鼎談:「CCハウス」はなにを可能にするか

吉村靖孝+門脇耕三+ドミニク・チェン

いま改めて「建築家」という職能を考える

吉村靖孝──CCハウス・プロジェクト>> 展覧会概要へは、平たく言えば図面の商品化なのですが、そういった手続きを通じて、建築のクリエイティヴィティの在処を照らし出したいと考えています。たとえば、建築家はいわゆる「建築家なしの建築」にしばしば強烈な憧れを抱きますが、まるでヤマアラシのジレンマがごとく自分自身はそこに近づくことができない。「建築家なしの建築」には尊敬に値するクリエイティヴィティが備わっているにもかかわらず、そこから何かを得ることも、そこに何かを与えることもできない。そんな状況に僕はフラストレーションを感じます。建売りや、商品化住宅のようにハードウェアを背負い込むのではなく、図面の状態で販売または配布し、著作権の一部を放棄して改変を積極的に誘引することによって、自分ひとりでは想定しえなかったような操作を第三者が勝手に加えてくれます。この「勝手に」というのが重要で、そういったことを何代か繰り返せば、いずれ「建築家なしの建築」に近づくことができるかもしれない。そんなことを期待しています。

ドミニク・チェン──クリエイティブ・コモンズ・ジャパンの人間としてお話を聞かせていただいて、展示の背景にあるコンセプトについて今日はじっくりお話ししたいと思っています。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスが実際に建築に使われた例は少なく、しかも日本で吉村さんほどの知名度のある建築家がプロジェクト化することは今までにありませんでした。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは、もともとWebを前提に設計されたライセンスですが、そのWeb発の認識論と建築的な認識論をどうすり合せるのかという問題が生じます。この点については、数カ月のプロジェクトでは終わらない中長期的な議論が必要だと考えています。今日はそれに向けた議論をしていきたいと思っていますし、さらに多くの建築家が関わってくる必要があると考えています。
まず、ライセンスそのものについても西洋と東洋では考え方が違っていて、それはバックグラウンドにある法体系が違い、すなわち大陸法と英米法の違いや、さらに日本固有の法律の制定の違いなどによります。特に著作権に関しては日本では人格権が重視され、吉村さんの言葉を使うと「ヴァナキュラー」な感覚がデジタル・コンテンツに対しても持たれるのではないか、といった話につながっていきます。だから今回のプロジェクトを日本から今発信することは非常にチャレンジングだし、建築に対してオープン・ライセンスを使うことはWebにおける創作全般に示唆を与えるのではないかとも思っています。僕は建築の専門家ではありませんが、Webでソフトウェアをつくったりする立場の人間なので、Webの側の認識論やリアリティと、建築におけるリアリティとの交通整理を今日の対談で始められたらと思っています。

門脇耕三──僕はCCハウスを展覧会で初めて知りましたが、拝見して、まずCCハウスの新しさは、建築家がその職能の限りにおいてサプライヤーとしても振る舞えること、すなわち、狭義の意味での生産にコミットしなくても、供給側に立つことができることにあると思いました。また、CCハウスは図面のカスタマイズが可能であることも大きな特徴ですが、素直に考えれば、これは「建築家がサプライヤーとして振る舞う」ための必要条件にすぎません。つまり、建築家の仕事を供給側にずらそうとすれば、敷地が未決定なまま設計を行なわなくてはならない局面がどうしても生じますが、CCハウスにおいて図面がカスタマイズ可能なのは、さまざまな敷地条件に対応するためであって、これは本来的には主題になりえないものです。しかしCCハウスでは、そのカスタマイズ可能性がライセンスの問題と結びつけられて、巧妙に展開されています。結論からいえば、CCハウスには、ヴァナキュラーな建築にみられるような、共有することで進化可能なアノニマスな建築の体系と、建築家のクレジットタイトルという、相矛盾した2つのシステムを架橋する可能性を大いに感じました。
建築家が作品に名前を付すことのメリットは、それによってある種のピアレビュー・システムが業界全体で働くことにあります。建築家は、単に利潤という観点からは必ずしも魅力的な職業とはいえませんが、しかしそれぞれが社会的な使命感をもって日々努力を重ねている、希有な業界です。つまり、よい仕事をすると個人として評価され、職能界において一定の有名性を付与される。そういうことがインセンティヴとなって、結果として建築家全体の社会性が担保される、というすばらしいシステムです。一方で、個人の名前を作品に付すことの悪い側面もあり、それは作品のすべての階層に対してオリジナリティが求められることです。建築家は、建物の構成やフィジックス、ディテールの処理、素材の使い方といったあらゆる側面で、人と違ったことをやらなくてはならない。これは、他の建築家の作品の良い部分を参照することへのブレーキとしても働きますので、建築というシステムを、建築家側からベースアップすることが非常に困難な状況が生じてしまっています。
一方で、ヴァナキュラーな建築、たとえば日本の在来木造は、システム全体をベースアップさせるための非常に高度な回路を持っています。そこでは、単体の建物が個人の仕事であるという意識よりも、システム全体は共有物であり、そこに応用を加えることこそが個々人の仕事であるとの意識が強く、各々がシステムにブラッシュアップを加え、より優れたものが残っていきます。結果として、構成のレヴェルでも町屋のように優れたかたちができるし、生産のレヴェルでも、平面図を描けば立面はほぼ自動的に決定される、といった合理性が生まれます。このような、システムを共有することでその進化を促すような仕組みは、1970年代頃までは日本にも残っていましたが、今ではそれが機能しなくなってきているように感じています。
僕はもともと建築構法が専門ですが、建築構法の研究者には、淘汰の結果としてできあがった、ごく当たり前の優れた建築の構法、すなわち在来構法への憧れが常にあって、時代ごとの在来構法を記録しておくことがわれわれの仕事のひとつです。しかし、1980年代に入る頃から、構法があまりにも多様になりすぎて、在来構法とは何かということが定義できなくなってきました。その一因は、個々の構法にも差異と個別性が過剰に求められるようになったことにあって、結果として、ベーシックで性能の高い構法が趨勢を占めるに至らない状況が起きています。
建築家の作品のほうに話を戻すと、ここでも同じように、建築のどの部分を共有し、進化させ、どの部分で個別性を競うかという点において、コンフューズが起きていると感じています。今までにも、建築家が建物をプロダクト的に扱うことによって、供給側へのコミットを試みたことが何度もありましたが、あまりうまくいっていません。これは、そうしたアプローチそのものにさえ個人の名前が付与されてしまうからであって、そうなると、それは個々の作品と同じく、特殊な試みにすぎないと見なされてしまい、結局のところ、建築システム自体を変える潮流にはならないのです。 僕がCCハウスに可能性を感じるのは、図面を実施図レヴェルまで公開したうえで、どの部分を変えてもよいとしているところです。つまり、一旦はすべてを共有したうえで、どの部分を引き継ぎ、どの部分を改変すべきかを、リファランスの所在を明らかにしながら、受け取った第三者が判断できる。そこには、ヴァナキュラー建築的な進化が起こる余地がありますし、加えて、一次創作者、二次創作者、三次創作者......のように個人の名前を重ねていくこともできます。さらに、ここにはチェンさんの隠花植物と顕花植物のたとえ★1にも似た、建築における参照の構造的変化を促す可能性も感じます。つまり、実施図までもが公開されることによって、雑誌に掲載される写真や図面などでは可視化されないレヴェルでの参照と改変が行なわれるようになる可能性がある。
先ほど、建築家はさまざまな階層においてオリジナリティを競っていると言いましたが、その一方で、ある階層ではまったくオリジナリティを発揮する余地がない、という現状もあります。たとえば、建築家による住宅の内装には、判で押したようにプラスターボードに塗装という仕上げが選択されます。これには法律の問題やコストの問題など、さまざまな要因があるのですが、こうした壁を越えて、設計の自由度を増していくためには、建築家がある程度一丸となって闘わなくてはならない。つまりこの問題も、個別性を競っていることの裏返しとしてあるのです。今後の建築が、建築家のクレジットを付与することのメリットは保持したまま、システムとしての進化可能性を回復していくためには、個別性を競うべき部分と、そうではない部分を整理する必要があると思っています。CCハウスは、そうした状況に到達できる道筋を示しうるのではないかと、展覧会を拝見して思いました。
議論を始めるにあたって、まず確認しておきたいことがあります。吉村さんは、図面を改変する第三者として、どのような人を想定しているのでしょうか。個人の名前を冠した建築家なのでしょうか。あるいは、工務店や大工、ハウスメーカーということもありえます。吉村さんがどこにターゲットを絞っているかによって、議論もかなり変わってくると思います。

