モノグラフの領分──『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』/『村野藤吾の建築 昭和・戦前』

倉方俊輔(建築史家・大阪市立大学大学院准教授)
この時代に、過去の日本の特定の「建築家」を論じることに、どれほどの意味があるだろうか。歴史だから役に立たないのは当然としても、そこには学際的や国際的な装いを伴った魅惑もなければ、建築の枠組みを乗り越えるような若々しさも感じられず、かといって、例えば「日本建築史」のような実証の手堅さも見られない。時代遅れの「建築」と「建築家」という考え方に無批判に追従した、退屈な行為ではないか。そんな考え方を抱いている人は少なくないと思う。
これまでの日本は、意外なほどモノグラフ(作家研究)に乏しかった。それは建築史研究の主流のようで、傍流だった。これが先に述べた考え方の原因なのか、結果なのかは分からないが、ここに来て事態は変わりつつあるようだ。
2011年2月に鹿島出版会から刊行された2冊を採り上げる。花田佳明による『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』と、長谷川堯の『村野藤吾の建築 昭和・戦前』だ。松村正恒(1913−93)も、村野藤吾(1891−1984)も、知られざる建築家というわけではない。もちろん、松村正恒の日土小学校が全面解体の危機を乗り越え、今世紀に入って再び広く紹介されるに至ったことは花田佳明がいなければ考えられなかっただろうし、没後も村野藤吾の存在が勢いを失わなかった背景には長谷川堯の存在があったが、ともあれ、有名建築家であることは確かだ。2冊の本は、彼らを世界の潮流に性急に位置づけるのでもなければ、新しい思想や方法論のサンプルにするでもない。

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しかも、2冊とも大著である。併せて1500ページ以上。だが、長い時間をかけて2冊を読み進めて、退屈を感じることは一瞬もなかった。細部に迫ったと思えば大きく引き、クライマックスかと思えば次の場面が始まり、意外な場面に出合った後に以前の伏線がよみがえる。客観的な構図を通して、対象を扱う筆者の主観が読み取れ、それも深読みかもしれないと内省した瞬間、読者は自らの内奧に気付かされるだろう。良質の映画や小説を体験する時のように、この時がいつまでも終わってほしくないとすら思える。
この読者の喜びは、筆者の喜びである。ひとつひとつの図面や写真を読み込み、文献資料の行間に気付き、自身が接した建築の意味を再認識する過程を、成立の過程で楽しんであろうことが伝わってくる。この内容には、この分量がどうしても必要である。2冊は真っ当なモノグラフの領分を教えてくれる。

『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』

どちらから採り上げても良いのだが、ここは読んだ順で、花田佳明の『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』から。

──松村正恒は、戦後間もない1947年から1960年までの間、愛媛県八幡浜市役所の職員として、多くの優れた学校や病院関連施設などの公共建築を設計したことで知られる建築家である。
松村は、1913年1月12日に、現在の愛媛県大洲市新谷町(当時は新谷村)で生まれた

採り上げられている建築家について要約しようとしたら、出だしの文章がまさに的確であることに気付いた。花田佳明が対象に迫る端正な姿勢は、ここからも分かるだろう。
冒頭に掲げられた筆者の問いは、次の2点である。ひとつは、松村が示した建築デザインはどのような特質を有するか。もうひとつは、地方の小さな町にあって、なぜこうした高い質を持つ建築が設計できたかという点である。
問いには、1994年に初めて松村の建築・日土小学校に出合ったという筆者の不思議がこだましているだろう。〈なぜこのようなものが可能であったのか〉という疑問に、「地域主義の建築家」と見る既往の単発的な評価が答えてくれなかったから、筆者はこの大著をものすことになったのだろう。本書を貫いているのは、現在の経験が先にあり、それを既往の解釈がとうてい説明できない時に初めて、未だ来ていない歴史叙述が求められるという、歴史研究のひとつの典型である。
問いを解明するために、筆者は松村の武蔵高等工科学校(現在の東京都市大学)時代と卒業後の土浦亀城建築設計事務所時代に多くのページを割き、土浦事務所に松村を導いた大学の師・蔵田周忠との手紙のやり取りを詳細に追う。また、八幡浜市役所時代に松村が手がけた37の仕事一件一件の図面や写真を細やかに読み込み、建築デザインの展開過程を見出す。
こうした資料の読み込みに、花田佳明の建築設計者としての実感と建築読解能力がのぞく。だからこそ、いっそう筆者は対象と自己との同一化を忌避している。松村に対しても関係者についても、個別の事象を優先した、属人的でない評価で通す。とりわけ、1960年に八幡浜市役所を辞して民間事務所を構え、1993年に没するまでの設計活動の評価は印象的であり、そのドライさが本書の内容を濃いものにしている。その姿勢がかえって、作品に対して公的にはセンチメンタルな物言いを嫌った松村との共通性を感じさせる。 筆者が丁寧に拾い上げていった松村の営みの中でも、最も胸打たれた文章を引用して、まとめに換えたい。いかにも「建築家」的な、すなわちスタイリッシュかつ現実主義的な土浦事務所の性格に飽きたらず飛び出した1941年4月の新京で、『国際建築』や洋書の情報を切り貼りして作った学習ノートの冒頭に、まだ何者でもなかった28歳の松村が書き付けた文章の一部だ。

