建築教育国際会議(IAES)レポート

鵜飼哲矢
UCLA建築・都市計画学部と東京大学グローバルCOEの共催で、世界規模で初めての開催となる建築教育サミットが、7月17日から19日にかけて東京大学本郷キャンパスにて3日間集中的に行なわれた。 初日350人(工学部1号館)、2日目600人(安田講堂)、3日目250人(福武ホール)の延べ1200名の参加者を迎えて新しい教育の枠組みや方向性についての積極的な議論が交わされた。ここでは簡単に3日間を振り返り、その内容および意義について考えたい。
このイヴェント自体の記録は、今後、正確に記録されて冊子として出版される予定なので、詳細はそちらを待つとして、ここでは私が事務局としてまとめた報告書をもとに要点を伝えたいと思う。

7月17日:オープニングおよび展覧会

伊東豊雄:オープニング基調講演
初日の伊東豊雄氏のオープニング基調講演では、「コンピューターテクノロジーによる新しい建築原理が教育システムを変える」と題し、20世紀の近代主義建築の思想が効率や性能、経済性によって人間をも数量化してしまったことが、建築家と社会を隔ててしまうことになった原因とし、これに代わるものとして「コンピューターテクノロジーに基づく建築思考」を展開した。
その新しい建築原理の可能性を3点から説いた。第一に、リサーチ→計画→設計→施工→使用という従来のリニアなプロセスに対し、その各段階でコンピューターシミュレーションを行なうことで、早い段階から擬似的に建築を利用し、修正できるという点。第二に、設計プロセスと施工プロセスを一体化できる点。第三に、アルゴリズムを用いた新しい幾何学によって建築は自然物に近づき、より環境に対して開かれるだろうという点。そして、以上の考え方が建築教育のカリキュラムにも変革をもたらすだろうと提言した。

初日の基調講演で「建築をつくる行為は子育てである」と語る伊東豊雄氏。
「建築は建築家の手を離れてやがて社会的な存在として行動し始める。だから、個から公へのスムーズな移行が行なわれるべきである」。

展覧会

また、この国際会議にあたって、事前に世界中から参加する大学の教育パネルの展覧会が同時開催された。これらの展示はいずれも質の高いもので、世界の建築教育の現場を示す縮図ともいえる貴重な資料となっている。アメリカ、中国、ヨーロッパといった背景の異なる地域の建築教育がむしろ接近しているのを感じさせられるような展示であった一方で、逆にアメリカ内部や日本内部のそれぞれのスクールの試みの違いが明らかになるものでもあった。もはや、国別という違いよりもスクールの教育方針の違いこそが重要な差異になることを示唆するものであった。
また、これら世界中の教育現場を束ねることのできる新しいプラットフォームである「Studioplex」の披露が行なわれた。これはUCLAが開発、現在運用準備中のもので、今後の教育にとって、ウェブを使ってグローバルに展開する可能性を感じた。そして、その後、展覧会場にて東大の学生企画によるウェルカムパーティが開催され、今度はローカリティとしての「日本の夏」を演出した和太鼓や夏祭りで海外からのゲストを歓迎した。

7月18日:基調講演・パネルディスカッション

■シンポジウム1:Teaching and Practicing Architecture in a Globalized World
シンポジウム1では、Helmut Anheie(UCLA, USA)の原稿によって、「グローバリズムと文化的経済」というテーマのもと、専門職業について論じている社会学者Andrew Abottの言説やUIA憲章に触れながらグローバル社会における建築家像について発言。最終的に、グローバル社会の建築家像に含まれる4つのモデルを提示した。
福祉モデル:公共の容認や補助を得ることで建築が実現する。建築家は公共に従属する。
競争モデル:建築は数ある職業のひとつで、市場経済でその存在価値を売り込まなくてはならない。
成長モデル:建築の力を用いて地域の経済を変革、再生させる。
新興モデル:グローバル化された社会のなかで、「創造的分裂(creative disruption)」を促進する。