左から、門脇耕三氏、ドミニク・チェン氏、吉村靖孝氏

だれにとってのCCハウスか?

吉村──ターゲットを絞っていないというのが正確な言い方になると思います。僕は当然建築家に使ってほしいのですが、実際手を挙げてくれる建築家は少ないかもしれませんね。最初は、もう少しこの図面を使う必要性に迫られている人が先に手を挙げてくれるのではないかと期待していて、展覧会で改変のアイディアをいただいたのも、インテリア、グラフィック、工務店、不動産の方々です。建築からすると親戚みたいな職能の人たちだと言っていいと思いますが、彼らは、場合によっては建築の設計を頼まれたりもする。しかし自分で一から建築の図面を描くのは荷が重いわけで、安価に図面が手に入るならば、使ってくれるのではないかという期待はあります。しかし繰り返しますが、ゆくゆくは建築家に手を加えてほしい。建築の専門家によって上書きされ出せば飛躍的に変わっていくと思います。

門脇──吉村さんがおっしゃたような戦略は、図面を拝見していても感じました。CCハウスのプロトタイプは分棟形式で、それぞれの棟はある程度完結していますが、中間の連結部分を改変することによって、全体の構成はさまざまに操作できるようになっています。これは、電車が車両と連結部を持つことによって、さまざまな曲率のレールの上を走れることに似ていて、建築をいくつかのモジュールに分解することで、さまざまな敷地条件に対応しようとするものです。一方で、箱に要求される各種の性能は、吉村さんが詳細図を描くことでしっかり担保する。これはどちらかというと、クライアントや工務店、あるいは必要に迫られている設計者などを対象にした考え方だと思います。
ところが、CCハウスの本質的な可能性は、そこではないところにあるのではいかと感じており、今後のどのように展開するのか、聞いてみたいと思っています。たとえば、建築家がこのプロトタイプに改変を加えようとする場合、分棟という形式自体に手を入れたくなることもあると思いますが、そうなると、CCハウスが何を提供しているかが問題になるはずです。引き継ぐべきはディテールや仕上げかもしれませんし、まったく可視化されないレヴェルのものなのかもしれません。あるいは、CCハウスが何を提供しているのかは、これに改変が加え続けられた結果として、事後的に明らかになるのかもしれません。

