【第4回】[訪問対談]Learning from 富山市
──まちはデザインで変わる

太田浩史(建築家)+乾久美子(建築家)
太田浩史氏(左)、乾久美子氏(右)

建築の外側で起きていること

太田浩史──2月19日(日)、20日(月)の2日間、乾さんと富山市街を歩きました。この連載で初めてのまち歩きになりましたが、多くの発見があったと思います。まずは簡単にコースを説明します。
1日目は、富山駅前にある「公共交通 まちづくりインフォメーションセンター」[fig.1]を訪れてから、「富岩運河環水公園」にある世界で一番美しいスターバックスにも選ばれた富山環水公園店と周囲を見学[fig.2]、富山駅北からライトレール(LRT)の「ポートラム」に乗って岩瀬浜駅まで行き、伝統的な建物を修復保存している岩瀬地区の町を歩きました[fig.3]。さらに、岩瀬浜駅から再び市内に戻り、富山駅から今度は自転車市民共同利用システム「アヴィレ」の自転車を利用し、総曲輪(そうがわ)にある「グランドプラザ」へ。市役所職員で建設部の京田憲明さんと浜浦一輝さんにお会いして話を伺い、1日目は終了。富山の歴史の重層性に驚かされました。

fig.1──公共交通 まちづくりインフォメーションセンター

fig.2──富岩運河環水公園。右が世界で一番美しいスターバックスに選ばれた富山環水公園店

fig.3──岩瀬地区

2日目は、午前中は自転車を利用して富山市庁舎へ。京田さんと都市整備部路面電車推進室の谷口博司さん、「グランドプラザ」広場の運営をしている山下裕子さんに話を伺いました。午後はLRTの「セントラム」に乗って、集中的に景観整備を行なっている大手町通りとそこに建つ槇文彦さんが設計した《富山市民プラザ》へ。そしていま、プラザ内にあるカフェで2日間の経験を振り返っているところです。
今回のコースは、2日くらいゆっくり時間をかけていろんな背景を知りながら見て歩くと、建築の分野の外側でどういうことが実験されているのかがたいへんよくわかるでしょう。日本中の建築を学ぶ学生は、ぜひこちらに来て経験したほうがいいと思うほどです。
これから、なぜ富山市の実践が日本の都市再生にとって大事な事例なのか、話したいと思います。
盛りだくさんな2日間で、僕はたいへん成果があったと思うのですが、乾さんはLRT整備以降の富山市には初めて来られたそうですね。まずは感想から聞かせてください。

乾久美子──じつは、私は学生時代から何度も富山市を訪れています。もう20年ほど前になるのですが、その頃は古いスタイルの路面電車だけが走っていました。その記憶と比較するとまったく異なるまちへと進化しつつあることを実感しました。まちのストラクチャーは変わっていませんし見覚えのある風景も随所にのこっているのですが、イメージが全然違うのです。建物や道路といった不動産的なものの更新ではなく、公共交通というようなネットワーク的なインフラが変わることで、まちの印象がここまで鮮やかに変わるのか!と驚いていますね。印象的なのが、単にLRTの取り組みのみが単体で行なわれているのではなく、自転車市民共同利用システムの「アヴィレ」や、広告、ベンチ寄付の際のメッセージ付き記念プレートのついた電停[fig.4]も活用しながら、都市再生が複眼的に行なわれていることでした。

fig.4──丸いプレートには寄付者からのメッセージ「ライトレールが永遠に走り続けるように」が刻まれている。

LRT整備の効果

太田──ありがとうございます。いま出てきたキーワードをひとつずつ聞きながら、複眼的な方法をどのようにとらえられるかを確認していきたいと思います。富山駅北─岩瀬浜を走る「ポートラム」[fig.5]、もしくは最近できた富山駅以南を環状に走る「セントラム」[fig.6]といった、LRTの乗り心地は気に入られたようですね。

fig.5──ポートラム

fig.6──セントラム

乾──非常に気に入りました。路面電車特有のガタガタするような振動がなく、サスペンションの効いた自転車に乗っている感覚でまち中を走り抜けて行く様はとにかく快適。また自家用車とは比べものにならないくらいに窓が大きくて明るい車内の中に立った状態で乗車していると、乗り物に乗車している感覚があまりなくて、自分が宙を浮きながらスルスルと水平移動していく感じがして未来的というか、新鮮でした。富山市のLRTはデザイン面で評価されることが多いようですが、私は乗り心地のデザインも評価したいです。

太田──確かにあの乗り心地は癖になりそうですね。キーンという音やプシュッという音がサウンドスケープとしてもいいのではないかと思いました。あとは、乾さんは窓が大きいこともポイントとして挙げられましたね。

乾──窓が大きいと、移動という行動のまちとの一体感が強まるように思います。自家用車にはややふんぞり返って乗車しますね。すると身体が窓から遠くなりますから、気持ちがまちと切り離されたまま単に移動しているだけになる。そういう体験とはずいぶん違うなあと。

太田──デザインはどうですか?

