ENQUETE
特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<津田和俊
「何を自分はアチックに見出さんとしつつあるか、人格的に平等にしてしかも職業に、専攻に、性格に相異なった人たちの力が仲良き一群として働く時、その総和が数学的以上の価値を示す喜びを皆で共に味わいたい。チームワークのハーモニアス・デヴェロープメントだ。自分の待望は実にこれであった。」
2013年、渋沢敬三の没後50年記念事業として開催された特別展「屋根裏部屋の博物館」(国立民族学博物館、2013年9月19日〜12月3日)の会場内に、木村伊兵衛によるポートレイトと一緒に掲げられていた言葉です。渋沢敬三が青年時代に自宅の屋根裏に私設したアチック・ミューゼアムでは、民衆が日常の暮らしの必要からこしらえた民具を中心に蒐集し、多様な分野からの視点を持ち寄って調査研究を進めていたことが広く知られています。この言葉は現在もなお私たちに「つくること、つながること」の可能性とそのあり方について、礼讃しながら問いかけているように感じました。例えば、ひとつには、同じ時代を生きる人たちがどのようにつながっていくかということ。もうひとつには、時代を超えてどのようにつながっていくかということです。
インターネット以降、私たちは多くの情報や知識を共有し、また多くの人たちと意見交換ができるようになりました。特に同じ意見を持った人たち同士は飛躍的に集まりやすくなったのではないでしょうか。しかし一方で、民主主義に求められる異なる意見を持った人たちのあいだでの同意や合意形成はますます難しくなりつつあるのではと感じます。そのような異なる他者とのコミュニケーションをすすめるひとつの可能性は、物を介在した対話ではないかと考えています。なぜかというと、物を設計して、つくりあげるためには、多様な視点から対象を考察し、それらが調和した落とし所を見つける必要があるからです。
ここでいう物を介在した対話とは、従来の産学官連携のような組織間の協力や村社会での固定された人間関係におけるコミュニケーションではなく、近代的な個人主義を基礎とした個人対個人のコミュニケーションを指します。まずは外に多様な分野の人たちが個人的に集まってつながり、将来の暮らしの原型や苗代をつくりながら探っていく場に可能性があるように思います。そのような場づくりには、分野を縦横無尽に渡り歩く南方熊楠のような存在や、ある分野を背負いながらもそこに固執しない存在の参加に加えて、いつでも入ったり抜けたりできる多様で流動性のある場をつくることが鍵となりそうです。熊楠のいうところの「人の交わりにも季節あり」の受容といってもいいかもしれません。
加えて、限られた資源をいかしながら、いかに将来世代にわたって生きのびていくことができるかといった社会のサステイナビリティを考えたとき、これまで民衆によって暮らしの必要から長い年数をかけてつくられてきた風景やそれを背景に持った物の変遷、さらにそれらを「民具」(渋沢敬三)、「平民工芸」(今和次郎)、「民芸」(柳宗悦)といったさまざまな言葉をつくり再評価しようとした先達の試みから真摯に学び、これからの将来につなげていくことが必要だと感じています。
このようなことを胸に、現在、私はパーソナルファブリケーションの文化をすすめる「Fab Lab(ファブラボ)」のネットワークに参画し、2013年の年明けからは大阪市住之江区にある協働スタジオ・コーポ北加賀屋
さて、コーポ北加賀屋では、2014年1月18日から、「(almost) starting over((ほぼ)振り出しに戻る)」
- 松井亜希子《The candle flickered in the wind, and went out》(2013)
作家提供
- 東畠孝子《River on a Wall》(2011)
作家提供