自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?

井庭崇(慶應義塾大学総合政策学部/MIT)

隠れた関係性から学ぶ

まずはつかる/動きのなかで考える/隠れた関係性から学ぶ/右脳と左脳のスイッチ/学びの共同体をつくる/「書き上げた」は道半ば/ゴール前のアクセル......これらは、今春、慶應義塾大学SFCにおいて配布した「学習パターン」のパターン名である★1。学習パターン(Learning Patterns)は、「学びのデザイン」を支援するためのパターン・ランゲージであり、相互に関連づけられた40個のパターンで構成されている。創造的な学びの秘訣をパターン・ランゲージとして共有することによって、学習者が自らの学びをデザインすることや、そのコツについて語ることを支援する。この学習パターンが収録されたカタログ冊子を、学部の公式な学習ガイドとして全学部生約3,600人に配布した。

「学習パターン」のカタログ

このような学びの支援に、まちづくりのために考案された方法を適用したのは、単なる偶然ではない。私たちのみるところでは、教育現場において繰り返し生じる問題は、クリストファー・アレグザンダーが建築とまちづくりに見出した問題とよく似ている。それは、近代化のなかで一般的となった、専門家(建築家/教師)による外生的な設計では画一的な建築/教育を生みやすく、その結果、住人/学習者にとって真に馴染むことのできない状況をもたらしてしまうという問題である★2。
この問題に対し、アレグザンダーは、古き"良き"街に潜むパターン、翻ってそれをつくる専門家がもつ知識を共有する方法として考案したのが、パターン・ランゲージであった★3。このような知識を共有することで、住人は、単なる意見表明にとどまらず、設計プロセスそのものに参加できるようになるというわけである。このアプローチの魅力は、トップダウン型の強制でもなく、単なる放任主義でもない、その間を巧みに狙う方法だという点である。建築と教育が背後にもつ問題が似ているからこそ、解決方法の移転もできるのではないか、そう考えて実践したのが、上述の学習パターンの試みである。

自生的秩序の形成のためのメディア

アレグザンダーは、住居や都市を、外からの設計によってではなく、内生的な力による「成長する全体」として形づくるべきだと強調してきた★4。教育においても、外からの知識の詰め込みではなく、自らの興味・関心にもとづいて、関連知識を「学びの竜巻」に巻き込んでいくような自発的な学びが効果的であることは、よく知られた事実である。かつて、フリードリッヒ・A・ハイエク(経済学者・社会哲学者; 1899─1992)は、誰か一部の主体によって外生的に「つくられた」秩序と、内生的に「成長した」秩序を区別し、後者を「自生的秩序」(spontaneous order)と呼んだが★5、ここでの問題はまさに「自生的秩序」をいかにして実現するのかという問題であるといえる。
実は、いま取り上げた問題は、建築や教育の分野に固有の問題ではなく、あらゆる分野で生じえる問題である。そのため、いかにして自生的秩序を形成するのかという問題は、分野を越えた議論として展開する意義があるだろう。このことを踏まえ、本稿では、自生的秩序の形成について、最新のシステム理論──ニクラス・ルーマン(社会学者; 1927─1998)の社会システム理論と、本稿で提案する創造システム理論──にもとづいて考察することにしたい★6。
結論を先取りしていうならば、パターン・ランゲージは、社会と思考における自生的秩序の形成を支援する《言語メディア》であると同時に、創造における自生的秩序を形成を支援する《発見メディア》でもある。このことを、オートポイエーシスのシステム理論によって考えるのが、本稿の目的である。

オートポイエーシスのシステム理論

自生的秩序の形成というのは、誰かがすでに敷いたレールの上を、それに気づかずに進んでいく、ということではけっしてない。逆に、なんでもありという単なる放任状態でもない。それは、「必然」ではないが、まったくの「でたらめ」でもなく、「別様でもありえる」偶有的なプロセスである。このようなプロセスを考える枠組みとして、私が最も適していると思うのは、「オートポイエーシス」のシステム理論である★7。ここではまず、オートポイエーシスの考え方について、本稿の考察に必要な部分だけをピックアップし、私なりにわかりやすく解説することにしたい★8。
オートポイエーシス(autopoiesis)とは、自分自身を生み出すという意味であり、オートポイエティックなシステムとは、自分自身を形成し続けるシステムである。オートポイエーシスの考え方が、システム理論において革新的だったのは、瞬間的な「出来事」を要素と捉えるという発想の転換にある。従来は、持続的に存在するもの(例えば、細胞や人間)を要素として捉え、その要素間の関係性や相互作用としてシステムを定義するのが一般的であった。これに対し、オートポイエーシスのシステム理論では、瞬間的な「出来事」(例えば、反応やコミュニケーション)がシステムの要素だとされる。これにより、システムが存在するためには、要素が生み出され続けなければならないということになる。要素の生成・連鎖によって、システムの境界が定まり、そのシステムを前提として要素が構成される。この円環的な機構をオートポイエティック・システムと呼ぶのである。

