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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<服部浩之
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大阪で梅香堂というオルタナティヴ・コマーシャルギャラリーを営んでおられた後々田寿徳さんが2013年12月29日に急逝されました。後々田さんには、都市生活を営むうえで「オルタナティヴ」があるということの重要性や価値を、その静かな活動から教えられました。
僕は青森を拠点としつつ、一年のかなりの日数を異なった複数の都市で過ごすという根無し草な人生を送っています。ただ、一方で自分が暮らす場所を丁寧に楽しみたいという想いもあって、いわゆるオルタナティヴ・スペースを個人的に青森市内で運営しています。複数の道筋や視点を持ち、どんな状況下でも必ず異なった選択肢があるということを意識できることは、いまを生きるうえで非常に重要だと考えています。「オルタナティヴ」とは、誰もが持つ権利としての選択肢であると思います。そのようなオルタナティヴを大阪という都市で約4年間築き続けてきた梅香堂オーナー後々田寿徳さんが急逝されたのは、受け入れがたい出来事でした。「こういう選択肢もあるよ」という道を提示し続けてくれた、僕にとってある意味先生というか人生の先輩であり、芸術に関わる仲間であった後々田さんを失なうことは、都市生活を考えるうえで非常に大きな出来事でした。
少し梅香堂の紹介をします。梅香堂は2009年11月に大阪の此花区にオープンしたオルタナティヴ・コマーシャルギャラリーです。オルタナティヴというのは、後々田さんが指向するアートの方向性が典型的な商業ベースの画廊とは一線を画しているということもありますが、そもそも此花という地区はアート活動などが活発に行なわれているわけではなく、むしろディープな大阪の下町で、そこで商業的にも成立するギャラリー活動を展開すること自体が通常の発想では思い描かれにくいことで、とても特異な存在で、それ自体が極めて特殊な選択肢であると思われるからです。
此花は、後々田さんがギャラリーをはじめたころは、「水都大阪」 などもあって少しずつアーティストたちが集まる地域になりつつありましたが、現在のような活況が生まれるとは想像できませんでした。此花の紹介をするのが今回の主旨ではないし、それを語るべき方はたくさんいらっしゃると思うので、ここではこれ以上の詳述は控えたいと思います。
後々田さんは縁があってこの土地に辿り着き、ここで暮らしながら梅香堂を細々と、でも非常に丁寧に豊かに続けておられました。青森に住んでいる僕は、そんなに度々来訪できるわけではないけれど、それでも関西に行く際にはほぼ必ず梅香堂に立ち寄っていました。大阪に用事がなくても京都くらいまできたら寄ってみようかなと思える場所なんです。何をするでもなく、そこに後々田さんがいて梅香堂があるから訪れるという存在でした。そういう場が存在する街は非常に羨ましく思います。
梅香堂は不特定多数の人がそのように感じる場所では決してないけれど、少なくとも僕にとっては大阪に行く理由をくれる場所でした。コマーシャルギャラリーと称しているけれど、ギャラリーと聞いて想像されるおしゃれなホワイトキューブとは真逆の、個人の独特な美学や経てきた歴史、その価値観が強烈に香る空間です。建物自体がぼろぼろの川辺の倉庫で、内装はダークグレーのトタン波板で覆われ、2階展示室の中央には90センチ四方の小さな吹き抜けがあり、どう考えても作品展示がし易い空間ではありません。しかし、そこでは驚くほど素晴らしい展覧会がいつも実現されています。もちろん僕は毎回鑑賞することは不可能で、数回の展覧会しか経験できませんでしたが、本当に嫉妬するくらい素敵な展覧会があの場所で起こっていました。どうやったらアーティストをあそこまで本気にさせられるのか、その関係の作り方ひとつとっても完敗だと思わされることがほとんどでした。悔しいのでその原因というか原動力を考え続けたのですが、ひとつだけとてもシンプルな答えがわかりました。それは後々田さんの徹底した愛情があの空間へ、そして作家へと注がれていることです。梅香堂ウェブサイト で公開しているカタログのテキスト を読むと、作家へのこだわりや愛情がよく伝わってきます。その人がどのような人で、どういうことを考え創作活動を営み、現在に至ったかの背景をつぶさに調べ上げて紡がれた言葉です。アーティスト・イン・レジデンスという作家の制作環境をつくり、その制作に寄り添う現場にいる僕にとっては、本当に見習うべきことの多い優しくて良質なテキストです。
ここで、4年以上前にオープン直前の梅香堂を取材させてもらった際の記事を紹介します
