世界建築レポート[9]オーストリア的建築文化

渋川美佐

オーストリア現代建築
ちょうど10年前の1998年に代官山のヒルサイド・フォーラムで「BEYOND THE MINIMAL」というオーストリアの現代建築を紹介する展覧会が行なわれた。その展覧会名のとおり、スイスと地理的環境が似ているオーストリアでも当時主流であったスイス的でミニマリスティックな建築が、数多く紹介された。あれから10年、オーストリアでは数多くの若手建築家事務所がつくられ、ミニマルとは違った多様な建築の方向性が生まれてきている。オーストリアでは音楽バンドのようなポップな名前の若手事務所が多いと言われるが、そのなかでも特にその名前によって知名度を確実に高めたグループ「ALLES WIRD GUT」は訳すと「すべてうまくいくさ」という名前である。この名からも察せられるように、若手建築家のなかに共通して見受けられるのはミニマリスティックなストイックさや退屈さから脱却して、デザインや生活を楽観的に楽しんで豊かな空間を目指すような傾向であろう。若いジェネレーションはオランダの建築シーンからも大きな影響を受けているが、オランダの人工的な国土と進歩的な国民性から生まれたようなラディカルでコンセプチュアルな建築へのアプローチは完全には受け入れられてはいない。オーストリアという国に広がる圧倒的な大自然や、ドイツ語圏に特有のディテールの正確さや機能性を重視する傾向、そしてどちらかというと保守的な国民性が、ヨーロッパ中部の中心都市として周辺から影響を受けながらも独自の建築文化の発展を促しているようである。そのオーストリアの建築をここではいくつかのキーワードを元に紹介してみたい。

ワイン建築
ここ数年オーストリアでは地方の新しい観光のスタイルと結びついたワイン建築ブームが起こっている。そのスタイルとは国産のワインを実際に生産している農場に訪れて、丘に広がるワイン畑を眺めながらワインテイスティングをして買うというもので、オーストリア人にたいへん人気である。オーストリアのワイン農家も地域おこしのため、そして他社との差異をつけるために、競って建築家と組んで新しいワイン建築なるビルディングタイプを作り出している。ワイン建築には、ワインの貯蔵庫、ショップやレストランの他、メーカーの歴史や生産工程などの展覧室などが設けられていることが多い。このワイン建築ブームはちょうどファッション業界でフラッグシップストアのデザインを有名建築家が多く手がけているように、最近世界各地で見られる現象になっているようだが、2006年にはウィーン建築センターで「ワイン建築」と題した展覧会が催され、特にオーストリア国内でここ数年に建てられた60のプロジェクトが紹介された。そのなかでもアンゴネーゼ・ヴァルターによるワイナリー《Weingut Manincor Kaltern》[図1]はランドスケープと見事に一体化した建築である。feld72の《Winecenter》[図2]は若手建築家の招待コンペで選ばれて実現された。また、スティーブン・ホールの《Loisium》[図3]は地下に迷路のような巨大な現代アートコレクションがあり、隣接して建てられた同建築家のスパホテルと連携して完結された地方エンターテイメントが展開されている。

1──Angonese Walter, Weingut Manincor Kaltern, 2004.
©Archiv BILDRAUM 2004
2──Feld 72, Winecenter, 2006.
©Hertha Hurnaus(www.hertha-hurnaus.com
3──Steven Holl, Loisium, 2003.
©STEVEN HOLL ARCHITECTS

スーパーマーケット建築
ワイン業界のみならず、最近はオーストリアのスーパーマーケットチェーンが良質な現代建築を作り出している。チロル地方の中でいまでは130支店を構える家族経営のスーパー「Mプライス」は90年代初めから支店ごとに違う建築家を起用して支店を展開し、数々の建築賞を受賞してきた[図4-6]。いままでのスーパーのチェーンのマーケティング手法といば、外観からロゴやデザインですぐに店を認識できるコーポレートアイデンティティを持つのが通常であるが、その逆の路線を行くことで成功を収めているのである。これは施主とチロル地方の建築家たちの双方にとって有益で、どの店舗も周辺の自然の風景と調和するよう配慮されたつくりで、スーパーの中にはちょっとしたカフェが設けられていて軽くランチが食べられたり、美しく商品が陳列されていて買い物が楽しくなるように工夫されている。実際、アルプスの山々に囲まれたチロル地方で小さな町から町へと車を走らせていると、ほとんどが木造切妻屋根のチロル風な建物が並ぶなかで、しゃれた現代的なスーパーが次々と現われ、スーパーマーケットが地方において建築文化を形成するひとつの要素になりうることが実感できる。

4──Giner&Wucherer, MPREIS Achenkirch, 2005.
©Giner+Wucherer Architekten
5──Hans Peter Machne, MPREIS Matrei in Osttirol, 2008.
©Hans Peter Machne
6──Astrid Tschapeller, Rainer Koeberl:MPREIS Wenns, 2001.
©Lukas Schaller

