ニュータウン/郊外における「併置」の問題

松原弘典(建築家/慶應義塾大学SFC准教授)
ニュータウン/郊外の風景とは? そこはかつての開発の最前衛であり、現在は退行の最後衛になりつつある。そこではその誕生からつねに、開発と未開発、新しいものと古いもの、新たなコンテクストと既存のコンテクストが「乱暴に併置」されてきた。設計する立場からニュータウン/郊外の風景を考えるということは、結局この「併置」をどう扱うか、という問題につきる。
開発の最前衛だったころのニュータウン/郊外では、この「併置の乱暴さ」は問題視されず、むしろ開発のエンジンの証として歓迎さえされた。道路だけ先につくられたような格子状都市空間にローマのカンピドリオ広場を模したシティセンターがつくられたり(筑波)、未開発の雑木林とイタリア集落風住宅団地が並べられたり(南大沢)ということがポストモダンの時代にはあったことを私たちはまだよく覚えている。
縮小の時代の今、最後衛のニュータウン/郊外では「乱暴な併置」はまだあるのだろうか? あるいは最前衛の時代の「併置」の遺産とわれわれは今ここでどう向き合えばいいのか? 本論では、私が関わったニュータウン/郊外における2つのプロジェクトを通じて、こうした問題を考えてみたい。

《エントランスハウス》(2007-2008)
──建物内部での内部と外部の併置しなおし

《エントランスハウス》改装後外観

この住宅プロジェクトは、慶應義塾大学SFCの私の研究室でやってきたプロジェクトで、藤沢市西北部の郊外にある使われなくなった空き家を、学生主体で設計・改装施工したものである。大学周囲に多く存在する空き家についてリサーチしていくうちに、そのなかの1軒を改装再生することになった。
大学の周辺は駅前(横浜市営地下鉄湘南台駅)に商業・住宅地区があり、そこからバスで15分ほどのキャンパスまでの間に、工業地区、農業地区があって徐々に建物の密度が下がっていく状況にある。われわれはこの雑多で低密度の大学周辺に50軒以上の空き家を発見し、そのうちいくつかについて大家を探し出し、当該物件がなぜ空き家になり、なぜ今もそのままなのかを調査した。そこでわかった興味深い事実は、その物件が「空き家になるに理由」はさまざま(子ども世代が家を出て住む人がいない、住宅自体が耐用年数をオーバーしてそのまま放置されている、等)だけれども、それが「今も引き続き空き家であり続ける理由」はほぼひとつしかないということだった。それはすなわち土地をめぐる用途と税制にある。市街化調整区域の既存宅地で、老朽化した建物がぽつぽつ残っているというこのあたりの空き家は、それが建つ土地も評価が低く固定資産税も低いから、そのまま古い住宅を壊さないで持ち続けていることは大家にとってもなんとか可能な資産状況だと言っていい。しかしひとたびまとまった投資をして空き家を建て替えようものなら、土地の評価額が上がり課税額が上昇して大家はリスクを負うことになる。こうした事情が、空き家がそのままで放置され続けるという「現状維持」を支える背景にある。調べてみると大学の周りの耕作放棄農地も似たような背景を持っていることがわかった。荒れ果てつつある農地を宅地に転用して住むことができないかと考えても、農業保護という名目のもと農地は固定資産税が低く抑えられているから、多くの農家は土地を転用して別の用途にそれを返還する(=固定資産税額が上がる)というリスクを取りたがらない、そのため耕作者のいなくなった農地は消極的に放置されて荒れ果ててゆくことになる。