チェン──門脇さんのお話を聞いて整理されたのは、オーサーシップ、作家性、作家の自己同一性をどうとらえるかという点だと思いました。冒頭で門脇さんは、建築業界でピアレビュー・システムが成立していて、いい点も悪い点もあるというお話をされました。たとえば学会というモデルにも、論文の作法があり、査読やレヴューを行なう作法があり、階級システムがあって、よい意味で閉じられた世界を構築しようとしており、そのなかで参照体系、つまりリファレンス・システムが確立されています。その参照体系があるからこそ互いの相互参照が可能であり、それによって論文を書くという行為は二次改変的で、学会というのはオリジナリティの部分と他者から継承しているもののバランスがよくとれている世界だと思います。それはある程度閉じた世界だからこそ成立している側面もあります。
最近ではWebの大規模データ、マッシヴ・データという言葉がはやっていると思いますが、そこはまた違う世界です。昨今はよく生態系という言葉が違和感なく使われるようになって、コンテンツの生態系というふうに言うのですが、クリエイティブ・コモンズを見ていても、生態系と同じように量が引き起こす変革、たとえば「チープ革命」と呼ばれているようなことがあると思います。僕が好きな例ですが、シュレディンガーが『生命とは何か』で、生命が成立する最低条件の一側面として分子量があり、分子量がnあったとした場合√n分の1のゆらぎを1個の生命的な自己同一体がもつので、ゆらぎが十分小さくなるにはおおよそ1兆個の分子が必要だという話をしています。僕はその考え方はリアルだという気がしています。自分のなかに閾値があってそれを超えると何かが生まれるという感じがあって、それは個体発生でも系統発生、つまり集団的発生でも同じことだと思います。だからCCハウス・プロジェクトが成長して、本当に吉村さんやそのまわりの人たちが夢想する世界が実現するには、事例がそのくらいの数まで増えないと検証不可能なことがあると思うのです。だからその数になるのを目指すというのがプロジェクトに関係する人たちがまず全員で抱けるヴィジョンなのかなと思っていて、こうやって話していることは1千個、1万個、数万個、数千万個と事例が増えていくための萌芽、遺伝子を設計しようとしていることなのかなと思います。
そこでWebの話に戻りますが、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの出自を見ると、著作権という法律のレイヤーですでに現代のテクノロジーとの齟齬があります。それは法が百数十年前、19世紀末にようやく出てきた複製技術をベースに設計されているからで、周知の通りいろいろと問題になっても法改正を待てないので、法をある意味ハッキングするかたちで、CCライセンスやその参照根であるオープンソースのソフトウェアのライセンスが出てきました。だからそれ自体が改変のひとつの手法だといえます。CCライセンスそのものにもまったく同じことが言える。つまりライセンスは貨幣と同じで、使う人が増えればそれだけ価値を増しますが、ある有効性の閾値を超えないとまったく機能しなくなる危機感がつねにあります。
それから吉村さんから最初にCCハウスの話を伺ったときに、この構想を受け取る立場はいろいろあると思いましたが、僕は建築家ではなく一クライアントの立場としてわくわくさせられました。つまり、グラフィック、インテリア、不動産、工務店など多種多様なエージェントが建築側にもいて、受け取る側が改変していくリアリティはむしろWeb的というか、受け手とつくり手の垣根をなくしてしまうところで想像力がかき立てられるのだと思います。CCハウス展を拝見して個人的にすごく溜飲が下がったのは、たとえば海岸沿いの絶壁にある住宅の設計案で住宅ローンの返済プランまで書いてあったところです(笑)。そういう基本的な情報ですら、住宅設計を行なったことのない一般層には浸透しているとはいえないでしょう。外部から見たとき、そのくらい建築はブラックボックス化されているので、あの展示の形態ひとつとってもかなりオープン化されていると、建築の受容者として感じました。だから受容者のレヴェルと設計者のレヴェルのそれぞれでどのようにCCハウス・プロジェクトというフレームワークの提案を浸透させるかという問題があり、まずは複層的な2面性から考えて各個撃破していかなくてはいけないのかなと思いました。

建築と「相同」、建築家は未来のヴァナキュラーをつくることができるだろうか?

それからマニフェスト的なものを吉村さんからいただいたのですが、そこに「建築家はヴァナキュラーな建物を建てられないのか」「建築に著作権はないのか」などとあり、そのなかに「相同」という言葉が出てきました。僕はWebの情報の生態系に非常に関心をもって活動をしているので、生態学的な意味で相同という言葉をとらえています。たとえばコンテンツ同士がどう相同するのか、コンテンツの作者同士がどう相同しているのかといった情報の体系化が今Webの世界でも重要視されています。たとえばFacebookやTwitterはソーシャルグラフを形成していると言われていますが、それはユーザーの一時的なつながりだけの関係性で水平的な情報です。オープンソース・ソフトウェアやウィキペディアのような垂直的で複層的で、積層的で歴史性のあるデータも一方では重要視されており、デジタル・コンテンツに生態学的な価値を付与するものとして僕はとらえています。

吉村──相似と言ったときは水平的で、相同と言ったときは垂直な関係という意味ですか?

チェン──両方を組み合わせて相同と言えるのではないかと考えています。先ほどの話に戻ると、リファランス・システムをつくることの大きな利点は垂直的な情報の蓄積を複数者間で共有できることだと思います。だから表面的な相同だけではなくて、システムの部分まで深く食い込んだ相同が起こらないと本当の意味でオープンな相互改変の文化はつくれないと思います。吉村さんは建築の立場において相同が必要で、もし土着的な日本家屋の相同性を評価できないとすれば、それは建築側の評価軸に問題があるのではないだろうか。現代の建築家は未来のヴァナキュラーをつくることができるだろうか?と言われていますが、それは具体的にどういうお考えなのか聞いてみたいです。

吉村──僕は、縁がないのに偶然似たものも含む類似が相似で、相同は系統的に先祖がたどれるような類似という使い分けをして使っていました。日本家屋の類似性は相似的というより相同的です。個性が過剰に重要視される現代建築の評価基準ではこの相同性の良さをうまく汲み取ることができない。でもたとえば反復による街並みの形成や、部材の共通化による生産システムの構築など、住宅同士が相同的に振る舞うことによってはじめて可能になることが数々あって、その良さは異論のないところです。つまり、評価基準のほうに問題があると考えるべきです。もちろん、ほんとうは現代的な文脈でも系統や系譜が作品の評価に大きく影響を与えているのですが、それはまた別の話。
建築というのはその構成員たちが誰彼となくみんなで文化や歴史に貢献しようとしている希有なジャンルだと思います。あまり著作権のことをうるさく言う人もいなくて、みんな喜んで自分の「決め」のディテールを開示してしまう。建築を取り巻く著作権環境は、著作権管理団体が幅をきかす音楽などのジャンルに比べ、ある意味では理想的な状態を維持していると思います。でもそのバランスは危うい。誰かがちょっとでも自分の権利を囲い込もうと考えた途端、急速にバランスが崩れかねない。そうならないためにこそCCライセンスを参照し、著作権を意識化したうえで一部を放棄することで、バランスの崩壊を防げるのではないかと考えています。僕はCCライセンスを建築にもち込んで建築の著作権感覚を劇的に変えたいと思っているわけではないのです。

門脇──それは同意します。現在のバランスはすごく危ういですし、事実、規模の大きな会社は知的所有権に敏感になりつつあり、それも崩れつつあります。

チェン──それはソフトウェアの世界において、オープンソースが推進され始めた80年代から現代に至るまで起こったことと同じことですね。そのあたりの経済的状況を含めて建築界とソフトウェアの世界は相同するところが大いにあると思います。実際にCCハウスで重要だと思う点は、クリエイティブ・コモンズ・プロジェクトをやっている僕がつねづね問題意識として持っていることでもあります。それは何かというと、不特定多数で、自分で選べない強制的な偶有性を自らに課すことによって自分自身を他者化して観察する機会を得ることや、金銭以外のさまざまなインセンティヴ(名声、承認欲求、経験知、社会接続など)を得られることです。また、吉村さんのCCハウスをAさんが改変して実現し、それを見たBさんがまた継承していくという系統図を見たいという欲望があって、こうした連関を僕は継承関係と呼んでいますが、先ほど言われていたバランスの悪さとか評価ができないことを未然に防ぐ方法かなと思います。継承関係をトラッキングして、その関係図が自動生成されたら一番いいのですが、そういったものにCCライセンスはひとつのフレームワークとして有効活用できるのではないかと思います。だから著作権だけが問題だとは思っていなくて、著作権からのアプローチはひとつの手段にすぎません。CCライセンスの目的はCCライセンスという言葉を発する存在すら必要なくなることで、本来あるべき文化の共有のルールをめざして、それが実現した後に残っている参照体系の構築という課題、それを制作者や受容者間でいかに共有できるのか、というのが注目すべきところだと思っています。

