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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

荏開津広

●A1
2013年には、僕は3月に高須咲恵、松下徹などと共に展覧会「サイドコア 身体/媒体/グラフィティ」を、また6月にアントナン・ゴルチエ、碓井千鶴などと共に映像フェスティヴァル「オール・ピスト東京」を行いました。前者はグラフィティが内包している問題を現代美術の分野に探る試みで、後者はポンピドゥー・センター発の制約のない映像フェスティヴァルです。これらのプロジェクトと関連して、幾つか印象に残ることをここに記すことで許していただきたいです。

2013年は、アヴァンギャルド映像作家、飯村隆彦の渋谷UPLINKで4月に行われたパフォーマンス[http://www.uplink.co.jp/event/2013/13026/]、空間全体を、映像が生まれる瞬間に人々を立ち会わせる経験に転じた"Circle and Square"で始まり、やはり渋谷のUPLINK で12月の終わりに上映された、パリ郊外にあるル・コルビュジエのサヴォワ邸で撮影された、ヴィデオ・アーティスト河合政之の"IN/OUT"[http://www.uplink.co.jp/event/2013/18778]の、黒人のモデルたちの姿態を驚きながら見つめるまで、映像やグラフィティの展覧会を通して建築や都市、空間について感じることが多い時間でした。



河合政之 "IN/OUT" (2009, 8min. HDV)


前年、自分が海外のジャーナリストと慌ただしく出かけていった福島県いわき市という場所の森美術館で、竹内公太の見る姿勢を問いただすような、より誠実であろうとする「影を食う光」[http://kota-takeuchi.net/sight_consuming_shadow.html]という個展を見たのもその印象を強めたでしょう。
品川のスタジオ1-8-5 で11月に見たフロリアン・ゴールドマンの「モデリング・カタストロフィ」[http://studio1-8-5.com/2013/11/15/115/]は、大災害を模型化する行為をTVで目撃した彫刻家のリサーチ/作品とも言うべき展示で、同じ作者が著したアテネのグラフィティについての調査に基づいた書籍「Flexible Signposts to Coded Territories」[http://florianichibangoldmann.wordpress.com/2013/07/20/flexible-signposts-to-coded-territories/]と共に刺激を受け勇気づけられました。グラフィティを背景に持つこの作家が、グラフィティを真摯に捉える他の全ての共犯者ともいうべき、作家や批評家、オーガナイザーたちと同様にメディアのストリート・アートを巡る喧伝と離れても仕事を積み上げていこうとしていたからです。その意味で、大山エンリコイサムの自ら描いた壁画をバフしたというNYでのショウを目撃できなかったのは残念でした。
グラフィティと関連したショウで優れて印象に残ったもののなかで「サイドコア 身体/媒体/グラフィティ」にも参加してもらったQPの"個813/9展"(セキルバーグ・カフェ、12月)は圧倒的な体験でしたが、それが美術ではないとしたら、ストリート・スラング以外のどのような言葉がこの作品を記録し、批評!していくのか、と自問せずにはいられず、また同時に勝手な責任感も感じました。
ここまでは作品と言葉について書いたのですが、2013年の始まりから、ここへの寄稿者でもある、建築家/アーティストの松原慈という人物が東京にいない、彼女が主にモロッコの空の下にいることを選んだという事実も大きな出来事でした。

 
「個813/9展」チラシ


●A2
ジャーナリスト、キャメロン・マキーンと手がけているグラフィティについての本は今年こそ出したいと思っています。また、サイドコアのメンバーと、もしくはサイドコアから離れて、グラフィティと現代美術が交差する領域での展覧会を手がけたいと考えています。2014年は、目の前の現実と前衛芸術と言葉がフィードバックしていく、その端緒のバグを自ら蒔く──おこがましいですが、そんな年になればと思っています。
●A3
考えていることで、特にここで記すようなことはありません。感慨にもなりようがありませんが、ザハ・ハディッドの卒業制作のカタログがこれを書いているデスクのすぐ横の本棚に置いてあります。意味もなく手に入れたものですが、そのときも、2011年に広州でオペラ・ハウスを見物したときも、彼女がこれほど自分の未来にのしかかってくるとは、まったく思ってもいませんでした。
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