とかしろ、と思う」と答えた。正確な意味で応答になってはいないが、態度としてはけっして間違っていない。むしろカッコイイ。

私は、ここで先に挙げた知識人たちの偉業をいたずらに貶めたいわけでは毛頭ないし、さらには、知識人は現実を知らないという敗北主義的な言明をしたいわけでもない。同世代の國分氏の著作についても、良書であるという確信があって演習で取り上げたのだ。私が言いたいのは、哲学的思考にとっての今日の課題は、もはや問題の構造を大上段に明らかにするだけでは不十分で、どのように日々の生を豊かにするかについて暮らしの具体性と離れずにポジティヴに考えることにあるのではないか、ということである。すでに長引く不況が常態化した現在の日本にあって、私たちは皆、2011年3月の原子力発電所事故によって、いかに現今の産業構造が個々の生をないがしろにするものであり、それに対して個々の生は、たとえ無力であっても懸命に生きるしかない、という事実を改めて思い知った。それでもなお生き生きと暮らしていきたいと願う者たちは、先に挙げた学生たちのように、社会に対する希望のなさをとっくに前提としたうえで、自分の生を充実させるために、少なくとも本当に楽しいものにするために、自分なりの試行錯誤を続けている。この暮らしのなかでの極めて具体的な「ああでもない、こうでもない」は薄っぺらな構造分析や概念化を拒む。哲学的思考は、こうした試行錯誤と共に歩むことによって力強い提案をして欲しい。少なくとも自身はそうありたい。

「民藝」を主題とする本書は、まさにこうした期待に応える方向性にあると言ってよい。本書の序文では、昨今の、民藝に対する様々な分野での関心の高まりは以下のように語られている。「これらの関心は暮らしに対する意識と並行して高まってきました。かつては趣味や娯楽というのはどこか非日常的なもので、旅に出たり、遠く離れたところに求めることが基本でした。それに対し、より近いところでより豊かなものを見出す楽しさというのが、今は共感を集めています。ただし、昨今の暮らしへの関心は、その指針、つまりどういう豊かさがそこで実現されるべきなのかが、いまだ判然としていない状況を示すものでもあるように思われます。問題はそれをどうブレイクスルーしていくかです。そこで民藝です」(14頁)。平明に書かれた以上の主旨に共感し、「暮らし」という旗印のもとに集まる人々の活動に関心を抱くのは私だけではないはずだ。極めて多様な執筆陣が集められた本書では、「民藝」専門の研究者、学芸員のみならず、陶工、デザイナー、建築家、生活用品店の店主によるテキストを併せて読むことができ、興味深い。また「民藝」というムーヴメントが辿った現代までの歴史に関して、鈴木禎宏氏や濱田琢司氏による解説は良心的かつ過不足なく、大変に勉強になる、という点も本書の主旨として重要であるから申し添えておきたい。

