「X-COLOR/グラフィティin Japan」展評

飯田豊+南後由和

2005年10月1日から12月4日まで水戸芸術館現代美術ギャラリー+市街地で、日本のグラフィティ文化に焦点を当てた国内初の大規模な展覧会「X-COLOR/グラフィティin Japan」が開催されている。それにともない、多くの新聞、雑誌、テレビ番組が一斉にグラフィティに関する特集を組んでいる。たとえば、『STUDIO VOICE』(2005年12月号)では「拡張するグラフィティ!」という特集が組まれている。かつての同誌の特集「グラフィティの未来系」(2002年2月号)が、グラフィティの歴史的な展開過程やグローバルな動向に照準を向けていたのに対して、今回の特集では、壁にスプレーを吹き付ける日本のライターたちの等身大の姿が活写されているのが印象的である★1。「現在の日本のグラフィティを紹介すること」という本展の趣旨にしたがい、出展者であるライターたちの意味解釈や価値観の多様性に大きな注目が集まっていること自体、前例のない画期的な出来事と言えるだろう。

《KANE》《AMES》《RACK》
1──中央・車:《KANE》
奥壁:《AMES》《RACK》

グラフィティはこれまで、現代美術や服飾デザインなどに幅広く流用される一方で、都市空間における「ヴァンダリズム(公共物破壊)」として軽犯罪法に抵触するという、一見相容れない二面性を併せ持った視覚的表現としてマスメディアに表象されてきた。しかし厳密には、都市の景観問題や地域の「落書き」対策など、都市の空間管理をめぐる文化政治学に関心が収斂しがちだったのに対して、日本のグラフィティ文化の内実は著しく見落とされてきたと言わざるをえない。日本におけるグラフィティ文化をめぐる従来の言説が、主として欧米のイデオローグ的なライターの発言に依拠しつつ、研究者やジャーナリストといった当事者以外の語りによって構成されてきたことにも留意しておきたい。

《HUZE》
2──《HUZE》

それに対して本展は、水戸芸術館という公共的制度に下支えされつつも、日本で活動するライターたちのアクチュアリティやネットワークを最大限に引き出そうとする試みである。何よりもまず、38名に及ぶ出展者の選定と交渉において中心的な役割を果たしたのが、日本における本格的なグラフィティ専門誌の草分け的存在である『KAZE MAGAZINE』である。この雑誌は現役のライターが自主製作しているインディ・マガジンであり、2000年代における日本のグラフィティを語るうえで欠かせない存在である。ピース★2を中心とする作品写真を誌面全体に整然と配することで、商業誌よりも格段に現場主義を徹底した『KAZE MAGAZINE』は、日本各地のライターたちの共感を得、グラフィティ文化のリアリティを表象するメディアとして機能しているからだ。この雑誌が要となって、実質的には全国各地から40名以上のライターが本展のために水戸に集結していたという。
なお、出展者は国内のライターに限定されているが、ライターの中には海外のクルーに参加している者も多く、地域に限定されないグローバルな「シーン」への直接的な参与はグラフィティ文化の醍醐味のひとつである。「移動」とは切り離すことができないライターたちによって紡ぎ出されるグラフィティ文化にとって、ローカル/グローバルの境界線は静態的なものではない。それゆえ、ますますローカライズあるいはグローカライズされた5年後、10年後の日本のグラフィティ文化のあり様が今から楽しみであるとともに、その足跡を辿る際、本展は重要なメルクマールとなるに違いない。

スケートランプ《ZYS》
3──スケートランプ《ZYS》
左壁:《DISKAH》《DEM》
右壁;《COSA》

館内における展示構成は、グラフィティを前衛芸術史の系譜上に位置付けることで「グラフィティはアートか?」を観客に問うのではなく、ヒップホップやスケートボードといった、当事者たちの文化的横断性の地平においてグラフィティ文化を捉えるという仕掛けであった。最初の部屋に展示されているのは、文字の武装を理論化したラメルジーのドローイング「アルファズ・ベット」、『SUBWAY ART』の著者マーサ・クーパーの記録写真、映画『スタイル・ウォーズ』(1984)の映像と写真である。いずれもニューヨークのグラフィティ黎明期に関する貴重な資料だが、グラフィティの歴史にまつわる展示はここまで。そこから先は現役ライターたちの独擅場である。ギャラリーの壁に直接スプレーを吹き付けた平面作品が基本だが、複数台の廃車をダイナミックに用いたKANE、プロジェクタを併用しているZYS、芝刈り機で河原に文字を刻んだ写真を展示しているNESM、文字を象った赤いオブジェを床に配したKRESSなど、立体造形やインスタレーションの手法を取り入れているライターも少なくない。またマーカー、スプレー缶、ノズルなどの道具類はもちろん、ブラック・ブックやウェアなどが集められた小部屋も設置されていて小気味よい。

《KAMI》《SASU》
4──《KAMI》《SASU》

さらに本展では、水戸芸術館のほか、市街地の計13カ所に屋外作品が展示されている。水戸駅南口の工事囲い、駐車場ビル、カフェ、取り壊しが決定されている建物などの壁面に描かれたこれらの「リーガル・ウォール」は、約10日間かけて制作された。初対面同士のライターの組み合わせによる合作もある。ひとつの作品につき数百本のスプレー缶が提供されたという。ライターが監視の目を気にすることなく、制作に集中できる機会は決して多くない。通行人が警察に通報したことも何度かあったようだが、水戸芸術館では2002年以降、市街地を美術表現の舞台とするアート・プロジェクト「CAFE in MITO」が開催されていることもあって、多くの市民がリーガル・ウォールを許容する素地を備えていたと言えるだろう。