その後、難波和彦をモデレーターとして、パネルディスカッションが行なわれた。パネリストはMark Wigley(Columbia University, USA)、山本理顕、Weiguo Xu(Tsinghua University, China)、Stan Allen(Princeton University, USA)、阿部仁史。
パラメトリックデザインは「可能性」に対して有効なのは確かだが、社会的な「現実」に対してはどうかという問題提起に対して、コンピューターのイメージをいかに現実化するかが重要という意見の一方で、それは単なるファサード・デザインになる危険があるといった意見がでる。
コンピューターはもはや日常だし、むしろ日本の教育はコンピューター化にいまだ抵抗している点を尊重すべきという発言や、日本ではパッケージより中身に興味があるという指摘や、コンピューターを未だ使いこなしていない日本の学生は模型で「現実」と「可能性」を調整するという指摘もなされた。
建築の全体的なプロセスを理解しないで新しい技術を使うのは危険という意見と、それに対して、新しい技術は勝手にわれわれについてくるという批判がなされた。
その後、大学での教育方法の違いに興味があるという発言に対し、スタジオは情報と建築、知性と技術の拮抗する実験的な場であるという意見が表明された。

シンポジウムでは、基調講演の後、パネラーが各10分ずつ自分の意見を表明して議論が進められた。セッション「グローバリゼーションの中での建築実務と教育」で発表するMark Wigley氏


■シンポジウム2: Educating the Global Architect
シンポジウム2の基調講演はWolf Prix(University of Applied Arts in Vienna, Austria)。建築とは意識下の概念。建築家同士思考をネットワーク化すべきと主張。自校のスタジオを紹介した後、「Stay cool and carry on.」という言葉で締める。
続くディスカッションのパネリストはNeelkanth Chhaya(Center for Environmental Planning and Technology, India)、Preston Scott Cohen(Harvard University, USA)、Jong Kyu Kim(The Korean National University of Arts, South Korea)、Fernando Ramos(UIA, Spain)、Sylvia Lavin(UCLA)の5名。司会はRalph Lerner(The University of Hong Kong, China)。

グローバルな建築家とローカルな建築家が別々にいるのではなく、いい建築家と悪い建築家があり、いい建築家は十分感性を持って物事を理解し、ローカルな文化に入り込める。訓練してできるだけいい建築家を育てればグローバルかローカルかという問題も生じてこないという意見に対して、ユートピアを目指すということで同一化してしまうからグローバルの機能について議論するのは非常に政治的なものという意見が出された。
これに対してアジアの参加者からは、バランスを取ることが重要でこの地球上にはほかの現実もあって考えなければいけないし、それぞれの大学において違いがあるという意見や、グローバルとローカルを同時に考えることが重要であり、建築家としてつねに何が伝統であり何がモダンなのかということを自国の脈絡で考えなければいけないし、それらを同時に考えることによって両者を区別しないことにもなると主張した。
これに対し、均一化する現状を打破し、もっと差別化すべきではないかとの問題提起が起こった。技術と理論という観点から、技術があまりにも大きくなって理論がおざなりになっており、議論も起こっていないし、交流も起こっていないと議論の重要性が主張された。
さらに、均一化に関連して、グローバル化の進展による「コピー」というテーマが議論され、コピーを志向する文化もあり、オリジナルをベースに創造するリミックスのようなものの可能性が示唆された。
大学での教育としては、コンピューターに頼るだけでなく、実際のプロジェクトの前にはもっとメタプロジェクトをたくさん手がけることが重要との意見も出された。
それに対しては、伝統と新しいものの議論では、あまり新しいものに心配しなくてよく、そもそもあまり新しいものはない。技術はつねに変わり、更新されると締めくくられた。