乾──デザインもとてもきれいですよね。とってもよくできているなと思いました。ここまで何もやっていないように仕上げるのは相当な努力があったと思います。変な主張をせず、やることはやっているいいデザインだと思います。

太田──私たちは昨日たまたまバレンタインデーのラッピング車両に乗りましたが、車体に「ポートラブ」と描いてあった。一種のダジャレですが、それを見てもポートラムが市民に愛されている様子がわかりますよね。「ポートラム」の誕生日をみんなで祝うテーマのときは、子どもの写真を車体に貼ったそうですが、おじいちゃんからどの車両に孫の写真が貼っているのか、またそれはいつどこを通るのかと市役所に問い合わせがきたと聞きました。つまり、車両自体が走るメディア、まちの変化の象徴となって、新しい富山市を体現している。

乾──LRTが通るだけで、お祭りの御神輿が通るような晴れやかな場所ができているような気がしますね。市民の方がお金を払ってでもこれに関わりたいと思う気持ちがわかります。

太田──路面電車推進室の谷口さんもおっしゃっていましたが、接客は大事ですね。運転手が乗客と関係なく運転するのではなく、車両の通過の待ち合わせのわずかな時間に停車していた駅のホームの雪かきしていたのを見て感激さえしました。その仕草がすごくさりげなかったんですね。運転手も接客のプロとして振る舞っていて、乗客がニコニコしている。不思議にも気持ちのよい空間でしたね。

乾──若い運転手さんでしたが、自然にやっていましたよね。

太田──電停のデザインはどうでしょう?

乾──電停もできる限り余計なことをしないという姿勢でデザインされていましたが、よかったですね。どうすればもっとも目立たないものができるのかが真剣に検討されていると思いました。同時に、そのノーマルさ故にある種のシンボル性を獲得している点も秀逸です。

ポートラムと岩瀬のまち並み

太田──僕は、いまの立体高架事業が終わる前の富山駅北の電停のターミナルらしい空間がいいですね。駅前北口広場のなかに線路がどんと入って止まっている[fig.7]。一方、岩瀬浜駅のほうはさほど魅力的に感じない[fig.8]。交通ターミナルになっていて、もう少し先にある海が見えないのが残念ですね。まだいろいろできることはありそうです。たとえば、僕が知っている広場のなかでも3本の指に入るのが、オーストラリアのアデレードにあるモスリー広場という広場です。アデレードの中心市街地から延々と走る黄色い顔のトラムは広場に終着し、停車場の隣にあるカフェは外に向かってテーブルを出している。広場の反対側からは向こうに市庁舎と時計台が望め、その先が海になっている。その海に向かって一本の桟橋がのびていて、夕方には赤く陽が落ちていく。ものすごくきれいで成熟した空間なのです。やはり東岩瀬でも停車場から海が見えたほうがいいな。じつはポートラムで行なわれているのはイギリスにおけるトラムの使い方に非常に近く、行楽地をつくろうとしているわけですね。富山には行楽地としての岩瀬のまち並みがある。ポートラムの終着駅を降りるとそこには絶景と岩瀬のまち並みが待っているといったシチュエーションができるといいなあ。

fig.7──富山駅前北口広場

fig.8──岩瀬浜駅

乾──経験をふくめたグランドデザインをトータルに考えよということですね。そうした都市的な視点はとても重要だと思います。

太田──岩瀬はすごく魅力的ですね。

乾──現地に到着するまで、なんでこんなへんぴなところを歩いているだろう、太田さんはいったい我々をどこにつれていこうとしているか?と疑いながらついて行ったのですが(笑)、たいへんすばらしいまち並が広がっていて驚きました。

太田──北前船の寄港地には富が集積していますよね。また東岩瀬港周辺は空襲で焼けていないので往事の廻船問屋が残っていたり、豊かなまち並みが修景されています。ここはもっと多くの人に知ってもらったほうがいいのではないかと思う。すばらしい建物と食べ物、お酒もありますし(笑)。

乾──修景に力を尽くしてきたことが実ってきている感じですよね。地域の住民の方々ががんばっておられるのでしょうか。

太田──岩瀬地区にある枡田酒造の桝田隆一郎さんが、10年近く修景活動の音頭をとってきました。その活動母体が桝田さんのつくられた「岩瀬まちづくり株式会社」で、伝統的な建築を買い上げて改装し、賃貸するという事業を成功させ、新しい公共空間のつくり手として大きな成果を出していますよね。この事例を知った同世代の人々の動きが日本中で起きていて、地方都市の活性化に貢献しています。

セントラムとアヴィレによる街の再編集

太田──セントラムのほうはどうでした?

