美術と建築のあいだをめぐって

南泰裕

美術と建築の「距離」と「平行性」
きっかけは、アートスタディーズ(http://artstudy.exblog.jp/)である。アートスタディーズというのは、美術家の彦坂尚嘉氏がディレクターとなって、2004年より東京で継続的に行なわれている、建築と美術をめぐる連続シンポジウムである。このシンポジウムでは、毎回、建築評論家や美術評論家などがパネリストとなり、それぞれの専門の研究者をゲストに迎えて、20世紀の日本における美術と建築の「名品」を横断的に取り上げ、検証する試みが行なわれている。20世紀の100年を総覧的に俯瞰するこの試みは壮大で、毎回、5年づつ時代を区切りながら、その時代の核心をなす重要な美術と建築を取り上げ、史的背景を睨みつつ、多数の識者たちが議論を重ねる、というスタイルを取っている。
2004年11月に初回を開いたこのアートスタディーズに、その後、パネリストとして継続的に参加することになり、美術と建築の対話の場に居合わせることとなった。初回に1955年前後の美術と建築を取り上げ、議論が行なわれたこのシンポジウムは、その後、時代を遡行しながら2006年6月には1930年代にまで遡る時点に至り、すでに6回の討議を終えて今なお継続中である。
建築プロパーの私にとって、近くて遠い美術、という異領野との討議に場にいるのは、非常な刺激を受けるのだが、と同時に、こうした討議を通過するたびに、言葉にし得ない微妙な感触が毎回、残るのも確かだった。
その感触とは、簡略に語れば、美術と建築を突き合わせたときに不可避的に露呈する、ある「距離」と「平行性」のようなものである。
私たちは美術と建築という二つの領域が、初めから、互いにどこかしら親近性を帯びているという漠然とした感覚を、おそらく共有している。事実、歴史をおおざっぱに想起してみても、美術と建築が大小に渡って交差し、関連しあっている事例を数多く挙げることが可能である。しかし、にもかかわらず(あるいはそれ故に)、美術と建築というふたつの領域が、どこか、解消不能な距離を保持し続けているようにも感じられるのである。けれども、ここで言う解消不能な距離というのは、決して否定的な感触としてあるのではない。むしろ、その距離の保蔵の故に、互いが微妙な緊張感を帯びて、「似て非なるものの、互いに分かり得ない近親性」の独自な関係を作り出しているように見えるのである。実際、アートスタディーズにおける討議は、美術と建築の専門家がそれぞれに発表を行ない、互いにクロスしながら議論が展開されるのだが、気が付くとその交差が立体化されて、互いに交わることなく思考が行き交っている、という事態をしばしば招く。けれども、それは議論が混乱している、ということを意味するのではない。そのねじれた立体交差の出来こそが、何か、建築と美術という構造的な関係を射影しているのだ、と感じられるのである。
だから、美術と建築の距離は、近くて遠い。あるいは、近くもなく、遠くもない。言い換えれば、その両者を隔てる空間は、どこか、数学的な距離空間に還元できない特質を帯びている。そしてそのことが、建築と美術、という複眼的な主題に、独特の色彩を与えているかに見える。

美術家と建築家による二人展
アートスタディーズの討議を重ねる過程で、2005年に、彦坂氏より展覧会を共同開催しないかとの提案を受け、この2006年6月12日より7月1日の3週間に渡って、彦坂氏と私による二人展が開かれた。東京・京橋に位置するギャラリー手という画廊で開催されたこの展覧会は、「美術と建築のあいだ:美術の中の建築/建築における美術的なもの」というタイトルで、美術家と建築家の二人展というかたちを取って行なわれた。
結果的に700人から800人ほどの来場者を迎えるに至ったこの展覧会では、彦坂氏と私が、それぞれの他者としての「美術と建築」を視野に入れながら、作品制作を行なった。

