建築と写真のあいだに──青森県立美術館をめぐって

青木淳×鈴木理策

青木──青森県立美術館についての本(写真1)ができました。今日はこの美術館を撮影していただいた写真家の鈴木理策さんとこの本のこと、写真と建築のこと、この美術館のことをお話ししようと思います。

会場風景
写真1:『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |2| AOMORI MUSEUM OF ART』(INAX出版、2006)

『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |1| 1991-2004』
前回の作品集『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |1|』には、1991年から2004年までの仕事を収録しました。章だては、「住宅」「ルイ・ヴィトン」「それ以外の仕事」の3つの章です。そうしたら、3つの章がだいたい同じ分量になりました。章ごとでだいぶ雰囲気が違いますし、作品毎でも性格が違います。それで、個々の建物と写真家のカップリングということを考え、いろいろな方の写真で構成しました。
例えば、渡辺常二郎さんという写真家には《遊水館》などの写真を撮ってもらっています。渡辺さんは建築専門の写真家ではなく、35ミリのカメラで撮影する方ですが、建物によっては彼ならではの見方があってとても面白い。また、《ルイ・ヴィトン表参道》は、米田知子さんにお願いしました。米田さんは美術作家としての写真家です。ルイ・ヴィトンは、商業的なものだから演出的なものとして見られがちです。勿論そういう面もありますが、僕としてはそこにあるモノ、として作っています。米田さんなら、そういう面を引き出していただけるのではないか、と思ってお願いしたのですが、確かに、米田さんは誰も撮らない後ろからの写真を撮ってくれました。他にも、杉浦邦恵さん、久家靖秀さん、ホンマタカシさんなど様々な方に撮ってもらう試みをしました。これはとても楽しい体験でした。自分が作ったものを写真家がどういうふうに撮ってくれるのか。自分とは違う視点で見てもらえることが面白かったのです。
そして、ちょうど一年くらいに前にこの青森県立美術館の本を『コンプリートワークス』の第二弾として作ることが決まった時、まず考えたのは、この青森県立美術館は誰に撮ってもらうのがいいか、ということでした。もっともまずは、この建物がどういうものか、知らない方も多いと思うので、ちょっと説明しておきます。

青森県立美術館のこと
この美術館の設計は、2000年のコンペに優勝して始まり、6年半くらいをかけた仕事です。三内丸山縄文遺跡の隣にできました。この縄文の遺跡は青森にとって重要な遺跡ですので、この遺跡と関連のある建築をつくる、という使命がありました。
青森という場所は、もともとは津軽藩と南部藩という二つの藩があわさってできた県で、文化的に違うものが混ざっている。自然をみても白神山地のブナ林は、包容力があって、優しい感じですが、下北半島は荒々しくて、強い。青森というのは、野性的な激しさと優しさが混じっている場所なのです。
そういう青森という場所と三内丸山の発掘の風景が僕にはぴったりきました。発掘の手法のなかにトレンチという方法があります。(写真2)土を切りとり、その断面の地層をみていく荒っぽい発掘方法らしいのですが。このトレンチの様子が面白くて、なんとかこれを展開して美術館にできないかというのが最初の構想でした。

三内丸山遺跡、発掘現場トレンチ
写真2:三内丸山遺跡、発掘現場トレンチ
提供=青木淳建築計画事務所

これが最初に書いたスケッチです。(写真3)まず、地面をトレンチ状にかきとっていく。そうすると地面がでこぼこします。その上に建物をのせる。この建物の屋根は平で、下がでこぼこしている。こうすると下のでこぼこと上のでこぼこがかみ合うような状態になるわけです。その間に思わぬ隙間があく。この方法で、自動的に二つの空間ができます。一つは建物のなかの空間、もう一つは土と建物に挟まれた隙間の空間。建物のなかの空間は、直方体のホワイト・キューブが作れます。また、隙間の空間は普通の美術館ではないことだけれど、床も壁も土の展示室ができる。またここは隙間だから、色々なサイズやプロポーションの空間ができる。

