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アートの現場から
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Dialogue:美術館建築研究[3] Dialogue→[1][2][4] |
中村政人 + 青木淳 |
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青木淳──以前から中村さんの作品自体への興味もありましたけど、それだけでなくて、中村さんに作品とそれを成立させている場──場というのは、広い意味で制度という意味でも、都市というような現実的なものも含めてのことですけれど──について、どのように考えていらっしゃるのか、一度お聞きしてみたいなと思っていました。実際、中村さんは、『美術と教育』というインタヴューをお続けになっていて、それは美術を美術と捉えることの場への関心から発している活動だと思います。中村さんは、「秋葉原TV」のように、街にちょっと手を加えることで街全体を変えたり、これが作品ですと美術館に展示するのとはまた別の活動をされていますね。街のなかに出かけていって、なにかを行なう場所を探し、そこでなにかをやってみる。そういう場合と、最初からなにかがされることを前提につくられている美術館とでは、場の意味がずいぶん違うと思うのですが、その両方の場で作品をつくっている。その2つが両立している。どうして、両立できるのかな。 |
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青木──主催者側との関係はどう?すんなりと受け入れられている? |
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中村——それで思い出すのは、かつて、横浜市民ギャラリーで「今日の作家展」という企画に参加したことがあります。僕が参加したのは第29回の「視えない現実 InvisibleRealities」(1993)で、キュレーションが逢坂恵理子さんだったんです。 |
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青木──壁は、もうどこでも、釘は打てるようになるだろうし、壁を塗ることもできるというようになってくるでしょうね。でも可動パーティションはまだまだ残りそうですね。先ほどのお話のように、設営ということの重要性はまだまだ認知されていないし。可動パーティションは、パーティションとパーティションあるいは本設の壁との間に、たとえ1mmだとしても、隙間がでるでしょう、動かすために。それがすごく目障りですね。これは、つまり、そこにかけられる作品だけを見てください、という考え方の上にだけ成立する空間。作品は、それがなんらかの場に置かれていることで作品になる、という意識はない。ぼくたちも、可動パーティションだけは絶対にやめたいと思うのだけど、そんなところでは展示しないって、展示する側も言ってくれないかしら(笑)。壁を新しくつくってペンキを塗って展示が終わって、その壁を壊して元の状態にするということは、金額的には大したことではない。少なくとも、最初にちゃんとした可動パーティションをつくるお金があれば、何回ともなく壁をつくったり壊したりすることができる。 |
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青木──そのためには、美術とはどういうものかという考えがはっきりと意識される必要があるでしょうね。美術はそれ自身で美術なのか、それともそれをとりまく場を含めて美術なのか。どこで展示されるかを考慮に入れないで描かれた絵画であっても、どういう場にそれが置かれるかで、その見え方はぜんぜん違ってくる。だとすれば、少なくとも美術を体験する人にとっては、美術はそれをとりまく場と無縁ではいられない。そういう考えに立てば、ある展示ごとにきめ細かく展示計画をしていく必要があるという考えが出てくるのが当然でしょう? さらに進めば、それはそういうふうに重要なことなんだから、展示設営のセクションが美術館の基幹機能に必要不可欠という話になる。専門の人も専門の工房も必要になってくる。いま生きている作家の展覧会をするなら、作家と一緒に場をつくっていくことが必要であって、そういうことをしていく場所が美術館なんだという考えになっていく。 |
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中村──以前に一度そういうアプローチをした作品があります。福岡市美術館で94年に行なわれた「第4回アジア美術展 時代を見つめる眼」です。日本の美術館であれば焼き物や掛け軸を展示するようなショーケースって必ずあるんですよ。必ずあるっていうところがおもしろいと思ったんです。横に長いショーケースがあって当然搬入口があります。通常は搬入口には誰も行きません。その搬入口の3メートルくらいの扉を取り払ってガラスをつけたんですね。そうすると20メートルの奥行きの長い部屋ができるんです。そこには二重の構造が裏側から見えます。焼き物や掛け軸を置くガラスの空間とその前に立つ白い壁です。その白い壁の向こう側つまり展示室にはアジアの作家の油絵が掛かっています。その20メートルの部屋には高層ビルの屋上で赤く点滅してる航空障害灯というのを借りてきて設置しました。結構大きいレンズの固まりのようなものです。航空障害灯をあえて置いたのは、都市の中での美術館の存在を感じてほしいと思ったんです。美術館の構造を別の視点から見せようと思った作品です。また、美術館側からは制作経費がまったく支払われなかったので、全てのマテリアルを借りたり物品協賛などで行ないました。 |
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青木──ところで中村さんが行なっている「スキマプロジェクト」は、必ずしも物理的な意味での隙間ではないですね。 |
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青木──ええ、そうですね。ちょっと強引かもしれないけれど、美術館の展示室をどうつくるかという問題は、そういう意味での隙間性の問題とちょっと重なっているように思います。美術館をつくるとき、ぼくたちは展示室をつくらなければいけないわけです。そう頼まれますから。で、どういう展示室をつくればいいのか。もちろん、そこはいろいろな視点が関与している空間です。作家というそこでなにかをつくる視点があります。そのつくることに応えて、一緒につくっていく学芸員の視点があります。そこを管理する事務方の視点があります。作品に訪れる人の視点があります。でも、ぼくは、そのなかで、もっとも本質的なのは、そこでつくる人の視点だと思うんです。つまり、展示室は基本的には作家のためにつくるものだと思うわけ。そのためには、少々学芸員が大変になっても、事務方の作業が増えても、見に来る人が見にくくなっても──もっとも、それを見にくくするのも見やすくするのも作家が判断した上で、そうつくることができるわけですが──構わないと思うんです。では、作家のためにつくるというのは、どういうことなのか。作家がそこで行なうことを予測して、それにあわせてつくるということなのか。でも、それだと、作家がそこでやることは既に想定されているということになり、作家の想像力が既に枠内にあるということになってしまうのではないか。仮にぼくが作家としてそこで何かをしろと言われたら、展示のことをなにも考えられていないで、何か違う理屈でただそれを徹底的に推し進めた空間の方がやりやすいな、と思うんです。つまり隙間性を持った空間ということですね。もちろん、どんな予測をしても、作家はその予測を越えることができる、と言えばそれまでなんですけれど。 |
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中村──その上に壁をつくってもいいんですか? |
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中村──貸し美術館的な要素が多すぎますね。それが重要な問題だと思います。僕が好きな美術館は、イタリアのミラノの上のほうにあるパンザ・コレクションという美術館ですが、パンザ伯爵のコレクションで私設の美術館です。おもしろいシステムを採用していて、60年代後半から行なわれているのですが、作家をよんで2カ月ぐらい滞在させて全部面倒を見て、作品を買い取るんです。ジェームズ・タレルの初期の部屋などもあって、建物の中をリフォームして作っている。作家自身の考え方が永遠にそこに設置されるので、作品としてはパーフェクトです。こういうやりかたがあると思います。つまり建物を作るとき、作家ときちんとコラボレーションをして、その作家の考え方と建築家の考え方が一緒になってベストのかたちで作られ、作品が設置されていくことが僕らにとっては理想的です。そうすると作品のあり方を考える時間は長くなり、すでにある作品を巡回させるというのとは違った発想になります。 |
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