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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

田中浩也

2013年、私は「第9回世界ファブラボ代表者会議(横浜)/Personal Fabrication as the Dawn of New Renaissance 2013」の大会委員長を務めた(1週間にわたる会議の全貌は、http://www.fab9jp.com/に映像や写真などでアーカイブされている)。「ファブラボ」という新しいものづくりの運動★1を現在進行形で進めている各国の代表者が、30カ国以上から200人も集まり、1週間をかけて密度の濃い議論とプロジェクトが行なわれた。この代表者には、デザイナー、エンジニア、アーティスト、建築家、市民、社会活動家、教育関係者などさまざまなプロフェッションが含まれる。また、総務省、経済産業省、国際協力機構(JICA)の代表者を招いてのシンポジウムも開催し★2、政策への展開についても意見交換を行なった。さらに、このシンポジウムに合わせるように、3冊の書籍が準備された★3。今年の前半期、私は持てる時間のすべてをこの準備のためだけに費やした。世界ファブラボ会議を日本で開催するのはおそらくこれが最初で最後になるだろう。

この準備のなか、私は約50年前に開催された「世界デザイン会議」との不思議な類似に気がついた。世界デザイン会議は、1960年の5月11日から16日まで日本初の国際デザイン会議として、世界24カ国から227名のデザイナー、建築家が参加して東京で開催されたとされる。この期間と規模が、「世界ファブラボ会議」とたいへん似ている。そして、この「世界デザイン会議」を契機に、メタボリズム・グループが誕生し、会議によって実現された異分野のデザイナーどうしの交流が、東京オリンピック(1964)や大阪万博(1970)に繋がっていったことは、よく知られた史実である。

実際に会議を経験してみて、200名という参加人数と1週間という期間の「設定」が、「すべての参加者が他のすべての参加者と1対1の密度の高い対話をする」のに必要十分な規模になっているということが良くわかった。完全に顔の見えるN対N(「1対1」×「N」)のコミュニケーションが発生し、結果として会期中に強力なコミュニティが形成される設定になっているのだ。この濃度は、次の新しい何かを生み出す孵化器としてふさわしい。このコミュニケーション形態は、メールともSNSともTwitterともFacebookともAKB48ともニコニコ学会とも異なる。村のコミュニケーションのようなものだから、原始的といえば原始的だが、原始的なコミュニケーションがもっとも強度を帯びる逆説的な状況がIT登場以後続いている(そして、このファブラボ「村」は、1週間で爽やかに解散し世界中に離散した)。

第9回 世界ファブラボ会議 国際シンポジウム(神奈川芸術劇場、2013年8月26日)
引用出典=http://www.flickr.com/photos/100633064@N02/

次回、第10回の世界ファブラボ会議は、来年スペインのバルセロナで、「From Fab Labs to Fab City」をテーマに開催されることになった。バルセロナ市では、FabLab Barcelona★4がシティ・アーキテクトに選ばれ、現在市中に6〜7箇所のファブラボの設立を予定している。これに歩調を合わせるように、国内でも、そして他の国々でも自治体ベースでのFabLabの設立が鋭意進められている。FabLabとは単なる地域の市民工房ではなく、「工房の世界的なネットワーク」であることがその本質である。いまから約20年前、ルーターでサーバーをつないでインターネットを構成したところから、現在の情報化社会は始まった。いま、工房と工房をつないで「デジタルファブリケーション施設」のネットワーク、すなわち自律・分散・協調的な「ネットワーク型」として、「工場」を解体・再編成しようとしているのがファブラボである。はたして、これが情報インフラの次の「インフラ」になりうるか。また米国ではファブラボは「21世紀の図書館」とも称されている。図書館はすでに各自治体に整備され、情報ネットワーク(図書館情報システム)でも接続されている、「ネットワーク型公共施設」の先駆例である。ファブラボは図書館に続く、新しい公共施設のモデルになりうるか。