初期スケッチ
写真3:提供=青木淳建築計画事務所

このような二つの空間を持つことは、この美術館にとっていいことだと思ったのです。仮に、海外の作家がいて個展をやらないかと東京と青森から同時に依頼されたとすると、東京の綺麗なホワイト・キューブがある美術館と青森の綺麗なホワイト・キューブがある美術館では、どうしても東京の方を選んでしまう。東京の方が観客数が圧倒的に多いわけですから。ですから青森でやってもらえる可能性があるとすれば、それは青森でないとできない空間がなければいけない。そしてそれは、青森のこの場所だから成立した空間でないと困る。そのようなことから、こういった美術館のつくり方を提案しました。
これは断面図のアイデアですから、次に平面図にするとどういうことになるのかを考えました。そこで、この空間の体験がどういうものになるかと考え、まず隙間の空間にいるとすると、次はホワイト・キューブに入り、また隙間の空間に入り、次はまたホワイト・キューブ、と順繰りに二つの空間が交互にでてくる体験になることを想像しました。そういう、前後左右どちらにいっても交代が起きる平面とは、市松模様です。(写真4)こうなると、先ほど隙間と言いましたが、必ずしもそうではなくなってくる。先ほどの断面図では隙間はホワイト・キューブの間の二次的な空間ということになりますが、市松模様の場合には、どちらが主役かがわからない。隙間にホワイト・キューブがはまっているという言い方もでき、主客が特定できない空間になってくる。

平面図ダイアグラム
写真4:提供=青木淳建築計画事務所

この美術館が昨年できあがり、オープンまでの準備期間に入った時、この建物を誰に撮影してもらおうか、と考えました。
この建物は地下迷宮のようなものです。
真中にアレコの部屋というのがあります。幅20メートル、奥行き20メートル、高さ19メートルの非常に大きな空間です。この美術館はシャガールの大きな舞台背景画3枚を所蔵しています。14メートル×9メートルの非常に大きなもので、それをかけるための部屋です。また同時にここは、この建物のなかの屋内広場だと思っていただいていい。周囲に色々な空間があり、そちらに入り込むと迷うのだけれど、時々、屋内広場が見えるので、迷っても、あれが見えたら、だいたいの自分の位置がわかる。ヴェネツィアのサンマルコ広場とその周りの迷路のような空間のような、迷うほうが楽しいという酩酊の世界です。青森は雪が多く、冬は町に人が歩いていない場所ですから、どこか屋内的な街があったらいいのではないかと考え、一種の街として作りました。

『KUMANO』、『サント=ヴィクトワール山』
青木──そんな美術館ですから、一枚写真をとって、はい、これがこの美術館です、という訳にはいかない。実際行って経験しないとわからない空間を撮ってもらうにはどうしたら良いだろうか。この時、鈴木理策さんの写真集『KUMANO』(写真5)を思い出したのですね。この『KUMANO』の最初のシーンは確か皇居から始まるんでしたよね。

鈴木──皇居の一般参賀からなんです。正確にはその一つ手前に、マッチを擦った写真が入っています。

青木──ああそうでしたか。マッチを擦る写真があったのですね。ともかく、この写真集は東京からはじまって、南紀白浜の飛行場について、熊野にいく。すると日常生活の写真がある。そして、そのうちにお祭りになって、火が焚かれて、あ、そうか、だから最初にマッチを擦る写真があるのですね、というロードムービーみたいな写真集です。一枚の写真で見るのではなくて、頁を捲っていって、熊野というのは何か、またその空気が感じられるつくりになっている。同じように『サント=ヴィクトワール山』という写真集でもカメラがずんずんずんと山のなかに進んでいくような写真で、空気の切りとり方が面白い。
そのような鈴木さんのお仕事を考えて、この美術館の空間は鈴木さんに撮ってもらえるといいなと思いました。ですので、とにかく一度、青森に行っていただいて、みてから考えてくださいとお願いしました。