ギャラリー手会場風景
ギャラリー手会場風景

彦坂氏は、まず会場中央に、1992年に制作した未発表のミラータワーを置き、そこに80分の1の自動車や人物を配して、建築的なスケールと思考を感じさせる作品を展示した。これは彦坂氏自身の解説によれば、ミニマル・アートの最初の作品となる、ロバート・モリスの作品を脱・構築化したものであると言う。また、あらゆる芸術作品を超一流から41流に格付けし、分析していることで知られる彦坂氏は、同時に「家」を題材として、「〈1流〉の家」と「〈41竜〉の家」と命名された作品も展示した。「〈41竜〉の家」は、木で三角屋根の家の形の支持体を作り、そこに「規制されたオートマティズム」という方法でファルムを描いた作品であり、アートの格付けで言うと、〈41流〉の〈1流〉という表現を選択しているとしている。対して「〈1流〉の家」は、キャンバスに線描で三角屋根の家を脱・構築化して描いた作品であり、〈41竜〉の家の対になる表現で、〈1流〉性をとった作品として位置づけられている。これらの作品に加えて、「リノベーションの椅子」と題されたリノベーション・チェアの作品も出品された。これは、中古の〈8流〉の椅子を面取りしたり、ジグソウで切ったり等の加工をほどこして、〈5流〉=ちょっと良いという水準にあげ、そこにペインティングを施して、〈5流〉の〈1流〉の椅子に仕上げた作品としている。
こうして彦坂氏は、「巨大なミラータワー/ミニマルな家型の作品/家具」という3つのスケールを巧みに横断しながら、それぞれに異なる表現形式を選択し、美術を通した建築への接近を試みた。
対して私は、「建築における美術」という観点から、ドローイングに主要な焦点をあてることにした。ギャラリー手の会場空間を読み取ったうえで、与えられた3面の壁面が囲い込まれていることに着目し、リシツキーの「プロウン・ルーム」のように、二次元のドローイングが三次元へと横断していく概念の描出を試みた。そうした視点のもと、私は、実際に現在設計中の住居を題材として取り上げ、そのドローイングをA4版で99枚展示し、合わせて27個の模型を配置した。

筆者作成の《パランプセスト/A邸プロジェクトのための99のドローイン グと27の模型》
筆者作成の《パランプセスト/A邸プロジェクトのための99のドローイン グと27の模型》

三面鏡のように連続的に配された99枚のドローイングは、9枚が1ユニットとなっており、それが11ユニット並べられて、それぞれのユニットがひとつのスタディ案を示している。1ユニットをなす9枚は、すべて、8枚プラス1枚に分割され、計画案を示す平面図や断面図8枚と、建築の空白を示すヴォイド図面1枚による構成とした。すなわち、すべてのユニットに、ヴォイド図面が必ず、ランダムに1枚、挿入されている。これらが、左から右に行くにいしたがって濃青から淡青、白へと次第に色が希薄化していき、同時に古い計画案から新しい計画案へと遷移するプロセスを示している。これは、建築の図面がかつては青焼きであったのが、現在では白い紙でのCAD図面へと変位してきたことをも映し込んでいる。さらに、すべてのドローイングにはCADで下線が描き込まれており、その上に赤いフリーハンドのラインが重ね書きされている。これが、右から左へ進むにしたがって、紙の色の希薄化と反転して次第にあらわになっていく構成とした。ドローイングと模型は、縮尺を原則として100分の1に統一し、均質な基盤の中でランダムネスが表現されることを意図した。こうした形式の背景にあったのは、パランプセスト(重ね描き)の概念である。というのは、建築の図面は、常に重ね描きによる自己更新によって醸成されていくものであるからである。ここで重ね合わされた、色と人工的な線とフリーハンド・ラインという要素を、連続的につなぎ合わせることで、ひとつのノーテーションとして、絵巻物のように次第に変化していく姿を描き出すことが目的だった。
こうして試みられた、美術家と建築家による共同展は、振り返ってみると、アートスタディーズにおいて感触され続けてきた「距離」と「平行性」が、やはり形を変えて現出しているように感じられた。

