川俣正(1953−)によるプロジェクト「コールマイン田川」は、1996年秋に始まり今年で6年目を迎える。このプロジェクトの概要を一言で言うと、福岡県田川市内の約2000平方メートルの土地に10年かけて50mの塔を建てるというものだ。舞台となる田川市は明治期より炭坑の町として栄えたが、石炭から石油さらには原子力へというエネルギー源の移り変わりのなかで閉山に至り、町は大きく変化した。川俣正は国際的に活躍する美術作家だが、実は彼自身も炭坑の町、北海道三笠市で生まれ、彼の父親は石炭産業に携わっていたという。その関係もあり、彼は以前から北海道の炭坑で何かプロジェクトをしたいと考えていたが、それらの多くはもともと何もなかったところに炭坑と共に作られた町だったため、閉山と共に町自体が消滅してしまっていた。そこで次に、北海道の炭坑技術や人材供給の源だった九州を探すなかで、96年に田川にたどりついた。
 穴を掘って石炭を掘り出すという作業は、単純だからこそ世界中で共通でもある。つまり、石炭産業は極めてプリミティヴでありながら、同時にインターナショナルな側面をも持つと川俣は考えた。田川市に限らず日本全国の炭坑は昭和30年代から廃れてきたが、この現象は同時に世界的にも並行して見られる。91年以来、彼は炭坑プロジェクトの準備のなかで、北海道や九州の筑豊だけでなく海外にも足をのばし、ヨーロッパの炭坑についての調査も行なった。93年3月には実際にフランスの炭坑の町アルビを訪問し、95年5月にはドイツの炭坑の町レックリングハウゼンにて個展も催している。現在、レックリングハウゼン、ピッツバーグ、北海道の空知地区においても、川俣のコールマインプロジェクトが検討中であるという。
 「コールマイン田川」では、実際にそこに住んでいたり炭坑に携わっていた人々との共同作業のなかで塔を製作し、失われた炭坑の風景を再生させる。しかし川俣によれば、これは単なる過去の時代に対するノスタルジーではない。石炭産業を通してさまざまな社会問題、「労働者と資本家という社会的ヒエラルキーの成立、ストライキなどの労働運動、都市化による環境問題、公害、外国人労働者の問題や人種差別、労働災害」を見出し、共同作業のなかでこれらの問題を掘り起こす。そして、それらの問題は「現在でも引き続き大きな問題としてわたしたちの生活に含まれている」ため、現代的な意味をも持つのだ。
 今秋ヒルサイドフォーラムで開かれた展覧会では、現地の地図や記録写真をまじえて、これまでのデザインのプロセスを示すスケッチ、メモ、模型が展示された。そのなかから、ここでは特に斜めに押し倒されたような模型[fig.3]に注目したい。その造形は立体でありながら、アクソノメトリック(軸測投影図法)を連想させる。アクソメとは互いに直交する3直線をひとつの図に投影し、これらの立体の長さや幅および高さの方向を示すものとみなし、この3軸に準拠して立体を投影するという図法だ。これは立体的な空間全体を表現する透視図に比べ、個々の物体の表現に適していることから、もともと技術製図で用いられていたが、ショワジーの『建築史』(1899)以来、建築の分野でもよく用いられるようになったという経緯をもつ。それはさておき、つまりはアクソメとは立体を紙の上に表現するためのもので、2次元平面にいかに3次元のものをわかりやすく表現するかという手段だった。それにも関わらず、ここでは模型という3次元の表現に取り込まれている。

[fig.1]
川俣正「coalmine tagawa plan II」1996
木、鉛筆、アクリル絵具、プラスチック
81.3×122×23cm

[fig.2]
川俣正「coalmine tagawa plan」1997
鉄 61×28×29cm

[fig.3]
川俣正「工事中」1984
マケット(1994年制作)
木、バルサ材にペイント
210×330×50cm

写真提供=アートフロントギャラリー