■シンポジウム3:Beyond Boundaries
シンポジウム3では、Alejandro Zaera-Polo(Princeton University/Technical University of Delft, USA/Netherlands)がキーノートスピーカーを民主的な観点から辞退し、対等なフラットなかたちでZaera-Polo、古谷誠章、Dana Cuff(UCLA)、Odile Decq(Ecole Sp_ciale d'Architecture, France)、Beatriz Colomina(Princeton University)、隈研吾の6名がパネリストとして未来の建築教育についてディスカッションした。モデレーターは小野田泰明。

Alejandro Zaera-Poloの問題提起としての現状分析では、建築の教育モデルには、
1. apprenticeship model(徒弟モデル)
2. polytechnic model(技術教育モデル)
3. liberal arts model(一般教育モデル)
の3つのタイプがある。建築教育はliberal arts modelに近づいており、個性の育成に重点が置かれて、教育は生産の現場からは乖離している。

続いてパネリストのトピックをもとにディスカッションを行なった。建築教育が知識の生産であること、教育形式としてのスタジオ制の有効性、建築教育と社会の関わりを議論した。
polytechnic modelでは商品としての人材輩出がメインで社会との関わりがなかったが、これからは知識の生産に重きを置き、知識が即社会と関係性を持っていくとの意見が出され、これに対し、polytechnic modelとliberal arts modelは分断できないはずであるとし、建築教育で生産される知識は抽象的ではなく、プロジェクトを通して生産されるべきという反論があった。スタジオ制によってそれが可能となる。さらに、PhDコースにおける知識と社会との関わりの有効性を述べ、建築教育=知識の生産であることを擁護する意見も出た。しかし、一方で建築教育として一般化したように見えるスタジオ制について疑問を投げかけ、より長期にわたるメタスタジオによって、時間軸、大学、個人を超えて深められた知識を社会に開かれていくことができるとした。

教育と社会との関わりに関しては、建築教育の評価を公共にゆだねるという案を提示されたのに対し、そのためには建築教育をもっと大衆に認知させていくことの重要性が主張された。実務者が教育に関わることで学生に社会との接点を提供できるとの意見や、小さな建築を物質から考えることで、建築の持つ抽象化を超えて建築を普通の人とつなげていくことができるとの具体的な提案がなされた。

「20世紀は理念やイデオロギーをもった人たちが世界を変えてきたが、21世紀はそういうポリティカルな代理人ではない人たちが世界を変えている。同じように、建築も変わってゆくチャンスがあるだろう」と語るAlejandro Zaera-Polo氏

7月19日:シンポジウム4:全体会議

シンポジウム4は全体会議として「Global Projections」をテーマに、前日までの議論を総括するラウンドテーブル方式で行なわれた。
モデレーターは塚本由晴、パネリストは Mark Wigley、Preston Scott Cohen、Fernando Ramos、Odile Decq、難波和彦、Ralph Lernerと小野田泰明の7名。

最初に、各シンポジウムの要約がなされ、続いて、前日にAlejandro Zaera-Poloが提示した3つのモデル(apprenticeship model/liberal arts model/polytechnic model)やUIA教育基準に関して議論がされた。
前述の3モデルだけでは建築教育は成り立たないという意見、リサーチの重要さについての意見、各学校がそのコミュニティの差異を生かした無二の定義を見つけることが提案された。
知性の低下に対しては、ひとつの問題(例えば環境問題等)の追求でなく社会やお互いのやり取りに対しての開く教育の必要性、共通のスタンダードは避けられないがそれ以上に特別なレシピが必要で、学校自体が進化していくべきであり、教育を階級制ではなくインタラクティヴにしつつ各学校がそれぞれの個性を生かしてこそ生き延びる事が可能であるという見解、などのさまざまな意見が出る。
さらにUIA基準は強制ではなく、そのチャーターに参加するかどうかはそれぞれの学校が選択できるという話から、今の時代に特有の問題(経済、住宅不足、都市の急激な人口増加など)をどう考えるのかという疑問や、建築教育は専門的でないと質を保てないとの意見が出る。それに対し、レジスタンス的姿勢から建築教育を再考案するという視点や、専門性に偏る教育に対する批判もなされた。