乾──セントラムは、車体のカラーリングを工夫することでより一層シャープになっていたのが印象的でした。格好いいセントラムの車両が市街地中心部をぐるぐる走り回ることで、まち全体の景気付けになっているように感じました。10分に一度LTRがさっと街中を通り過ぎるというのは、まちの見え方をずいぶんと変える効果があるなと思いました。路線を環状にした理由には、利便性向上もさることながら、そういう都市再生の宣伝のような効果を見込んだ点にもあったのかもしれませんね。

太田──セントラムに乗って見る開放的な風景がいいというお話もありましたが、走行ルートには富山駅前や県庁前、国際会議場前、グランドプラザ前などのまちの重要ポイントが多いので、20分間のミニ社会科見学というか、どこにどんな施設があってまちができているかがわかる。一種の編集的なつながりが生まれていて面白いですよね。

乾──確かに。来街者に対して住民のみなさんが自信をもって「ちょっと乗ってきてみなよ」と言える感じがありますよね。セントラムが面白いのは、体験としての編集だけではなくて、セントラムを通すことで道路などのインフラも物理的に編集していることですね。道を再整備したり、通りから見える建物や景観をデザインし直したりと、デザインの手の入れ方が総合的なのがすばらしいと思いましたね。

太田──ポートラムは民間運営、セントラムはインフラと車両と修景計画を富山市、運行・運営を民間の独立会計とする上下分離方式で、市がトータルデザインプロジェクトとしてオーガナイズできたことが大きいですね。セントラムは、いま私たちがいる《富山市民プラザ》の前を通る新しく引かれた線路が引かれたことで環状線化が完成しましたが、これも市が主導的に関与したからできたのだと思います。一つひとつのことになるほどと感心させられる。よくできていますよね。

乾──いや、本当によくできていると思います。開業までの写真を眺めていて気づいたのですが、すでに整備されていたところを再整備している部分があるみたいですね。そのように一度税金投入したところにもう一度税金を投入するためには厳格で隙のない論理構築が必要とされるはずで、そうしたことを請け負うことができる実力や決意が富山市にはあるのでしょうね。勢いを感じます。

太田──驚かされたのは、修景計画やストリートファニチャーなども含めたセントラムのトータルデザインは都市政策課や建築指導課、中心市街地活性化推進課などが進めているのかと思っていたら、路面電車推進室ですべてのリードをされているということでした。これも市の英断ですが、トラムという発想をプロジェクトの柱に据えることで、デザインに波及効果を持たせた面白いモデルですね。 もうひとつ、思わずニコニコしながら乗った、自転車市民共同利用システムの「アヴィレ」[fig.9]を利用してどうでした?


fig.9──自転車市民共同利用システム「アヴィレ」

乾──「アヴィレ」は、まずカードでピピッと鍵を解錠する体験が楽しかったですよね。解錠後、自転車をラックから取り外す仕組みを理解するのに手間取ったのですが、慣れてしまえばこっちのもの。定期券を持っていれば日常的に相当使うだろうなと思いました。印象的だったのは、市役所の人が遅刻しそうになる度にアヴィレを使っているというエピソードです(笑)。 これまでも別のまちで貸し自転車を利用したことがありましたが、同じ場所に返しに行くのがおっくうです。その点「アヴィレ」はステーションの数が多くて乗り捨てにできる。その体験は新鮮でした。

太田──パリの「velib'」というレンタサイクルシステムをモデルにしたとのことですね。僕の知る限りではコペンハーゲンの「シティバイク」が先駆的です。余談ですが、開発者は自転車を盗まれることを心配して一般車と互換性のないデザインをしたんですね。スポークではなく円盤状のディスクホイールで支えるとか、ブレーキが違うとか。盗んでも壊れてしまうと修理ができないので、まちのどこかに乗り捨てるしかないわけです(笑)。盗まれてしまっても回収するというモデルですよね。その後オーフスでも展開されましたし、ベルリンでクレジットカードを使う仕組みのサービスがでてきて、次にナントで、それからパリで見るようになりました。パリのシステムが富山に受け継がれたんですね。ホテルで定期パスを買うことができる。値段は買いやすく1,000円でデポジットが300円、実質700円のパスです。最初の30分間は無料なので、初めての人でも気軽に利用できて、ツーリストにはたいへんありがたい。地元の人はあまり乗っていないとも聞いたのですが、今朝は私たち4台分の自転車がひとつのステーションにありませんでしたから回っているんでしょうね。