『KUMANO』
写真5:『KUMANO』(光琳社出版、1998)

シーンとして現われる建築
鈴木──私は建築写真家になろうと思ったことは一度もないのですが、建物を撮る機会が何故か多いのです。でも『KUMANO』をみて仕事を依頼してきた珍しい方は青木さんが初めてで、嬉しかったです。
建築写真というものは、1枚のなかに要素をできる限り入れ込んで、情報としての機能を果たす写真、という印象が僕にはあります。建築よりも写真の方が長生きをするから、建築がなくなった後も写真だけが残り、建築家のために写真が生き続けることに抵抗がある。そもそも写真では全部は伝わらないので、実際の建物と、残っていく写真の間には誤差がある。その誤差を利用して、建築家のために撮ることに僕は抵抗があるのです。
今回の仕事は、余裕のある依頼でしたので、どういうふうに建物が見えるか、一度撮ってみようということになりました。実際行ってみると、本当に分かりにくい。方向音痴ではないつもりだけれど、何階にいるのかわからなくなるし、方角も分からなくなる。初めはそういう繰り返しでした。それは、まさに青木さんの目論見通りの状態ですね。
1階からエレベータで降りていくとエレベータに乗るところ、降りたところに階数の表示がない。そしてエレベータが降りていくのにあわせて照明がゆっくり暗くなっていく。はじめからどこへ連れていかれるか分からない。降りていくと広場のような大きいアレコのスペースがあるけれども、それに繋がる道もそれぞれ展示スペースとしてくっついてきている。それをどうやって撮っていこうか、動線を決めてしまわないと話が進まないので、だいたいのことを決めて、歩きながら写真を撮っていきました。
青木さんからは事前に好きに撮っていいけど、これも撮ってもらったら嬉しいというメモ書きをもらっていました。ある程度気にしていたのですが、実際その場に立つとそれらは自然に目に入ってきました。まるで「撮ってくれ」と言っているように。その場で距離を測ったり、空気を感じたり、音がしないことを聴いたり、そういう経験のなかで、場面として登場してきた。それが面白くて気が付くと1000枚くらい写真を撮っていて、大変なことになってしまいました。

複数の写真で構成していくことの可能性
鈴木──『KUMANO』にしろ『サント=ヴィクトワール山』にしろ、自分は大まかな時間軸と移動する場所を決めて、それを何回か繰り返すことで軸になるものを作ります。そして繰り返しの撮影で手に入った写真を入れたり、差しかえていく。ベタ焼きをカードのようにして、順番を決めて構成していきます。
本という形態は自分の作業にとても向いていると思っています。本は頁をめくると今見た頁は消えてしまう。記憶にしか残らない。その繰り返しが自分の写真を見せていくのに良い方法だと思っています。
一枚の写真で全部を言い当てようとすることや、そのために何枚もの写真を捨てていくことを放棄し、複数の写真で見せることで手に入る可能性がある。そこに青木さんが興味を持ってくれたのだと思います。
この建物も、形や空間をみせるより、その場を歩いていって、経験として手に入るものが変化していくことを見せていることが良く分かりました。それは凄く面白かったです。見れば見るほど良く出来ているというか、知れば知るほど手ごわい、青木さんの手の上で踊らされているのでは、と思うことがありました。
今回の写真ではそんなにややこしいことはしていません。引いて見てから、次は自分の目の動きによってフォーカスを変えたりする、また、全体で把握したものに、次はディテールに寄っていって、その次は質感を手に入れようとする、というような。そもそも見ることはすごく曖昧なことだと思います。必要なものだけ手に入れて、それを頭のなかで構成して記憶している。写真には、実際は止まっては見えないものを止めて見せる、という、写真になることの驚き、強さがあります。僕はそれを利用して、自分の目の動き、その場での気持ちみたいなことを数を見せていくことで、伝えられればいいな、と考えています。