クリエイティヴィティをどう再定義するか

吉村──クリエイティヴィティをどう定義するかということですね。そもそも参照なくしてクリエイティヴィティが成立するのか。

チェン──僕はそれはありえないという立場です。模倣したり他者から受け継いだりして初めてクリエイティヴィティは可能になると思います。そういうかたちでしかクリエイティヴィティは可能ではないということは概念的にはWebでは比較的よく共有されているのですが、問題は技術的にそれを共有可能なかたちに落とし込まなければならないことです。そういう技術的な課題として認識しなくてはいけないと思っています。建築の世界でこうした新しい提案の価値が共有されるとして、多くの個人名で活動されている方たちに対して、今後どのようにCCハウス・プロジェクトを展開していくべきなのでしょうか。展示をやってみて、あらためていかがですか?

吉村──実は建築家や建築メディアからの反応はまだあまり聞いていなくて、建築家以外の人の反応が先行している感じです。エンドユーザーなら実際に建ててみたいという反応。ほかにも某メーカーの方から課金のシステムについての提案もいただいて、それは、配布される図面に製品名を書き込んだり、各図面に広告を添付するようなかたちで、ユーザーから直接ではなく、メーカーから間接的に配布にかかる費用を捻出するアイディアでした。課金方法については技術的な部分も含め、いろんな提案をいただいています。個人名で活動する建築家たちには、僕の建物に対する添削や上書きを期待すると同時に、図面の配布という行為への参加を期待したいところです。その意味でも、どうやって配布する側のメリットを確保できるかということも真剣に考えたいと思っています。

門脇──建築家からすると、CCハウスをどのように使えばよいかは、まだ想像しにくいと思います。自分が設計した住宅の図面をデポジットしておいて、それが参照されるごとにフィーが得られるように機能させる、といったことはすぐに思いつくのですが、まだまだ考える余地はありそうです。チェンさんのお話を聞いていて、CCハウスには、リファランスの系譜をたどれるシステムとしても可能性があるのではないかと感じました。何が参照されたのか、その軌跡がすべて残っているということは、それ自体が財産になりえます。たとえば、多くの建築家が参照したという事実は、その部分についての一種の性能保証として機能するかもしれません。

チェン──図面を開放する建築家のインセンティヴをどこに置くかという点については、吉村さんもまだ悩んでおられると思います。そこは今後議論が必要なところで、お金なのか、それとも別の何かなのか。心情としては小銭が入ってくるなら嬉しいし、それが可能であるならば否定する必要はないわけです。そういう考え方と、それから民間の業界団体的な感じで業界全体を活性化させようとする働きかけで一種のコモンズを設計して、アーカイヴ、共有可能なライブラリーをみんなでつくっていく。そういうインセンティヴもあるのではないでしょうか。

門脇──図面を本当の意味でオープンソース化することは、技術的にはハードルが高く、少なくともヴェクター形式のデータで公開する必要があり、PDF等での公開では不足です。あるいは、建物を設計図ではなく、プロセスモデルのように表現するなど、建築の記法自体に大きな変革を必要とするのかもしれません。一方で、コモンズを設計するという考え方は、即時実効性が高そうに思えます。
建築家は、社会的には小規模企業の社長にすぎないという側面があり、巨大な資本をもつ住宅メーカーやディヴェロッパーと同じ土俵では闘えません。クライアントにしても、建築家による住宅と住宅メーカーによる住宅を同じ水準で比較して選択する、ということはしていないでしょう。ところが、CCハウスがコモンズのように機能しだすと、先ほど言ったように、よく参照されるディテールなどには、ある社会的な信頼性が付与されます。また、先ほど価格情報が公開されることも画期的だというお話がありましたが、いまひとつ不明解な注文住宅の価格も、事例数がある閾値を超えると、統計的にコントロールできるようになる可能性があります。建築工事のような請負契約の価格は、経験の蓄積されていない条件に対応するリスクを見込む場合、高い方で算出せざるをえません。住宅をカタログ化し、このリスクを最小限にとどめようとするのが商品化住宅の考え方ですが、CCハウスは、そのオルタナティヴになりうるのかもしれません。個人企業的な形態であっても、その背後にあるコモンズによって、社会的信頼を得ることができるようになります。

チェン──オープンソースの世界ではここ数年で同じような転換がありました。10年前はマイクロソフト、ウィンドウズOSがシェアを牛耳っていて、彼らが行なったネガティヴ・キャンペーンは「オープンソースは烏合の衆で、どこの馬の骨ともしれない人たちが世界中にちらばってつくったものなので、誰も運用経験や実績もないから危ないぞ」というものでした。そして「それに対して既存のソフトウェア・ベンダーは市場でがんばって築き上げた蓄積があります」という、今から思えば非常に反動的なものでした。10年経ってみると、Google、FacebookやTwitterが出てきましたが、そういった企業はどうやって大きくなったかというとすべてオープンソースのソフトウェアを活用してスケールアウトできた。みなそれがわかっているから、政府も情報基幹はオープンソースにしたほうが予算的によいという話も出てくるし、セキュリティの面でも、一企業ではなくて世界中の開発者が監視、管理したほうが安全性が高いという考え方も出てくる。本来の主張が違和感なく受け入れられているのです。
大成した企業も自分たちが大きくなった過程で生まれた技術をオープンソースにまた戻していく。たとえばYahoo!が大規模集計のソフトウェアをオープンソース化したり、Facebookがデータベース・システムをオープンソースにしたり、そういう循環が違和感なく行なわれてきています。この「違和感なく」という点が重要で、かつ定義が難しいところです。機能と非機能という対概念があって、建築で言えば工学と美学の関係のようなものだと思います。オープンソースの発想は機能開発の考えの周りで成熟してきました。それに対してクリエイティブ・コモンズ・ライセンスは、 機能をもたない(というと厳密には言いすぎですが)文章や画像といったコンテンツを対象として発展してきています。文章や画像にどのような機能があるかというのは別の議論ですが、大別するとそういう異なった概念に分類できるかと思います。建築はその両方とも含んでいて、著作権や工業意匠権、特許権が入ってくることもあるのでそれ自体がまさに世界の縮図みたいなものです。
お二人におうかがいしたいのは、設計図を開放するときに機能性をどんどんモジュール化して、オープンソースだからセキュリティが高いというブランディングをしていくほうが重要なのか、あるいは最初は戦略的にでもファサードや装飾などの著作権的な意味での「思想または感情」の反映としての建築を広げ、共有していくほうが大事なのか、という点です。

CCハウスをマッシュアップ?