さて、世界ファブラボ会議を開催した8月末の時点ではまだ予想もしていなかったのだが、その後、オリンピックが東京で開催されることが決定した。私の周辺でも(建築や都市スケールの話ではないが)おぼろげながらオリンピックに向けたプロジェクトが立ち上がりつつある。メディアやテクノロジーの側からも、このイベントに向けてさまざまな試みが発ちあげられそうだ。私はこの機会を、「ITが前提となった、その次に来るフィジカルな(物質的な)世界を描く」ための好機ととらえたいと考えている。3Dプリンタやデジタルファブリケーション技術は「ものづくり革命」という言葉と関連付けて説明されているが、その実態は「ものづくり」なのではなく、むしろ「ものをソフトウェアのように扱う」「ものをデジタルな存在として扱う」ことにある。つまり、情報と物質を完全に等価に扱おうというのがこの技術の核心である。では、情報と物質とが完全に等価になった世界とはどんなものだろうか。

それを考えるためのヒントのひとつとして、60年代〜70年代の想像力や物語がじつは参照点になるのではないかと考えている。たとえば、漫画『ドラえもん』に描かれた物語の多くは、「もの(物質)」をいかに操作可能にするかという問いから発せれている。もの(物質)を拡大縮小するためのスモールライ」、もの(物質)を複製量産するためのフエルミラー。音声を物質化するためのコエカタマリン。この時代の想像力のなかに、IT(情報コミュニケーション技術)の発想はまだない。むしろ、身のまわりの物質(フィジカル)な世界への操作可能性を高め、ハードウェアをソフトウェア化すること、可塑性を高めることの試論が描かれているのだ。すなわち、「環境技術」。

「世界デザイン会議」から半世紀が経って、私たちはデジタルな思考と認識をすでに当たり前のものとし、さらに現在の3Dプリンタと3Dスキャナを組み合わせれば、初期的ではあるがフエルミラーもスモールライトもコエカタマリンもすでにSFではなく実際に制作可能な状況に到達した。私は、そうしたものたち、つまり未来生活のアイテムを、アニメや漫画ではなく、実際にひとつずつこれから具体的につくっていこうと思っている。電子工作やプロダクトデザインの技術を組み合わせれば、従来の制約を遥かに超える、(ほぼ)あらゆるものが制作可能だ。つまり、SF(Science Fiction)をSF(Speculative Fabrication=思索的・推論的・批評的ものづくり)へと転換させ、それを経たうえで、SF的想像力について再び吟味するのである。空想が空想ではなく、現実に実現可能になったときはじめて、わたしたちは、空想の裏にあった本当の思いや欲望というものに別のかたちで触れていくことができるのではないか。そこに批評性があるのではないか。それを「自ら自身が」経験することが大切ではないか。

生活のなかで「(ほぼ)あらゆるものをつくることができる」技術(=How)を徹底的に実践した先に、「なぜ、なにをつくるのか」(=What, Why)という問いがおのずと浮上してくる。ここに新しい議論の場を立ち上げたいのだ。1月より始まる総務省「ファブ社会についての検討委員会」の場ではこの準備を行なうつもりである。

★1──「10+1 website」2011年5月号(特集=パーソナル・ファブリケーション──(ほぼ)なんでもつくる)を参照。
URL=https://www.10plus1.jp/monthly/2011/05/
★2──第9回 世界ファブラボ会議 国際シンポジウム「進化するメイカームーブメント──グローカルものづくりの未来」
URL=http://www.fab9jp.com/expo
★3──以下の3冊。
3-1:『オープンデザイン──参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』(オライリー・ジャパン、2013)
3-2:『FABに何が可能か──「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考』(フィルムアート社、2013)
*書評=山形浩生「モノ作りムーヴメント:その現状と新たな可能性──田中浩也編著『FABに何が可能か「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考』」(「10+1 website」2013年11月号、LIXIL出版)
URL=https://www.10plus1.jp/monthly/2013/11/yamagata.php
3-3:『実践FAB・プロジェクトノート』(グラフィック社、2013)
★4──FabLab Barcelona URL=http://www.fablabbcn.org/

『オープンデザイン』/『FABに何が可能か』/『実践FAB・プロジェクトノート』

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