青木──本のうちのかなりの頁が鈴木さんの写真です。鈴木さんにとって、これは鈴木さんの作品集と言ってもいいくらいになりましたか。

鈴木──はい。そう思います。今回の写真は静かで強いものに組み上がった、と思っています。

映画的な建築
青木──題材が青森県立美術館ということになっていますけれど、この本が鈴木さんの作品になったら、それば嬉しいです。
写真構成のなかで、最後は雪が桜になっていく。これは弘前の桜なんですが、じんとくるものがあります。写真の順番で見えてくるものというのは、僕は映画に近いものがあると思う。どちらも記憶のなかに残っているものと今見えてくるものがかみ合いながら進んできますね。僕は、映画的な建築というものに興味があるんです。映画のように伏線がでてきて関係性で見せていく建築です。例えば、この建物で言うと、外から見るとアーチの窓があるけれど、初めはなんでこんなものがあるのか、と思う。歩いているとそのうちにアーチだけでできている部屋がでてくる。『KUMANO』で最初にマッチがでてきて、その後に祭りの火がでてくるように。お祭りの火がでてくると、見た人は、なるほど、そうであったか、と思う。最初にマッチがあった理由がここにあった、と。でもよく考えてみれば、前に見たのがまた出てきたということに過ぎない。過ぎないのになぜか納得する。それが伏線ですね。シーンとシーンが記憶を介して繋がる、あるいは戻る。あるいは、繋がらない場合もあったり。
デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」という映画があります。前半と後半で分かれていて、殆ど同じ配役なんだけど、役回りが違う。それを見ていると、どう解釈すればいいのか悩んでしまう場合があると思います。前半が後半の夢だったのか、とか。でもそういうことではないのだろうと思います。例えば途中でスーパーマーケットかなにかで変な男が出てきて、きっとこの男が後で重要な役割を果たすのだろうと思うのだけれど、その後、もう出てこない。そんなー、という感じです。伏線があると思わせておいて、裏切る。これも伏線の使い方ですね。伏線という技法を駆使していくと、見えているもののなかで繋がりを失わせたり、作ったりすることで一つの世界ができてしまうところが面白い。
今回の写真のなかでも、全く違う場所がかたちが似ていることで並んでいたり、と写真のつながり方が面白いです。

鈴木──印象みたいなことで言うと、今回の写真はあの建物のことをよく伝えられているかな、と思っています。

青木──特異な成功なんじゃないでしょうか。(笑)

鈴木──ここで二人で誉めあっちゃって良いのでしょうか。(笑)

撮影の方法----監督と撮影監督
青木──撮影は何度行かれたのでしたか。

鈴木──5回行きました。

青木──1回に4日くらいずつ行っていらしたので、20日くらいになりますね。僕は撮影に立ち会わなかったので、鈴木さんがどういうふうに撮られていたのか興味があるんです。カメラを持って動きながら撮るんですか、それともまずカメラを持たずに歩いてみるのですか。

鈴木──カメラを持って動きます。『KUMANO』は6×7という手持ちのカメラで撮っています。出会い頭に見つけて撮っていく。今はその『KUMANO』の続きを8×10という三脚をたてるカメラで撮っています。青森県立美術館は4×5というカメラでやはり三脚を据えて撮りました。
使うカメラによってカメラが撮りたがる写真というのがあります。小さいのはラフにとれますし、大きいのは三脚を据えて、ピントをあわせて撮りますから、プリントのクオリティもあがります。しかし三脚を据えて撮るとどうしても動かないものを撮るとか対象が決まってくる傾向があります。
僕の場合、歩きながらみつけて撮ることを続けているので、まず歩きながら撮るものをみつけ、その後は出来うる限りそれを見ないようにして素早くカメラをセッティングして撮ります。準備している間にちらちら見ちゃうとダメ。最初に見た強さを手に入れたいし、持続させたいので、ばっと準備して、シャッターを切る時にまたじっと見ます。カメラを操作するというより、カメラは相棒で僕はその肩をたたいて撮ってもらうという方法です。そうすることで、大きいカメラで撮っているにもかかわらず、ハンディな感じが残っていると思います。