梅香堂というスペースは細部まで後々田さんの手が丁寧に行き届いており、その空間自体が後々田さんそのものと言えます。個人の意思が色濃く反映された空間は、当たり障りのない展覧会の場としては不向きでしょう。しかし、その個人が素晴らしいと信じたアーティストが、まるでその人に見守られているかのような空間で制作に打ち込むことで化学反応が起こって、一歩抜きん出た展覧会が実現するのだと思います。後々田さんは、自分がよいと思ったら、ある距離感を保ちつつ見守りながらも、徹底的に付き合い形にしていきます。自分の意思で考え、選択し、そしてそれに責任をとることの切実な意義を、あまり多くは語らないその姿勢に学びました。
何が言いたかったかというと、結局自分のやりたいこと(やるべきこと)をシンプルに追求し、考え、選択し、どんな場所にいようがそこから自身の生きる環境を築くことで生まれる豊かさを、大阪此花区で梅香堂という比類なきオルタナティヴな場をつくり続けた後々田さんから教えられたということです。いつどこでどんな状況になろうと、そこには選択肢がまだ無数にあるということをずっと忘れないようにします。そして、大多数のためでなくても、王道ではなくても、ほんの少数でもよいのでなんらかの価値を見出してもらえる「オルタナティヴ」をつくっていきたいと思います。
- 梅香堂外観(2009年9月25日撮影)
- 同上(2012年1月22日撮影)
- 下道基行展「AIR / 空」開催中の梅香堂内観(2010年1月4日撮影)
- 下道基行展「torii」開催中の梅香堂内観(2013年11月16日撮影)
すべて筆者撮影
蛇足になるかもしれませんが、一応昨年印象に残った展覧会などあげておきます。東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2012:風が吹けば桶屋が儲かる」
もうひとつは同館にて2期に分けて開催された「フランシス・アリス」展 です。ユーモアとウィットに富んだ見事な手法で見えない境界を鮮やかに描出するアリスの態度には、現在の複雑な世界の現状を肯定しつつも批評的に生きるたくさんのヒントが散りばめられていました。
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2013年はアジア各国の同世代の刺激的な人々と、よい議論ができ一緒にプロジェクトを実現できた1年でした。それを日本でアウトプットするひとつの方法として、東南アジア4カ国で開催した展覧会「MEDIA/ART KITCHEN - Reality Distortion Field」
2014年は自分が寄って立つ「アジア」とはいかなる場所なのか、どのような境界線上を生きているのか、そしてこの境界を渡り歩くなかでなにができるのかを、もっと意識的に考え、言葉や実践に落とし込んでいきたいと思います。現在「Alternative Lives」というサイトを立ち上げ準備中で、それをアジアという背景を意識しつつ展開したいと考えています。
また、今年は福岡アジア美術館で「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ」が開催されると思います。どのようなテーマで展開されるのか興味を持っています。
レム・コールハースがディレクターを務める「第14回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展」にも注目しています。
それから、ヨコハマトリエンナーレへの参加や東京ヘテロトピアを拡充させていくなど、継続的プロジェクトを推進しアジアでの新たな展開も想像されるPortBの活動にも注目しています。
- 「M/AK Bangkok」展示風景。3都市を経て最後の会場となるBangkok Art and Culture Center(BACC)(会期=2013年12月21日〜2014年2月16日)
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率直に述べるとオリンピックという一過性の祭典にあまり左右されることなく基本的に自分のできることを積み重ねていこうと思います。ただ、オリンピックに向かうことで、地方が必然的に搾取される日本の構造的な問題がより明確になり、さらに拡大していくのではと危惧しています。今後どのような拠点を持つべきか(地盤を築くべきか)、そしてどこにどのように税金を納めるか、意識的に考え選択していきたいと思います。
また、オリンピックの開催自体を悪いこととは思いません。しかし、オリンピックがどのようなスタンスで開催されるのかは重大な問題だと思っています。現状だと、オリンピックという祭典によって、そのすぐ裏側にある現実が覆い隠されたり、忘却されるのではという恐れを抱いています。オリンピックに浮かれるのではなく、現実のリスクと問題を直視する社会を築いていかなければなりません。東日本大震災から10年も経たない2020年にどんな日本の姿を描き出せるのか。それは世界から与えられた大きな課題であり、これから私たちはいかなる選択を重ねていくか、個々人が一手一手を真剣に考えていかなければと思います。そしてその選択の先に、東京以外の都市がより魅力的だと思われるようになり、人口分布が変化し分散していったら日本には少しだけ未来が開ける気がします。