乾──少なくとも、市の職員の寝坊組が頻繁に使っているんでしょうね(笑)。

まちを見に行きたくなる仕掛け

乾──富山のように企業が集積する都市であれば、ビジネス目的でやってきて、商談が終わったあと予約していた帰りの電車の時刻まで数時間時間をつぶさないとならないというような人は多いかと思います。そういう人をどうもてなすかは大切だと思いますね。まちは目的的にうごいている人だけが存在するわけではないわけですから。そうした時間つぶしを必要とする人にとってポートラムやセントラムはなかなかよいアトラクションです。「アヴィレ」もちょっと先まで行ってみようかという人たちをもてなせそうなのがいいなと思いましたね。喫茶店に入って時間をつぶそうかという時間を、まちを見に行こうという時間に転換できるわけです。そういうこともまちデザインの対象になるのでしょうね。

太田──乾さんも延岡駅周辺整備プロジェクトでいろいろ議論されているとは思うのですが、「公共交通」をデザインし直してまちのコンパクト化を図るとか、シェイプアップするとか、単純に面白いとか誇らしくてニコニコしてしまうとか、公共交通のデザインでそういうことが可能になっていることをどう思いましたか?

乾──そうですね。延岡市も車社会がかなり浸透していますから、自らの意思で車で移動できない児童や生徒は自転車で移動しています。バスに乗車しているのは高齢の方々が多いのですが、たいていの停留所が椅子ひとつない状況にあって、高齢者の方には厳しい環境です。若い方もつらそうにバスを待っておられます。そうした状況をみて交通の問題はなんとか手をつけていきたいと考えているところです。行政の方々も車社会の限界は気づいていて、同じような意識をもっておられます。ただ延岡の場合は交通政策から都市再生スタートすることは選択されませんでした。交通政策を本格的に考える気運がまだおきていないからです。かわりに、まずは駅そのものの利便性をあげたり市民のための場所をつくることを選択しています。それらが軌道にのせてから、次のステップとして交通のことに手がつけられていくイメージです。

太田──なるほど。富山市の場合は全部の問題を同時に解くのではなく、ひとつずつ着実に進めていくのがいいですね。ポートラムの次はセントラムといった連鎖反応を続けていくような。そう、「連勝体験」という感じがしますよね。

乾──ええ。高岡市の万葉線でLRT「アイトラム」を実現したのを皮切りに、富山市のポートラム、セントラムと、連勝体験がクリアに見えていて面白いですよね。

太田──そこから、景観とか広場とか、いろんなものを巻き込んでいくのがいいですね。

乾──そう、スポーツの強いチームの試合を見ているような嬉しさがあります。応援したくなる感覚。

太田──プレイしている姿もかっこいい。もちろん勝つことも大事だけれど、むしろそちらのほうがよくて。今回、実際にそういう人たちにお会いしたときの印象もそうですが、報告書ひとつをとってもデザインされているとか、プレイする姿がよく見えるようになっている。市民のみなさんもその姿をよく見ていらっしゃるんじゃないでしょうか。

発見だった「グランドプラザ」

太田──さて、建築や広場に目を向けてみましょう。2日目に訪れた「グランドプラザ」は戦前からある総曲輪という繁華街にできた広場です[fig.10]。「グランドプラザ」の前には、セントラムの電停とアヴィレの大きなステーションがあり、ひとつの交通のハブになっています。そこに再開発の話が立ち上がって北陸になじみのある大和デパートが引っ越してくることになり、大型駐車場が必要になった。この整備計画を富山市役所の京田憲明さんたちのチームがさばくことになり、百貨店と駐車場ビルの間につくった広場が「グランドプラザ」です。それがいまはまちの重要なパブリックスペースになっていることにたいへん驚かされたました。正直、今回の総曲輪歩きはLRTの話で盛り上がるかなと思ったのですが、半分は「グランドプラザ」のすばらしさが印象強く残りました。まず、「グランドプラザ」の空間の感想を聞かせてください。


fig.10──グランドプラザ

乾──「グランドプラザ」は日本設計の淺石優さんが設計の担当された建築ですが、あれほど透明感のあるガラスのスペースがつくられたのはすばらしいなと思いました。ああした徹底した明るさに市民が素直に感動し、それに惹かれて利用しているという関係が見て取れ、幸せな建築のあり方に感動しました。また、事業自体の組み立て方も面白い。百貨店と駐車場との間に「グランドプラザ」は存在しているのですが、ふたつの異なる事業体の間にできた土地を市が取得して半屋外型の空間をつくるという方法で結びつけ、一体的な経験が可能な場所が生み出されたわけですよね。構造的にも法律的にも3つの建物が複雑にからみあっています。建築関連法令をクリアするだけでも大変だったと思います。事業スキームとして組み立てるためにはさまざまな障害があったはずですが、それを粘り強く乗り越えられたのでしょう。