青木──カメラは自分ではなくて、仲間なのですね。

鈴木──人によっては写真は自分が見たものだと言うけれど、僕はそう思いません。僕はそこに居たけれど、そうは見えていない。実際は写真のように止まってはみえないわけです。持続する時間のなかで見ているのですから。それが写真になると止まってしまうことに驚きがある。だからカメラは任せて、監督と撮影監督というようなチームワークで撮っています。ちょっと変わってますが。

青木──外の写真をみると、凄く引いたところから近寄っていくでしょう。あれは、何回も往復しているの?

鈴木──往復しないです。戻らないです。

青木──前にしかいかないんですね。
そうじゃないと雪の上だとかんじきの跡もついちゃいますね。

青木淳氏 鈴木理策氏
青木淳氏(左)、鈴木理策氏(右)


意味がない空間/意味がゆらぐ空間
鈴木──今、僕は雪を撮っています。遠い風景のなかで雪は白いものとして映りますが、どんどん近づいていくと、その白さが結晶のあつまりだってことがわかる。青森の美術館も同じで、白い塊に近づくとレンガを積んでいると見えてくる。もっと近づくと実際にはレンガを積んでいなくて、壁なわけですよね。次々と見えてくるものを手にいれていく感じです。青木さんが、敢えてそういうふうにものの見え方の違いを暴露していくのは、何故なんですか? そういう手法はしかけと言っていいのですか。

青木──建物って、言ってしまえば、全部しかけです。しかし普通は種もしかけもない、と思えるように種を隠します。でも僕は種が分かっていても、それだからこそ成立するトリックもあると思う。僕はAとBの見方が両方できる、ということには興味はなくて、そこにいることで感じられる、しかしそれが固定されないということを大事にしています。距離が離れたり、近づいたり、気にしたり、気にしなかったりということで、違うことが感じられていく。
この建物は遠くからみると白い塊に見えるけれど、だんだん近づくとレンガを積んでいる。人が積んでいくわけだから起伏がある。
もう少し近づくと、レンガ一個一個が見えてくる。そうこうすると、レンガの壁で浮いているところがある。ちょっと不思議で変な感じになる。次は軒天にレンガがでてきて、これはレンガではない、嘘だろうと思う。
窓の辺をみると薄っぺらいし。これはレンガではなく、パターンじゃないか、ということになる。こんなふうに居る場所によって何がなんだかわからないようになる。暴露しているというよりも、そのまま見ているだけなんだけど。見え方が行き来するようになっている。
僕が実際やりたいことは、そこにただモノがあるってことなのです。
例えばホワイト・キューブというのは、ニュートラルで意味がなくて、ただそこにある空間だって思われるけど、それは違うと思います。あんなに白くて光が均一な空間は普通はありません。凄く意味がある部屋です。意味がないように見える空間はあるけど、本当に意味のない空間はない。僕は、どうやったら意味のない空間が作れるかを考えました。美術館は作家が何かをする場所なので、作家とすれば、あらかじめ「こう見てくれ」という意味がない方が良いだろう、と思ったので。しかし意味のない空間は作れないから、次にできることは意味がゆらいでいることだと思いました。こう見えるけど、実は違った、というように行き来しているうちに訳がわからなくなって、意味を掴むのはやめよう、というところまで行ければ、それは一種の意味の空白状態なのではないか。それが、この美術館を作っているときの中心的なものの決め方です。

