美術館の現場から[3]
Dialogue:美術館建築研究[8]


 蔵屋美香
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 青木淳


左:青木淳氏、右:蔵屋美香氏
左:青木淳氏、右:蔵屋美香氏
青木──2004年、蔵屋さんはロンドンに研修に行かれました。その間、蔵屋さんは、メールで知人や同僚に向け何本もの「通信」を発信されていて、僕もそれをとても興味深く読ませていただきました。日本とイギリスの美術環境がどう違っているか、ということを知ることは、いまの、というよりも、これからの日本の美術環境を考えていくうえでとても面白かった。そこで今日は、蔵屋さんがロンドンで間近にご覧になったことを中心にお聞きしたいと思っています。蔵屋さんの研修先はホワイトチャペル・アート・ギャラリーとエンゲージでしたね。それはご自身の選択だと思いますけれど……。
蔵屋──そうです。2004年の9月1日からいま年2005年の3月5日まで、文部科学省在外研修員としてロンドンに滞在して、ホワイトチャペル・アート・ギャラリーと、美術館の教育普及活動を推進する団体であるエンゲージ(engage)で研修を行ないました。エンゲージは滞在後半、現地でコネを作ってからの移籍でしたが、ホワイトチャペルへは、日本からメールを送りまくって、もう無理やり入れてもらった感じですね。


●小さな組織のプロフェッショナル集団 青木──どうしてホワイトチャペルへ?
蔵屋──ひとつには、あとでまたお話しますが、ホワイトチャペルのある地域が、ロンドンでもっとも貧しいという特殊性を持っていて、そのため100年以上前から地域住民に対する教育普及プログラムを先進的に行なってきたということ。それから、自分の勤めている東京国立近代美術館に比べて非常に小さい組織なので、無駄を省いた最小のシステムで動いているのではないかと興味があったということ、この2つですね。
ホワイトチャペル・アート・ギャラリー
ホワイトチャペル・アート・ギャラリー外観
C. ハリソン・タウンゼント、1901
撮影=森千花
青木──100年以上前から、ですか?
蔵屋──設立が1901年で、そのときからすでに教育普及活動が主目的で設立されていたんです。
青木──教育が目的で100年前から。そんな歴史があることを知りませんでした。蔵屋さんはどういう立場でホワイトチャペルで働かれたのですか。
蔵屋──これは説明が難しいのですが、一応ビジティング・キュレーターと呼ばれる位置づけでした。名前はかっこいいですが、ホワイトチャペルみたいな小さなところは細かな業務が山のようにあって、いつでも人手が足りないんです。誰もがなにか雑用をやってないといけない状況で、私もプログラムを手伝ったり展示を手伝ったりはもちろんしましたけれど、郵便を大量に送るとか、サンドイッチを買い出しに行くとか、そういうこともやりましたよ。
青木──雑用も! でもそのおかげでホワイトチャペルという組織が良くわかった面もある?
蔵屋──そうですね、庶務系の仕事も含め大体全部見てきました。
青木──ホワイトチャペルはどのような組織なのですか?
蔵屋──もともとはある資産家の夫妻が設立したのですが、いまは財団というかたちで運営されています。ごく一部の展覧会を除き、基本的には入場無料なので、国と地域から補助金をもらっている以外は、寄付とグッズ等の売り上げで運営がまかなわれています。
青木──そうでしたね。基本的には入場無料のギャラリーでした。あれだけの内容を無料というのはどうして可能なのか、前から不思議に思っていました。公的補助金のパーセンテージが大きいのかしら。公的補助金と、寄附を含めた売り上げの割合は大体どのくらいですか?
蔵屋──正確な数字は調べられませんでしたが、4:6ぐらいと聞きました。4が公的補助、6が稼ぎです。
青木──60%は稼いでいるのですね。どうやってそれが可能なのだろう。運営組織の形態が日本とだいぶ違うのでしょうか?
蔵屋──学芸部門というのは日本とそんなに違いはないのですが、日本でいう庶務課に当たるところに、美術館運営のプロ、つまり、ミュージアムビジネスのプロが入っているところが大きな違いでした。特に宣伝広報をするところと資金集めをするところは、イメージアップをはかりつつ篤志家の寄附を引き出すという意味で生命線なので、非常に重要なポジションです。


