世界建築レポート[6]パリ・レ・アール再開発計画──バルタールの亡霊を巡って

戸田穣

パリ・レアール──パリの胃袋の歴史
パリ中央市場(レ・アール)の位置する場所は中世以来巨大な胃袋であった。ノートルダム寺院の建設開始よりも古く1135年にこの場所に建設されたレ・アールは、パリ大学の膝元カルティエ・ラタンと同様に中世以来20世紀までその機能を換えることのなかった希有な例である。18世紀にカミュ・ド・メジエールが小麦市場(現・証券取引所)を建設して以来[図1]、革命後のジャック=ギヨーム・ルグランとジャック・モリノスによる旧イノサン修道院の解体と噴水の復元および跡地への布市場の建設を経て[図2]、1848年バルタールとエクトル・オローによる10の鉄骨造パヴィリオンで構成された中央市場の建設が決定されるに至って[図3]、パリの商業の中心としての地位を揺るぎないものとする。西の旧小麦市場、ともに16世紀に遡る北西のサントゥシュタシュ教会と東のイノサンの噴水によって明確に限定された敷地に建つこのバルタールの10の鉄骨建物は、鉄を恒久的な建物に全面的に展開したものとして19世紀の建築史においても傑作のひとつに数えられている。

Vitrahaus
Vitrahaus
Vitrahaus
1──旧小麦市場
引用出典=Nicolas Le Camus de Me´zie`res, "Plan de halle couverte et incombustible...", coll. Bibliothe`que nationale de France (BnF)
2──イノサンの噴水(中央)と布市場(右奥)
引用出典=[Projet pour la Fontaine des Innocents], coll. BnF.
3──パリ中央市場
引用出典=Victor Baltard et Fe´lix Callet, Monographie des Halles centrales de Paris, 1863.

一世紀の時を経て、中央市場から商業の中心へと姿を変え、郊外線RERと地下鉄の乗り入れるパリの交通の心臓たるべく、レ・アール地区の再開発が1968年に決定された[図4]。1969年、パリ中央市場は郊外のランジスに移転、バルタールの建物は解体されることになる。建築史上疑う余地のない傑作の解体には、さまざまな議論が巻き起こったが、一部をパリ郊外に移築することで一応の妥協策を得ることとなる(さらにその一部は横浜・港の見える丘公園のフランス山=旧フランス領事館所在地に移築されている)。
このコンペで結果として選ばれたのが、現行のフォーラム・デ・アールの建物である。1972年から解体・整地工事が始まり、まずクロード・ヴァスコニとジョルジュ・パンクレッシュによって東側部分、マンサード屋根を彷彿とさせる「ガラスの滝」と呼ばれるギャラリーで囲われた中庭を持つ建物が建設された(1972-79)。地上部分の敷地東側のレスコー街から北のランビュトー街に回り込む地上階は、当初スペイン人建築家リカルド・ボフィールの計画の建設が始まっていたが、当選したばかりのシラク市長によって中止のうえ取り壊され、改めてジャン・ヴィエルヴァルによる「傘」と呼ばれる外観をもつ地上建物が建造された(1983)。続いて、西側、小麦市場と教会に続く敷地は地上を公園として開放したうえで、地下にプール、複合映画館を納める建物がポール・シュメトフによって建設される(1980-85)。1986年には、ルイ・アレチュによって西側の公園が造成されることになる。
しかしながら、この場所が毎日多くの人びとが往来したむろする場所であるとしても、その建物がパリの交通の要としての機能を十全に果たし、パリ市民に十二分に親しまれているとは言い難い。地下5階レヴェルには3本の郊外列車、5本のメトロが乗り入れ、地下4階レヴェルは改札・乗り換えのためにあてられている。残りの3フロアにわたる地下階は大規模ショッピング・センターとして機能している。この巨大な交通・商業施設は、毎日80万人が通過し、15万人の消費者が訪れる場でありながら、面積は四方の街路によって明確にかぎられ(146×126m)、その容積は周辺環境を配慮して地中に埋込まれなくてはならないために、おのずから限界をもっている。現行の建物はこの複雑な施設の問題を十分に解いているとは言い難い。東側のショッピング・センター部分と庭園部分の断絶、地上から地下鉄駅へのアクセスの混乱、地下建物内のサーキュレーションのわかりにくさなどなど。そして、ヴィエルヴァルによるガラスと鉄の「傘」と呼ばれる、庭園内のあずまや風の折衷的な、あるいは中途半端なデザインが、この建物に全体としても部分としても明確なイメージを与えられていない[図5]

Vitrahaus
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4──建設中のフォーラム・デ・アールとサントゥシュタシュ教会
引用出典=Jean Gourbeix, "Devant Saint-Eustache visible en entier...", coll. Caisse nationale des monuments historiques.
5──現在のレ・アール周辺
引用出典=Philippe Guignard, "Projet des Halles", La Documentation francaise / Interphotothe`que.