オートポイエティック・システムの特徴

オートポイエティック・システムの要素は、システムの外部にあらかじめ存在しているものではなく、システムによって「構成」されるものだと捉えられる。システムの要素はそのシステムのなかでのみ意味をもつ単位体なのである。要素は、システム境界の外(環境)への「外部参照の選択」と、システム自身への「内部参照の選択」、そして、その「二重性の結合の選択」という3つの選択がすべて生じたときに創発する。システムは、要素の生成・連鎖という作動の面では「閉じている」が、外部参照によって環境に「開かれている」。この「閉鎖性」と「開放性」の相補的関係に、従来の「インプット/アウトプット図式」とは異なるシステムの在り方が示されている。

3つの選択の総合による要素の創発

社会と思考のオートポイエーシス

オートポイエーシスの概念を用いて、「社会」という事態がいかにして成り立つのかを考えたのが、ニクラス・ルーマンである。ルーマンは、「社会」も「思考」も、それぞれ自身を生み出し続けるオートポイエティック・システムであると捉えた。そこでは、社会は《コミュニケーション》を要素とするシステムであり、思考は《意識》を要素とするシステムだとされた。ここでも、コミュニケーションや意識は瞬間的な「出来事」であるため、社会システムや心的システムが成立するためには、コミュニケーションや意識が絶えず生み出されることが必要となる。

社会システムと心的システム

社会システムの要素である《コミュニケーション》は、《情報》《伝達》《理解》の3つの選択の総合として創発する。つまり、《コミュニケーション》が成立するということは、別様でもありえる可能性のなかから《情報》が選択され、《伝達》が選択され、《理解》が選択されるということがすべて生じたということなのである。注意が必要なのは、ここでいう「選択」とは、多くの可能性がある偶有的な状況においてあるひとつのことが生起するという事態を指しているのであり、人間による意思決定を意味しているわけではない。つまり、《コミュニケーション》という事態で何が起きているのかということを、それに関わる「人間の側」からではなく、「コミュニケーションの側」から捉えるという視点のシフトがある。《コミュニケーション》を主体から離れて定義することによって初めて、創発的な事態としての「社会」について語り、また、「社会と思考の関係」を語ることができる、というのがルーマンの理論化の重要な意義だといえる。

《コミュニケーション》の連鎖としての社会システム

《言語メディア》としてのパターン・ランゲージ

複数の選択の総合によって創発する《コミュニケーション》が生成し連鎖するという事態は、本来「ありそうにない」ことであり、それが可能となるためには、《コミュニケーション》の孕む不確実性を克服しなければならない。そこで、それを下支えする仕組みを、ルーマンは《メディア》と捉える★9。そのようなメディアの種類のひとつに《言語メディア》がある。《言語メディア》には、記号による限定された結合可能性によって複合性の縮減をしながらも、ほぼあらゆる出来事を《情報》として立ち現わすことができるようにする機能がある。
以上の理論的道具立てを用いて、パターン・ランゲージの機能を考えてみることにしたい。パターン・ランゲージの意義は、大きく分けて2つあると言われている。ひとつは、専門家がもつ経験則の知識を、専門家でない人が知ることができるという点である。もうひとつは、設計についての語彙を提供することで、これまで直接指し示すことができなかった事柄について言及できるようになるという点である。このことを社会システム理論の言葉で表現するならば、パターン・ランゲージは《言語メディア》として機能する、ということになる。つまり、心的システムの《意識》の流れを水路づけ、社会システムの《コミュニケーション》のための語彙を増強することで、それらのシステムにおける自生的秩序の形成を支援するのである。これが、パターン・ランゲージの第1の機能である★10。