空き家リスト

大学周辺の空き家分布図

藤沢市西北部のような半農地的郊外において、こうした「消極的原状維持」で多くの空き家や空き地がうまく再活用されていないなか、われわれは理解ある大家が所有する1軒の空き家を見つけて空き家再生プロジェクトを開始させた。再生対象の小さな住宅は、藤沢市遠藤地区の市街化調整区域に1970年代に建設された、もともとは付近のいすず自動車の関連工場で働く若年労働者のための貸家だったと思われる。31平米の平屋で、4畳半と6畳の2室が玄関から続く廊下で仕切られており、奥にバス、トイレ、キッチンも内包している。周囲には似たような住宅が同じ大家によって6棟ほど集合して建てられており、敷地の接道部分に配置されている本住宅をわれわれは「エントランスハウス」と名付けた。
大家からはただ同然の低い賃料で、かつきれいにするという方針であれば自由に改装工事してよいという許可を取り付けて、われわれは物件を借り受けて再生設計と施工を開始した。ここで私たちがとった再生設計案は以下のようなものである。4畳半の部屋を土間に変え、玄関ドアを移動し、かつ土間に直接入るような大きな開き戸に換える。土間は天井も取り払って屋根架構を見せ、白く塗り込めた「白の空間」とする。6畳の部屋は廊下と一体化して、畳を取り払って床壁天井ともすべて合板で覆い直す「木の空間」とする。水回りは既存のミニキッチンを撤去して簡単なカウンターだけにした。
結局ここで私たちがしようとしたことは、建物の内部に外部(土間)を取り込んで、建物の内部で内外を併置させることである。周囲に建設されている新しい郊外住宅の多くはハウスメーカーの画一化されたものであり、この地域に古くからある古い民家のスタイルも参照されず、新建材で内外をきっちり分けた、外断熱された「冷蔵庫のような」住宅ばかりである。私たちの改築はそういう状況に対して、少しでもこの郊外の低密度な状況、緑の多い自然環境を積極的に読み替え、外部を建物内部になるべく取り込もうとしている。住宅の室内空間だった部分を土間に換えることで建物の内部の一部は外部になり、壁によって内外が仕切られるという単純な関係は崩れ、土間に設けた大きな開き戸が積極的に開けられることを意図した。建物内部に内部と外部を併置しなおすことで、結果的に住民が周囲の郊外の環境を積極的に享受するようにならないか、そういう期待とともに改装施工は終了した。今この物件には私の研究室の卒業生が入居し、日々その効果を検証している。

改装設計前と後の平面透視図


左:改装終了時のパーティの様子 右:改装後内観(白の空間)

《Y住宅》(2007-2009)
──個人の富が加速する新たな併置

《Y住宅》南側外観

この住宅プロジェクトは、北京市北部昌平地区の戸建て住宅を増改築したものである。北京で私が運営する設計事務所で行なっているのだが、クライアントが個人ということもあって、大変ゆっくりしたペースで進んできている。
このプロジェクトを理解するために、現在の北京の居住環境を確認しておこう。この都市では第四環状線より内側の都心部では住人のほとんどが1949年の建国以後に建てられた中高層集合住宅に居住している。さらに、明清代の城壁のあった第二環状線の内側、つまりより中心に相当する地区では、北京の伝統的な平屋住宅「四合院」も一部残っており、そこに居住している住民もいる。ただこれは今でも多くは居住環境が劣悪で、一部屋に一家族が住んでいたり、トイレが共同だったりして好まれず、都市開発で次々と壊されているのが現状だ。第四環状線より外の郊外では、中高層住宅以外にも、デヴェロッパーが開発する戸建て住宅(「別墅」と呼ばれる)が多く出現してきている。この国では土地はすべて国有であり、使用権のやり取りや建物の建設許可は個人でできるような行政側の体制が整備されておらず、今でも開発業者が大規模開発するという形でしか住宅開発がなされていない。最近では少しずつ、富裕層が個人的に郊外で土地の使用権を農民から譲り受けて戸建て住宅を建設するケースも出てきているが、制度的に、戸建てのロットで土地が売買され、個人の責任で住宅が建設されるケースはこの都市ではまだほとんど見ることはできない。

Y住宅はこうした背景のなか、不思議な経緯を経て今まさに竣工しつつある。敷地は第五環状線外のかなりの郊外で、北側に山を背負った南向き斜面の絶好のロケーションである。この土地を、あるデヴェロッパーが2000年前後に住宅開発をしたのだが、開発後販売に失敗し、戸建て住宅地区がほとんど売れ残って打ち捨てられたように放置された。現在のこの物件のオーナーで私のクライアントでもある中国人は、そうして放置された一昔前の戸建て住宅をものすごく安い値段で買い取り、個人の責任でそれを改築する決心をし、そこでわれわれを設計者として招いたというわけである。もともとの自然環境がよく、上下水や電気などの基本のインフラは来ているので、まったくの空地に建物を新築するよりは条件がよかったし、また「新築ではない」ので役所へ建築申請の必要もないという理解のうえで計画は進行した。