太田──そうですね。百貨店と駐車場ビルは建物の階高が違っていて、そのせいで左右非対称なのが効いていますね。実は「グランドプラザ」の大きさは東京の「旧新宿コマ劇場前広場」とほぼ変わらない65m×21m。「グランドプラザ」で体感する空間はもっと広く感じますし、逆にコマ劇場前は圧迫感を感じる。「旧新宿コマ劇場前広場」を設計した石川栄耀は、四方を囲むというアプローチを採りましたが、「グランドプラザ」は短辺方向二辺が開放的で、ガラスの屋根があるだけで領域感も生まれていて、とても広場らしい広場だなと感じました。

乾──秀逸だなと思ったのは、アトリウムでありながら下が5mほど開いているので外部だということですね。建築基準法的にも外部で解いたとおっしゃっていました。あの開放感によって外でもあり中でもあるような、これまでにない中間的な領域ができているのも、市民に愛されている理由のように思います。

太田──百貨店の3階まで外部エスカレーターで上り、そこから「グランドプラザ」の上をまたぐブリッジで駐車場とつないでいるので、劇場的なつくりですし、立体的にいろんな視線を楽しめる空間になっている。そして駐車場の1階部分が隣接する商店街のアーケードの延長のようにテナントが張りついて、ヒューマンスケールなまちの一角のようにつくられている。足もと回りの表情も豊かでいいなと思いました。

乾──百貨店と駐車場の建物の高さの違いもさることながら、「グランドプラザ」の駐車場側のガラスのファサードもガタガタしている。まちにフワッと屋根をかけている感がして面白かったですね。

太田──雪国の富山市は冬が厳しいはずですが、屋根には融雪装置がついているので、雪の季節もすごく明るい光が落ちてくる。雪空のなか半屋外の居場所があることがうれしいですね。

乾──青森にある原広司さん設計の《しもきた克雪ドーム(現・むつ市ウェルネスパーク)》などもそうだと思いますが、雪国での全天候型の大型建築は人気がありますね。雪のなかでも楽しめる半屋外空間はかなり集客力をもつように感じました。 また、百貨店と駐車場ビルをセットにしたのもうまいですよね。ふたつの主要施設の間に広場が存在することで、車でやってきた人も広場に関わらざるをえません。ブリッジを通るときには下方の広場で起こっていることを覗けるので、自然と意識が広場に向いていく。楽し気なプログラムが行なわれていたら、ついつい立ち寄ってみようかなと思わせてしまうのがうまいですよね。

太田──京田さんがおっしゃっていましたが、自動車に乗ることを否定せず、車を駐車してから商店街でスムーズに買い物ができるようなルートをつくればいいのであって、必ずしもLRTでまちなかに来てほしいというものではない。そのあたりの案配が実情に即していて、かついろんな選択肢があるように計画されているのが印象的でした。

乾──そう、あの京田さんのコメントから現実と理想の比重をうまくバランスさせることの重要性を教えていただきました。何かをいきなり否定すると、たいていは否定の否定をする意見が出てきて紛糾してしまうのですが、ちょっとずつうまく違う方向に持っていこうとするとうまくいく可能性が高くなる。そのあたりうまくコントロールされたところが秀逸ですよね。そのほかにも、駐車場ビルの駐車台数を百貨店側から提示された数よりも減らしたとおっしゃていましたが、こうしたプロジェクトスキームをコントロールすることもまちデザインにとって重要なポイントなんですね。そうした意味で京田さんは素晴らしいまちデザイナーなのだと思います。

新しい広場での振る舞いとは

太田──今日は「グランドプラザ」の運営をされている山下さんにいろいろお話が聞けたのですが、富山に来てよかったな、と。彼女に会えてよかった。山下さんの話はいわゆる運営論ですよね。でも、いろんなところで実験がされているにもかかわらず、広場を使う文化はなかなか定着しない。そのなかで山下さんがプログラムを考えたり、利用者自身にマナーや使い方を考えてもらうなどのアイディアに、身につまされるものが多くありました。