鈴木──僕も、自分の郷里を写真に撮る時にいわゆる「熊野」という人が持つイメージに集約されてしまう、了解されてしまうための手助けの写真にはしたくなくて、ただ僕がそこに居たことを繰り返していくことで作品が成立しないかなと思っていました。
その時自分が求めたということを連続し続けることでなんとか作品にしようと。そうしたら古くならないだろうと思いました。時代にあわせていくとどうしても古くなるでしょう。頁を捲ってスタートから終りまで繰り返していくことで毎回同じ経験として手に入るようにしたかった。

青木──古びない、ということで言うと、僕は訪れる人が、この建物は新築なのかなって不思議に思ってくれると嬉しいですね。無時間性というか。昔から建っていたようだ、と思えたりしたらいいですよね。

建築と表現
鈴木──以前ある建築家に建築の寿命はどれくらいですか、と聞いたことがあります。その時に30年くらいと聞いて驚きました。僕は素人だからもっと長いと思っていたので。でも30年と設定することで、選べる素材や作り方が大幅に増える。可能性が広がります。そうすると建築っていうのは殆ど表現なのかな、と思いました。
青森の美術館も読みといていく面白さがある。その場にいて手に入ってくることが凄く面白くて、それは既成の素材を使って作るコンセプチュアルアートと変わらない。建築家の役割、仕事の範囲をどうお考えなのでしょうか。

青木──表現かモノか、という質問だと思いますけれど、それは難しい問題ですね。というのも、建築は単なる表現でもなく、また単なるモノでもない。表現というのは、その現れを通してその背後の何かと読み取らせる、ということですね。しかし、その背後とは単純な意味で建築家の意図、ではないのです。たとえば、建築は基本的に依頼されて作るものです。人のものを作っている。それから敷地という条件がある。また内側は設計できないこともあります。ルイ・ヴィトンのように外装しかできないこともある。建築はやれることが限られています。建築家は、状況や求められていることに答えていくことが普通で、自分の中から出てきたものは消したいというところがあるんじゃないかと思います。
また、美術館というものは不思議なものです。今回は鈴木さんには空の美術館を撮ってもらいましたが、普通美術館は展示物がない状態で見ることはない。この美術館は7月13日にオープンしたんですが、展示後の風景は今回の鈴木さんの写真とは別の風景になりました。展示されるべき空間だから、壁がたったり、色を塗られたりは当然のことです。建築家は、実際には誰も見ないはずの、素顔をつくっているだけで、普通の人の目に触れるのはそれに化粧をされた状態だけなのです。展示と化粧という比喩で言うのはどうかと思いますけれど。目に触れることがないものをつくっているのですから、さて表現と言えるかどうか。
建物において、もののあり方は実は無限の可能性があります。そのなかからひとつを選ぶということが「表現」ということかもしれません。例えばタイルでも目地に色をつけるかどうか。色をつけても値段も性能もほとんど変わらないですから。だから無限のあり方があるはずだけど、でも何故か一般的には決まっていることが多い。こういうディテールはいい、こういうディテールは悪いというのがあらかじめ決まっている。そういう常識からすると青森は悪いディテールだらけなんです。一番悪いのをお見せすると、この表紙。(写真6)土とレンガが接している面。これは普通はやってはいけないことなんです。この間は必ず割れてくる。今は綺麗だけど、そのうちぼそぼそになってくる。だから普通は間に金属とか木とか、何かを入れます。

鈴木──でも入ってますよね、ステンレスの薄いものが。それが面白くてこの写真を撮りました。

青木──入っているけど、それは隠すためではない。むしろ割れていくのが見えるために入れている。これは変なディテールなんです。でも芸は細かい。その芸の細かさっていうのは、レンガと土壁という二つのものが衝突しているように見えるためですね。それをそのままやると、逆にそう見えないので、このディテールが必要なのです。でも建築ではディテールをそういうふうに考える習慣がない。こういう時はこういうふうにやるもんだって決まっている。

鈴木──あの土は実際の土ではなく、作っているんですか?