レ・アール再開発コンペ2003-2004
2003年にレ・アール地区の再開発コンペが宣言された。新レ・アールは、現行の4,000平米の公共空間と2,700平米の商業空間に、さらには図書館、オーディトリウムなど9,400平米の文化施設も確保したうえで、その他、要求される延べ床面積も加えて、14,000平米となる。 フランスにおいては公共建物の建設は市民の主要な関心事のひとつであり、行政にとっても文化国家としての演出の場である。パリ市とイル・ド・フランス県(行政)、パリ市交通公団、フォーラム・デ・アール市民協会(商業)によって進められるレ・アール再開発計画の2003年のコンペでは、予備選考の後に指名された4組の建築家(ジャン・ヌーヴェル[AJN]、レム・コールハース[OMA]、ヴィニー・マース[MVRDV]、ダヴィド・マンジャン[SEURA])のなかかから、2004年12月15日、地元フランスのマンジャンが選ばれることになる。
ヌーヴェルとマンジャンの案は、東に建物を西に庭という現行の配置を踏襲したうえで、建物部分をフラットな大屋根として、その下に室を配置し、東側のレスコー街から庭までを通り抜けられるようにつないだ案である。ただしヌーヴェル案が内部空間を貫く大吹き抜けをプレゼンテーションの中心に置いたのに対して[図8]、マンジャンはむしろ周辺敷地との関係性に意を注いだプレゼンテーションとなっている[図9]。9mの高さの大屋根を、東側2haに架け渡し、西側には4haの庭園をバルセロナ風に「ランブラ」と呼ばれる並木によって整地し、旧小麦市場(証券取引所)の改装も含めている。
MVRDVとコールハース案は現行の配置を崩し、敷地全体に建物と庭が絡み合うようにデザインされている[図10]。MVRDV案は、敷地をキルト細工のようなパッチワークとして分割した案である[図11]。最も注目すべきはコールハース案で、地下に納められたさまざまなアクティヴィティを文字とおり地下から「タワー」として抽出し、それぞれに、その標識(サイン)としてカラフルな色を割り当て、これらタワーを分散して林立させることによって、それぞれのアクティヴィティの複雑さと明確さを同時に確保している。

Vitrahaus Vitrahaus
Vitrahaus Vitrahaus
8──[左上]ジャン・ヌーヴェル
9──[右上]ダヴィッド・マンジャン
10──[左下]レム・コールハース
11──[右下]MVRDV
引用出典=http://www.linternaute.com/meilleur/halles/1.shtml