門脇──いまのところは後者だと思います。建築はモジュラー化が最も苦手な分野のひとつで、根本的にはインテグラルです。たとえば、CCハウスが1.5倍にブローアップしたら、柱や梁のプロポーションはそのままでも、構造的に成り立たなくなります。つまり、部分は全体の中に位置付けられてはじめて、それが成立しているかどうかが判明する、という側面が建築にはあり、オープンソース化すること自体に大きなハードルがあります。一方で、後者の戦略をとる場合でも、リファランス・システムをどのように構築するかということには、なかなか難しい問題があります。たとえば、今回のように2棟に分けて中庭から光を採る構成は、いろいろな建築に見られます。だから、この構成自体を参照することもありえますが、それがはたしてリファランスと言えるかどうかは悩ましいところです。

チェン──なるほど。そういう意味では出展した4組のなかで、京都の工務店の方たちの展示がおもしろかったですね。拠って立つ認識論が違って、それを受け止めるほうも「こういう捉え方もあるのか」と思えておもしろかったのですが、ユニット販売的なかたちで、「お風呂場はこうでこういうふうに入れることができます」というかたちでプレゼンされていたのですが、「あれ、CCハウスってこういうことなの?」とも思いました。建築の同一体としてではなく、そのなかの構成素がばら売りできるかたちでプレゼンされていたことに若干違和感をもちました。 とはいえ、CCハウス図面同士のマッシュアップを行なえたら、つまり違う建築家同士のCCハウスを融合させたらそれはどういうことなのかと思ったりして。たとえば吉村さんのCCハウス、門脇さんのCCハウスがあって、エンドユーザーに僕がいたとして、吉村さんの案と門脇さんの案を半分ずつマッシュアップできないでしょうか。マッシュアップといえば、半自動生成的に何と何を掛け合わせるかだけを選択してインターフェイスに投げて、アルゴリズムに任せて動いてミックスされるというイメージがありますが、そういうことは起こりえないのかなと思いました。一般通念で考えれば、吉村さんの案を門脇さんが一度系譜的なものも含めて継承して、その後に初めて僕はエンドユーザーとして受け取るというほうが想定されることでしょうか?

吉村──コンピュータが自動でマッシュアップするとまでなればすごいですね。選択肢が増えても現在の設計に近い作業量と専門性が必要にならないとなると、建築家の存在自体が問われることになりかねませんが。ある建築家の案と別の建築家の案を、さらに別の建築家が合わせるというところまでの過程がトレーサブルになればそれだけでも面白いですね。

門脇──CCハウスがどのように使われるかは、やってみないとわからないところがありますね。マッシュアップもありえますし、施主がどれかを選んで、僕にブラッシュアップを頼んでくるということも当然ありえる。正直なところ、まだ心理的な抵抗もありますが、それがどんどん行なわれるような世界であってほしいと思います。

チェン──心理的な抵抗が大きいのはブラッシュアップを頼まれるほうですか?

門脇──そうです。僕の案が他の人に使われるのは全然抵抗はない(笑)。

チェン──みんなが使うものを最初に登録した人だけがお金持ちになるというのはちょっと回避しなくてはいけないかもですね(笑)。問題はインセンティヴですね。Webにおけるオープンカルチャーでも同じ問題、課題を抱えていて、オープンソースにしても基本は無償ですから、いわゆる富と名声でいうところの「名声だけでがんばろう」ということになります。オープンソース・ソフトウェアのメインの開発者の多くはIBMとかSUNといった一流企業の人たちで、十分経済的にも成功した人たちが余暇で名声を高める活動をしていることは広く知られています。だから本当にもっと業界全体の底上げをするためにはもう少し外の世界の人たちが入って来ることのできる仕組みを考えないといけない。それが何か明確にわかればいいのですが。考え方のひとつとしては、もう割り切ってコモンズとしてとにかくやっていこう、最初はそれに賛同する人たちだけ参加して、データベースやアーカイヴがどんどん増えて先ほど述べたような有効性の閾値を超えるのを待つと同時にエンドユーザー側の意識の変化を促していく、ということでしょうか。たとえばエンドユーザーにこういう形で入ってきてほしいというヴィジョンやイメージはありますか?

吉村──普段住宅の設計をしていると、僕らに依頼するようなある意味特殊なクライアントでも、雑誌の切り抜きをいっぱいもっていて、申し訳なさそうに「風呂はこんな感じで」なんて差し出したりします。そういったものがオブジェクト単位できちんとアーカイヴされていたら、僕なんかふつうに使ってしまうかもしれません。ユニットバスのようにハードウェアとしてまとめてしまうと、在庫の問題もあるし、量が必要になるのでデザインのヴァリエーションを増やしえない。でもソフトの状態で再現可能なものになっていれば、理論上はどんどんヴァリエーションを増やせます。またそれを実際に使った専門家のコメントが残せるようにすれば、在来浴室でも徐々に信頼性を向上させていくことができます。数が増えることで逆に信頼性も担保されて、ブランド化に近い現象が起こることだってありえます。

門脇──まずは割り切って、コモンズを形成することろからはじめても、自然とマッシュアップのようなことを楽しみだすのかもしれませんね。引き継いだ案の発展のさせ方自体を競ったりすることもあるかもしれない。そういうところから、CCハウスの思ってもみなかったような可能性が発見されてくると思います。

CCハウスのコンテンツ学

編集──今回のCCハウスで吉村さんは、設計手法的になぜこのような分棟で間から光を採るという形態を選ばれたのですか?

