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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

天内大樹

●A1
東京理科大学、明治大学など建築学科創設50周年を記念する大学がいくつかあり、明治大学では私もその集いに立たせていただいた。明治大学での堀口捨己と神代雄一郎、法政大学での大江宏(こちらは1950年創設で、今年は大江生誕のセンテニアルだったが)のように、各学科の基礎を築き、カラーを彩った人々が回顧されたことには、戦後建築史研究の端緒を切り拓く意義があった。これらは国立近現代建築資料館の開館と同館での丹下・坂倉展、国立西洋美術館でのル・コルビュジエ展とともに記したい。
明治・法政大学の集いでは、双方とも会場からの質問の最初が、当時からの校舎の解体と現在のタワー型校舎の建設とについて問う卒業生のものだった。東京理科大学の集いには私は参加していないが、記念行事がまさに2013年開設の葛飾キャンパスで行なわれており、しかも同キャンパスの設計に理科大建築学科はファカルティとしてはほぼ関わらなかったと聞く。法政や明治と同種の指摘が、少なくとも潜在的にはあっただろう(もっとも法政や明治では旧校舎「解体」が惜しまれ、理科大ではおそらく新校舎「建設」が大学理事会と組織設計事務所のみで進行したことが惜しまれる違いはあるだろう──旧住宅・都市整備公団本部=旧理科大九段校舎も味わい深い建物だと思ったが)。国立競技場改築をめぐる/にふれたシンポジウム群でも、従来型の建築家像では建築の立場から都市や国家の意思決定に参与できない点が繰り返し指摘された。その構図が各大学の50年間にもそれぞれのかたちで反復されていたともいえる。
出版は2012年だが、中川大地『東京スカイツリー論』(光文社、2012)は建築物の量的ではなく質的な側面を問うものとして、着実な議論を示してくれた。何より、私には隅田川の対岸のお祭り騒ぎとしか映らなかった出来事が多面的・立体的に像を結んでいくさまは、読書体験そのものとしても面白かった。円堂都司昭『ディズニーの隣の風景──オンステージ化する日本』(原書房、2013)も同種の切り口に分類できようか。押上も浦安も従来像どおりに建築家が関与したものではない。しかしスカイツリーやシンデレラ城(またはミッキーマウス)に動態としての共同体が象徴されるならば、それらをある種のモニュメントとして光を当てるのは、従来型の建築家像が引き受けてきた役割のひとつだろう(照明計画をせよとか記念碑を建設せよなどと主張しているのではない)。あいちトリエンナーレが仮初めのイヴェントを通じて目指したもの、あるいはもしかしたら東浩紀編『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン、2013)で目指されているものも、これではないか(後者については現地の自発性を損ねる懸念から、「計画」として実定的に進める点には判断を保留したい)。

円堂都司昭『ディズニーの隣の風景──オンステージ化する日本』/
東浩紀編『福島第一原発観光地化計画』

●A2
自身のプロジェクトはどれも遅滞気味か中断してしまっており大変申し訳ない。個人的には初めて東京以外の街に住むことになりそうで、こちらは楽しみである。

●A3
最近は「少なくとも2020年まで東京には戻りません」と冗談を言っているが、いずれにせよ建設ラッシュで東京は騒がしい7年を過ごすことになる(直接のオリンピック施設だけでなく、ホテル建設や交通整備も伴うからだ)。建設の是非については、霞ヶ丘競技場より葛西臨海公園のほうに懸念がある。この数十年のものとはいえ生態系維持の観点から、中央防波堤にカヌー・スラローム会場を移す余裕はないだろうか。また晴海の選手村は、閉幕後中古住宅を一度に大量に供給することになるが、健全な住宅地として維持できるのだろうか。民間に任せれば解決できるというものでもない。
霞ヶ丘はコンペ勝者が「設計者」ではなく「デザイン監修者」に就任するという、もとより心許ない条件だった。北京国家体育場と同様に設計縮小になるだろうが、それが当初から発注者の視野に入っていたらしい点は東京人として恥ずかしい。政府施設とはいえこのコンペの前提を糺せず、選出過程に関与した実感も持てなかったことに対する、東京の人間としての悔いはいくら強調してもしすぎることはない。ただ、何もなければ結果的にザハ・ハディド氏のデザインの出涸らしのような縮小再生産が、つつがなく進行するだろう。
越沢明『東京都市計画物語』(筑摩書房、2001)で、神宮外苑は歴史的景観を保った貴重な地域というよりも、当初計画の戦後復興に対する挫折として描かれている。絵画館前の緑地は草野球場と化し、両脇の学習院と陸軍大学校の跡地はラグビー場と都営アパート(2000年頃改築)や中学校になった。今回はラグビーW杯のための新競技場建設なのだから、秩父宮ラグビー場は解体して跡地に他スポーツ施設を移し、せめて絵画館前は使用申請不要のオープンスペースとして開放できないだろうか。また逆に、オープンスペースを諦めてスポーツ施設を「ラウンド・ワン」のように過密に集約する可能性もあるだろう。外苑全体は高々100年前に死去した人物を記念したにすぎないのだから、当時の市民有志の所産でこそあれ、神域として過剰に崇める必要はない。また明治神宮内苑と代々木公園の鬱蒼たる人工林に比べれば、我々はここをすでにズタズタにしてしまっているのだ。

越沢明『東京都市計画物語』

大切なのは、新競技場の「デザインが奇抜」だから反対というような、建築家の創意を束縛しかねない議論には与しないことだろう。「奇抜」なデザインを行う建築家に、われわれはすでに霞ヶ丘を委ねたのだ。
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