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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

井上雅人

●A1
姫路城の天守閣修理を見学できる施設「天空の白鷺」が、2014年の1月で閉鎖されることになった。閉鎖されるという言い方はおかしいが、つまり修理が終ったので、むしろ姫路城そのものは公開されることになった。夏ごろには、天守閣が全部お目見えするそうだ。
建物全体を大屋根で覆って修復作業を行なう手法は、これまでも随分とされてきたわけで、さほど珍しいことでもないが、そこに八階建ての見学施設をつけて、通常なら鳥や昆虫でなければ見ることの出来ない距離から姫路城を見下ろす体験をもたらしてくれたことの意義は大きい。普通では得られない視点を与えてくれたのみならず、保存修復に携わる人びとにスポットライトを与えてくれたりもした。とはいえ、そういった意義の大きさ以前に、修理を見学することの楽しさを提供してくれたことには感謝であろう。

姫路城[撮影:Reggaeman]
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Himeji_Castle_The_Keep_Towers.jpg

復元された東京駅[撮影:馬場三士]


その、姫路城の修復を手がけた「鹿島」は、2012年の秋には東京駅の復元も完成させていた。東京ステーションギャラリーでは、空襲で炭化した木レンガまで見ることができる。今、自分がいる建築が、どのような歴史を経ているのかストレートに教えてくれるような貴重な証言者と、親しく交わることができるわけだ。わざわざ町中を探してまわらなくとも、きちんと整備した形で歴史の積み重ねを見せてくれる施設が増えていることは大変喜ばしい。歴史は文字で知るものであっても、やはり実物の説得力には叶わない。それゆえ、単に何ごとも無かったかのように奇麗に修復されたり、復元されたりするよりは、人間の創造や、逆に災害の痕跡を生々しく見せてくれる方がいい。姫路城や東京駅といった誰でも知っているような歴史的な建造物に限らず、もっといろいろな建築が、多様な関わりを人びとと持ってもいいのかもしれない。単純に、解体される直前のビルが、内装を全部はずした形で公開されたら、それはそれで面白い。9月には、解体に入った小学館ビルに漫画家たちが別れを惜しんで壁やガラスにラクガキをしたことも、話題を呼んだ。それに多くの人びとが関心を示し、見たいと思ったということは、建築と人の関係の意外な幅の広げ方があることを示唆している。
ところで、ここにきて、東京オリンピックの興奮のなか、江戸城天守閣を復元しようという話が出てきている。興味深いのは、木造で修復しようとしているところである。昭和において再建された大阪城も、名古屋城もコンクリートで建てられている。今となっては、天守をコンクリートで建てたことの方が不思議でならないが、それはつまり、この50年ほどで人びとの歴史的建造物への考え方が大きく変わったということでもある。本物そっくりに再建されたものとして代表的なのは、三島由紀夫の小説で有名な鹿苑寺こと、いわゆる金閣寺であるが、いくら元の場所に同じ方法で建てられたとしても、それはレプリカのはずである。そのことを忘れて、国粋主義的な風潮を生みだす道具立てになるくらいなら、まだ果てしなく偽物臭い大阪城の方がましであろう。
江戸城の再建は、もちろん政府が主導しての話ではないが、景気が良くなるならと、安易に飛びついてしまう人の多い世の中である。江戸城天守は、幕府が成立して50年ほどで燃えてしまったが、財政の逼迫や、再度の延焼を危惧して、敢えて再建しなかったというのも、また歴史である。立て直すことには興味をそそられるが、自己顕示の代替物としては建ててもらいたくはないと思う。同じ幕府の建築であれば、なかなか募金の集まらない二条城の修復にも支援をして欲しい。