公共建築
オーストリアは1995年からEUに加盟しているが、EUがヨーロッパの建築文化にもたらした変化は非常に大きい。そのひとつは建築コンペの幅広い普及であろう。EU内においてはどの国でも新しくつくられる公共建築は(予算にもよるが)EU内での国際コンペを通してつくられなければならないと決められている。コンペの募集要項や提出物はたいていの場合その国の言語を使用しているので、英語による美術館などの花形コンペなどは別として、地元の公共建築は地元の建築家にまわることが多いが、チャンスがヨーロッパ内で平等に開かれていることは確かだ。若手の建築家にとっては日本のように戸建住宅の需要が少ないので、コンペに多大な労力をつぎ込んで大きな規模の仕事を獲得していくケースが多い。最近特に多く行なわれるコンペは老人ホームや病院の新築や増築、消防署、学校などで、若手事務所の活躍も多く見られる。アレス・ヴィアード・グートによる消防署《Zivilschutzzentrum》[図7]は、自然に囲まれた小さな村に溶け込むように、斜面を巧みに利用してつくられている。また、シブカワエダーアーキテクツによる高校《Neulengbach High School》一等案[図8]は1階にいくつもの小さな中庭とそれに面した特別教室を配置し、その屋上部分を休憩テラスとして2階の普通教室が囲む新しい構成を試みている。一方、すでに地位の確立された建築事務所も招待コンペや選定コンペに絶え間なく参加している。今年オープンを控えている話題の公共建築のひとつはバウムシュラーガー&エベレによるウィーン国際空港《Skylink》[図9]である。すでにオープンした一部のターミナル《Terminal 1A》[図10]は草が床から生えるような模様がプリントされたポリカーボナートで覆われている。

7──Alles Wird Gut, Zivilschutzzentrum Innichen, 2007.
©Hertha Hurnaus(www.hertha-hurnaus.com
8──SHIBUKAWA EDER Architects, Neulengbach Highschool
©SHIBUKAWA EDER Architects

9──Baumschlager & Eberle, Skylink
©Baumschlager-Erberle architects
10──Baumschlager & Eberle, Terminal 1A, 2005.
引用出典=www.airports-worldwide.com

国際的有名建築家のウィーンプロジェクト
他にもウィーンでは現在国外の建築家による数々のプロジェクトが進行中である。ウィーン市内の中心に接するドナウ運河沿いには、2005年に行なわれた招待コンペで優勝したジャン・ヌーヴェルによるホテルが2010年に建設される予定である。このコンペ案《Multifunctional Building》[図11,12]はビルの真ん中を大胆に切り取って、その切り取られたヴォイドスペースの天井面に映像を映すという仕掛けで、街を行く人と建物の間の新しい視覚的な関係を提案している。また最上階のレストランもガラス張りで天井面に工夫があり、道から見上げることで今までにない都市風景との出会いが意図されている。

11,12──Jean Nouvel, Multifunctional Building
©Ateliers Jean Nouvel on the rendering images

ウィーンの中心から少し離れた地区で近年開発された場所のひとつに「Wienerberg City」がある。このマスタープランはマッシミリアーノ・フクサスによるもので、2001年に作られたフクサスの高層オフィスビル《Twin Tower》を中心に、コープヒンメルブラウをはじめとしてさまざまな建築家による集合住宅が近年すべて完成された。このマスタープランには明確なグリッドがなく、さまざまな高さとヴォリュームを持った建物がバラバラな間隔で立ち並び、混沌としていて不思議なスケールを持つ、ウィーンらしくない新地域を作り上げている。ここでは、ウィーンの中心からは離れて職と住が一体で生活できるようなフレキシビリティを提案した集合住宅が数多く作られている。そのなかでも特に注目を集めたのはすでにオーストリアでは非常に名が知れるようになったデルガン・マイズルによる集合住宅《City Lofts Wienerberg》[図13]、《Apartment High Rise》[図14]である。

13──Delugan Meissl, City Lofts Wienerberg, 2004.
14──Delugan Meissl, Apartment High Rise, 2005.
13,14=©Hertha Hurnaus(www.hertha-hurnaus.com

また最近最も注目されているのは旧市街からドナウ運河を挟んで対岸に開発された地区「Donau City」に2010年完成予定のドミニク・ペローによる高層タワー《Vienna DC Towers》[図15,16]である。オフィスと住宅、ホテルによるこの総合地区全体のマスタープランも担当したペローはこの地区へのゲートとなるようにウィーンの中心街から架けられた橋のたもとに2つのタワーを並べるように計画し、向かい合うファサードを岩を砕いたかのようにデザインしている。完成すればオーストリアで一番高い建物(58階建て200メートル)になる予定である。また、同じ開発地区にはMVRDVによる集合住宅が計画されているが、工費が非常に高くつくことが予想されているために予算の問題で議論を呼んでいる。この建物はMVRDVが1991年にヨーロッパンコンペで一等を取ったが実現されなかった集合住宅[図17]の再現版とも噂されており、一つひとつ違った形をした住宅が積み木のように組み合わさったテトリス状の断面をしている。オーストリアでは建築法規の基準が厳しく、省エネルギーでサステイナブルな構造や環境設備を備えた非常に質の高い建築が要求されるため、特に住宅の建設コストは世界的に見ても格段に高いと言われている。オランダのようにエネルギーやディテールを気にせずにとにかく安く合理的に建設し、だからこそ実験的でコンセプチュアルな建築が実現できるような土壌とはまったく状況が異なる。果たしてMVRDVはオーストリアのさまざまな制約のなかでラディカルなデザインをどこまで妥協せずに形にすることができるのか、完成が楽しみなプロジェクトである。

15──Dominique Perrault, Vienna DC Towers
16──Dominique Perrault, Vienna DC Towers
15,16=©Perrault Projets, ©Beyer
17──MVRDV, Europan 1991.
引用出典=El Croquis: MVRDV 1991-2002, El Croquis, 2003.

[しぶかわ みさ/建築家、ウィーン工科大学助手]
1974年生まれ。日本女子大学住居学科を卒業後、2000年に東京工業大学大学院修士課程を修了。
キャノン400プログラム奨学金を取得し、アムステルダムの設計事務所 NL Architects にて3年間勤務する。
2005年ウィーンでSHIBUKAWA EDER Architectsを設立。
2006年よりウィーン工科大学建築学科において助手兼講師を務める。
www.shibukawaeder.com


200808


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