美術と建築の「あいだ」を問うことの有効性
この展覧会に連動して、6月24日には東京のINAX銀座ショールームにて、「美術と建築のあいだ」と題されたシンポジウムが開催された。たまたま、2006年夏に新潟県十日町市で開催される、「大地の芸術祭・妻有アートトリエンナーレ」に、彦坂氏も私もアーティストとして出品していることから、この芸術祭の関連企画ともなったシンポジウムだった。約80名の聴衆を迎えて開かれたこのシンポジウムでは、建築評論家の五十嵐太郎氏と美術評論家の暮沢剛己氏、それに彦坂氏と私という4人のパネリストによる発表とディスカッションが行なわれた。

パネラー/左から彦坂尚嘉氏、五十嵐太郎氏、筆者、暮沢剛氏
パネラー
左から彦坂尚嘉氏、五十嵐太郎氏、筆者、暮沢剛巳氏

初めに、五十嵐氏が「建築における美術的なもの」というテーマで、建築と美術の似ている点と異なる点について、明快に整理を行ないながらレクチャーした。五十嵐氏はまず似ている点について、「共同/造形/現象/行動」という4つの側面から、磯崎新と荒川修作の協同による奈義町立美術館や、リベスキンドとハウザー、ドミニク・ぺローとロバート・モリスの作品の類縁性、青木淳とオプアートの関連性などの事例を取り上げた。次に、異なる点として、「展覧会という制度/美術館批判/著作権について」を取り上げ、美術と建築がすれ違う次元について解説した。
五十嵐氏に続けて発表を行なった私は、「二次元と三次元のあいだ」という問題設定のもと、ロシア・アバンギャルドの美術・建築とデコンストラクティビズムの建築家を取り上げ、1910年代から20年代にかけての、マレーヴィッチやリシツキーの作品と、ダニエル・リベスキンドおよびザハ・ハディドのドローイングを題材として、二次元的な概念が三次元としての建築に跳躍する際の思考の間隙について語った。
その後、美術のサイドとして発表を行なった彦坂氏は、1972年に行なったデビュー作品である、床にラテックスゴムを流す「フロアー・イヴェント」や「デリバリー・イヴェント」の記録写真を公開し、妻有アートトリエンナーレ2003年における、廃屋を使ったアート作品をはじめとする、自身の作品を解説した。
こうした発表ののち、暮沢氏のコメントも加わり、美術と建築の関連性をめぐる議論が、さまざまなかたちで展開された。
これらの議論は、一つひとつ、詳細に議論にするに足るものであり、終わってみればそれぞれが、まだまだ議論を展開できる余地を十分に残しているように思えた。
しかし私が、このシンポジウムで改めて感じたのは、ここでもまた、美術と建築のあいだをめぐる、特異な「距離」と「平行性」が、繰り返し現出している、ということだった。そしてさらに言えば、その先で、「美術と建築のあいだ」という主題が、ここで同時代的に機能し得ている、という感触だった。
実を言えば、私にとって美術に向き合い、考えることの意義は、ここにこそあるように思っている。問いが問いとして機能するというのは、実は、答えが与えられる(もしくは答えが存在する)よりも、はるかに重要な手応えとしてあるからである。これは、予見的に語るならば、美術と建築が、それぞれに還元不可能な指示対象として、互いを見取り合っている、ということではないか、と私は考え始めている。すなわち、直接に交差し得ない(あるいは写し取り得ない)「距離」と「平行性」を直覚しているからこそ、その「あいだ」を問うことの有効性がつねに作動するのではないか、ということである。これは本当は、単純に「アートと建築の融合」や、「美術と建築の交流」といった言葉だけでは回収し得ないような、同時代を視角に含み込んだ、高度な思考を要請する問題であると思える。だとしたら、「美術と建築のあいだ」を問うことの有効性は、今後、私たちに対して、より強く、より広がりのあるかたちで働きかけてくるのではないかと予測されるのだが、どうだろうか。

会場風景
会場風景


[みなみ やすひろ・建築家http://park16.wakwak.com/~prospector/


200607


このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る