●館長の役割
──経営者として、キュレターとして
青木──組織としては、まず館長がいて……。
蔵屋──館長は、イヴォナ・ブラズヴィックという、テート・モダン立ち上げのときにコレクションの展示計画を担当して、当時世界的に評判を呼んだ女性です。
青木──館長は全体をどのくらいマネージしているのかしら?
蔵屋──ほぼブランディングのすべてを手がけていました。展覧会企画もやり、セレブのパーティーで広告塔にもなれば、ショップにも口を出す。イギリスの館長というのは、人脈を駆使してお金を持ってくる才能と、いい作品をひっぱってくる才能と、それらを総合して館を目立たせる才能がなくちゃいけない。その全部を一手に引き受けているような感じでしたね。特にイヴォナは、個々の作品の見方、そしてそれを展示に仕立てるやり方に、独特のセンスを持っていて、人を引きつける一種のカリスマ的な魅力があります。
青木──組織運営の手腕と、キュレーターとしての実力、魅力。
蔵屋──経営手腕だけではダメで、いい作品を見抜く力を持つ人物として尊敬されているから、スタッフもついてくるし、持ち主も出品の意義を認めて虎の子の良質な作品を貸してくれ、その結果として展覧会や美術館自体のステイタスがあがる。すると寄附や助成も集まって、経営的にもうまく、という循環なわけです。館長の下には展覧会部門の4人がいて、実際に展覧会を動かします。キュレーターが2人、キュレーターを補助しつつ輸送や展示の手配までするコーディネーターが2人ですね。
青木──展覧会部門が4人とは、ずいぶん少ないですね。
蔵屋──それで年間4本やっていますから大変そうでした。ひとつ展覧会があいたら、すぐに次の展覧会の作業が追い込み、という感じです。
青木──それに展示スペースもかなり大きい。
蔵屋──小さいようで2フロアなので、結構ありますね。
青木──東京国立近代美術館の企画展示室よりも、もしかしたら広いかもしれませんね。
蔵屋──うーん、そこまであるかなあ。ただ天井高があるので容積的にはかなり広く感じます。


●教育普及の仕事
──学校、地域、多くの人を巻き込む
青木──展覧会部門以外にはどういう部門があるのですか?
蔵屋──展覧会部門とは別に、独立して教育普及部門があって、ここには3人います。
青木──教育普及も3人しかいないんですか?
蔵屋──常勤は3人しかいませんけど、ただ、非常勤とか、あとでちょっとお話しますが外注のエデュケーターとか、いろいろなかたちでつねにたくさんの人が関わっているのが特徴です。
青木──常勤の3人の人はそれぞれ役割分担が違うんですか?
蔵屋──1人は教育普及部門のヘッドで、全体の統括と、大人向け・美術ファン向けの講演会やイベントを運営しています。もう1人はスクール・プログラマーと呼ばれる学校の子どもたちの受け入れ担当、残りの1人はコミュニティー・プログラムと呼ばれる、地域の人たちに対するプログラムの担当者です。このコミュニティー・プログラムがホワイトチャペルの一番の特色と言えるのではないかな。
青木──その活動をもう少し具体的にお聞きできますか? まずヘッドの方はどのような仕事を担当されるのですか?
蔵屋──ヘッドとしての仕事は、プログラムの全体を見渡して、その内容や予算配分のバランスを取ることです。講演会やイベントについては、もちろん展覧会に関わる講演会なども行ないますが、実際には展覧会から独立した企画も多くて、詩の朗読やバンドの演奏、パフォーマンス、映画の特集上映、著名知識人を招いたレクチャーシリーズなんかを企画してましたね。また、アーティストの卵が中堅のキュレーターや批評家に対してプレゼンをし、批評を請う、というユニークなイベントも行なっていました。担当のアリシア・ミラーという女性は、もとアメリカで写真のキュレーターをしていた人で、なんだか展覧会部門と張り合うように次々と攻めの企画を打ち出していました。
青木──とても充実した内容ですね。学校関連ではどうでしょう?
蔵屋──まずはオープニングパーティー前の地域の先生向けの見学会に始まって、そこで展覧会が気に入れば、先生がプログラムの予約を入れます。受け入れは週1回、受け入れ当日は、あとで詳しく触れますが、アーティスト・エデュケーターと呼ばれる館から委託を受けた人たちが、内容から運営まですべてを取り仕切ります。大体の場合、作品を観ながらのトークと、作品からアイデアを得た工作というか、モノづくりがセットになっていました。小学校低学年から専門学校にあたる年齢の子たちまで、受け入れ対象には幅がありましたね。また、この展覧会は教科書の内容に準拠してこんなふうに授業で活用できますよ、というアイデアを提案する、ティーチャーズ・キットというものも作っていました。これは展覧会ごとに地域の40校ほどの先生あてに発送されます。ウェブサイトからダウンロードもできるようになっていました。館のプログラムに乗っからなくても、先生の創意で自由に展覧会を使ってくれ、ということですね。
青木──コミュニティ関連は?
蔵屋──こちらはおもに、地域のユース・クラブや各種NPOのようなものとのコラボレーションで行なうプログラムが多かったですね。例えば、これはわたしが行く前に終わってしまっていて実際には見られなかったのですが、イスラム教徒が非常に多い地域ゆえ、戒律上女性の行動が制限されがちである。そこでティーンエージャーの女の子たちに集まってもらって、自分たちがふだん胸に秘めている主張をTシャツにアップリケしてもらい、それを掲げてメインストリートを練り歩く、というプログラムを実施したそうです。これなんか地域の人たちにとってはかなり挑戦的ですよね。そのほか、これはわたしも参加しましたが、ホームレスの人たちと作品について丸一日かけてディスカッションしたり、ティーンエージャーで母親になった「ティーンエイジ・マム」たちに写真を学んでもらうという企画もちょうど仕込みに入っていました。

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