《SCA (=PHIL, FATE, KRESS, BUTOBASK, MAKE), SUIKO, SKLAWL, ICHI, CS 》
5──旧営林署
《SCA (=PHIL, FATE, KRESS, BUTOBASK, MAKE), SUIKO, SKLAWL, ICHI, CS 》

評者の一人が『10+1』No.40に寄稿したグラフィティに関する論文は、主にフォロワーによるタグの増殖に言及したものであった★3。一方で、本展に出展したグラフィティ・ライターは彼ら/彼女らのコミュニティ内でのステータスは総じて高い位置にあり、ギャラリーのみならず、「ストリート」でも精力的に活動している者たちが多い。
ライターのステータスは、グラフィティの造形力、いかに描くことが困難な場所に描いてあるか、「ストリート」に残すグラフィティの量、マスメディアやギャラリーでの活動や職業化などの諸要因によってコミュニティ内部で集合的かつ多元的に決定されている★4。そこに、単一の評価軸や確固としたヒエラルキーが存立しているわけではない。また「ストリート」ではタグ・ネームという匿名性を介して、ライター間でコミュニケーションが交わされている。このようなグラフィティがもつダイナミズムが、展覧会という場に「回収」されることによって削ぎ落とされてしまうことは否めない。無論、本展に参加しているライターは彼ら/彼女らのあいだでの評価基準に適った者たちであり、「ストリート」で研磨されてきた表現の極みを一度に見渡せるまたとない機会であるが、その一方で、都市に氾濫しているグラフィティを、美術館まで足を運んで見に行くことの転倒は問われてもよいであろう。グラフィティは都市空間の読み替えという側面を保持しており、都市を劇場や迷宮へと変貌させる営為でもあるのだから。

《ESOW+KRESS+DICE+DEPAS》
6──泉ビル
《ESOW+KRESS+DICE+DEPAS》

クレジット
「X-COLOR/グラフィティ in Japan」2005年
(1-4=水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景)
すべて撮影:斎藤剛

この展覧会のために用意されたリーガル・ウォールには、「この作品は水戸芸術館現代美術センターで開催される『X-COLOR/グラフィティin Japan』の出品作品です」という但し書きが貼られている。出展者のライターは水戸でイリーガルなグラフィティを描くことを「禁欲」したようであるが、市内を歩く際には、リーガル・ウォールがマッピングされた地図には載っていない、本展とは直接関係ないグラフィティも否応なく目に入ってくる。グラフィティ/落書きの境界線をめぐる問題は本展の射程外なのかもしれないが、都市がそれを眼差し、経験する主体によって異なる見え方をするのと同様、グラフィティ/落書きの境界線もまた、それを見る主体によって移動する。
また、本展の誘いを断ったライターの存在も忘れてはならない。ヴァンダリズムに傾倒するライターの中には、公共的制度というフィルターがかかった企画に参加することは信条に反するという者がいよう。ただし、多くのライターにとってストリート/ギャラリーの境界線は二項対立的に意識されているわけではない。むしろ現在の日本では、そのような境界線や都市空間の管理/抵抗という対立軸を自在に乗り越え、しばしば商業誌や服飾デザインなどの産業的な仕掛けによって外在的に措定されるグラフィティ文化の枠組みを、能動的に脱構築していこうとするライターたちの欲望を看取することができる。はじめに「抵抗」ありきというよりはむしろ、ライター自身が諸問題に直面していく個別具体的なプロセスのなかで、抑圧的な社会秩序に対して違和感を抱き、公共空間のあり方やそこでの表現の可能性を問い直していくのだろう。
本展のみならず、渋谷のNPOによるリーガル・ウォール★5、下北沢のシャッター・ペインティング、桜木町のウォール・ペインティング、東京都のストリート・ペインティング事業など、近年、グラフィティの制度化と管理化が不可分に進展し始めている。グラフィティ/落書き、ストリート/ギャラリー、パブリック/プライヴェートなどの多様な境界線をめぐる----行政、警察、地元住民などの諸アクターを巻き込んだ----動態的なせめぎ合いをしばらくは見守っていく必要があるだろう。

★1──その他、雑誌は『ART iT』(2005年秋冬号)、『美術手帖』(2005年12月号)など多数。テレビはフジテレビ系列「NONFIX──ストリート・ペインティング」(2005年11月6日)など。
★2──グラフィティには大別して、行為者の呼称や彼らの集団(クルー)名などをスプレーやマーカーで手短に描く「タグ」、一色もしくは二色で描かれることが多い「スロー・アップ」、多くの時間と高度な技術を要する「ピース」という三つの表現様式がある(ピースには通常、タグも同時に描き付けられる)。
★3──南後由和「動物化するグラフィティ/タトゥー──都市/身体の表面への偏執」(『10+1』No.40、INAX出版、2005)所収。URL=https://www.10plus1.jp/backnumber/no40.html
★4──南後由和+飯田豊「首都圏におけるグラフィティ文化の諸相──グラフィティ・ライターのネットワークとステータス」(『日本都市社会学会年報』23号、2005)所収。
★5──NPO法人KOMPOSITIONウェブサイト=http://www.komposition.org/

[いいだ ゆたか・東京大学大学院学際情報学府博士課程]
[なんご よしかず・東京大学大学院学際情報学府博士課程]


200511


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