乾──山下さんにお会いできたのも本当によかった。彼女はまちにとって宝のような存在ですよね。どうやって山下さんのような人をこれからの日本は育てられるのか、そのことが問われているような気がします。山下さんはたまたま建築を勉強されていて、建築空間を使うリテラシーの高い方であることが「グランドプラザ」が生き生きと使われている大きな理由のひとつだと思いますが、一方で彼女は人を見る目もあるし、人の行動を読み取る力もある。そもそも他人を信頼する胆力があるのがいいですよね。そうした総合力は天性のものを感じます。ああいう方を、今、あらゆる自治体が求めているのではないでしょうか。では何学を学べば彼女のようなスキルやセンスをもつ才能を育てることができるのか、そんな教育のことにも思いを馳せながら話を聞いていました。

太田──いわゆるプロデュースとかマネジメントというのも違うし......。

乾──ええ。ある種、広場に来ている市民をときには幼稚園生のようにやさしく取り扱いつつ、しっかりとしつけ教育みたいなこともやる。あるで保母さんのようなセンスもなくてはならないわけです。そうした広場の運営に求められる多様なセンス全てを彼女はもっていますよね。

太田──山下さんもおっしゃっていましたが、何よりも大事なのは、都市とはなにか、なぜみんなで一緒に何かをやると楽しいのか、人が集合する場所はなぜ面白いのかといったことの意味や効果をわかっていないと、その場所をどういう方向に持っていくかを描けない。山下さんは、新しい都市での市民の振る舞いの基準のようなものを本能的に知っていらっしゃるのかな。そういう感覚を持っている人は増えているように思います。仏生山温泉の岡昇平さんやstudio-Lの山崎亮さん、柏の葉アーバンデザインセンター(UDCK)のみなさん、そうした方々や、みんなでやれば面白いじゃないかというシェア感、そしてシェアしているものを面白く質の高いものにするスキルを持つ人が増えていると思いますね。そのほかに印象的だったのは、山下さんは若い3人のスタッフと「グランドプラザ」を運営しているのですが、彼らの目の輝きは本当に日本の未来は明るいと思わせるものでした。いかがでしたか?

乾──若いスタッフの方々もきびきびといい動きをしてました。自分たちのやっていることの社会的意味が十分にわかっていないとああならないと思います。全員が前向きで楽しそうな雰囲気を発していてとてもよかった。

太田──去年、今年はいろんなプログラムをほぼ毎日のようにやられていますが、プログラム開発にあたって、基本的には応募案にはノーとは言わないそうですね。いろんなことを試してみようというスタンス。じつは、これが市の施設で起きていることは「事件」クラスのことだとは思うのですが、乾さんはお聞きしたなかでどのプログラムが面白いと思いましたか?

乾──感動的なものばかりだったのですが、なかでもお気に入りは掃除のプログラムですね。「グランドプラザ」のガラス屋根の上を掃除することをイヴェント化して、スパイダーマンに扮したスタッフを屋根の上に張りつかせて掃除を始め、下にいる人たちを驚かせたりして、めちゃくちゃ楽しそうです[fig.11]。すべては都市空間を楽しんでもらうためにやるんだという意欲に溢れているようでよかったですね。



fig.11──スパイダーマンと屋根掃除

太田──あれもいいですね。僕は、子どものイヴェントが組まれているのがいいと思いました。たとえば積み木。基本的に積み木は家の部屋でやる遊びだけれど、小さい頃に友達が来て一緒に遊んでいると、部屋が部屋以上のものになる感じがしませんでしたか? 「グランドプラザ」で大規模にやるつみ木プログラムを子どもたちはどのような体験としているのだろうか。広場にはたくさんの友達がいて、つみ木のパーツも大きいし、できあがるものも大きい。すごくのびのびとつみ木ができる[fig.12]。そう考えると、じつはそのときに建築家教育が始まっているのではないかと思えてくるのです。じつに空間のスケールにあったプログラムだなと思いました。あとは、子どもが人工芝の上で裸足で遊べるのもいい。裸足で広場を考えるというのは盲点でした。

fig.12──つみ木遊び

乾──今日山下さんからいろいろとお話を伺うなかで、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら子どもと都市空間の関係の重要性に気づいたというストーリーを聞きました。そうした経験の蓄積が広場運営に対する揺るぎない自信につながっているようですばらしい。