青木──簡単に言うと土、砂、セメントが入っています。ただ本当の土がそこにあるっていうのではない。最初は本当の土で地層がでてくるがいいなって思ったけど、それはやっぱりフェイクでしょ。途中でそれは嫌だと思って。テーマが進化していき、土で作られた見たことない素材になっていきました。

会場風景
写真6:撮影=鈴木理策

建築と写真
青木──最後に写真と建築について少しお話します。
建築写真というのは、建物がどういう構成か、どんなかたちか、どういう光があたるか、そういうことが美しく、良く分かる写真です。そして、格好いい建築写真が取れることを目標につくる建築のことをあまりいい意味じゃなく「フォトジェニックな建築」といいます。それは、パースなんですね。ある一点から見て映りよく見えるものを作るわけなんです。このパースという建物の見せ方は、僕はとても苦手です。ある一点からみたらいいというのはつまらなくて、やはり行ってみたら、いいという建築を作りたい。

鈴木──以前、「関西のモダニズム建築」(写真7)で10軒くらいを撮り、芦屋の美術館で展覧会をやりました。その時に建築写真家の人が「ロケハンの写真で展覧会できて良かったね」と学芸員に捨て台詞を吐いて帰ったらしい。その反応を聞いて、僕はうまくいったと思いました。ロケハンして、一点決めて建築がどういうかたちで成り立っているのかと説明できるのが良い写真ということになっているけれど、そうしてしまうと皆同じ写真を目指してるのではないか、と思うのです。

青木──とは言っても、写真家によってトリミングが違ったり、違いはでるのですけれどね。
でも決めの写真が取れるように建築を作るのではなくなって、もうちょっとふわふわした空気や居心地の方に関心が向いている人がだんだん増えてきているような気がします。しかし残念ながら、それを体験できるような写真はなかなかない。理策さんにも青森の美術館を3枚、5枚撮ってもらって誌面をつくりたいとお願いしたら、やっぱり難しいでしょう。今回は僕にとっては恵まれたケースで、119枚という写真を載せることができたけれど、建築はほとんどの場合数枚の写真で紹介されます。数枚でも空気感を伝えられ写真があるといいな、と思うのですけれどね。

『関西のモダニズム建築20選』
写真7:『関西のモダニズム建築20選』(淡交社、2001)

[2006年7月23日、青山ブックセンター本店]

[青木淳 あおき・じゅん]
1956年、神奈川県横浜生まれ。建築家。東京大学大学院修士課程(建築学)を修了後、磯崎新アトリエに勤務。1991年に青木淳建築計画事務所を設立。これまでの作品は住宅、公共建築、一連のルイ・ヴィトンの店舗に代表される商業施設など多岐に渡る。《馬見原橋》(1995) は、その後のプロジェクトにつながるテーマを引き出し、日本建築学会作品賞を受賞した《潟博物館》(1997)、《青森県立美術館》(2006)へと続く。著書に『建築文化』(彰国社、1999年11月号、特集=青木淳)、『Atmospherics』(TOTO出版、2000) 。『青木淳 Jun Aoki Complete Works 1』(INAX出版、2004)、『原っぱと遊園地』(王国社、2004)がある。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。URL=http://www.aokijun.com/

[鈴木理策 すずき・りさく]
1963年、和歌山県新宮市生まれ。写真家。87年、東京綜合写真専門学校研究科卒業。85年よりグループ展参加するなど活動を開始し、90年初個展。98年、東京から故郷・熊野のお燈祭りへの時間をまとめた写真集『KUMANO』を出版。熊野の花窟神社の祭礼と青森・恐山を撮影した写真集『PILES OF TIME』により第25回木村伊兵衛写真賞受賞。以後、画家セザンヌが描いたことで知られるサント=ヴィクトワール山、吉野桜、熊野などを主題に、写真と不可視性の関係を探求する作品を発表し続け、06年第22回東川賞受賞。東京芸術大学美術学部・先端芸術表現科助教授。

[2006年7月23日、青山ブックセンター

200608


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