●A2
2013年、私と蘆田裕史と藤井美代子は、京都に「コトバトフク」というセレクトショップを開いた。隣接された「gallery110」とともに、デザイナーの活動を支援し、関西に紹介するためである。主に衣服、アクセサリー、それとファッションやデザインに関わる書籍を扱っている。
若手デザイナーの支援、という話は、ここのところよく聞くようになった。ほとんどがファッション・デザイナーへの支援ではあるのだが、2013年も、ルミネやパルコといった商業施設や、LVMHやアルマーニといったブランドが、次々とプロジェクトを発表した。こういった動きが効を奏しているという話はまだ聞かないが、2014年には、さらに増え、ファッションに限らず、より多くの分野にまで普及していってほしい。
ファッション・デザインの分野は、個人が個人の名前で商品を販売することをグローバル市場においても成立させてきた。もちろん、その後ろにはたくさんの業者や技術者やサポートする人びとがおり、個人の名前で物が売られていたとしても個人が作っているわけではない、という矛盾も抱えてきた。しかし、そうすることによって、個人が個人の考えを商品にして世界中に訴えるルートを、まがりなりにも確保してきた。
今、若手デザイナーに支援が行なわれているということは、そういったあり方が難しくなっているということでもある。この20年あまり、ファッション産業では、デザイナー・ブランドのグループ化が進んだ。一部の巨大企業が、個人の経営するブランドを傘下に収め、あるいは老舗ブランドを買い取り、ちょうど野球やサッカーの監督を配するようにして、デザイナーを雇った。売上が伸びれば契約を更新し、結果を出せなければ契約を打ち切るという関係性を、企業とデザイナーは結ぶようになった。ファッション・デザイナーが、個人の力で商品を世界に問うということが、難しくなっているのだ。
一方で、広く見渡してみれば、Bsizeのような個人が経営する家電メーカーなども出現している。食への不安は、生産者が誰であるかということに人びとの目を導いた。東北の復興も、小さくて良いものを作る企業を応援しようという風潮を生んだ。生産者の顔が見えることは、むしろ歓迎される傾向にある。
「コトバトフク」では、「作り手たちの顔が見える商品」をならべることを心がけている。「作り手」個人の主張ではなく、そこに関わる「作り手たち」同士の幸福な関係性までが伝わってきて、買う側もその関係性のなかに巻き込んでしまうような物を選んでいる。先に、個人の考えを、商品を通して伝えることの重要性をあげたこととは矛盾するようだが、やはり、個人が個人の考えを世界に直に訴えるようなことは、どうしようもなく難しくなっている。であるのならば、闇雲に個人が巨大企業と戦うよりは、お互いに顔の見える少数の集団をいくつも作っていく方が現実的であろうし、強力なリーダーに率いられる集団よりは協調的な集団の方が、現在の日本の社会に合っているだろうと考えたからである。
「コトバトフク」という小さな店に、どこまでのことが出来るかは分からない。いやしくも学問を生業とする人間が、商売に手を染めるのもどうかと言う向きもあろう。しかし、少しでも余力のある素人が下手な鉄砲を撃っていかないと、残らない果実もあれば、出ない芽もある。



コトバトフク


●A3
東京でオリンピックの開催が決まったのは、3度目である。一度目の1940年のオリンピックは返上したうえに、その代わりの64年のオリンピックであるし、開催まで漕ぎ着けたのも64年だけなので、2020年のオリンピックを2度目とカウントするのに異論は無い。だが、それにしても決定したのは3度目である。
20世紀の前半までは、近代オリンピックは欧米のなかで巡回していたので、40年に東京で開催を決定したのは、実に大きな変化であった。結局開催されなかったとはいえ、これ以降、20世紀の後半は開催地域と参加国をひたすら広げていくことになった。これまでに夏のオリンピックを3度開催したのは前回の開催地のロンドンだけであるが、第1回のアテネも、非公式の1906年大会を含めると3度となる。そのほかにも、2度開催した地としてはパリ、ロサンジェルスがある。いずれも欧米の街である。20世紀の後半は植民地が解放され、人種や国境を超えて、人類であれば誰でも平等である日が来ることが祈られた時代である。いずれ、発展途上国でもオリンピックが開かれることになるであろうと、誰もが思い描いた。
ところが、21世紀に入るあたりから、どうも、そんな簡単なことでもなさそうだということになってきた。オリンピックを行なうような街では戦争はもう起こらないという思い込みは、サラエヴォが戦地になることで、あっけなく裏切られた。ひょっとしたらサラエヴォは、東京同様中止になっていた可能性だってあった。さらには、アテネは開催後、大きな不況に飲み込まれた。こちらも返上する可能性が無かったとは言い切れない。すると、こういったことを踏まえて、今後はオリンピックの開催される街が、限られてくる可能性だってある。戦争の危機が無く、不況のリスクを乗り越えられるような街など、世界中にそれほどあるわけではない。
そんなことになってしまったのは、オリンピックをグローバル経済における、4年に1度の起爆剤にしようとするからである。循環する景気を人工的にコントロールするために、オリンピック産業が利用されようとしているのは、誰の目にも明らかである。起爆剤は、頻度が多すぎても、火薬の量が少なすぎても効果が無い。4年に1度という絶妙な間隔で、できるだけ大きな花火を確実に打ち上げなくてはいけない。
しかし、そうなると「オリンピック」は、かつて人類学者たちが発見した「クラ」や「ポトラッチ」といった、南洋や北米の部族のあいだで行なわれていた儀式とそっくりなものになっていく。日本は「先進国」と呼ばれるメンバーに所属しているかぎり、この文化人類学的な贈与や交換のシステムから逃れることはできず、これから先も何十年かに一度、儀式を執り行なうことになるだろう。近代の行きついたところが、部族社会と同じなのは興味深いが、せめて、この手の儀式でよく見られる、わざと宝物を破壊したり、過度の贅沢を行なったりすることで、代わりに将来の危険を回避しようとするような、どうしようもなく呪術的な儀式にはならないでほしいものだ。
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