太田──日本には広場の伝統がないと言われていますが、このあいだ『江戸の広場』(吉田伸之ほか編、東京大学出版会、2005)という面白い本を読みました。「江戸の民衆と床店葭簀張(よしずばり)営業地」という論考で研究者の小林信也さんが「江戸にも広場があったのではないか」と言っているんです。その広場とは広小路なのですが、広小路と聞くと盛り場だというイメージは強いけれど、盛り場だったのは上野と両国などに限られていて、江戸橋であるとか新橋の二葉町はマーケットになっている。それぞれハレとケですね。マーケットは日常的な空間としてあった。いろんな文献を読んでいくと、よしず張りという仮設店舗の体裁をしながら恒常化した店舗を営む人たちが、まちのけんかをさばいたり、濠に落ちた人を助けたり、掃除をしたりする引き換えに営業をしている。一種のPFI(Private Finance Initiative)のようなことが行なわれていたようです。お上のお触れでそういった管理仕事をするのではなく、民衆がパブリックスペースをつくり、それを見守る世話人がいて、都市施設として運営していた。民衆のほうからでてきた知恵なんですね。江戸のまちは厳しい監視体制下にあったと言われていますが、そうではなくてまちの人が融通し合いながら管理していたんだと。今回の富山市のケースとは違うけれど、日本にも民衆による広場の文化が根付く契機はあるんじゃないかと思いました。

乾──なるほど。山下さんたちは指定管理者として行政から委託されて広場の管理をされているわけですが、彼女は自分の立場をまったく気にしていない様子でしたね。行政から雇われている感じがない。実際に山下さんを見つけてきた京田さんも「できる限り勝手にやってもらったほうがいい」と言えるのが粋だなと思いながら聞いていましたが、今の江戸の広場の話に通じますね。

太田──僕はパブリックスペースにはまちの振る舞いや倫理の水準が示されると思っています。どこまでをやってどこまでやってはいけないか。そのボーダーラインを維持するのはたいへんなことです。ついどこにでも「××禁止」と張り紙をしてしまうけれど、そうではなく、広場をリアルなメディアのように使って、みんなが不快になることは止めましょうと、ただそれだけを広場で伝えていく。行政が自分たちで振る舞いの水準を模索しながらつくっているところがよかった。
あと、ボクシングのプログラムの話は面白かったかな[fig.13]。ボクシングをパブリックスペースでやるという発想はなかなか思いつきませんね(笑)。4回戦ボーイが本気の殴り合いをして血だらけになっていたらしいですが、パブリックスペースで本気に戦えば戦うほど、逆に「みんな仲良く暮らそうよ」という気持ちになってくる(笑)。 今後、公共空間に対する意識が高まってシェアハウスやシビックプライドといった話が展開していくと、広場をいかに運営するのか、広場で交流する市民の振る舞い、どういうスピリットで広場に行くべきかがテーマになってきます。そのとき、私たちが昨日今日と心を打たれた、富山市が15年以上の試行錯誤を経て実現した数々の新しい取り組みは、日本全体で参照される大きな経験、ひとつの手本として共有されるべきだと思います。

fig.13──ボクシング・プログラム

乾──山下さんを見ているとイキイキとしていて、広場を運営するのをご自身も楽しんでおられるのがいいですね。自分たちがまちを使っているんだという感覚がある。まちは単にサービスを受けに行く場所であるという考えではなく、まちは自己実現の場、メディアであるという感覚を持つ人、ここで何かができるのではないかと考える人が増えているのかな。

太田──そう思いますね。近頃の若者は車を持たなくなったといわれますが、軽自動車でも自分のスタイルを持って乗るとか、シェアカーを使いこなせるとか、若い世代は新しい価値観のなかで社会に関わることができる。社会に関わって自分が必要とされ、そのなかで新しい職能を見つけていくことが自分の価値であり、職能を創造的に定義しつづけていくことがより大事になってくる時代だと思います。他人にこういう仕事をやれと指示をしたりされたりするのではなく、自分の価値観に合わせたビジネスを設計し、そのかたちにアダプトできる人がすごく増えているように思いますね。

建築はついていけるか

太田──富山市では公共交通、公共空間というテーマを軸にまちデザインが進んでいますが、そちらが素晴らしい成果を伴っているだけに、一方で建築がこの動きについて行けていないようにも思います。池原義郎さんの《富山県総合福祉会館サンシップとやま》はまちのスケールから遊離した大仰な建築と言わざるを得ませんし、槇さんのこの《富山市民プラザ》も空間と街がうまく結びついていないと思います。現在、富山のまちなかで起きている柔らかいことと、硬直した建築の空間にギャップがあるような気がしてなりません。市役所でお話を伺った際に将来的には大手町通りをトランジットモールにしたいという想いを伺ったけれど、建築のボキャブラリーを整理しておかなければ「グランドプラザ」のような空間はヒットは続かないでしょう。それでは建築はどのようにあるべきか。そもそも建築は街に対して何ができるのか、富山市に来る人はこの疑問を持ち帰らないといけないと思いました。

