逃げない「ヒト」を避難するようにするには── 片田敏孝『人が死なない防災』

牧紀男(京都大学防災研究所巨大災害研究センター准教授)
◉片田敏孝『人が死なない防災』
(集英社、2012)

「岩手の奇跡」

著者の片田敏孝は「釜石の奇跡」の立役者として有名である。「釜石の奇跡」とは、一般的に釜石市では学校管理下の小中学の児童・生徒の死者が0であったこと、まちの大半が浸水した鵜住居地区にある小・中学校で、小中学校が連携しひとりの犠牲者も出さずに避難したことをさす。マスメディアは釜石市だけに注目するが、お隣の岩手県大船渡市も学校管理下の児童・生徒の死者は0であり、実際には岩手県全体でも0なのである。学校管理下の児童・生徒ということに着目するのであれば「岩手の奇跡」と言うべきである。重要なのは本書に出てくる釜石小学校の事例である。釜石小学校の児童は全員帰宅していたにも関わらず避難して助かっている。それは岩手県における津波防災教育の力であることは間違いない。全校児童の7割が避難途中に津波に流されるという宮城県石巻市の大川小学校での痛ましい被害を無くすためにも、津波防災教育が重要であることは言をまたない。 防災のための重要な情報として、津波が「どこまで」・「どれぐらいの高さ」・「どのくらいの時間」で到達するのかを示した津波ハザードマップが存在する。しかし、釜石のハザードマップを見ると鵜住居小学校・釜石東中学校とも津波は来ないことになっている。それにも関わらず両校の生徒は学校から避難し、さらに避難場所として想定して場所が危険だと考え、さらに高台に移動することで難を逃れている。これは片田のいう「避難の三原則」その1「想定にとらわれるな」、その2「最善をつくせ」の成果である。しかしながらハザードマップなしでは、避難を考えるうえで不可欠な危険な場所なのかどうかという情報さえ得ることはできない。ハザードマップに全幅の信頼を置くのではなく、できる限り安全なところへ避難するというのが津波避難あるべき姿なのであろう。

◉広瀬弘忠
『人はなぜ逃げおくれるのか──
災害の心理学』
(集英社新書、2004)
◉同『巨大災害の世紀を生き抜く』
( 集英社新書、2011)

人は逃げない

津波の避難を考える際、津波警報が発せられても「人は逃げない」ということをまず認識する必要がある。人はなぜ逃げないのかについては、社会心理学の分野において多くの研究の蓄積があり、社会心理学者の広瀬弘忠『人はなぜ逃げ遅れるのか──災害の心理学』に詳しい。片田は人が避難しない原因として「正常化の偏見」「認知不協和」という人が持つ2つの心理的特性をあげる。「正常化の偏見」(正常性バイアス)とは「私たち人間の心が持っている、エネルギーの損失や過度な緊張を避けるために、ある程度までの異常は正常の範囲内として処理する機能」★1である。津波が陸に上がってきても避難せず、防潮堤の上から津波を見ている人の姿もビデオに記録されている。人間は、なかなか危機を危機として認識することができない生き物なのである。災害があると「避難勧告・指示」の発令が遅れた・聞こえなかったという記事がマスメディアを賑わすが、人間は警報を聞いたら避難をするような単純なものではない。
もうひとつの「認知的不協和」とは、「人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感」であり、人々はその不快感を修正するための行動をとる★2。津波避難では「避難勧告が発生されたら逃げる」vs.「避難をしない」ということの間の不協和を解消するために、避難をしないことの理由探しを行ない、逃げないという問題が発生している。津波避難は、こういった人間の「逃げない」習性を踏まえて考える必要があり、片田は津波避難三原則その3として「率先避難者たれ」という。これは、人が逃げれば自分も逃げる、より正確にいうと自分が信頼できる人が逃げるのであれば、それにつられて逃げるという人間の心理を利用して、避難の仕組みをつくるということである。

「人が死なない防災」と「生き残った人のための防災」

本書のもうひとつの主張は阪神・淡路大震災以降の、避難所の運営の改善、ボランティア活動といった「生き残った人のための防災」対策ではなく、防災において「人の命を守ること」を第一に考えるべき、ということである。阪神・淡路大震災以降の防災では、確かに緊急対応、応急対応ということが大きな課題として取り上げられるようになったが、人の命を守るための対策が軽視されていたということは決してない。阪神・淡路大震災による人的被害の原因は、老朽家屋の倒壊であり、その後、耐震改修を促進するための施策が確実に実施されてきている。阪神・淡路大震災以前の日本の防災対策が被害を出さないこと・人の命を守ること、を中心に行なわれてきたことに「加えて」、生き残った人のための防災ということについても阪神・淡路大震災以降、考えるようになったというのが正しい理解ではないかと考える。
2万人近い死者・行方不明者を出した東日本大震災で「人が死なない防災」の重要性が再認識されたことは間違いないが、新しい防災のキーワードとして注目されるようになったのが「リジリエンス」という言葉である。「リジリエンス」という言葉はともすると、災害からの回復力(災害対応、復旧・復興)に着目した概念と誤解されがちであるが、決してそうではない。被害を出さない「抵抗力」と「回復力」の両方を兼ね備えた社会を創ろうという考え方である。先述の広瀬はリジリエンスについて『巨大災害の世紀を生き抜く』のなかで、抵抗力はあるが回復力が弱い社会を「防衛鈍重型社会」、抵抗力は低いが回復力が強い社会を「虚弱適応型社会」と呼ぶ。開発途上のアジア各国のような社会が「虚弱適応型社会」であり、日本は相対的に見ると「防衛鈍重型社会」に分類されると考えられる。東日本大震災の教訓として、「人が死なない防災」は当然のことであるが、阪神・淡路大震災以降に加えられた「生き残った人のための防災」、特に災害からの立ち直りも重視した対策の充実が今後、さらに求められると考える。




★1──広瀬弘忠『巨大災害の世紀を生き抜く』( 集英社新書、2011)35頁
★2──「認知的不協和」(Wikipedia、2012年5月30日閲覧)

201206

特集 書物のなかの震災と復興


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