しかし、全体としては不思議な読後感を与える本である。なぜ不思議かと言うならば、「民藝」という「モノ」の礼賛を主題とし、その背景として暮らしへの関心を掲げているにもかかわらず、肝心の「モノ」の感触や暮らしの具体性がほとんど伝わって来ないからだ。読後には、本書の装丁そのままに、実につるっとふわっとした印象が残る。陶器のもととなる粘土の匂いも器に盛られるであろう食べ物の匂いも何もしない。生活感がない。本書で垣間見る限りでも、そもそも「民藝」運動の中心にいた柳宗悦自身が「モノ」の重要性を標榜しながらも相当に観念的だったらしいので、こうなるのはむしろ「民藝」論として正統なことなのだろうか。それとも私たちの生活自体がもはや相当に無味無臭になってしまっていることの結果なのだろうか。どちらの可能性もあるのだろうが、私見ではその原因の多くは、副題の「つたなさの技法」に代表される、必要以上の概念化にある。この「つたなさ」以外にも、本書の編者である鞍田崇氏は「愛おしさ」という言葉を「民藝」を支える思想の核心に見出しているが、こうしたいかにも「弱さ」を擁護する態度からくるパラフレーズは、むしろ本書の魅力を半減させているように思われた。いみじくも鞍田氏と対談する中沢新一氏は、「民藝というのは下手するとすごくやわなところに入っていっちゃうけれども、僕はそれに警鐘を鳴らしているんです」と述べ、民藝の「強さ」や戦闘性を強調し、メルロ=ポンティとともに、突然なでしこジャパンを引きあいに出して愉快なことになっている(26-29頁)。私見では、そもそも強いか弱いかという決定的な価値判断は安易に持ち出さないほうがよい。が、確かに民藝が実現した技巧自体が凄まじいのは間違いがないし、それ以前に、素人による「モノ」とのつきあいや暮らしのなかで身体が実現している技術でさえも、たとえば生態心理学による運動学習研究などが存分に示すように、十分に凄まじい。その意味では、「民藝」もそのバックボーンとなる私たちの暮らしもまた、ともにけっして弱くもなければ、つたないものではないはずだ。

本書にあって、暮らしのなかで動いている身体やそのなかで触れ合う「モノ」の質感、そこで生みだされるドラマの壮絶さを伝えてくれるのは、建築家の塚本由晴氏と生活用品店「ロク」店主の橋本和美氏の文章である。コンビニ弁当が食べていく過程でゴミ化すること、狭小住宅での掃除にはあちこちにがちゃがちゃぶつかる掃除機は不向きで、昔ながらの箒が有用であること(以上塚本氏)、自分自身が生活に使用している品物のみを売るに至った経緯、経済的自立以前には「モノ」を選べず無駄な買い物を繰り返したといったエピソード(以上橋本氏)は、大変に生き生きしており、後続する議論に大きな説得力を与えている。そこには音があり、匂いがある。「食事一つとっても、そこには様々なふるまいが連なっていて、それは調理器具や器などに鼓舞され、生産されている」(97頁)と塚本氏が分節化しているように、私たちの凄まじく具体的な暮らしを語るためには、具体的なふるまいとそのふるまいを「鼓舞する」(見事な表現!)「モノ」の描写なしにはありえないし、この暮らしの具体性に対して安易な価値づけを行なわないように、論者は相当に慎重になったほうがよいのではないだろうか。むろんこれは、モノについて、暮らしについて哲学的に考察を試みている自身に対する戒めでもある。私個人は育児や日々の家事について、しかるべき記述方法を探りながら哲学的考察を試みているが、これが実に難しい。いささか辛口の評となったが、ここで述べた問題を私自身も課題として引き受けるということで御容赦願いたい。

201206

特集 書物のなかの震災と復興


木造仮設住宅から復興住宅へ──はりゅうウッドスタジオほか『木造仮設住宅群──3.11からはじまったある建築の記録』
線の思考──寸断とネットワーク──原武史『震災と鉄道』
混迷のなかで提示された技法としての倒錯──大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ──3・11後の哲学』
私たちの凄まじく具体的な暮らし──鞍田崇、中沢新一ほか『〈民藝〉のレッスン──つたなさの技法』
「今、音楽に何ができるか」という修辞に答える──震災時代の芸術作品
再び立てられた「問い」──露呈した近代─反近代の限界を超えて──日本建築学会編『3・11後の建築・まち──われわれは明日どこに住むか』
日本という〈身体〉の治癒はいかに可能か── 加藤典洋『3.11──死に神に突き飛ばされる』
逃げない「ヒト」を避難するようにするには── 片田敏孝『人が死なない防災』
政治としての建築──隈研吾『対談集 つなぐ建築』
社会がゲシュタルトクライシスにおちいるとき──篠原雅武『全─生活論──転形期の公共空間』
「拡張現実の時代」におけるプロシューマー論の射程──宇野常寛+濱野智史『希望論──2010年代の文化と社会』
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