20XXの建築家に向けて
──伊東豊雄+藤本壮介+平田晃久+佐藤淳『20XXの建築原理へ』書評

日埜直彦(建築家)
20XXの建築原理へ
(INAX出版、2009)
伊東豊雄とともに二人の建築家、藤本壮介、平田晃久と構造家・佐藤淳がディスカッションをとおして架空のプロジェクトを作り上げるドキュメント、一言で言えばそんな本だ。デベロッパー主導の現在の東京の開発に対して、建築家としてオルタナティヴなヴィジョンを提示する試みである。ディスカッションのなかからアイディアが生まれ、それを深めていくスタディが記録され、最終的に提案が提出される。プロジェクトの成立からプレゼンテーションまでを追う気鋭の建築家の構想プロセスのルポルタージュであり、通常見ることのできない構想が生まれてくるプロセスがそのまま本に定着されている。

フリースタンディングというあり方

敷地は渋谷区の病院の跡地、すでに建物は解体されている。当然再開発が行なわれるだろうが、なにが今後建つのかは公表されていない。おそらくまた一本タワーマンションが建つのだろう。この空地を敷地として、なにが考えられるか。
設定されたプログラムはこの地域ならごくあたりまえのものだ。下層に商業施設が組み込まれた集合住宅、だが場所柄からして事務所として使われることもあるだろう。通常の敷地分析や与件分析のような特殊性を読み取るプロセスはおそらく意図的に外されている。総じてタブラ・ラサの状況において、具体的な与条件から構想を導くのではなく、仮にフリーハンドで考えられるとしたらどのような可能性を掘り起こせるだろうか? それが問題設定である。
1──敷地模型

ゲームのサイコロは伊東から投げられる。一本の樹のような建築、時間を経て成長していくイメージ、隣接する環境との相対的な関係により形態が決まっていくような有り様、単純なルールから生成されるフラクタルな形態。あたりまえのように内部と外部をくっきり切り分けるボックス状の建築が建て込んだ東京において、それとはまったく異なる建築のイメージの可能性はないものか。それを受けて藤本は山、平田は巨樹をアイディアの拠り所とした。細分化されたヴォリュームがクラスター状に群がり、ポーラスで分散的な構造をなして、内部と外部が入り組み区別しがたいような形態が両者のテーマとなる。
こうしたスタディにおいては、考えうる形態を仮定して、それが周囲とどのような関係性を生むかを多面的に評価する段階を通常踏むわけだが、ここでは外的状況よりもむしろ建築の成り立ちそのものがなにを生むかに意識は向けられている。例えば、ポーラスな形態の内側の空洞の建築的な体験とはどんなものか。この複雑な形態をどのような生活環境として使うことができるのか。凹凸に刻まれた複雑な壁面はどのような外部環境を形成できるか。比較的はやくから基本的な形態は収斂しており、構造的な立体解析の援護を得つつ、その具体性が掘り下げられる。現代的なアプローチとしてはある意味で一番困難な方向へ身を置いていると言うこともできるかもしれない。都市的状況の起伏を読み取り、そこに応答介入していくようなコンテクスチュアルな手法への誘惑をあえて切断し、敷地内で完結する形態そのものに提案のポテンシャルを限定しようとしているのだから。

案を展開するためにリサーチが行なわれる。例えば実際の巨樹とはどのような成り立ちをしているものなのか。建築のように整然と組織化された成り立ちと、局所的応答の積み重ねから結果として全体像が生まれるような自然な樹木の成り立ちは根本的に異なる。面白いのは樹の構造自体は構造合理的ではなく、むしろ単に結果として立ち続けているにすぎないということかもしれない。その意味で単に直喩的に形態を引き写すのではなく、非建築的なものの成り立ちに潜む論理を参照しつつ、それとは別のなにがしかの新しい構成の可能性が意識されている。一種のプロトタイプの構想として、状況の固有性から独立したモデルを求めてスタディが進められた。フリースタンディング的な条件設定からスタディを進める結果、最終案は周囲のコンテクストと絡み合うというよりは、まるで突如空から降ってきた隕石のようにそそり立つ。

2──藤本案《建築のような都市、都市のような山、山のような建築》
3──平田案《Tree-ness City》

「あえて」のさきに

この最終案をどう評価するのか。藤本案は階高毎のヴォリュームを重なり合う円弧で削り落としたものを積み上げたような形態で、外部からは山のようなプロフィールをなし、内部に洞窟のような空間を孕む。平田案は巨大化した《アビタ67》の壁面が緑化されたような格好で、何本かの巨樹が絡み合った形態となっている。プレゼンテーションに立ち会った藤森照信、山本理顕の評はこうなる。曰く、ポーラスな形態が必然的に招く「建物表面積/床面積」の増大がコストに反映するリアリティをどう考えるか。曰く、全体の形態はともかく住戸内にどんな新しい生活像があるのか。
常識的な視点からすれば当然の反応だろう。だがそんなことは百も承知でこのスタディは行なわれたはずだ。枝葉を切り落として進められたスタディは単にネグレクトしたわけではなく、そうした問題設定の結果として、現在の東京の住環境(集合住宅と戸建て住宅)がある以上、あえてその枠を外した時に見えてくるリアリティを追求したはずだ。だからそれ自体はいいとして、この建築の組み立ては抽象的な初期イメージからどのようなポテンシャルを引き出し定着しているのだろうか。スタート地点から何歩進み、その一歩一歩は具体的にどのような体験的な質を実現する一歩であり、どのような建築的な仕掛けがそれを実現しているのか。ゴールに至らなくとも、そこが問われるはずだ。