創造のオートポイエーシス

次に、パターン・ランゲージのもうひとつの機能について考えることにしたい。それは、創造を支援するという機能である。パターン・ランゲージは、単に「ランゲージ」(言語)であるにとどまらない。それは、「パターン」・ランゲージなのである。この点はきわめて重要であるが、このことを適切に捉える枠組みは現在のところない。そこで、いささか試論的になるが、現在私が構想中の「創造システム理論」(creative systems theory)に照らして考えてみることにしたい。
創造システム理論は、「創造」という事態がいかに成り立つのかを考察する。創造のプロセスにおいて、何が起きているのかを、心理学的な還元をすることなく(創造性に関する研究のほとんどがこの立場をとる)、また社会学的な還元をすることもなく(一部のコラボレーション研究がこの立場をとる)、創造そのものの成り立ちに焦点を当てて考えるというものである★11。
ここでは、創造という事態を、《発見》を要素とする「創造システム」として捉えることにしよう★12。つまり、創造とは、《発見》という要素を次々と生成・連鎖させるオートポイエティック・システムである、と捉えるのである。《発見》は、生成された途端すぐに消滅してしまう「出来事」であるため、《創造システム》が存在するためには、《発見》という要素が生成され続けなければならない。創造システムにおいて、どのような《発見》が生成されうるのかは、個々の創造システムに依存している。それゆえ、創造システムは《発見》の生成・連鎖という作動の面では閉じているが、どのような目的に対する創造なのか、また誰が行なうのか等については、その環境に開かれている。このように創造をひとつの自律したシステムと捉えることによって初めて、心的システムとの関係や、社会システムとの関係について論じることができるようになる。
《発見》という要素はどのように成立するのであろうか。ここでは、《アイデア》《関連づけ》《適用》という3つの選択の総合であると捉えることにしよう。つまり、いま進行している創造プロセスにおいて、ある《アイデア》の、ある《関連づけ》を《適用》することによって《発見》が成立する。この3つの選択のうちのひとつでも欠けていると、《発見》は成立しない。第1の選択である《アイデア》は、この《発見》のなかでのみ《アイデア》たりうるのであり、《発見》の外にあらかじめ存在するものではない。第2の《関連づけ》は、いま取り組んでいる創造に、どのように関連するのかというものであり、進行中の創造システムに依存したものとなる。第3の《適用》は、選択された《アイデア》と、選択された《関連づけ》を結びつけるということである。

《発見》の連鎖としての創造システム

《発見メディア》としてのパターン・ランゲージ

これまで見てきたような《発見》の連鎖は、本来生じにくいものである。その「ありそうになさ」を克服するための《メディア》が、《発見メディア》である。《発見メディア》としては、例えば、演繹/帰納/アブダクションというような推論方法、数学、アナロジーやメタファーといった創造のレトリック等が考えられるが、どれも抽象的な構造によって、次なる《発見》の生成・連鎖を促す★13。
以上の理論に照らして考えると、パターン・ランゲージは《発見メディア》として、生起しにくい《発見》の連鎖を生起させやすくすると考えられる。建築や教育の例からもわかるように、創造のプロセスでは、解決しなければならない問題は次々と生じるのであり、その問題を発見し、解決策を発見することが不可欠となる。パターン・ランゲージは、「名づけ得ぬ質」「問題」「解決策」という3つの項目の関係性を抽象的に記述することにより、個別具体的な状況における「問題」の《発見》、問題に対する「解決策」の《発見》、解決策の帰結としての「名づけ得ぬ質」の《発見》を促す。そして、個々のパターンがネットワーク状に関係づけられていることによって、さらなる《発見》を促す仕組みになっている。

《発見メディア》としてのパターン・ランゲージの基本構造

パターン・ランゲージをつくるとはどういうことか

結局のところ、パターン・ランゲージをつくるとは、どういうことなのだろうか。以上の理論的考察からみえてくるのは、心的システムと社会システムを結びつける《言語メディア》であるとともに、心的システムと創造システムを結びつけ、さらには社会システムと創造システムを結びつける《発見メディア》であるという「二重化された《メディア》」をつくることにほかならない、ということである。パターン・ランゲージをつくるということの難しさは、まさにこの点にある。単にキャッチーな言葉として機能すればよいのではなく、創造を支援できなければならないが、実際に創造を支援しようとすると、往々にして具体的で詳細なものになりがちである。振り返れば、冒頭で紹介した学習パターンの制作において、私たちがつねに悩まされたのも、この二重性の実現の難しさであった。

3つのシステムを結びつける《メディア》としてのパターン・ランゲージ

自生的秩序の概念を提唱したハイエクは、自生的秩序の形成を支援するには「抽象性」が肝要であるとし、彼自身は「法」に着目した。本稿では、パターン・ランゲージをそのような抽象的な支援のメディアと捉えてきたが、ハイエクの法との違いは、社会や思考における自生的秩序のみならず、創造における自生的秩序の形成も支援するという点にあるといってよいだろう。今後、創造社会の実現に向けて、自生的秩序の形成のための《メディア》のデザインが、ますます重要になると考えられる。私自身も、そのような取り組みをさらに実践していきたいと思う。