吉村──最初は設計するつもりはなかったんです。CCハウスは固有の住宅の名前というより、ライセンスを整備するプロジェクト全体の名称です。この分棟の住宅だけがCCハウスではなくて、固有の敷地のためにすでに描かれた図面を再利用するための仕組みを整えようというつもりでいます。でも僕がこれまで設計したものは自分でも再現しづらい(笑)。ハードルを下げるということではないですが、複製されるリアリティがあるものに落としておきたいと思ってこの住宅を設計しました。それにはまず規模が小さいことが絶対条件です。大きな住宅であれば、一軒ずつオートクチュールでもなんの不都合もありませんから。それから、敷地の形状や周辺の状況がわからないのであらかじめ大きな窓が空いている建物はつくりにくく、2棟の間のアトリウムに通風と採光を集約して、基本的に窓をなくしました。2棟の組み合わせで敷地の形状に対応するという案も同時にでてきました。
ここに至る前には、ただの四角いシンプルな箱も考えていたし、逆にもっとバラバラに解体して機能ごとに一棟にする案もありました。複製性を考慮すると複雑なものはできないし、それは改変性を考慮しても基本的に同じなのですが、単にシンプルな箱になってしまっては複製も改変もされない。むしろ、自動車のMINIが多くのカスタマイズ・フリークスを産むように、癖のあるものこそ改変を誘発する面があると思います。

チェン──二次改変を誘発する要因は何なのでしょうか。コンテンツ学なるものがあったとして、それはまだ十分議論され尽くしていないし、定義もできていない部分です。卑近な感覚的な話なのですが、たとえば自分のおじいさんとおばあさんが最初に出会った時の話などを聞くとき、それまで自分では想像ができなかったような自分を巡る「系譜」がパッと見えて、自分はこういう流れの一部なんだと身体感覚的にわかることがあります。同じような感覚が建築や創造的なコンテンツを扱うさまざまな領域で起こるといいと思います。その感覚をどう名付けるべきなのかわかっていないのですが。
エンドユーザーからの反応ではどのようなものがありましたか?

吉村──最初のユーザーになることに不安を感じる人はいるようです。普段だったら建築家に設計を頼まないような人が興味をもってくれたので、そういう反応もなるほどなと思います。強心臓のクライアントでない反応が逆に新鮮だったり。

門脇──建築家の目から見ると、これはまだプロトタイプ的で、それが逆に想像の範囲を狭めてしまっている側面があると思います。つまり、改変可能な部分とそうでない部分が、あらかじめ設計されているように見えるので、改変案も予定調和的になる懸念がある。動物行動学者のリチャード・ドーキンスによれば、生物のデザインの複雑さや巧妙さは、進化を目的的で指向性をもつものと考えるよりも、無目的でランダムなものであると捉えたほうが、ずっと合理的に説明できるそうですが★2、CCハウスでも、どこが改変されそうかなどということは考えないほうが、可能性が広がるのではないかと思います。おそらく、進化でいえば自然選択に相当するような、ランダムで偶発的な変化を発展させる回路の構築こそが重要で、そのような回路をもつシステムさえできれば、いつも通り設計した住宅の図面を、何も考えずにそこに投げ込んでしまえばよい。CCハウスの第一段階としては、今回のような設計でよいのかもしれませんが、やはりこれは工務店やエンドユーザーをひきつける設計です。建築家をひきつけるためには、プロトタイプに見えないものもどんどん投げ込まれていくシステムをつくることが必要ではないでしょうか。

チェン──プロトタイプに見えないことの定義はなんですか?

門脇──この設計からは、具体の敷地を想定していないことが読み取れてしまいます。つまり、個別の条件に適応した解ではなく、これから適応しようとしている祖型で、その意味でプロトタイプだと思います。敷地も含め、個別の条件に適応した設計図がたくさんストックされていて、たとえば敷地のタイプで検索できたりすると、より違った可能性が拓かれてくると思います。さまざまなタイプの設計図が投げ込まれ、それらがどのように進化していくかが、使われた結果として明らかになってくるとすごくおもしろい。

吉村──欲張りすぎているのかもしれませんね。でも、改変される際の改変耐久性みたいなものが、オリジナルの建築にフィードバックされて建築自体が進化していくようなイメージがありました。しかし、いずれは普通に個別の敷地に対して設計したものをオープンソース化できるようにしたいですね。一度フィーも得ているものですから、フィーに関する心配もない。これからはそれを意識しながら図面を引くようにします。

建築の集合的な振る舞いと個別的な振る舞い

門脇──そうなってくると、建築家の知識として蓄えられていたものが、システムのなかに蓄えられることになります。CCハウスについて同業者と話をすると「試みは理解できるけれど、これがたくさん建ったときに、はたして都市や社会は変わりうるのか」という疑問が必ず出てきます。もちろん、実体としての都市や社会に対する効果は、今後検証されるべきなのでしょうが、一方でCCハウスは、可能態としての建築を豊かにする試みだととらえることもできます。できあがったCCハウスは、実体として見ることもできますが、参照元や改変履歴にもアクセスできることが想定されていますので、その背後にある豊かな可能態をも同時に見ることができる。それは十分、都市や社会を豊かにしているといえそうです。

チェン──その新しい価値をつくって、プレゼンテーションすることがCCハウス・プロジェクトの課題かなと思います。すべてにオリジナリティを求められる個人建築家に対して「いや、これは吉村さんという別の建築家の設計で」というプレゼンがしづらいという側面もあるだろうし、別の建築家の案をもち込まれることへの心理的抵抗もあるとは思うのですが、一方ではエンドユーザーが「『Casa BRUTUS』に載っていたあの建築家につくってもらった」というスター性を求めている部分もあるように思えます。逆にピアレビュー・システムのもつ価値で言うと「CCハウスの構築しているコモンズに参加している作家です。そこで切磋琢磨して、いろいろな同時代の作家と相同している活動をしています」ということが社会的な価値として醸成される必要があると思います。それからエンドユーザーが建築家に求めるオーサーシップの定義そのものが変わる必要があるし、建築家側が捉えている自らのオーサーシップの領域も拡張しなくてはいけないと思います。

吉村──今オーサーシップはゆるやかに運用されていると思うのですが、それが間違ったほうを向いてほしくないと思います。

門脇──ものごとには集合的な振る舞いと個別的な振る舞いがあって、それぞれは原理が全く異なるために、一方に適したデザインをしようとすれば、もう一方に対しては成立しない、といった二者択一的な状況がいままではありました。しかし、情報技術の発展によって、両者は異なる階層に棲み分け可能であることが、徐々に明らかになりつつあります。ある階層では集合的に適応し、ある階層では個別に適応していく、そういうことが建築でも実現できそうだなということを、今日お話していて感じました。建築の集合的な振る舞いは、もちろん都市的な視点からも得られるのですが、それだけでは必ずしもなく、データベースのなかにあってもいいはずです。都市をリテラルに開発し、社会を豊かにするという考え方ではなく、データベースを開発することによって、社会を豊かにするという考え方です。