4作が出そろって市民に公開されてから最終的な決断が下されるまでには、コンペの成り行きを占う声、あるいは駆け引きの声が聞こえていた。MVRDVの案は技術的な問題から早い時期に脱落したのだが、残り3案はそれぞれ異なる支持を背景に拮抗していたと言えるだろう。
1999年に結成されたパリ一区レ・アール界隈の市民団体であるアコンプリはさしたる説明付けもなく「市民的な」という理由でマンジャン案を押したが、同様にレ・アール商工会議所は予算の面から同じくマンジャンを支持していた。
一方、この「市民的な」マンジャン案は建築を専門とする側からはその「慎ましさ」ゆえに支持を集めるには至らなかった。フランスを代表する建築批評家であるフランソワ・シャランはマンジャンの案を「腰抜け」と批判する。すでに破れはしたものの当時2012年のオリンピック開催地として立候補していたパリにとって、この選択はあまりに「ミニマル」過ぎる。パリはフランスの首都であるとともに、国際都市の面差しを持たねばならない、というのがシャランの主張である。シャランがフランスにおけるレム・コールハースの強力な擁護者であるという背景にも注意しなければならないが、同様の理由(国際都市パリの顔)からコールハース案は、パリの左派勢力からも強く支持されていたことも付け加えておこう。また『テクニーク・エ・アルシテクチュール』誌の編集者であるジャン=フランソワ・プスもコールハース案を支持するものの、機能ごとに動線と入り口を割り当てることに「安全」と「管理」あるいは「監視」の問題から異議を唱えている。また同様に野心作であったジャン・ヌーヴェルの案は、その完成度をシャランもプスも最大限評価するものの、そのあまりに濃密で完成されすぎた計画が発展の余地をもはや残していないという理由から、遠ざけられることになる。
実際、計画レヴェルで多くの発展の余地をあらかじめ計画的に担保していたのはコールハースの案であり、マンジャンの案はむしろ余白ばかりであったと言うべきだろうか。60年代後半にジャン・ヌーヴェルがその事務所に勤務していた建築家クロード・パランの評価基準はきわめて明快である。いかにもフランス的、ル・ノートル的なヴェルサイユ風の緑の芝の庭園を、いまさらパリのど真ん中に広げて見せるなどナンセンスである。今回のコンペで求められているのは、極めてローカルでナショナルでインターナショナルな場の創出であって、いかにも市民に魅力的な芝生の公園ではないのだ、と喝破しMVRDVとマンジャンの案を一蹴、弟子であったヌーヴェルの案もその建物自体の完成度の高さを評価しつつもコールハースを圧倒的に支持する。コールハースの案だけが他と異なり、林立するカラフルなビル群の森の中を市民は自由に遊歩し新しい体験を手にすることになるのだ、と。
最終的に最も創造的なコールハース案と最もミニマルなマンジャン案のあいだでの選択となった結果、「最もトラウマにならないであろう」マンジャンの案が選ばれた。100年にわたってパリの台所を支えていたバルタールの旧中央市場を取り壊したことによって、「バルタールの亡霊」というトラウマを負っていたパリが、フォーラム・デ・アールという「失敗作」に忸怩たる思いを抱え僅か30年で改めて都市風景の破壊に手を染めざるをえないとすれば、この中庸な判断もいたしかたないというべきだろうか。

レ・アール再開発コンペ2006-2007
しかしこのマンジャンの計画案には、直後からさまざまなレヴェルで異論が挟まれていた。行政手続き上の瑕疵を指摘するものもあれば、その裏には閉塞的な建築界の駆け引きめいた噂も立つ。より直截には都市計画がむしろ本業であるマンジャンの案が、庭園も含めた周辺環境との関係性において説得力を持っているのに対し、建物の計画自体がきちんと詰められていなかったことにある。それを受けてマンジャンが提案した敷地全体の整備計画を下敷きとした再コンペが2006年に行なわれることになる。そしてパトリック・ベルジェの案が選ばれたのが2007年夏のことである。
この再コンペの最終選考には10チームが参加した。そのうち伊東豊雄/エクストラ・ムロス・アーキテクチャー、マッシミリアノ・フクサス、マンシッラ+トュノン/グラヴィエ・マルタン・カマ、の3名を除く7名はフランスからの参加である(パトリック・ベルジェ/ジャック・アンジウッティ、ポール・シュメトフ、ピエール・デュ・ベセ/ドミニク・リヨン、ジャック・フェリエ、ペリフェリック/レミ・マルシアーノ、ファンタスティック/ARM/K-アーキテクチャーズ、マルク・ミムラン/フランソワ・ルクレール)。審査員の構成はベルトラン・デラノエ(パリ市長)以下、建築家としてはマンジャンを筆頭に、ジャック・ヘルツォークや、ランスのルーヴル美術館新館コンペで戦った妹島和世とルディ・リチオッティも名を連ねている。競技に参加した10名の建築家は20万ユーロを手にし、A0のパネル10枚と模型、ヴィデオを求められた。
10の計画案のうち、敷地東部分全体に大屋根を架けて一体の建物を建設するというマンジャンの基本コンセプトを8のプロジェクトが踏襲しているが、マンシッラ+テュノン/カマラとペリフェリックは異なる案を出している。前者では、敷地にシリンダー状の建物を分散して配置。平面図で見れば、この円形建物群と西側の旧小麦市場が呼応しているようにも見える[図12]。ペリフェリックの案は、東敷地上の建物を北に寄せて南側を新しい広場として開放した案で、コンセプトとしてはポンピドゥー・センターに似ている[図13]。建物自体の平面計画はオーソドックスなものであるが、このヴォリュームをペリフェリックはいかにも彼ららしいメタルの外皮で包み込んでいる。その他の案は、東側の敷地全体に建物を展開しつつ、そこにどのように中庭・開口を設けるかというアプローチを取っている。伊東豊雄案では、三味線の撥が地面に突き立ったような構造体がランダムに配置されて、建築自体はかならずしも全体性をもたず、たまたま切り取られた一部のように計画されており、《せんだいメディアテーク》《TOD'S表参道》からの彼の方向性がはっきりと現われた案である[図14]