2006-2007-2008年の改築プロセス

われわれのクライアントは(幸いにも)現代的な住宅にしたいと考え、かつ既存住宅の面積を増加させたかったので、まず2階建てを3階建てに増床した。切妻の家型立面だった住宅はフラットルーフになり、かつての斜めの屋根は3階の室内に階段状空間として取り込まれた。延床面積は245平米から770平米まで増加した。また既存の住宅には断熱がされていなかったので、外断熱を施し、さらにその外側を保護面としてグレーのブロックで覆った。既存の窓の位置はあまり動かせず、一方でブロックの割り付けはブロック寸法のモジュールで決まるので、グレーの塗装の断熱材の層とブロックの層の2層が重ねられた意匠をあえて強調した外立面にしている。
平面は既存建物の複雑な形状をUの字型のほぼ対称な形に整理し、中央部に階段を集めて平面上の東西両側に南北開口をもった細長い部屋を確保した。両側の細長い部屋はさらに引き戸で南北に分割できるようにしている。南向きの斜面にあるこの敷地は、夏で山からの涼しい北風がおりてくるので、この引き戸を開けはなって風を通し北側に寄って住めばかなり快適であることが期待できる。一方で、冬は南側の部屋だけに機械空調が設置されており、引き戸を閉めて南側だけ暖房し、居住も南の部屋を中心に使うことを計画している。つまり、なるべく機械空調を減らして、室内面積が大きくなった分、人間が季節ごとに移動して使用する部屋を変えることで、サステナブルな状態をつくろうとしている。

左:斜め屋根を室内化した断面図 右:平面図

北京のこの住宅の周囲では、もともとは単独のデヴェロッパーが開発主体だったためにデザインコードがある程度統一された(ただしひどい意匠の)住宅開発がされていたが、それが今、戸建て住宅を求める人たちに個別に購入されて、まったく別々の改築がなされている。しかもこうした個人の改装をコントロールする行政側の制度がまだ未整備なので、本当にばらばらのスタイルの住宅が付近に現われつつある。高い擁壁で敷地を全部覆い隠したり、巨大なやぐらを設置したり、われわれがしたように2階建てを3階建てに換えるような、もともとの住宅の原型を大きく変更する例もたくさんある。この都市では郊外が、規制に縛られた都心からの逃避先、富める者の欲望を発散するための実験場になっているということだろうか。こういう状況のなかでは、われわれの設計も、「乱暴な併置」を加速させる一因になっているということかもしれない。少なくとも設計者であるわれわれが目指したことは、サステナブルな住宅をつくることであり、差異化のゲームに参加することではないつもりだったが、結果としてどういう郊外景観ができあがるかは、もう少し周りの他の住宅の建設が進んでから判断することになりそうだ。

左上:南東側外観 右上・下:内観

併置のバランサーとしての建築家

以上藤沢と北京の、ともに郊外の住宅のプロジェクトをみてきた。ニュータウン/郊外は、今総じて地盤沈下しているわけだけれど、これからの建築家の仕事をする主戦場になるような気もしている。少なくとも改善しないといけない環境はそこにあるのだから。都市中心部はもう開発が一通り終わっているから、だましだまし直して使っていくか、ごく限られた大規模事業をチームでやっていくような形でしか、これからは仕事がでてきそうにない。世界的に見てもこれからの個人の建築家が関わる機会がどちらに多いかといえば圧倒的に都心より郊外だろう。古いものと新しいものがより先鋭化して「併置」されざるを得ないニュータウン/郊外的環境において、建築家になにができるのか。「併置」のバランスをとることこそが建築家に求められる役割であり、それに意識的になれば、郊外は決して退行の最後衛という場所としてだけではなく、もっと楽しめる、いきいきとした場所としてとらえ直すことができるのではないだろうか。私個人はそういう楽しげな郊外を具体的なプロジェクトとして今後も提案していきたいと考えている。

まつばら・ひろのり
1970年生まれ。建築家。北京在住。現在、北京松原弘典建築設計公司主宰、慶應義塾大学総合政策学部准教授。主な作品に《三里屯VILLAGE北区イースト》(2007)。主な著書に『中国でつくる、松原弘典の建築』(TOTO出版、2007)ほか。


200908

特集 ニュータウン世代の新言語


アトラクションの郊外──ポストモダン都市、名古屋
ニュータウンと幻想
ニュータウン/郊外における「併置」の問題
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