チェン──ソースの部分で共有可能な形式をつくらないといけないと思うのですが、ソフトウェアの場合はそれはすでに可能ですよね。たとえばヴァージョニング管理システムを活用してLinux OSもつくられています。ネットに接続して、制作過程の系譜を眺めて好きなヴァージョンを指定して実行させることができるのは、ソフトウェアだからです。そのレヴェルでの共有可能性が具体化したものを考えてみると、たとえばそのデータベースにアクセスするとCCハウス・プロジェクトに入っているものがすべて見ることができて、条件によってフィルタリングしてマッシュアップできたりする。可能態のアレイが充実化することによって今までできなかったシミュレーションが行なえるようになるわけです。この対談の前に雑談していたように、すべて画面のなかでやっていてもしょうがないので、模型をつくらないと結局シミュレーションができないというところにいきつくのかもしれませんが(笑)。CCハウスのデータベース、アーカイヴが実際のプロダクションにどのように影響しうるのか、というところが大事で、そこが動かないといけないのかもしれません。

門脇──建築のプロダクション、特に建築家のデザイン方法というレヴェルの話をすると、スタディ模型を大量につくり、検証を重ねる方法がどうも効果的だ、という認識がここ10年くらいで形成されてきました。これは、自分の頭のなかにあるデザインを、模型というかたちで表に出して、いったん他者化する。それをまじまじと眺めて、頭のなかに描いている段階では気付かなかった面白さを再発見し、ブラッシュアップする、という対話的な方法論です。これが対話的であるためには、「自分を他者化する」プロセスが極めて重要なわけですが、その方法が模型の製作である現状は、非常に効率が悪い。1つの模型を製作するには、膨大な時間がかかるからです。しかし、CCハウスのデータベースが模型に代わる他者として利用できるようになると、建築設計の効率化に結びつくかもしれません。吉村さんの描いた図面を、自分が設計しようとしている敷地においてみて、「こうやってみようか」と考えるようなやり方ですね。

吉村──象設計集団はそうやって設計していたといいますよね。プロセスごとに担当を変えて、途中で他者の視点を入れていく。

チェン──その場合2つサイドがあって、吉村さんにとっての他者性のフィードバックは原著作者が欲する価値としてあるのですが、それを受け取る側にも、最初から他者性ベースでスタートすることの価値があるということでしょうか。違う言い方をすると、後者はどういうモチヴェーションがあるのでしょうか。つまり最初は自分が始めたいと思う人が多いのではないかと思うのですが。

吉村──たとえばリノベーションは完全に他者の物に手を加えるわけですが、建築家はその過程でも十分にクリエイティヴィティを発揮できる。それに少し近いと思います。

門脇──そもそも建築家は、敷地のなかで完結した個別的な世界をつくるのをよしません。周辺を他者的に捉えて、それらと対話するように建築をつくりたいと思っているはずですし、むしろ周辺は建築を設計する際の重要な手がかりです。したがって、誰かの図面からスタートしてみるというのも、手がかりを増やすという意味でモチヴェーションとなりえます。事実、僕が住宅を設計する場合は、規模が同じくらいの住宅の図面をセイムスケールでたくさん収集し、敷地においてみることからスタディを始めます。これは設計の初期段階での話ですが、そうした検証の仕方が、いろいろなフェーズでありえるのかもしれません。

自己の他者化、オーサーシップの現在

チェン──自分の他者化というのはアクチュアルで重要なテーマだと思っています。現代における作者性を巡る認識論は、20世紀以前のロマン主義的、もしくは20世紀的な近代的オーサーシップとかけ離れていて、たとえば音楽では何人のアーティストと混交したか、つまり自己の固有性に加えて他者性をどれだけ内包しているかということが自らのオーサーシップにとっての一種のステータスとして捉えられる感覚がありますよね。今後は、このことが作者の社会的ステータスに結実する以前の、プロダクション・レヴェルにおける価値として追求しないといけないのではないでしょうか。
一例として、僕が仲間と開発した「タイプトレース」というソフトウェアがありまして、キーボード・タイピングの履歴を時間軸で保存して、それを他者が再生して見ることができるものです。誤字脱字、削除、予測変換の履歴も全部とっていく。これを使って、小説家の舞城王太郎さんに新作『舞城小説粉吹雪』を制作していただきました。東京都写真美術館で「タイプトレース道──舞城王太郎之巻」という展示をしやり、新作ができる過程を記録し、彼のパソコンからアップロードして新しい小説の断片が会場のプロジェクタで再生されるというインスタレーションを設置しました。これはプロのコンテンツ制作者がいて、その創造プロセスを全部記録し、普段では見ることのできないプロセス、特に小説家が何を考えて文章を書いているのかということに肉迫するような展示でした。そうしたところ3時間くらいその展示の前から動かない人がいて、どうしてなんですかと聞いたら、この動くテキストの後ろに作家の気配や息づかいを感じ、対話しているような感じを受けて離れられないということでした。同じ時期に僕もこのソフトを使って、ある美術展のカタログ文を書こうと思って実験したんです。自分の書いている過程を他者化しようと思って、このソフトで1行書くごとに再生してみると、なにか追い立てられるものがありました。自動書記ではないですけれど自分が10秒前に書いたものがすぐに他者化され、いま書こうとしている自分にフィードバックされる感覚がありました。その反復的なリズムに乗っかって書いたら、普段は遅筆なんですけど、8000字程度の原稿が1時間で書けてしまいました。もちろん内容や文体も変わってしまって、それもおもしろいと思いました。あきらかに普段はできない他者化が、自分のプロセスに追い立てられるように書くという手法をとっただけでできました。これも自己の他者化として捉えられる経験かと思いました。

吉村──建築家がスタディ模型を見ながら設計を進めるのにすごく近いですね。

チェン──文章でもこういう技法は可能だと思いました。これはだから文章というフィールドにおけるひとつの発見ですが、創作のプロセス全般になにか共通するものがあるのではないかとも思います。制作者本人にとって他者が介在することの価値はこういう事例にも見られるし、そのことをもっと平易な言葉で共有できると話が楽になってくるのではないでしょうか。自問自答ですべての反省が行なえる人はたぶん天才で、そういう人たちのことは「良かったね」ということでいいんですけど(笑)、僕のような天才でない普通の人たちにはこういう方法およびそのプロセスが解明されたり共有されることはとても意味のあることだなと身をもって体感しました。