乾──設計者には身につまされる問題です。私は槇さんが設計されたこの《富山市民プラザ》の2階の空間が以前から好きだったのですが、その空間がうまく使われていない現実を見るのは悲しいです。《富山市民プラザ》の竣工は1989年ですからハード先行型の時代に生まれているのは確かで、その時代においては槙さんのように天才的に能力のある建築家であったとしても、そこで行なわれる諸活動のリアリティに迫れなかったのかもしれません。建築を考えるときに、ソフトが先なのかハードが先なのかという問題もありますね。延岡ではいきなりハード先行でつくるのはまずいという意識から、山崎亮さんに市民ワークショップで市民は何が欲しいのかを引き出してもらい、その欲求からスタートした設計を行おうとしています。その方法であれば少なくともまちの状況から遊離したちぐはぐなものは生まれないだろうと期待しています。
そうそう、「グランドプラザ」が面白いと思ったのは、いったんハード先行型で進んでいたところ、途中の山下さんの登場によってソフトが追いつくチャンスを得たわけです。具体的には彼女の意見によって使い勝手を向上するいくつかの変更があったようなのですが、それが効いていると思います。

太田──もちろん、建築だけの責任でもありません。槇さんがこの建築をつくられたときにはセントラムも走っていないわけで、公共空間をまちにどういうふうに連関させていくかというマスタープランもなかったのでしょう。いずれ眼の前の大手町通りが歩行者とLRT専用の公共空間なったとき、この中庭のポテンシャルが思いもかけない形で発揮されるかもしれません。総曲輪の商店街から「グランドプラザ」へという回遊性、大きな歩行者ネットワークのなかでのパブリックスペースそれぞれの機能分担を考えていくことがこれからの富山市のひとつのテーマかなと思いますね。

乾──まちの中のパブリックスペースの機能分担は大事ですね。延岡でもそのこといつも考えています。都市の運営は難しく、新しい場所ができれば人はそちらに集まり、古い公共スペースはどうしても人気がなくなっていく傾向がありますが、そうならないように新しいニーズを掘り起こして、うまく機能分散していくなど考えなくてはなりません。

太田──将来はそうした問題を整理して、槇さんの《代官山ヒルサイド・テラス》のように中庭を増幅していくような次の時代の建築が現われて、軸となる大手町通りにはたくさんの歩行者とセントラムのシックな車体が走れば、それはすばらしい風景になる。僕としては、このまち歩きからとてもいろんなことを学んだと同時に、次なる課題に対するいろんな議論に注視していきたいと思いました。とにかく富山は面白い!

乾──同感です。話題に出てきませんでしたが、富山市は他の自治体の方々から、2007年に中心市街地活性化基本計画の認定を取った第1号の都市として注目されているようです。で、昨年その中間報告が出されたのですが、報告書は数字を追うものなので中活の効果が現れていないようにみえる。それが他の自治体にショックをあたえているようなのです。少なくとも「あの富山なのに」と延岡の方々はショックを受けておられました。とは言っても、富山市の方はあまり数字など気にしておられないし、私も今回訪れてみて、短期間の結果を数字で判断することの危険性がわかりました。でも対外的には数字がでてしまうわけで、そのギャップをどう埋めていくのかということは重要な話だと思います。太田さんがよく指摘されるように、都市をリポートするメディアが足りないこともひとつの理由だと思いますが、もっともっとこうした事情を多くの人々と共有することは大切ですね。少ない情報や誤解をもとにいろんなまちで一喜一憂しているのはもったいない話だと思いますからね。

太田──北陸新幹線が通れば交通量も増えると思うので、自治体間の連絡も新幹線を利用してできるようになればいいですね。いろんな人がいろんな意見を言ったり持ち帰ったりするのはいい経験ですよね。 付け加えになりますが、聞いた話だと市庁舎や県庁舎前を流れる松川をテキサス州のサン・アントニオのようにリバー・ウォークにしたいという意見がありましたが、それはいいですね[fig.14]。富山の町は99.8%が空襲で焼けたけれど、町割、掘割、運河、都市構造がきちんと残っていて、戦後はそれらが破壊されていないように見えます。川も焼け残っているわけですから、それを活用して新しい回遊の軸をつくり、岩瀬地区との連関を図っていくとますます立体的になる。目が離せないですね。

乾──市役所の職員の方たちは本当によく勉強されていますよね、というか、私などがこうした感想を言うのも失礼な話です。京田さん、申し訳ありません(笑)。彼らは本当に専門家集団ですよね。サン・アントニオの話やブラジル、クリチバの都市計画などの事例が口をついてさらっと出てくる。やる気のある自治体は違うなあと頭が下がりました。


fig.14──松川(上)をサン・アントニオのリバー・ウォーク(下)に


2月20日、富山市民プラザにて

201205

連載 Think about New "Urban Design"

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