Vitrahaus
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12[左上]──マンシッラ+テュノン+カマラ案
13[右上]──ペリフェリック案
14[左下]──伊東豊雄案
引用出典=http://www.accomplir.asso.fr/
association/photos/photos_10maq/index.php


当選したパトリック・ベルジェは、パリの《ヴィアデュク・デザール》や《アンドレ・シトロエン公園》、レンヌの《ブルターニュ建築学校》で知られる建築家である。彼の案は、マンジャンの大屋根案を踏襲しつつ、そのフラットな形態を有機的な曲線で置き換えて、緑化された人工の丘として構想されている。有機的な曲線を纏ってはいるものの、鳥が二つの翼を広げるように、庭園へ向かって包み込むように広がり連なっていく構成は、上に引いたパランが批判したル・ノートル的なフランス式庭園となんら変わるところがない。
現在レ・アールの正面入口は、庭園とは反対側、人混みで賑わう手狭な東側のレスコー街にあるのだが、ベルジェの案ではレ・アールの訪問者は地上に出ると、まずこの両翼に抱かれた建物中央部分へと導かれることになる。正面には正円の旧小麦市場を望むパースペクティヴを目の当たりにすることになる。
応募案のなかで彼らの案が際立つのは、そのモノリシックでオーガニックな一体性である。その他の案は、この建物の複雑性をそのままに表現しようとしているのだが、ベルジェの案は、その複雑さを柔らかい幕で包む込み、この建物に明確なひとつのイメージを纏わせることに成功している。現行のヴィエルヴァルのガラスのファサードが「傘」と名付けられたように、三枚のガラスの「葉っぱ」で覆われた120×140mのこの建物は、さっそく「カノペ」(森の木々の梢)とあだ名され、高さ11mの黄金色の森は、「まるで大地から生まれ出たような形態」をもち、それ自体庭たらんとする。まだマンジャンの案が選ばれた時のような批判の声は挙がってこないが、はたしてパリは「バルタールの亡霊」を振り払うことができるだろうか。総工費は約1.2億ユーロ(約200億円)、竣工は2012年が予定されている。

Vitrahaus
15──パトリック・ベルジェ案
引用出典=『フォーラム・デ・アール再開発国際コンペ』展覧会プレス・シート

[参考書籍]
www.pavillon-arsenal.com
TA, de´c, 1977, pp. 57-59.
AMC, 1985, pp. 78-91.
Archiscopie, n? 70, octbre 2007.
Archistorm, n? 27, oct-nov., 2007, pp. 28-29.
Le Monde, 04 juillet 2007.
Moniteur des travaux publics, 6 juillet 2007, p. 10, 20 juillet 2007, pp. 7-11.
Le Parisien, 03 juillet 2007, 12 juillet 2007.
L'Humanite´, 15 de´cembre 2004.
AMC, n? 172, septembre 2007, pp. 30-50.
Francoise Fromonot, "Promotion canope´e", in. D'Architecture, n? 166, aou^t-septembre, 2007, pp 34-43.
Paris - Les Halles, Moniteur, 2004.
Andre´ Fermigier, La bataille de Paris, des Halles a` la Pyramide: chroniques d'urbanisme, Gallimard, coll. le de´bat, 1991.
Marie- Douce Albert "Dix points de vue sur l'avenir des Halles", Le Figaro, 09 aou^t 2007.
Francois Loyer, " Les transformations successives du Quartier des Halles" Paris-Projet, n?1, p. 4.

[とだ じょう・建築史]
1976年大阪府生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。日本学術振興会特別研究員、
パリ第一大学客員研究員を経て、現在、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程に在籍。
専攻は日仏近現代建築史・庭園史。
共訳=エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』(鹿島出版会、2006)。


200712


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