──生まれる子供に何の罪があろう。彼等は不公平に育てられることを望んではゐなかったろう。天眞爛漫だった子供達の頃から、何故悪人が生れるかを考へても見るがよい。
何も知らない子供達の姿を眺め、そして自らの幼い日のことを思ひ出して見たならば、こぶしをにぎりしめて、世の不合理をたたきつぶさんものと、涙せざるものがあろうか

エリートコースを歩んできたとは言えない松村がここに吐露している初等教育への熱い思い、建築がそこに寄与できるはずだという信念、それに、どんな場所にあろうとも国際的な情報へと手を伸ばそうとする意志が、戦後に日土小学校に至る傑作群として結実していった。そのデザインの展開過程に対して、筆者は「自己参照的メカニズム」という名を与えている。松村のデザインの展開プロセスと時間軸が一致する事実を見出し、具体的な設計を通じて自らが発見したテーマを深めていったからこそ、八幡浜という地にあって、図式的な機能性だけでなく空間的な質も含めた先端性が獲得できたと論じる。こうして本書は、概念ではなく、だからこそ現物を通して説明・再検討可能なモダニズムの様態を、松村正恒を通じて静かに提出するのだ。

『村野藤吾の建築 昭和・戦前』

老成した青年は40年前に建築界を変え、今や若々しい老人として帰還した。長谷川堯の『村野藤吾の建築 昭和・戦前』は、そんな一書である。
推論を交えた筆致も健在だ。最初は堅実に攻めながら、いつしか対象に自らの歌を歌わせているような進め方は、花田佳明による松村正恒論が学位論文に基づく点を考慮しても、2冊の大きな違いといえる。だが、本書は、厳密さに対する弛緩を達意の筆づかいで糊塗するような、ありがちな老年様式から逃れている。
がっちりと締まった全体構成の中に、魅力的な新事実がさりげなく置かれている。その細やかさがあってこそ、時代をたすき掛けにするような考察がすっと胸に入ってくる。
全体の約三分の一の分量は、これまで詳細に論じられたことがない村野の渡辺節建築事務所時代に割かれている。ひとつひとつの作品に迫りながら、その中に見出される建築家・村野の成長を説得力をもって論じる。続く三分の一弱は、独立直後の1930年になされた欧米旅行を皮切りにしてアメリカとソ連(ロシア)との関係の叙述にあてられ、最後に戦前の作品群をひとつひとつ訪ねる頃には、主題は力強く、幅広く鳴り響いている。
具体的な内容から少し離れて本書が最も感動的な点を述べれば、生前の村野藤吾に寄り添い、それ以前に『日本の建築[明治大正昭和]4 議事堂への系譜』(三省堂、1981)等で渡辺節の師である妻木頼黄の系譜に光を当て、『神殿か獄舎か』(相模書房、1972)で批評としての建築史を打ち立てた長谷川堯だけでなく、ARCHITEXTのメンバーをはじめとする同世代の建築家と交流し、1960年代の雌伏時代に広範なジャンルを扱った筆者の経験のすべてが流れ込んでいることである。これまで文字にされていなかった着想も含め、それらが軽々とした筆致でひとつに溶け合い、まるで村野藤吾の建築のように、汲み尽くせぬ若々しさを持った〈作品〉として目の前にある。
しかも、この大書もまだ前半部分に過ぎない。筆者は後書きで、後半部分の論点をちらりと開示しながら、筆者の年齢と同じ「村野にとっての73歳という年齢は、彼自身の戦後のひとつのエポックを終え、それに代わる、最晩年の約20年間にわたる何度目かの黄金期へとこれから昇っていくことを知らせる、〈前奏曲〉が奏でられ始めた時期であったのだ」と述べる。だから大丈夫だろうが、戦後の村野藤吾を論じた続編が待ち遠しい。それが世に現われなければ、われわれは生きても生ききれない。真っ当なモノグラフは社会にとっても、対象にとっても、筆者にとっても、決定的なものなのである。

くらかた・しゅんすけ
1971年生まれ。建築史家・大阪市立大学大学院准教授。単著に『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、共著に『建築家の読書術』、『東京建築ガイドマップ』、『伊東忠太を知っていますか』他。建築系ラジオ共同主宰。


201107

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