★1──学習パターン・プロジェクト『Learning Patterns: A Pattern Language for Active Learners at SFC 2009』(慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部、2009)。学習パターンのホームページ(http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp)において、学習パターンの閲覧と、冊子のPDF版がダウンロードできる。
★2──C・アレグザンダーほか『パタンランゲージによる住宅の建設』(中埜博監訳、鹿島出版会、1991)
★3──C・アレグザンダーほか『パタン・ランゲージ──環境設計の手引』(平田翰那訳、鹿島出版会、1984)、およびC・アレグザンダー『時を超えた建設の道』(平田翰那訳、鹿島出版会、1993)。
★4──C・アレグザンダーほか『まちづくりの新しい理論』(難波和彦監訳、鹿島出版会、1989)
★5──ハイエク『法と立法と自由 I──ルールと秩序』(矢島鈞次+水吉俊彦訳、春秋社、2007)
★6──本稿では、システム理論による考察によって、「自生的秩序という決定的に重要な概念が明確ではないという、ハイエクの業績の深刻な欠点」(ジェフリー・M・ホジソン『進化と経済学』西部忠監訳、東洋経済新報社、1993)を補い、かつ、「全体性」や「質」というような言葉で語ったがゆえにニューエイジ・サイエンス的な怪しさを抱え込んでしまったアレグザンダーの構想を、今一度アカデミックな議論の遡上に乗せ直すことを試みたい。
★7──オートポイエーシスの考え方は、マトゥラーナとヴァレラによって生命システムと神経システムの理論として提唱された。マトゥラーナは、「生命システムに出会えばそれが生命システムであると認めることはできるが、それがなんであるかを語ることはできないという事実」(H・R・マトゥラーナ+F・J・ヴァレラ 『オートポイエーシス──生命システムとはなにか』河本英夫訳、国文社、1991)を克服しようと格闘した結果、「困難は認識論的なものであると同時に、言語的なものである」という認識に至った。そして、「記述されたシステムないし実体の特徴として自律性を保持しながら、自律的システムを記述できるような言語」の必要性を感じ、オートポイエーシスの概念を考案した。その後この概念は、ニクラス・ルーマンによって社会学に導入され、概念の洗練と拡張がなされた(N・ルーマン『社会システム理論(上)』『同(下)』佐藤勉 監訳、恒星社厚生閣、1993、1995)。
★8──本稿におけるオートポイエーシスの説明は、ルーマンによる展開を私なりに理解・解釈したうえで、独自にまとめたものである。
★9──ルーマンの社会システム理論における《メディア》概念は、「伝達・通信を媒介するもの」という一般的な意味よりも広い意味で使われている。そのうえで、《メディア》には、言語、拡充メディア、象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアという3種類があるとしている。上述の一般的な意味での「メディア」は、この分類では、拡充メディアにあたる。
★10──井庭崇「コミュニケーションの連鎖による創造とパターン・ランゲージ」(『社会・経済システム』Vol.28、2007、59─67頁)
★11──創造システム理論が目指すのは、マトゥラーナの言い方に倣っていうならば、「創造プロセスに出会えばそれが創造プロセスであると認めることはできるが、それがなんであるかを語ることはできない」という状況を打破することである。さまざまな分野で、そしてさまざまな時と場所で起きている「創造」という事態が、「創造」たる固有性をもつとすれば、それは一体何だろうか? その問いに答えるのが、創造システム理論の課題である。
★12──ここでいう「システム」は、インプットからアウトプットを生み出すような機械のことではない。そのように捉えてしまうと、創造とは単なる変換処理にすぎない、という誤った理解に行き着いてしまうだろう。創造システム理論で想定するのは、そのような機械論的システムではなく、オートポイエティック・システムである。このシステム概念によって、偶有的な選択がなされるプロセスを把捉することが試みられるのである。なお、創造という事態を主体から離して捉えるということは、人間のもつ「創造性」の否定や矮小化を意味していない。依然として「創造性」は人間の特性であり続けるが、創造という事態で起きていることを捉えるための概念が、創造システムの概念なのである。
★13──科学における例になるが、ノーベル物理学者ファインマンの次の言葉は、《発見メディア》の機能をわかりやすく説明してくれている。「数学は言葉プラス推論であります。言葉プラス論理なのであります。数学は推論の道具なのであり、事実、人々が注意深く考え推論をした結果の集大成にほかなりません。数学を使えば一つの命題を他の命題に結びつけることができます」(R・P・ファインマン『物理法則はいかにして発見されたか』江沢洋訳、岩波現代文庫、2001)。

いば・たかし
1974年生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。現在、慶應義塾大学総合政策学部専任講師、およびMIT Center for Collective Intelligence 客員研究員。主な共著者=『複雑系入門──知のフロンティアへの冒険』(福原義久と共著、NTT出版、1998)。


200909

特集 きたるべき秩序とはなにか──システム、パターン、アルゴリズム


自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性
自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?
アルゴリズム的思考と新しい空間の表象
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