あえて言おう。その答えはそう確かなものではない。なるほどぼんやりと頭に浮かびはしても具体化したことのない建築の姿がそこにはある。しかし複雑な形態が複雑な体験を引き起こすことは間違いないとしても、複雑さのなにが鍵となり、なにがそこに現われるのか。明確になっているとは言い難い。だから建築家の構想プロセスのドキュメントとしてこの本を読むと、その成果物に戸惑いを覚える。結局なぜこのプロジェクト、あるいはその構想プロセスが公にシェアされねばならないのか。
だがおそらくこのプロジェクトの正否自体は本当は問題ではないのだ。すくなくとも評者の考えでは、ここで問われているのは、この提案自体というよりも、むしろ次のような反省的な問題なのだ。
例えばル・コルビュジエがパリ・ヴォアザン計画(1925)でマニフェストしたように、建築家が自らの構想を社会に投げかけ、社会を唱導するような態度は、いったい現在可能なのだろうか?オルタナティヴなヴィジョンを提示し、生活空間における新しい価値のイメージを投げかける、そういう建築家の社会的役割の自己規定は現在有効なのか?と。
シニカルに考えれば、東京の抱える複雑な問題を一挙に解決し、その手があったかと皆がポンと膝を打つような大正解がポンとでてくるなんてことはそもそもあり得ない。その意味では最終案のあいまいさも無理はないのだ。具体的なプロジェクトにおいて固有の条件がそれを難しくしているのではなく、現代社会というのはそういうぬかるみのような性質を根本的に持っている。だとすればそんな状況のなかで建築家の存在理由、もっと言うならアイデンティティはどのようなものであり得るか。
だからこそ、敷地の固有の文脈に依存するような提案となる道を断ち切り、特有のプログラム設定により特有の建築の成り立ちを正当化するのではなく、ごく抽象的な与条件のなかで建築にモノを言わせてみようというなかば無謀なチャレンジをしているように思うのだ。その「あえて」は、なまなかなことではない。

あらためて言うまでもなくル・コルビュジエの構想も当時なりにリアリティを欠いていた。技術的にも荒唐無稽で、こんな提案に現実性があると思ったものはいなかったろう。それでもフットプリントの大きい中層集合住宅の密集した当時のパリ市街地に対して、広い解放された地面と健康な外気と日光をもたらす新しい都市計画のヴィジョンが描かれた。都市生活はこのようなものでありえる、と宣言することに挑発的なインパクトがあるとル・コルビュジエは信じることができた。
4──講評会・座談会風景
すべて撮影=北村光隆

伊東豊雄的な問い

社会に強いインパクトを与え、予言的な構想を投げかける雄弁な建築家像を、現代の建築家は抱くことができるのか? じつはこの問いはきわめて伊東豊雄的な問いである。時にイノセントな雰囲気をまといつつ、しかし執拗なまでに一貫して建築の新しいイメージに対する希望をこの建築家は語り続けてきた。エフェメラル、透明、しなやかさ、そんな新しい時代の形容を片手に、そのような有り様を実現する建築はありえないものかと訴えながら彼が自らに課してきたのは、このような問いに対して真正面から応えることだった。その建築家が、この本において気鋭の若手建築家を鼓舞し、新しい世代の建築家が返す答えを待っているのである。
反省的な問いというのはつねにそうだが、この問いも本来絶対的なものではない。ある程度特殊であり、結果において期待するものが重なるとしても、その取り組み方には当然さまざまな広がりがあるだろう。伊東豊雄的な問いが喚起する建築家像のかたわらには、そのような問いとは異なるアプローチをとる建築家がいる。例えば、現実に目の前にある都市の状況に寄り添いつつそこにある特有の可能性を見出す建築家。多様な生活の多様な有り様をサポートしつつそこにある一定の公的社会的な水準を確立しようとする建築家。さまざまな建築家の有り様をここで言い尽くすことなどできるはずもないが、現代の建築家は多かれ少なかれ社会のさまざまな領域に入り込み、異なる視点のあり方を摂取し、あちらとこちらを繋げることで異なる位相を育てながら建築をつくっているだろう。そうしたさまざまな建築家の有り様があることを前提として、それでもなお伊東豊雄は、「〈本来〉建築家とはこのような存在ではないか?」と問うているのだ。その問いの重みを測ることなく、他人事のようにこの本を軽々に云々することはできない。どのみち執拗にストラグルしつづけるほかないのだというその覚悟、そしてその実践、この本にドキュメントされているのはむしろそうしたことであるように思われる。

ひの・なおひこ
1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。芝浦工業大学非常勤講師。作品=《ギャラリー小柳ビューイングルーム》《セントラルビル》《横浜トリエンナーレ会場構成(BankART Studio NYK)》ほか。


201002

特集 『20XXの建築原理へ』をめぐって


シンポジウム『20XXの建築原理へ』をめぐって
20XXの建築家に向けて──伊東豊雄+藤本壮介+平田晃久+佐藤淳『20XXの建築原理へ』書評
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