続くフリーディスカッションでは、具体的にどういうプラン・戦略を考えられるのかとの問いが投げかけられる。各大学のアイデンティティを作っている建築のコアとなる部分の教育については、まず期間を圧縮させ、不動産・保存・技術・セオリー等の別分野を巻き込むことでこの伝統的なコア教育を「汚染」することができるのではないかという提案。
スタンダードの設定によって、実際は匿名校の方が刺激的であるにも関わらず、有名校がそうでない学校の基準等を決めている実態には批判的だが、社会に建築家の役割を知らしめるためにはスタンダードが有効だという意見も出る。それに対し、建築家が自己認識の危機に面しているとも言えるのではないかとの見方が出された。

最後に主催者として東京大学の難波和彦氏とUCLAの阿部仁史氏が総括した。
この会議を通して建築教育の国際的規格化に反対する参加者が多いなか、理解もそれぞれの国・学校によって状況が違うことを確認できたという意義性、そして、これからも学生が絶えず変わっていく建築の定義を考えられる場所・機会を与えることが重要で、今回のようなネットワークが生み出されたというのが最大の収穫であり、今後もまた別の場所で開催されることを願うと締めくくられた。
最終日の全体会議では、パネラーが互いに机を囲む円卓会議方式で行なわれ、3日間の会議の総括と、今後の建築教育の在り方について議論された。
すべて撮影=建築教育国際会議事務局

建築教育国際会議を終えて

このように、3日間にわたって建築教育のあり方、あるいは、建築という職能と社会のあり方が世界中で大きく変わりつつある現在の最先端の状況や思想がリアルタイムで一堂に公開、交換されたのはもちろん非常に大きな成果であった。
そこで図らずも露呈したのは、今問い直すべきなのは、グローバリズムとローカリズムという単純な対立図式ではない建築教育のあり方だったであろう。語られたのはスタンダードそのものではなく、そこからの距離をそれぞれが語ったのであり、問われたのは私たち自身の教育の存在基盤、現代性そのものであった。
たしかに明治10年にジョサイア・コンドルという若いお雇い外国人教師から始まった世界の辺境地としての日本の建築教育が、130年余を経てホストとして世界のトップクラスの教育機関のリーダーを招いてサミットとも言える国際会議を開けるようになったことが、今回、何よりも目に見えるローカル日本の建築教育のグローバルな成果であり、海外で活躍する建築家を含めた人材輩出の証左ともいえよう。
がしかし、これからの時代、日本や世界という単純な枠組みを超えてゆく建築の在り方や次なる価値観を創造してゆかなければ、たちまち閉塞してゆくだろうという危機感も強く感じられた。それはグローバル経済にしてもその一つの閉塞例を今見たばかりである。
おそらく、今回の会議の最大の成果としての課題とヒントは、建築教育の外部にあるのではなくわれわれ自身の内部にあるのだろう。多岐にわたる現実の諸問題の中で建築をいかに定義づけてゆくのかという課題でありヒントである。
そういう意味で、Alejandro Zaera-Poloの3つの教育モデルによる問題提起は、現代のような複雑な社会との関わり方に関して建築教育はいかに有効であり得るのか?という点で核心を突いていただろう。
教育の価値とは知の消費でも再生産でもなく、知あるいは知の可能性の生産である。言い換えるならば、建築教育の真価は手段ではなく目的の探究にあるだろう。言い換えれば、プラットホームを作るより前に、どこに向かう電車のためのプラットホームか、ということを議論し考えなければいけないということだろう。
その目的地とは何か。もちろん、グローバルやローカルではない。それらは、通り過ぎる風景の車窓からの距離に過ぎない。行くべき目的地を尋ねるその問いこそが、現代では最も難しい問いである。
だが、教育とはそれを見つけようとする可能性そのものである。
今回の国際会議では、その勇気を与えられたような気がする。

うかい・てつや
九州大学大学院芸術工学院准教授、2009年7月末まで東京大学建築学科助教:建築教育国際会議事務局


200908

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