門脇──先ほどお話した、スタディ模型を用いた検証の積み重ねによる建築設計は、創造的な論理推論の形式としても合理性を持っています。論理推論には、演繹、帰納、アブダクションという3つの形式があるとされており、そのうちアブダクションは、創造的な思考プロセスに密接に関わるといわれています。ここでアブダクションとは、すでにある事実の観察から、遡及的に仮説を構築する思考方法ですが、これはスタディ模型から遡及的に建築の面白さを発展させていく方法と完全に符合します。建築設計においては、スタディ模型の製作によって、「すでにある事実」あるいは「他者」を自己生産していると捉えられるわけですが、この方法論は、思考の形式としては合理的でも、作業としてはあまり合理的ではありません。作業としての合理化は、3Dプリンターが廉価になることなどによっても達成されるかもしれませんが、建築設計に文字通りの他者を介在させるというやり方もありえます。webをはじめとした情報技術は、場所も時間も共有しない他者との対話を実現しましたが、そういう意味でもCCハウスのような試みは可能性があると思います。

チェン──Linuxのプロジェクトとか、あるいはもっと小規模なものでもいいのですが、プログラミングを行なう人間として他のソフトウェアを観察するときに、最初はどのように始めているのだろうと思うのです。文章においても同じような好奇心が働く。だから舞城さんの小説の書き方が見えるのはとてもおもしろくて、たとえば3段落書いたら前に戻って誤字脱字をチェックしたり、登場人物の名前をひたすら変えまくったりしている様子を観察することによって、制作や思考の方法を模倣することができるように思えました。これをスタディとして学習者や学生が、「なるほど、そういうふうにやるのか」という生々しさを伴う参照情報として受け止められるなら、それはすごく価値があることのはずです。それがWebを介することによって時間と空間を無視してできたら、設計者本人も予想できなかったことができると思います。吉村さんはCCハウス原案をつくるまでのプロセスを記録することは考えられますか? 

吉村──完全に作業途中だと記録しづらいですね。雲形が残っているだけならいいですが、そもそも図面としての体をなしていないようなデータから徐々にかたちを整えていきますから。というか、僕のなかではまだCADは身体的な感覚と遠い。どうしても紙と往復しながらの作業になって、しかもどちらかと言えば紙のほうにライブ感があって、CADデータの履歴を追っても息づかいまでは感じられないかもしれません。

門脇──CADで描く段階になると、日付をつけて図面データを管理しているので、それをただ公開するだけでも履歴はわかります。その履歴は、思考の進化のプロセスを示すものですから、どのアイディアが有効で、どのアイディアが有効でなかったかということはわかります。ただ、そこまで到達するには技術的なハードルが高そうですね。

吉村──紙だと縮尺の問題がありますが、CADはその点はクリアできているかもしれない。紙の上で100分の1の図を追っても、ディテールが進化しているだけで基本図レヴェルでの変化していない期間が長い。CADならとりあえず描き込んでいけばいいわけですから。縮尺を固定して時間軸に沿って再現したら、思考の過程もだいぶライブ感が出るような気がします。

チェン──現時点で、今後の展開で何か決定されていることはありますか?

吉村──まず、ver.1.0配布に向けての準備を急ピッチで進めています。無料配布するのか販売するのか、その点の検討も含め、ひとつずつ問題点をつぶしています。ただ、完璧にならないと出さないなんて言っていては何も起こらないので、beta版でプレビューしてもらうなどもひとつの方法です。1年後くらいにはちゃんとした成果を出したいですね。

門脇──そのときには、吉村さん以外の建築家がたくさん参加しているといいですよね。図面は建築家の魂のように見なされている側面があり、建築家のディテール集は発行されるものの、実施図がすべて公開されることはあまりありません。そうした図面のなかには、事務所の系列のなかで受け継がれているものもあって、それを売ったりしたら何を言われるかわからない(笑)。しかし、賛同してくれる人はたくさんいると思います。

吉村──僕ひとりで閉じないほうがいいと思うんです。いろいろな人を巻き込んでやれればいいと思います。

チェン──スターティングポイントで10人くらいいたら、エンドユーザーとしても理解しやすくなるし、さらに50人くらいいればそれだけでプロジェクトの意義が伝わる度合いが高まりますよね。 でも、これまでのように、自分が所属していた事務所文化の薫陶を受け、それが自分の図面ににじみ出ているというのは本来的にはものすごくいい話ですよね。CCハウスによって、そうしたことが紛争や停滞ではなく、より全体が建設的になれる原動力となれることを願っています。

門脇──第一歩を踏み出す技術的な基盤は整っているので、時期は来ているかと思います。CCハウスが吉村さんの仕事だと思われないようになると成功ですね。

[了]




★1──ドミニク・チェン「プロクロニスト・マニフェステーション──ネット構成論 データの逆襲 1」(『10+1』No.48、INAX出版、2007、30─38頁)
★2──リチャード・ドーキンス『盲目の時計職人──自然淘汰は偶然か?』(日高敏隆訳、早川書房、2004)


吉村靖孝
1972年生まれ。建築家。吉村靖孝建築設計事務所主宰。関東学院大学・早稲田大学芸術学校非常勤講師。主な作品=《亀や龍宮殿》《ドリフト》《Nowhere but Hayama》《中川政七商店新社屋》《Nowhere but Sajima》など。 http://www.ysmr.com/

門脇耕三
1977年生まれ。建築計画、建築構法、建築設計。東京都立大学大学院工学研究科修了。東京都立大学助手を経て、現在、首都大学東京助教。 http://www.kkad.org/

ドミニク・チェン
1981年生まれ。2003年UCLA卒業、2006年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2004年よりNPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパンの設立メンバーとして日本におけるフリーカルチャーの発展に従事。2008年株式会社ディヴィデュアル設立、ウェブ・コミュニティ「リグレト」の企画・開発に携わる。 共著=『Coded Cultures: Creative Practices out of Diversity』(Springer WienNewYork, 近刊)、『いきるためのメディア──知覚・環境・社会の改編』(春秋社、2010)など。

201103

特集 「CCハウス」はなにを可能にするか


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